「飯盛山 (愛知県)」の版間の差分
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2021年5月13日 (木) 23:54時点における版
飯盛山 | |
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飯盛山(2007年) | |
標高 | 254 m |
所在地 | 愛知県豊田市足助町 |
位置 | 北緯35度07分57.45秒 東経137度18分58.18秒 / 北緯35.1326250度 東経137.3161611度 |
飯盛山の位置 | |
プロジェクト 山 |
飯盛山(いいもりやま)は、愛知県豊田市足助町にある山。標高254メートル。
概要
平安時代末期に足助氏初代の足助重長により飯盛山城が築かれた。山頂を3段に削って本丸から三の丸まで城塁が置かれ、西側と北側に矢場、東側には2箇所の空堀が切られた。現在もその痕跡が地形として残されている。
足助氏衰亡の後は、その菩提を弔うために居館跡に香積寺が置かれた。山門脇には現在も土塁が残る。また、その後この地を治めた鈴木氏は飯盛山城を本城として6つの支城(真弓山城、臼木ヶ峯城、大観音城、城山城、成瀬城、黍生城)を築き、足助七城と呼ばれたとも伝わっている。
現在では山裾を流れる巴川と共に東海地方随一の紅葉の名所・香嵐渓を形成する。また、カタクリの群生地がある事でも知られる。
史跡など
- 香積寺
- 香積寺歴代住職の墓
- 足助氏の墓
- 十六羅漢石仏
- 鈴木氏五代の墓
- 装束塚 - 足助重範の娘・滝野が二条良基の死を伝え聞いた際に良基の残した装束を埋めたと伝わる。
- 経塚 - 平安時代の末法思想に基づき、仏教の経典や仏具などを土中に埋めた塚。
外部リンク