「江田駅 (神奈川県)」の版間の差分
WXYZ-origin (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
→駅名の由来: dablink, 記述整理(ノート:江田駅 (神奈川県)#駅名の由来に関する記述整理参照) |
||
54行目: | 54行目: | ||
柵が設けられるまでは、通過待ちのない各駅停車は内側の2・3番線に停車し、通過待ちの各駅停車は外側の1・4番線に停車、急行・快速は内側の2・3番線を通過していた。下り通過線を2番線から1番線に変更する際、下りホームを[[あざみ野駅]]側に延長し線路配線を変更した。これにより通過電車の進入速度低下を抑えた。ホーム延長により[[市が尾駅]]側には未使用部が存在する。 |
柵が設けられるまでは、通過待ちのない各駅停車は内側の2・3番線に停車し、通過待ちの各駅停車は外側の1・4番線に停車、急行・快速は内側の2・3番線を通過していた。下り通過線を2番線から1番線に変更する際、下りホームを[[あざみ野駅]]側に延長し線路配線を変更した。これにより通過電車の進入速度低下を抑えた。ホーム延長により[[市が尾駅]]側には未使用部が存在する。 |
||
上下ホームと改札階を連絡する[[エレベーター]]が設置されている。上下ホーム双方に[[待合室]]がある。[[便所|トイレ]]は1階[[改札]]内にあり、[[ユニバーサルデザイン|多機能]]トイレも設置されている。このほか東口の改札外に横浜市管理の[[公衆便所]]がある。施設の老朽化により2014年頃から改修工事を行っていたが、長津田寄りの階段を改良し上下エスカレーターを各ホームに設置することになり、2017年6月 |
上下ホームと改札階を連絡する[[エレベーター]]が設置されている。上下ホーム双方に[[待合室]]がある。[[便所|トイレ]]は1階[[改札]]内にあり、[[ユニバーサルデザイン|多機能]]トイレも設置されている。このほか東口の改札外に横浜市管理の[[公衆便所]]がある。施設の老朽化により2014年頃から改修工事を行っていたが、長津田寄りの階段を改良し上下エスカレーターを各ホームに設置することになり、2017年6月〜2020年3月の期間に設置工事を行う。まずは改札内にあるトイレを渋谷方階段近くの壁に移設し、空いたスペースと駅事務室の改良で生まれるスペースを活用しエスカレーターを設置する予定となっている。 |
||
[[ホーム上屋]]は従来上下とも車両3.2両分しかなかったが、2007年から2008年にかけての工事で車両6.8両分のホーム上屋の新設を行った。この時、全車両10両分のホーム上屋が[[膜構造|膜屋根]]となった<ref name="makuyane">{{Cite web |url=http://www.aran.or.jp/works/6909.html |title=東急江田駅ホーム上家 |publisher=一般社団法人 鉄道建築協会 |accessdate=2020-05-04 }}</ref>。なお、田園都市線でホーム上屋が膜屋根なのは、当駅の他に[[梶が谷駅]]と[[高津駅 (神奈川県)|高津駅]]のみである。 |
[[ホーム上屋]]は従来上下とも車両3.2両分しかなかったが、2007年から2008年にかけての工事で車両6.8両分のホーム上屋の新設を行った。この時、全車両10両分のホーム上屋が[[膜構造|膜屋根]]となった<ref name="makuyane">{{Cite web |url=http://www.aran.or.jp/works/6909.html |title=東急江田駅ホーム上家 |publisher=一般社団法人 鉄道建築協会 |accessdate=2020-05-04 }}</ref>。なお、田園都市線でホーム上屋が膜屋根なのは、当駅の他に[[梶が谷駅]]と[[高津駅 (神奈川県)|高津駅]]のみである。 |
||
330行目: | 330行目: | ||
* [[赤田古墳群]] - 赤田谷戸を中心に点在する。隣接する[[市ケ尾町]]の[[市ヶ尾横穴古墳群]]、[[大場町 (横浜市)|大場町]]の[[稲荷前古墳群]]と併せて[[都筑郡|都筑]]にあった古代首長一族の関連が指摘されている。 |
* [[赤田古墳群]] - 赤田谷戸を中心に点在する。隣接する[[市ケ尾町]]の[[市ヶ尾横穴古墳群]]、[[大場町 (横浜市)|大場町]]の[[稲荷前古墳群]]と併せて[[都筑郡|都筑]]にあった古代首長一族の関連が指摘されている。 |
||
* [[長者原遺跡]] - 古代[[東海道]](足柄路)に置かれた都筑郡[[郡衙]]跡。 |
* [[長者原遺跡]] - 古代[[東海道]](足柄路)に置かれた都筑郡[[郡衙]]跡。 |
||
* [[荏田城]] - 古[[鎌倉街道]]、大山街道を見下ろす中世から戦国にかけての要砦。 |
* [[荏田城]] - 古[[鎌倉街道]]、[[矢倉沢往還]](大山街道)を見下ろす中世から戦国にかけての要砦。 |
||
== バス路線 == |
== バス路線 == |
||
377行目: | 377行目: | ||
== 駅名の由来 == |
== 駅名の由来 == |
||
駅名の「江田」に対して町名は「[[荏田]]」と表記される。<!--[[鎌倉時代]]の[[建久]]年間に-->地名の表記、かつて当地にいた[[豪族]]・[[江田小次郎]]にちなみ「江田」であったが、いつしか「荏田」に変化したとされる<ref name="aoba201911">{{Cite news|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/aoba/kusei/koho/koho_aoba/kohoaoba2019.files/20191101kusei-koyoko.pdf#page=2|title=写真で見る青葉 〜なつかしの風景〜|journal=広報よこはま 青葉区版|publisher=横浜市青葉区役所|issue=2019年11月号|page=6|date=2019-11-01|accessdate=2021-06-05 <!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201031170058/https://www.city.yokohama.lg.jp/aoba/kusei/koho/koho_aoba/kohoaoba2019.files/20191101kusei-koyoko.pdf#page=2|archivedate=2020-10-31-->}}</ref>。 |
|||
[[1960年]]に[[免許]]された際の仮称駅名は「[[荏田]](えだ)」であった。これは駅設置予定地の地名である荏田町から採ったものだが、[[1965年]]9月の[[役員 (会社)|常務]]会で「江田」に正式決定した。「荏田」の由来、ならびに「荏」が「江」に変わった理由は次項参照。 |
|||
[[1960年]]に東急が[[地方鉄道法|鉄道敷設免許]]を取得した当時の駅の仮称は'''荏田駅'''(えだえき)で、これは設置予定地の[[荏田町]]から採ったものであった。しかし、当時の[[当用漢字|当用漢字表]](現在の[[常用漢字|常用漢字表]])にない「荏」の字を避けて「江田」とすることになり<ref>東京急行電鉄「東急多摩田園都市開発50年史」(CD-ROM、2005年)内「開発35年の記録」第5章第1節「建設工事と駅名の決定」</ref>{{r|aoba201911}}、[[1965年]]9月の[[役員 (会社)|常務]]会で正式に決定し、1966年に江田駅として開業した。 |
|||
⚫ | |||
駅名は「江田」と表記するが、周辺の町名は「荏田」と表記する。これは[[建久]]年間にこの土地に[[江田小次郎]]という[[豪族]]がいて、これが後に「荏田」に変化したといわれている。駅名を付けるにあたり、当時の[[当用漢字]](現在の[[常用漢字]])表にない「荏」の字を避けて「江田」とした<ref>東京急行電鉄「東急多摩田園都市開発50年史」(CD-ROM、2005年)内「開発35年の記録」第5章第1節「建設工事と駅名の決定」</ref>。 |
|||
なお、「荏田」の地名は、隣の[[都筑区]]にも存在する。これは当駅が所在する青葉区と都筑区が元々[[緑区 (横浜市)|緑区]]と[[港北区]]の一部から分区したことによる。 |
|||
元来の荏田町は[[大山街道]]の[[宿場]]町であり、[[都筑郡]]荏田村が[[1889年]]に合併して[[山内村 (神奈川県)|山内村]]大字荏田となり、[[1939年]]に横浜市への編入で港北区荏田町となったが、[[1969年]]緑区を分区した際に緑区に編入された。しかし後年港北ニュータウンの整備に伴い該当地域の一部が再度港北区に編入されたため、2区に跨ることとなり、結局[[多摩田園都市]]を中心とする青葉区と港北ニュータウンを中心とする都筑区に再編された際も、荏田はそのまま2区に跨って存在することとなった。 |
|||
== 隣の駅 == |
== 隣の駅 == |
||
396行目: | 391行目: | ||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
||
⚫ | |||
{{Reflist}} |
{{Reflist}} |
||
== 出典 == |
|||
; 東急電鉄の1日平均利用客数 |
; 東急電鉄の1日平均利用客数 |
||
{{Reflist|group="利用客数"}} |
{{Reflist|group="利用客数"}} |
||
417行目: | 411行目: | ||
{{東急田園都市線}} |
{{東急田園都市線}} |
||
{{ |
{{DEFAULTSORT:えた}} |
||
[[Category:横浜市の鉄道駅]] |
[[Category:横浜市の鉄道駅]] |
2021年6月5日 (土) 19:35時点における版
江田駅 | |
---|---|
えだ Eda | |
◄DT16 あざみ野 (1.1 km) (1.3 km) 市が尾 DT18► | |
所在地 | 横浜市青葉区荏田町2360番地 |
駅番号 | DT17 |
所属事業者 | 東急電鉄 |
所属路線 | ■田園都市線 |
キロ程 | 19.3 km(渋谷起点) |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面4線(乗降は2面2線のみ) |
乗降人員 -統計年度- |
37,417人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1966年(昭和41年)4月1日[1] |
江田駅(えだえき)は、神奈川県横浜市青葉区荏田町にある東急電鉄田園都市線の駅である。駅番号はDT17。
駅東口前には国道246号が走っており、駅前で国道246号と東名高速道路が交差している。
江田駅周辺は、鉄道と高速道路、国道の主要交通網が一箇所に集まった結合地点にあたる。横浜市は、首都圏でも稀なこの立地を生かす検討を2014年に開始した[2]。
年表
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 田園都市線溝の口 - 長津田間延伸時に開業[1]。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 上り待避線使用開始。
- 1981年(昭和56年)4月1日 - 改良工事が完成、下り待避線使用開始。
- 2008年(平成20年)2月 - 既設3.2両分のホーム上家改修と6.8両分のホーム上家新設(全車両10両分が膜構造となった)[3]。
- 2018年(平成30年)3月29日 - 2・4番線でホームドアの使用を開始。
駅構造
島式ホーム2面4線を有する高架駅である。1・3番線には柵が設けられ急行・準急通過専用線となっており、各駅停車は2・4番線に入線する。平日朝は当駅で各駅停車が急行・準急を待避する。日中は各駅停車が準急を待避する。回送電車が待避することもある。
柵が設けられるまでは、通過待ちのない各駅停車は内側の2・3番線に停車し、通過待ちの各駅停車は外側の1・4番線に停車、急行・快速は内側の2・3番線を通過していた。下り通過線を2番線から1番線に変更する際、下りホームをあざみ野駅側に延長し線路配線を変更した。これにより通過電車の進入速度低下を抑えた。ホーム延長により市が尾駅側には未使用部が存在する。
上下ホームと改札階を連絡するエレベーターが設置されている。上下ホーム双方に待合室がある。トイレは1階改札内にあり、多機能トイレも設置されている。このほか東口の改札外に横浜市管理の公衆便所がある。施設の老朽化により2014年頃から改修工事を行っていたが、長津田寄りの階段を改良し上下エスカレーターを各ホームに設置することになり、2017年6月〜2020年3月の期間に設置工事を行う。まずは改札内にあるトイレを渋谷方階段近くの壁に移設し、空いたスペースと駅事務室の改良で生まれるスペースを活用しエスカレーターを設置する予定となっている。
ホーム上屋は従来上下とも車両3.2両分しかなかったが、2007年から2008年にかけての工事で車両6.8両分のホーム上屋の新設を行った。この時、全車両10両分のホーム上屋が膜屋根となった[3]。なお、田園都市線でホーム上屋が膜屋根なのは、当駅の他に梶が谷駅と高津駅のみである。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | 田園都市線 | 下り | (通過列車のみのため閉鎖) |
2 | 田園都市線 | 下り | 長津田・中央林間方面[4] |
3 | 田園都市線 | 上り | (通過列車のみのため閉鎖) |
4 | 田園都市線 | 上り | 二子玉川・渋谷・押上〈スカイツリー前〉・春日部方面[5] |
(出典:東急電鉄:駅構内図)
-
東口(2004年8月9日撮影)
-
西口(2004年8月9日撮影)
利用状況
近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗降人員[* 2] |
1日平均 乗車人員[* 3] |
出典 |
---|---|---|---|
1980年(昭和55年) | 5,252 | ||
1981年(昭和56年) | 5,926 | ||
1982年(昭和57年) | 6,584 | ||
1983年(昭和58年) | 7,552 | ||
1984年(昭和59年) | 8,704 | ||
1985年(昭和60年) | 9,940 | ||
1986年(昭和61年) | 11,145 | ||
1987年(昭和62年) | 11,967 | ||
1988年(昭和63年) | 13,249 | ||
1989年(平成元年) | 14,416 | ||
1990年(平成 | 2年)15,192 | ||
1991年(平成 | 3年)16,454 | ||
1992年(平成 | 4年)17,009 | ||
1993年(平成 | 5年)14,388 | ||
1994年(平成 | 6年)13,616 | ||
1995年(平成 | 7年)13,430 | [神奈川県統計 1] | |
1996年(平成 | 8年)13,040 | ||
1997年(平成 | 9年)13,408 | ||
1998年(平成10年) | 14,505 | [神奈川県統計 2] | |
1999年(平成11年) | 14,817 | [神奈川県統計 3] | |
2000年(平成12年) | 15,089 | [神奈川県統計 3] | |
2001年(平成13年) | 15,651 | [神奈川県統計 4] | |
2002年(平成14年) | 32,996 | 16,320 | [神奈川県統計 5] |
2003年(平成15年) | 34,172 | 16,935 | [神奈川県統計 6] |
2004年(平成16年) | 34,594 | 17,495 | [神奈川県統計 7] |
2005年(平成17年) | 36,355 | 18,304 | [神奈川県統計 8] |
2006年(平成18年) | 37,582 | 18,906 | [神奈川県統計 9] |
2007年(平成19年) | 38,001 | 19,155 | [神奈川県統計 10] |
2008年(平成20年) | 35,827 | 18,169 | [神奈川県統計 11] |
2009年(平成21年) | 35,305 | 17,753 | [神奈川県統計 12] |
2010年(平成22年) | 35,248 | 17,723 | [神奈川県統計 13] |
2011年(平成23年) | 35,376 | 17,778 | [神奈川県統計 14] |
2012年(平成24年) | 35,542 | 17,865 | [神奈川県統計 15] |
2013年(平成25年) | 36,525 | 18,351 | [神奈川県統計 16] |
2014年(平成26年) | 36,699 | 18,412 | [神奈川県統計 17] |
2015年(平成27年) | 37,556 | 18,849 | [神奈川県統計 18] |
2016年(平成28年) | 37,922 | 19,044 | [神奈川県統計 19] |
2017年(平成29年) | 38,331 | 19,251 | [神奈川県統計 20] |
2018年(平成30年) | 38,024 | 19,120 | [神奈川県統計 21] |
2019年(令和元年) | 37,417 | 18,813 |
駅周辺
- 東急ストア 江田店
- ハーモス荏田(コープかながわ)
- ユニクロ
- スタンレー電気 技術研究所
- 島忠 荏田店
- 紳士服のコナカ 江田店
- 東京電力 荏田変電所
- 神奈川県立荏田高等学校
- JJCLUB100横浜江田店
- コメダ
- 国道246号
- 青葉郵便局
- 江田駅北口郵便局
- 江田記念病院
- 横浜新都市脳神経外科病院
- 慶應義塾横浜初等部
赤田谷戸・赤田隧道
1980年代まであざみ野駅 - 江田駅の間には田んぼが広がる未開発地区が残っていた。2000年代では「あざみ野南」と呼ばれる地区である。この地区は「赤田谷戸」と呼ばれ荏田町に含まれていた。沿線の他の地区が軒並み開発されて住宅地化されていく中、ここだけは多摩田園都市の開発以前の光景がそのまま残っていた。野生のホタルも生息していたという。赤田地区緑地の存続運動も行われたが、1980年代後半に東急により谷戸の開発・埋立てが進み、跡形もなくなった。
この開発に伴いホームのあざみ野寄りに存在し東急最短のトンネルであった赤田隧道は崩され、代わりに跨線橋が架けられた。
なお、赤田谷戸から流れて出ていた赤田川は暗渠となり、布川へ流入している。
付近の史跡
- 赤田古墳群 - 赤田谷戸を中心に点在する。隣接する市ケ尾町の市ヶ尾横穴古墳群、大場町の稲荷前古墳群と併せて都筑にあった古代首長一族の関連が指摘されている。
- 長者原遺跡 - 古代東海道(足柄路)に置かれた都筑郡郡衙跡。
- 荏田城 - 古鎌倉街道、矢倉沢往還(大山街道)を見下ろす中世から戦国にかけての要砦。
バス路線
東急バスと横浜市交通局(横浜市営バス)の路線が発着する。乗り場は、東口と西口に分かれている。
東口
乗場 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行事業者 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1番 | 綱44 | 柚の木谷・横浜市歴史博物館前・道中坂下 | 綱島駅 | ■東急 | - |
綱45 | 柚の木谷・センター南駅・道中坂下 | - | |||
2番 | た51 | 東名江田・あざみ野駅・保木入口 | たまプラーザ駅 | - | |
東名江田 | あざみ野駅 | - | |||
東名江田・あざみ野駅・保木入口 | 虹が丘営業所 | 平日夜間1本のみ | |||
A※ | 鷺22 | 市が尾駅 | 青葉台駅 | 深夜バス/平日1本のみ | |
ミッドナイト・アロー 高速青葉台線 |
深夜急行バス/平日のみ 降車専用・乗車不可 |
※A乗り場は江田記念病院前
西口
乗場 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行事業者 |
---|---|---|---|---|
4番 | 301 | 荏田南・都筑ふれあいの丘 | 仲町台駅 | ■市営 |
304 | みずきが丘・荏田東 | センター南駅 |
東名江田バス停
- 駅東口から1キロメートル程の所に、東名高速道路東名江田バス停が設置されている。
駅名の由来
駅名の「江田」に対して町名は「荏田」と表記される。地名の表記、かつて当地にいた豪族・江田小次郎にちなみ「江田」であったが、いつしか「荏田」に変化したとされる[6]。
1960年に東急が鉄道敷設免許を取得した当時の駅の仮称は荏田駅(えだえき)で、これは設置予定地の荏田町から採ったものであった。しかし、当時の当用漢字表(現在の常用漢字表)にない「荏」の字を避けて「江田」とすることになり[7][6]、1965年9月の常務会で正式に決定し、1966年に江田駅として開業した。
隣の駅
脚注
出典
- ^ a b 東急の駅、p.175。
- ^ 江田駅周辺モーダルミックス官民連携事業調査
- ^ a b “東急江田駅ホーム上家”. 一般社団法人 鉄道建築協会. 2020年5月4日閲覧。
- ^ “田園都市線標準時刻表 江田駅 中央林間方面”. 東急電鉄. 2019年11月17日閲覧。
- ^ “田園都市線標準時刻表 江田駅 渋谷方面”. 東急電鉄. 2019年11月17日閲覧。
- ^ a b “写真で見る青葉 〜なつかしの風景〜”. 広報よこはま 青葉区版 (横浜市青葉区役所) (2019年11月号): p. 6. (2019年11月1日) 2021年6月5日閲覧。
- ^ 東京急行電鉄「東急多摩田園都市開発50年史」(CD-ROM、2005年)内「開発35年の記録」第5章第1節「建設工事と駅名の決定」
- 東急電鉄の1日平均利用客数
- ^ 2019年度乗降人員 - 東急電鉄
- 東急電鉄の統計データ
- 神奈川県県勢要覧
- ^ 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移 - 25ページ
- ^ 平成12年 - 222ページ
- ^ a b 平成13年 (PDF) - 224ページ
- ^ 平成14年 (PDF) - 222ページ
- ^ 平成15年 (PDF) - 222ページ
- ^ 平成16年 (PDF) - 222ページ
- ^ 平成17年 (PDF) - 224ページ
- ^ 平成18年 (PDF) - 224ページ
- ^ 平成19年 (PDF) - 226ページ
- ^ 平成20年 (PDF) - 230ページ
- ^ 平成21年 (PDF) - 240ページ
- ^ 平成22年 (PDF) - 238ページ
- ^ 平成23年 (PDF) - 238ページ
- ^ 平成24年 (PDF) - 234ページ
- ^ 平成25年 (PDF) - 236ページ
- ^ 平成26年 (PDF) - 238ページ
- ^ 平成27年 (PDF) - 238ページ
- ^ 平成28年 (PDF) - 246ページ
- ^ 平成29年 (PDF) - 238ページ
- ^ 平成30年 (PDF) - 222ページ
- ^ 令和元年 (PDF) - 222ページ
参考文献
- 宮田道一『東急の駅 今昔・昭和の面影』JTBパブリッシング、2008年9月1日。ISBN 9784533071669。
関連項目
外部リンク
- 江田駅(各駅情報) - 東急電鉄