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「全日本プロ選手権自転車競技大会記念競輪」の版間の差分

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==歴史==
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全プロ記念競輪の前身は、[[1990年]]に[[KEIRINグランプリ|KEIRINグランプリ'89]]の代替レースとして行なわれた「スーパープロピストレーサー(SPR)賞」である。このレースは[[仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]の前身でもあり、その後は全プロと合わせて開催されていたが、寛仁親王牌のGI昇格と共に開催時期が変更されると、しばらくは全プロのみ行なわれていた。
全プロ記念競輪の前身は、[[1990年]]に[[KEIRINグランプリ|KEIRINグランプリ'89]]の代替レースとして行なわれた「スーパープロピストレーサー(SPR)賞」である。このレースは[[仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]の前身でもあり、その後は全プロと合わせて開催されていたが、寛仁親王牌のGI昇格と共に開催時期が変更されると、しばらくは全プロのみ行なわれていた。


しかし[[1995年]](平成7年)に「[[兵庫県南部地震]]災害復興競輪」を全プロの前日であった[[5月13日]]に[[名古屋競輪場]]において開催することになり、この開催が翌年以後も続く形で現在の全プロ競輪に繋がっている。当初は全プロの前日に1日だけ当大会が開催されるという形式で有り、その際、上位選出9人によるメインレースとしてSPR賞が組み込まれた。その後[[松戸競輪場]]で開催された[[2005年]]大会より開催期間が2日間となった(2日目が全プロの前日。[[2006年]]以降のSPR賞の扱いに付いては後述)。
しかし[[1995年]](平成7年)に「[[兵庫県南部地震]]災害復興競輪」を全プロの前日であった[[5月13日]]に[[名古屋競輪場]]において開催することになり、この開催が翌年以後も続く形で現在の全プロ競輪に繋がっている。当初は全プロの前日に1日だけ当大会が開催されるという形式で有り、その際、上位選出9人によるメインレースとしてSPR賞が組み込まれた。その後[[松戸競輪場]]で開催された[[2005年]]大会より開催期間が2日間となった(2日目が全プロの前日。[[2006年]]以降のSPR賞の扱いに付いては後述)。
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==関連項目==
==関連項目==
*[[全日本プロ選手権自転車競技大会]]
*[[全日本プロ選手権自転車競技大会]]
*[[仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]
*[[仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]
*[[国際競輪]]
*[[国際競輪]]
*[[チャリーズ杯]]
*[[チャリーズ杯]]

2021年4月27日 (火) 14:53時点における版

全日本プロ選手権自転車競技大会記念競輪(ぜんにっぽんプロせんしゅけんじてんしゃきょうぎたいかいきねんけいりん)は、全日本プロ選手権自転車競技大会(以下 全プロ)の直前に開催される競輪FII競走である。略称としては全プロ記念競輪全プロ記念全プロ競輪がある。

歴史

全プロ記念競輪の前身は、1990年KEIRINグランプリ'89の代替レースとして行なわれた「スーパープロピストレーサー(SPR)賞」である。このレースは寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメントの前身でもあり、その後は全プロと合わせて開催されていたが、寛仁親王牌のGI昇格と共に開催時期が変更されると、しばらくは全プロのみ行なわれていた。

しかし1995年(平成7年)に「兵庫県南部地震災害復興競輪」を全プロの前日であった5月13日名古屋競輪場において開催することになり、この開催が翌年以後も続く形で現在の全プロ競輪に繋がっている。当初は全プロの前日に1日だけ当大会が開催されるという形式で有り、その際、上位選出9人によるメインレースとしてSPR賞が組み込まれた。その後松戸競輪場で開催された2005年大会より開催期間が2日間となった(2日目が全プロの前日。2006年以降のSPR賞の扱いに付いては後述)。

なお2001年からは国際競輪に参加した外国人選手も出場していたが、2006年以降は国際競輪の開催時期および制度が変更されたため日本人選手のみで争われている。

出場選手選抜方法

全日本プロ選手権自転車競技大会記念競輪の出場選手は、全日本プロ選手権自転車競技大会(以下、全プロ)に出場する選手のうち開催時においてS級に在籍している者から選抜される。毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手99名、補欠選手8名を選抜する。

  • 選考期間…前年9月~当年2月(6ヶ月)、選考月…3月、最低出走回数…24出走
  1. 全プロに出場予定のS級S班在籍者
  2. 上記で既に選抜された者を除く全プロに出場予定の選手のうち、平均競走得点上位者から順次選抜する(同点の場合は賞金獲得額上位者を優先)

なお、補欠選手は正選手を除く全プロに出場予定の選手のうち、平均競走得点上位者からさらに順次選抜される。

2006年度以降の開催概要

初日に上位選出27名による優秀戦を合計3レース行い、1~3着の合計9名によって2日目にスーパープロピストレーサー(SPR)賞が争われる。また、4~9着の合計18名はワンダーステージに回る。

上位選出27名は以下の通り選抜される。

  1. 全プロに出場予定のS級S班在籍者
  2. 上記で既に選抜された者を除く全プロに出場予定の選手のうち、平均競走得点上位者から順次選抜する。

なお下位選出の選手については初日に特選と選抜に分かれて2日目の上位競走(ダイナミックステージ)を目指して争うが、この開催では上位選出の選手と共に走ることは無い。

当大会では、厳密な意味での決勝戦は行われない。しかし、SPR賞の1着が当大会に於いて唯一優勝回数にカウントされ、同賞の1着賞金も当大会で最高額であることから、事実上の大会王者決定戦に位置付けられている。

スーパープロピストレーサー(SPR)賞賞金

各着順における賞金額は、以下の通り。( )内は副賞(1着に授与)を含んだ金額。

大会 1着 2着 3着 4着 5着 6着 7着 8着 9着
2020年[1] 207万円(317万円[2] 123万円 91.8万円 75.7万円 68.7万円 62.6万円 56.5万円 51.5万円 46.5万円

スーパープロピストレーサー(SPR)賞

2004年までは1日制で行われた。

年度 開催場 SPR賞勝者
平成7年度 1995年 名古屋競輪場 遠澤健二
平成8年度 1996年 いわき平競輪場 山田裕仁
平成9年度 1997年 弥彦競輪場 神山雄一郎
平成10年度 1998年 千葉競輪場 後閑信一
平成11年度 1999年 広島競輪場 小橋正義
平成12年度 2000年 弥彦競輪場 太田真一
平成13年度 2001年 一宮競輪場 神山雄一郎
太田真一
平成14年度 2002年 京王閣競輪場 神山雄一郎

以下の記録はワールドグランプリとして行われたため、スーパープロピストレーサー賞では無いが、参考として記載。

年度 開催場 勝者
平成15年度 2003年 青森競輪場 イエンス・フィードラー ドイツの旗 ドイツ
平成16年度 2004年 四日市競輪場 佐藤慎太郎 日本の旗 日本
平成17年度 2005年 松戸競輪場 小嶋敬二 日本の旗 日本

現行制度となった2006年以降の勝者は、以下の通り。

年度 開催年 開催場 SPR賞勝者
平成18年度 2006年 松山競輪場 小野俊之
平成19年度 2007年 いわき平競輪場 武田豊樹
平成20年度 2008年 奈良競輪場
平成21年度 2009年 花月園競輪場 伏見俊昭
平成22年度 2010年 函館競輪場 村上博幸
平成23年度 2011年 防府競輪場 海老根恵太
平成24年度 2012年 前橋競輪場 伏見俊昭
平成25年度 2013年 岸和田競輪場 新田祐大
平成26年度 2014年 取手競輪場 浅井康太
平成27年度 2015年 別府競輪場 武田豊樹
平成28年度 2016年 伊東温泉競輪場
平成29年度 2017年 和歌山競輪場 古性優作
平成30年度 2018年 青森競輪場 平原康多
令和元年度 2019年 松山競輪場 太田竜馬
令和2年度 2020年 豊橋競輪場 松浦悠士

今後の開催予定

脚注

関連項目

外部リンク