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「壇ノ浦」の版間の差分

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== 長門壇ノ浦 ==
== 長門壇ノ浦 ==
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[[ファイル:Sculpture of Minamoto no Yoshitsune and Taira no Tomomori in Mimosusogawa Park.jpg|thumb|254px|源義経・平知盛像/2005年[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]『[[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]]』を記念して、[[2004年]](平成16年)[[12月12日]]、みもすそ川公園に建立された[[源義経]]と[[平知盛]]の[[銅像]]。]]

2021年5月13日 (木) 21:39時点における版

壇ノ浦(だんのうら)は、日本の呼称で、治承・寿永の乱源平合戦)の舞台となった場所。以下の2箇所が知られる。

日本語表記揺れにより、古風に「壇之浦[7]」とも記し、また、土偏の「」でなく木偏の「」で「檀ノ浦[7]」とも記す。

上述の前者について、旧令制国名を冠して「長門壇ノ浦(ながと - )[2]」など称することもあり、本項では長門国(現・山口県西部)と讃岐国(現・香川県)を限定詞に用い、それぞれに最も多く見られる用字で「長門壇ノ浦」「讃岐檀ノ浦」と書き分けて区別する。

長門壇ノ浦

関門海峡の一角である早鞆瀬戸はやとものせと周辺の、1974年(昭和49年)に撮影された空中写真で、左上(北西)の陸地が本州、右下(南東)の陸地が九州、架かっている橋は関門橋、その右側の黒いのは橋の影。そして、関門橋が本州側で最初に接する海岸地域が壇ノ浦である。対岸は福岡県北九州市門司区和布刈地区で、和布刈公園域。
壇ノ浦の位置(日本内)
壇ノ浦
壇ノ浦
手前の石碑は「壇ノ浦古戦場址の碑」で、みもすそ川公園に所在する。その向こうには早鞆瀬戸が横たわり、関門橋が架かる。橋向こうに見えるのは古城山で、北九州市門司区にある和布刈公園
源義経・平知盛像/2005年NHK大河ドラマ義経』を記念して、2004年(平成16年)12月12日、みもすそ川公園に建立された源義経平知盛銅像
壇ノ浦漁港

関門海峡でも最も狭隘な海域である早鞆瀬戸に面している。そのため、現在では本州九州を結ぶ陸上交通機関の多くが壇ノ浦と対岸の和布刈福岡県北九州市門司区和布刈地区)の間を連絡している。

元来の地名としてはあくまで海岸地形の名称である。現在行政市町村名としては、大字壇之浦町[gm 4])がその名を引き継いでおり、関門橋直下周辺を区域としている。しかし広義には、壇之浦町・みもすそ川町[gm 5]・本町[gm 6]の大字3区域を指す[要出典]

治承・寿永の乱源平合戦)の最後の合戦となった壇ノ浦の戦いの戦場として有名である。また、馬関戦争の主戦場の一つとしても知られている。

交通アクセス

鉄道
道路

国道9号

周辺地域

壇ノ浦とその周辺地域にある特筆すべき施設等を、おおよそ北にあるものから順に記載する。もっとも、どこまでを該当地域とするかについて確かな基準は見当たらない。地名構成語「浦」の概念に照らしてみた場合は、水辺との関係性の薄い地域は該当しない。

本州最西端の下関市域の海岸線を走る。この地域には火の山の南西麓に沿って入る。壇ノ浦をなぞって走る国道9号に みもすそ川交差点(丁字路)で合流し、ここからは左に折れて北東へ進む。右に折れて道なりに南西へ進めば、すぐに みもすそ川公園、次いで壇ノ浦古戦場跡があり、さらに進めば みもすそ川町域を出て壇之浦町域に入る。[gm 7]
みもすそ川町1に所在する都市公園で、石碑銅像などが数多く設置されている(■右列の画像2点あり)。[gm 8][9]
  • 壇ノ浦古戦場跡(壇ノ浦古戦場址)
みもすそ川町21-1に所在。[gm 9]
関門自動車道、下関壇之浦バスストップ(休止中)、壇之浦パーキングエリア
本殿拝殿などは壇之浦町6(関門橋の真下より南)に、奥之院は壇之浦町8(関門橋の真下より北)に所在。[gm 10][11]
  • 壇ノ浦漁港
壇之浦町最南端の海岸を占める[gm 11]伊勢平氏の残党が漁民に姿を変えて住み着いたという伝説がある[12]。そのため壇ノ浦の漁師は幼くして入水した安徳天皇を敬って船上で正座してをするとされる[12]。■右列に画像あり。
  • 極楽寺(願海山極楽寺)
下関市の、浄土真宗本願寺派 極楽寺。壇之浦町の南隣の大字・阿弥陀寺町の8-6に所在。康元元年(1256年)の阿弥陀堂創建に始まる[13]文久2年/文久3年(1863年)には奇兵隊の陣が置かれた[13][gm 12]
阿弥陀寺町4に所在。赤間神宮境内の拝殿の近くにある、安徳天皇御陵[14][gm 14]
  • 平家一門の墓、七盛塚
安徳天皇阿弥陀寺陵の近傍の、阿弥陀寺町4-1に所在。壇ノ浦で滅んだ伊勢平氏を弔う[14][gm 15]

派生義

壇ノ浦の戦い伊勢平氏が迎えた歴史的事実になぞらえて、物事の悲劇的な結末の譬えに用いられる[3][15]

讃岐檀ノ浦

屋島の談古嶺から相引川河口地域(立石港周辺一帯)を望む。この地域の手前側(西岸域)は屋島の戦いの戦場にもなった讃岐檀ノ浦である。もっとも、江戸時代以来の度重なる開発によって地形は大きく変容し、往時の面影は残されていない。

屋島の南東山腹には屋嶋城(屋島城)があり、その真東の麓の先に入江が広がっていて、日本語としては、この入江、すなわち「(入江)」[16]が「檀ノ浦」であったか、もしくは、入江の西の「浦(海辺)」[17]が「檀ノ浦」であった[* 2]。ここの入江には、今も昔も真北に流れる相引川が注ぎ、北に向けて備讃瀬戸に開けている。相引川の両岸は江戸時代に盛んに埋め立てられ、開拓されて塩田水田に変わった。その流れのなかで屋島はほとんど島でなくなり、南麓側と東麓側で相引川が四国本土と隔てているだけのほぼ陸続きになった。相引川は依然として備讃瀬戸に注いでいるが、埋立地は塩田と水田から住宅地と市街地に変わってゆき、多くの人々の住む所となった。

飛鳥時代にあたる大宝2年(702年)、大宝律令によって讃岐3軍団の一つとして屋島に山田軍団(讃岐国山田郡の軍団)が置かれ[16]、この地の入江か海辺かあるいはその両方かは分からないが、「団の浦」の意をもって「檀之浦/壇之浦(だんのうら)」と呼ぶようになったと考えられる[16]

交通アクセス

鉄道

高松琴平電気鉄道志度線 八栗駅

道路

周辺地域

脚注

注釈

  1. ^ 赤間関は、現在の下関市の中心部。豊浦宮跡の忌宮神社、壇ノ浦古戦場、安徳天皇を祀る赤間神宮、安徳天皇阿弥陀寺御陵、平家一門の墓、壇ノ浦砲台跡、長門鋳銭司跡、住吉神社、高杉晋作の墓など、史跡も多い。
  2. ^ 平凡社『世界大百科事典』だけは「屋島城の(...中略...)東側の入江が壇ノ浦である」としている。
Googleマップ
  1. ^ 壇ノ浦(地図 - Google マップ) ※壇ノ浦古戦場だけが赤色でスポット表示されているが、地域としてはその南西側に示されている「壇之浦町(地図 - Google マップ…該当区域は赤い線で囲い表示される)」や「壇之浦」も含む。
  2. ^ 屋島檀ノ浦(地図 - Google マップ) ※該当地域は示されないが、その名を含む施設が赤色でスポット表示される。現在では埋立地が多くなって元の地形が不明瞭であるが、北から深く切り込んだ入江であったことは分かる。
  3. ^ 屋島東町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
  4. ^ 壇之浦町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
  5. ^ みもすそ川町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
  6. ^ 下関市本町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
  7. ^ a b c d 火の山(地図 - Google マップ) ※山頂は赤色で、火の山公園は緑色の文字で、スポット表示される。新関門トンネルを通る山陽新幹線はJR鉄道路線の地図記号で表示される。風波のクロスロードは火の山の南西麓に沿って走っているのが分かる。海岸に突き当たった地点からは海岸線を走る国道9号に合流する。
  8. ^ みもすそ川公園(地図 - Google マップ) ※該当施設は緑色の文字でスポット表示される。みもすそ川町1(地図 - Google マップ
  9. ^ 壇ノ浦古戦場跡(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
  10. ^ 立石稲荷大明神(地図 - Google マップ…※該当施設は赤色でスポット表示される)、壇之浦町8(地図 - Google マップ…※奥之院は赤色でスポット表示される)
  11. ^ 壇ノ浦漁港(地図 - Google マップ) ※壇ノ浦漁港は示されないが、漁港内にある蛭子神社がスポット表示される。
  12. ^ 下関市浄土真宗本願寺派極楽寺(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
  13. ^ 赤間神宮(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
  14. ^ 安徳天皇阿彌陀寺陵(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
  15. ^ 平家一門の墓(地図 - Google マップ)、七盛塚 (平家一門の墓)(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。

出典

  1. ^ 早鞆瀬戸”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
  2. ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “壇ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
  3. ^ a b 小学館『デジタル大辞泉』. “壇ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
  4. ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “赤間関”. コトバンク. 2019年7月19日閲覧。
  5. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “檀ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
  6. ^ 小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』. “檀ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
  7. ^ a b 講談社『日本の地名がわかる事典』. “壇ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
  8. ^ 火の山公園”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
  9. ^ みもすそ川公園”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
  10. ^ 関門トンネル人道”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
  11. ^ 立石稲荷神社と烏帽子岩”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
  12. ^ a b 壇ノ浦漁港の船だまり”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
  13. ^ a b 極楽寺について”. 公式ウェブサイト. 極楽寺. 2019年7月19日閲覧。
  14. ^ a b c 赤間神宮”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
  15. ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “壇ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
  16. ^ a b c 平凡社世界大百科事典』. “屋島”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
  17. ^ 黒板勝美 著、国史大系編修会 訳『新訂増補国史体系 令義解』吉川弘文館、1974年、297頁。ISBN 978-4-64-200011-6