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[[山口県]]生まれ。幼少の頃は貧しく、社会的弱者への関心を持ったことから、[[日本民主青年同盟|民青]]の活動に没頭し[[京都大学大学院法学研究科・法学部|京都大学法学部]]卒業後の[[1965年]]([[昭和]]40年)には[[厚生省]](当時)に入省した<ref>http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/koushitsu/336593/</ref>。同省へは[[キャリア (国家公務員)|キャリア官僚]]として務め、[[1999年]]([[平成]]11年)に[[事務次官]]に就任した後、2001年に退官した。 |
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同2001年に宮内庁に入庁、2005年に[[宮内庁#長官|宮内庁長官]]に就任。宮内庁長官就任後は、[[内閣総理大臣]](当時)[[小泉純一郎]]と同じく、[[女性天皇]]・[[女系天皇]]を容認する[[皇室典範に関する有識者会議]]の結論を支持し、[[寬仁親王]]が結論を批判した際には、発言の自粛を強要した<ref>{{Cite news |url= |title=三笠宮寛仁さま発言、「憂慮」と宮内庁長官 |newspaper=[[読売新聞]] |date=2006-01-12 |accessdate=}}</ref>。 |
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2021年4月27日 (火) 14:45時点における版
はけた しんご 羽毛田 信吾 | |
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生誕 |
1942年4月5日(82歳) 日本 山口県 |
出身校 | 京都大学法学部卒業 |
職業 | 官僚 |
羽毛田 信吾(はけた しんご、1942年4月5日 - )は、日本の官僚。厚生省の事務次官、宮内庁次長を経て、2005年から2012年まで宮内庁長官を務めた。
人物
山口県生まれ。幼少の頃は貧しく、社会的弱者への関心を持ったことから、民青の活動に没頭し京都大学法学部卒業後の1965年(昭和40年)には厚生省(当時)に入省した[1]。同省へはキャリア官僚として務め、1999年(平成11年)に事務次官に就任した後、2001年に退官した。
同2001年に宮内庁に入庁、2005年に宮内庁長官に就任。宮内庁長官就任後は、内閣総理大臣(当時)小泉純一郎と同じく、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持し、寬仁親王が結論を批判した際には、発言の自粛を強要した[2]。
2009年(平成21年)9月10日、民主党などによる連立内閣発足に際しては、「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要があると申し上げたい」と述べ、皇位継承の対象を男系の男子皇族に限定している皇室典範改正への取り組みを要請する考えを示した[3]。
2011年(平成23年)2月10日の記者会見では、同年4月に行われる英国ウィリアム王子の結婚式への参列皇族を皇太子夫妻とすることについて、天皇・皇后夫妻が別の行事により参列できないことを挙げ、順序として問題がない旨を述べている[4]。
特例会見問題
2009年(平成21年)12月12日、天皇明仁と中国国家副主席習近平との会見が特例扱いとして突然決まり、当初体調不良を理由に断ったものの政府の要請で会見が決まった。
天皇特例会見について記者会見し「陛下に心苦しい思いでお願いした。二度とこういうことがあってはならない」と苦言を述べ、陛下の政治的利用につながるという懸念を持っているか?という記者からの質問に対し、「大きく言えばそういうことだ」と痛烈に批判した[5]。
一方、民主党幹事長小沢一郎はこの発言について同14日に記者会見を開き「政府の一役人ごときが日本国憲法の精神、理念を理解していない、羽毛田長官は辞表を出して言うべきだ。また天皇のお体が優れないのであれば他の行事を休ませるべきだ」とさらに出席を強要[6]、内閣総理大臣(当時)鳩山由紀夫も同調し羽毛田の発言に不快感を示した[7]。
宮内庁によれば、羽毛田の発言について同庁に1千件の電話やメールが届き、多数が羽毛田の発言を支持するものであったという[8]。一方、民主党に対しては批判が殺到した[9]。
天皇は同15日に国家副主席習近平と会見を行った[10]。
略歴
- 山口県立萩高等学校を経て京都大学法学部卒業
- 1964年9月24日 - 国家公務員採用上級甲種試験(区分:法律)合格
- 1965年 - 厚生省入省。同期入省に山口剛彦、田中健次(環境事務次官、厚生省薬務局長)など。
- 北海道企業局経営管理課長
- 1976年7月31日 - 北海道水産部水産経済課長
- 環境庁長官官房秘書課課長補佐
- 1980年7月21日 - 内閣官房内閣参事官室内閣参事官
- 1983年9月10日 - 厚生省医務局管理課長
- 1984年7月1日 - 厚生省保健医療局管理課長
- 1985年8月27日 - 厚生省保健医療局老人保健部計画課長
- 1986年6月13日 - 厚生省保健医療局企画課長
- 1987年9月25日 - 厚生省保険局企画課長
- 1988年6月7日 - 厚生省大臣官房総務課長
- 1990年6月29日 - 厚生省大臣官房審議官(内閣官房内閣内政審議室内閣審議官併任)
- 1992年1月28日 - 内閣官房内閣参事官室首席内閣参事官(内閣総理大臣官房総務課長併任)
- 1995年7月7日 - 厚生省老人保健福祉局長
- 1998年7月7日 - 厚生省保険局長
- 1999年8月31日 - 厚生事務次官
- 2001年
- 2005年4月1日 - 宮内庁長官
- 2012年
- 2013年 - 昭和館館長
著作
- 『随筆集 言うて詮なきことの記』 国書刊行会、2020年1月
論文
脚注
- ^ http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/koushitsu/336593/
- ^ “三笠宮寛仁さま発言、「憂慮」と宮内庁長官”. 読売新聞. (2006年1月12日)
- ^ “「皇位継承問題、対処を」 新内閣に宮内庁長官要請へ”. 共同通信社. 47NEWS. (2009年9月10日) 2012年2月18日閲覧。
- ^ “英王子結婚式参列「順序として皇太子ご夫妻が自然」”. スポーツニッポン. (2010年2月10日) 2012年2月18日閲覧。
- ^ “「二度とあってほしくない」=陛下と中国副主席の会見設定で宮内庁長官”. 時事通信社. (2009年12月11日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “小沢氏、宮内庁長官を批判 天皇陛下特例会”. 日本経済新聞. (2009年12月15日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “首相、羽毛田宮内庁長官の対応に不快感”. 読売新聞. (2009年12月15日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “宮内庁に意見1千件超、羽毛田長官支持が多数”. 読売新聞. (2009年12月14日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “「特例面会」めぐり宮内庁に支持メール多数民主党本部には苦情の電話殺到”. フジニュースネットワーク. (2009年12月15日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “天皇陛下、中国副主席と会見”. 読売新聞. (2009年12月15日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]