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「七曲古窯址群」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
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2021年5月13日 (木) 22:26時点における最新版

七曲古窯址群(ななまがりこようあとぐん)は、愛知県知多市にある遺跡窯跡)である。中世常滑窯知多窯)の一つ。知多市指定史跡[1]

A群 1号窯
焼成時に茶碗などを置く焼台列が見える

座標: 北緯34度58分1.5秒 東経136度54分5.2秒 / 北緯34.967083度 東経136.901444度 / 34.967083; 136.901444

七曲 古窯址群の位置(愛知県内)
七曲 古窯址群
七曲
古窯址群
所在地
七曲古窯址群の位置(日本内)
七曲古窯址群
七曲古窯址群

概要

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知多半島には現在までに存在が確認されただけでも1,000基を越える古窯跡があり、知多半島古窯跡群(広義の常滑窯に含まれる)とも呼称される。七曲古窯址群はその一つで、地元では昭和30年代には存在が確認されていたとされる中世の窖窯跡だが、七曲公園1986年開園)の予定地にあったため、公園の造成に際して発掘調査が行われた。1986~88年の3回の調査ではA・B・Cの3群14基が確認され、それらの中で状態の良かった2基に上屋がかけられて保存されている。1991年平成3年)には知多市史跡に指定された。

なお、後になってD~G群が追加されたが、これらについては発掘などが行われておらず、正確な数も確認されていない。

窯体データ

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A群 3号窯
窯体の中に立っているのが分焔柱

A群

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A群1号窯

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12世紀の窯とされ、燃焼室の分焔柱をはじめとして、焼成室の床面の焼台列など床面や側壁、天井部の多くが良好に残存していたことから保存されている。山茶碗山皿などが出土。

A群2号窯

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残存長約7メートル。甕、広口壺、片口鉢、山茶碗などが出土。

A群3号窯

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全長16メートル、幅3.5メートル。天井部は落ちていたが、焚口から燃焼室、分焔柱、焼成室、さらには煙道までが残存していたことから保存されている。13世紀の窯で、瓶や壷を焼いていたと見られている。甕、壺、山茶碗などが出土。

A群4号窯

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残存長13.5メートル。甕、壺、羽釜が出土。

A群5号窯

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残存長約8メートル。山茶碗、山皿、鉢が出土。

A群6号窯

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残存長不明。片口鉢、山茶碗,山皿が出土。

A群7号窯

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残存長10.4メートル。出土品無し、未使用のまま放棄された窯。

A群については保存された1・3号以外は公園の造成に伴い消失した。

B群

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B群1号窯

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残存長15.4メートル。甕,片口鉢、山茶碗が出土。

B群2号窯

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残存長7.9メートル。片口鉢、山茶碗、山皿が出土。

B群3号窯

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残存長2.9メートル。山皿、山茶碗、片口鉢が出土。

B群は調査後に埋め戻されたが、現存するかは不明。

C群

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C群1号窯

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残存長10メートル。片口鉢、広口壺、陶錘が出土。盗掘による破壊の跡があった。

C群2号窯

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残存長14.9メートル。片口鉢、広口壺が出土。

C群3号窯

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残存長2.1メートル。山茶碗、山皿が出土。

C群4号窯

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残存長4.7メートル。山茶碗が出土。

C群は公園の造成に伴い全て消失した。

D群

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未調査。埋め立てにより所在不明となった。甕が出土したとされる。

E群

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未調査。テニスコート西の雑木林に複数の窯体と灰原が残存。山茶碗が出土。盗掘坑あり。

F群

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未調査。駐車場西の雑木林に窯体が露出。灰原一部残存の可能性あり。甕が出土。

G群

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未調査。A群3号窯の北側に窯体1基が露出、山茶碗・鉢が出土。その他にも複数が残存する可能性あり。

脚注

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  1. ^ 「七曲古窯址」知多市HP

参考文献

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  • 『七曲古窯址群 第一次発掘調査(知多市文化財資料 第24集)』-知多市教育委員会・編、1987年
  • 『七曲古窯址群 第二次発掘調査(知多市文化財資料 第26集)』-知多市教育委員会・編、1988年
  • 『七曲古窯址群 第三次発掘調査(知多市文化財資料 第29集)』-知多市教育委員会・編、1989年
  • 『愛知県 知多半島遺跡詳細分布調査 報告書』- 愛知県教育委員会・編、1999年

関連項目

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