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[[神聖ローマ皇帝]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]([[ボヘミア王国|ボヘミア王]]カレル1世でもあった)の治世下、[[1357年]]に建設が始まり、[[1402年]]に完成した<ref>{{Cite book|和書 |author = 沖島博美 |year = 2016 |title = プラハ迷宮の散歩道 百塔の都をさまよう愉しみ |publisher = ダイヤモンド・ビッグ社 |page = 18 |isbn = 978-4-478-04850-4}}</ref>。建築家[[:en:Peter Parler|ペトル・パルレー]]の設計による。[[1841年]]までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。また、[[西欧]]と[[東欧]]の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになった。最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれていたが、[[1870年]]よりカレル橋と呼ばれるようになった。
[[神聖ローマ皇帝]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]([[ボヘミア王国|ボヘミア王]]カレル1世でもあった)の治世下、[[1357年]]に建設が始まり、[[1402年]]に完成した<ref>{{Cite book|和書 |author = 沖島博美 |year = 2016 |title = プラハ迷宮の散歩道 百塔の都をさまよう愉しみ |publisher = ダイヤモンド・ビッグ社 |page = 18 |isbn = 978-4-478-04850-4}}</ref>。建築家[[:en:Peter Parler|ペトル・パルレー]]の設計による。[[1841年]]までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。また、[[西欧]]と[[東欧]]の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになった。最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれていたが、[[1870年]]よりカレル橋と呼ばれるようになった。


橋の長さは515.7メートル、幅は9.5メートル。15の[[アーチ]]の上に、砂岩の切石の橋桁が渡されている。また橋を守るために3つの[[橋塔]]が建てられており、とくに旧市街側の橋塔は[[ゴシック様式]]の建築として名高い。橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる<ref>{{Cite book|和書 |author = [[上田篤]]・田端修 |year = 2013 |title = 路地研究 もうひとつの都市の広場 |publisher = [[鹿島出版会]] |page = 168 |isbn = 978-4-306-09423-9}}</ref>。その多くは[[バロック|バロック様式]]である。最も古いものは「十字架像」で[[1361年]]の文書に登場する。その後ボヘミア王[[イジー・ス・ポジェブラト]]騎馬像やライオン像などが据えられていたと考えられているが、[[三十年戦争]]の間に十字架像を除いて全て破壊されたとされる<ref name="EDU-ART Praha" />。その後[[1683年]]、[[ヤン・ネポムツキー]]像が新たに据えられた<ref name="Howard Louthan">The Charles Bridge and Czech Identity - Howard Louthan, Notre Dame University https://www.ucis.pitt.edu/nceeer/2003-817-03-g-Louthan.pdf</ref>。その後[[1714年]]までの間に合計28体の彫像が製作され据付けられた<ref name="Howard Louthan" /><ref name="EDU-ART Praha">Charles Bridge - EDU-ART Praha, electronic lecture notes prepared for the project Prague http://www.kralovskacesta.cz/en/tour/objects/charles-bridge_1.html</ref>。これらの彫像の中で著名なものは「十字架像([[ゴルゴダの丘]]で[[キリストの磔刑|磔]]にされた[[キリスト]]像,Crucifix and Calvary)」、「ブルンツヴィーク像(Bruncvík column)」と「聖人[[ヤン・ネポムツキー]]像(St. John of Nepomuk)」である<ref>Statues that line the Charles Bridge in Prague http://www.prague.cz/charles-bridge-statues/</ref>。この聖人[[ヤン・ネポムツキー]]像の基部にあるネポムツキーのレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ多くの人に触られたためつるつるになっている。また、最も古くから存在した十字架像のオリジナルは[[国立博物館 (プラハ)|プラハ国立博物館]]に保管され、現在橋に設置されているものは[[1629年]]に製作<ref name="EDU-ART Praha" />されたものである。
橋の長さは515.7メートル、幅は9.5メートル。15の[[アーチ]]の上に、砂岩の切石の橋桁が渡されている。また橋を守るために3つの[[橋塔]]が建てられており、とくに旧市街側の橋塔は[[ゴシック様式]]の建築として名高い。橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる<ref>{{Cite book|和書 |author = [[上田篤]]・田端修 |year = 2013 |title = 路地研究 もうひとつの都市の広場 |publisher = [[鹿島出版会]] |page = 168 |isbn = 978-4-306-09423-9}}</ref>。その多くは[[バロック|バロック様式]]である。最も古いものは「十字架像」で[[1361年]]の文書に登場する。その後ボヘミア王[[イジー (ボヘミア王)]]騎馬像やライオン像などが据えられていたと考えられているが、[[三十年戦争]]の間に十字架像を除いて全て破壊されたとされる<ref name="EDU-ART Praha" />。その後[[1683年]]、[[ヤン・ネポムツキー]]像が新たに据えられた<ref name="Howard Louthan">The Charles Bridge and Czech Identity - Howard Louthan, Notre Dame University https://www.ucis.pitt.edu/nceeer/2003-817-03-g-Louthan.pdf</ref>。その後[[1714年]]までの間に合計28体の彫像が製作され据付けられた<ref name="Howard Louthan" /><ref name="EDU-ART Praha">Charles Bridge - EDU-ART Praha, electronic lecture notes prepared for the project Prague http://www.kralovskacesta.cz/en/tour/objects/charles-bridge_1.html</ref>。これらの彫像の中で著名なものは「十字架像([[ゴルゴダの丘]]で[[キリストの磔刑|磔]]にされた[[キリスト]]像,Crucifix and Calvary)」、「ブルンツヴィーク像(Bruncvík column)」と「聖人[[ヤン・ネポムツキー]]像(St. John of Nepomuk)」である<ref>Statues that line the Charles Bridge in Prague http://www.prague.cz/charles-bridge-statues/</ref>。この聖人[[ヤン・ネポムツキー]]像の基部にあるネポムツキーのレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ多くの人に触られたためつるつるになっている。また、最も古くから存在した十字架像のオリジナルは[[国立博物館 (プラハ)|プラハ国立博物館]]に保管され、現在橋に設置されているものは[[1629年]]に製作<ref name="EDU-ART Praha" />されたものである。


昼間のカレル橋は観光客で賑わい、橋の上には多くの露店が並ぶ。また、[[大道芸]]、見世物、ジャズ演奏なども行なわれる。夜になると[[プラハ城]]やカレル橋がライトアップされ、夜の散歩を楽しむ人々の通りになる。
昼間のカレル橋は観光客で賑わい、橋の上には多くの露店が並ぶ。また、[[大道芸]]、見世物、ジャズ演奏なども行なわれる。夜になると[[プラハ城]]やカレル橋がライトアップされ、夜の散歩を楽しむ人々の通りになる。

2021年5月19日 (水) 21:53時点における版

カレル橋
カレル橋
基本情報
チェコ
所在地 プラハ
交差物件 ヴルタヴァ川
設計者
施工者
ペトル・パルレー
建設 1357-1402年
座標 北緯50度5分11.21秒 東経14度24分42.68秒 / 北緯50.0864472度 東経14.4118556度 / 50.0864472; 14.4118556
構造諸元
形式 アーチ橋
材料 砂岩
全長 515.8m
9.5m
最大支間長 13.4m
地図
カレル橋の位置(カレル橋内)
カレル橋
カレル橋の位置(プラハ中心部内)
カレル橋
カレル橋の位置(プラハ内)
カレル橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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カレル橋(カレルばし、チェコ語: Karlův most)は、チェコ共和国プラハを流れるヴルタヴァ川に架かる橋である。

神聖ローマ皇帝カール4世ボヘミア王カレル1世でもあった)の治世下、1357年に建設が始まり、1402年に完成した[1]。建築家ペトル・パルレーの設計による。1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。また、西欧東欧の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになった。最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれていたが、1870年よりカレル橋と呼ばれるようになった。

橋の長さは515.7メートル、幅は9.5メートル。15のアーチの上に、砂岩の切石の橋桁が渡されている。また橋を守るために3つの橋塔が建てられており、とくに旧市街側の橋塔はゴシック様式の建築として名高い。橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる[2]。その多くはバロック様式である。最も古いものは「十字架像」で1361年の文書に登場する。その後ボヘミア王イジー (ボヘミア王)騎馬像やライオン像などが据えられていたと考えられているが、三十年戦争の間に十字架像を除いて全て破壊されたとされる[3]。その後1683年ヤン・ネポムツキー像が新たに据えられた[4]。その後1714年までの間に合計28体の彫像が製作され据付けられた[4][3]。これらの彫像の中で著名なものは「十字架像(ゴルゴダの丘にされたキリスト像,Crucifix and Calvary)」、「ブルンツヴィーク像(Bruncvík column)」と「聖人ヤン・ネポムツキー像(St. John of Nepomuk)」である[5]。この聖人ヤン・ネポムツキー像の基部にあるネポムツキーのレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ多くの人に触られたためつるつるになっている。また、最も古くから存在した十字架像のオリジナルはプラハ国立博物館に保管され、現在橋に設置されているものは1629年に製作[3]されたものである。

昼間のカレル橋は観光客で賑わい、橋の上には多くの露店が並ぶ。また、大道芸、見世物、ジャズ演奏なども行なわれる。夜になるとプラハ城やカレル橋がライトアップされ、夜の散歩を楽しむ人々の通りになる。

脚注

  1. ^ 沖島博美『プラハ迷宮の散歩道 百塔の都をさまよう愉しみ』ダイヤモンド・ビッグ社、2016年、18頁。ISBN 978-4-478-04850-4 
  2. ^ 上田篤・田端修『路地研究 もうひとつの都市の広場』鹿島出版会、2013年、168頁。ISBN 978-4-306-09423-9 
  3. ^ a b c Charles Bridge - EDU-ART Praha, electronic lecture notes prepared for the project Prague http://www.kralovskacesta.cz/en/tour/objects/charles-bridge_1.html
  4. ^ a b The Charles Bridge and Czech Identity - Howard Louthan, Notre Dame University https://www.ucis.pitt.edu/nceeer/2003-817-03-g-Louthan.pdf
  5. ^ Statues that line the Charles Bridge in Prague http://www.prague.cz/charles-bridge-statues/

参考文献

  • 『土木遺産 ヨーロッパ編』 社団法人建設コンサルタンツ協会『Consultant』編集部編、ダイヤモンド社、2005年。ISBN 978-4478890189