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{{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|33.964688|130.956384}}|caption=壇ノ浦|width=256}} |
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[[ファイル:Sculpture of Minamoto no Yoshitsune and Taira no Tomomori in Mimosusogawa Park.jpg|thumb|254px|源義経・平知盛像/2005年[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]『[[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]]』を記念して、[[2004年]](平成16年)[[12月12日]]、みもすそ川公園に建立された[[源義経]]と[[平知盛]]の[[銅像]]。]] |
[[ファイル:Sculpture of Minamoto no Yoshitsune and Taira no Tomomori in Mimosusogawa Park.jpg|thumb|254px|源義経・平知盛像/2005年[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]『[[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]]』を記念して、[[2004年]](平成16年)[[12月12日]]、みもすそ川公園に建立された[[源義経]]と[[平知盛]]の[[銅像]]。]] |
2021年5月13日 (木) 21:39時点における版
壇ノ浦(だんのうら)は、日本の浦の呼称で、治承・寿永の乱(源平合戦)の舞台となった場所。以下の2箇所が知られる。
- 中国地方最西部、本州最西部に面する関門海峡の一角である早鞆瀬戸(はやとものせと)[1]の北側の浦(海辺)[2][3][gm 1]。壇ノ浦の戦いの戦場。現在行政上は山口県下関市壇之浦町周辺地域にあたり、山口県南西端、下関市街地の東部に相当する[2]。1889年(明治22年)における同県赤間関市__、1879年(明治12年)における同県赤間関区__。江戸時代における長門国豊浦郡赤間関(あかまがせき)の一角[* 1][4]、江戸幕藩体制下の長門府中藩知行赤間関内。平安時代における長門国豊浦郡の早鞆瀬戸西岸。
- 四国地方北東部、屋島の戦いで戦場となった屋島の東麓の低所[gm 2][5][6]。現在行政上の所在地は香川県高松市屋島東町[gm 3]の一角である。瀬戸内海国立公園指定区域でもある[5]。
日本語の表記揺れにより、古風に「壇之浦[7]」とも記し、また、土偏の「壇」でなく木偏の「檀」で「檀ノ浦[7]」とも記す。
上述の前者について、旧令制国名を冠して「長門壇ノ浦(ながと - )[2]」など称することもあり、本項では長門国(現・山口県西部)と讃岐国(現・香川県)を限定詞に用い、それぞれに最も多く見られる用字で「長門壇ノ浦」「讃岐檀ノ浦」と書き分けて区別する。
長門壇ノ浦
関門海峡でも最も狭隘な海域である早鞆瀬戸に面している。そのため、現在では本州と九州を結ぶ陸上交通機関の多くが壇ノ浦と対岸の和布刈(福岡県北九州市門司区和布刈地区)の間を連絡している。
元来の地名としてはあくまで海岸地形の名称である。現在行政市町村名としては、大字壇之浦町[gm 4])がその名を引き継いでおり、関門橋直下周辺を区域としている。しかし広義には、壇之浦町・みもすそ川町[gm 5]・本町[gm 6]の大字3区域を指す[要出典]。
治承・寿永の乱(源平合戦)の最後の合戦となった壇ノ浦の戦いの戦場として有名である。また、馬関戦争の主戦場の一つとしても知られている。
交通アクセス
- 鉄道
- 道路
■国道9号
周辺地域
壇ノ浦とその周辺地域にある特筆すべき施設等を、おおよそ北にあるものから順に記載する。もっとも、どこまでを該当地域とするかについて確かな基準は見当たらない。地名構成語「浦」の概念に照らしてみた場合は、水辺との関係性の薄い地域は該当しない。
- 火の山 - 早鞆瀬戸を挟んで対岸の古城山と対峙するように立つ。所在地は みもすそ川町。[gm 7]
- 火の山公園 - 火の山山頂部に所在する都市公園(広域公園)。[gm 7][8]
- 新関門トンネル - 山陽新幹線が走るが、壇ノ浦近辺では火の山公園の地下を通っている。[gm 7]
- 風波のクロスロード
- 壇ノ浦古戦場跡(壇ノ浦古戦場址)
- みもすそ川町21-1に所在。[gm 9]
- 関門自動車道、下関壇之浦バスストップ(休止中)、壇之浦パーキングエリア
- 立石稲荷神社(立石稲荷大明神)
- 壇ノ浦漁港
- 極楽寺(願海山極楽寺)
- 平家一門の墓、七盛塚
派生義
壇ノ浦の戦いで伊勢平氏が迎えた歴史的事実になぞらえて、物事の悲劇的な結末の譬えに用いられる[3][15]。
讃岐檀ノ浦
屋島の南東山腹には屋嶋城(屋島城)があり、その真東の麓の先に入江が広がっていて、日本語としては、この入江、すなわち「浦(入江)」[16]が「檀ノ浦」であったか、もしくは、入江の西の「浦(海辺)」[17]が「檀ノ浦」であった[* 2]。ここの入江には、今も昔も真北に流れる相引川が注ぎ、北に向けて備讃瀬戸に開けている。相引川の両岸は江戸時代に盛んに埋め立てられ、開拓されて塩田と水田に変わった。その流れのなかで屋島はほとんど島でなくなり、南麓側と東麓側で相引川が四国本土と隔てているだけのほぼ陸続きになった。相引川は依然として備讃瀬戸に注いでいるが、埋立地は塩田と水田から住宅地と市街地に変わってゆき、多くの人々の住む所となった。
飛鳥時代にあたる大宝2年(702年)、大宝律令によって讃岐3軍団の一つとして屋島に山田軍団(讃岐国山田郡の軍団)が置かれ[16]、この地の入江か海辺かあるいはその両方かは分からないが、「団の浦」の意をもって「檀之浦/壇之浦(だんのうら)」と呼ぶようになったと考えられる[16]。
交通アクセス
- 鉄道
- 道路
周辺地域
脚注
注釈
- Googleマップ
- ^ 壇ノ浦(地図 - Google マップ) ※壇ノ浦古戦場だけが赤色でスポット表示されているが、地域としてはその南西側に示されている「壇之浦町(地図 - Google マップ…該当区域は赤い線で囲い表示される)」や「壇之浦」も含む。
- ^ 屋島檀ノ浦(地図 - Google マップ) ※該当地域は示されないが、その名を含む施設が赤色でスポット表示される。現在では埋立地が多くなって元の地形が不明瞭であるが、北から深く切り込んだ入江であったことは分かる。
- ^ 屋島東町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
- ^ 壇之浦町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
- ^ みもすそ川町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
- ^ 下関市本町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
- ^ a b c d 火の山(地図 - Google マップ) ※山頂は赤色で、火の山公園は緑色の文字で、スポット表示される。新関門トンネルを通る山陽新幹線はJR鉄道路線の地図記号で表示される。風波のクロスロードは火の山の南西麓に沿って走っているのが分かる。海岸に突き当たった地点からは海岸線を走る国道9号に合流する。
- ^ みもすそ川公園(地図 - Google マップ) ※該当施設は緑色の文字でスポット表示される。みもすそ川町1(地図 - Google マップ)
- ^ 壇ノ浦古戦場跡(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
- ^ 立石稲荷大明神(地図 - Google マップ…※該当施設は赤色でスポット表示される)、壇之浦町8(地図 - Google マップ…※奥之院は赤色でスポット表示される)
- ^ 壇ノ浦漁港(地図 - Google マップ) ※壇ノ浦漁港は示されないが、漁港内にある蛭子神社がスポット表示される。
- ^ 下関市浄土真宗本願寺派極楽寺(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
- ^ 赤間神宮(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
- ^ 安徳天皇阿彌陀寺陵(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
- ^ 平家一門の墓(地図 - Google マップ)、七盛塚 (平家一門の墓)(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
出典
- ^ “早鞆瀬戸”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
- ^ a b c 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “壇ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
- ^ a b 小学館『デジタル大辞泉』. “壇ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “赤間関”. コトバンク. 2019年7月19日閲覧。
- ^ a b 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “檀ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
- ^ 小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』. “檀ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
- ^ a b 講談社『日本の地名がわかる事典』. “壇ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
- ^ “火の山公園”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
- ^ “みもすそ川公園”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
- ^ “関門トンネル人道”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
- ^ “立石稲荷神社と烏帽子岩”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
- ^ a b “壇ノ浦漁港の船だまり”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
- ^ a b “極楽寺について”. 公式ウェブサイト. 極楽寺. 2019年7月19日閲覧。
- ^ a b c “赤間神宮”. 公式ウェブサイト. 株式会社 酒井商店. 2019年7月19日閲覧。
- ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “壇ノ浦”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
- ^ a b c 平凡社『世界大百科事典』. “屋島”. コトバンク. 2019年7月18日閲覧。
- ^ 黒板勝美 著、国史大系編修会 訳『新訂増補国史体系 令義解』吉川弘文館、1974年、297頁。ISBN 978-4-64-200011-6。