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{{by|2012年}}は3月6日に[[トミー・ジョン手術]]を行い<ref>[http://www.washingtontimes.com/news/2012/feb/28/nationals-sammy-solis-tommy-john-surgery-prospect Nationals pitching prospect Sammy Solis to undergo Tommy John surgery] The Washigton Times</ref>、シーズンを棒に振った。
{{by|2012年}}は3月6日に[[トミー・ジョン手術]]を行い<ref>[http://www.washingtontimes.com/news/2012/feb/28/nationals-sammy-solis-tommy-john-surgery-prospect Nationals pitching prospect Sammy Solis to undergo Tommy John surgery] The Washigton Times</ref>、シーズンを棒に振った。


{{by|2013年}}はA+級ポトマックでプレーし、13試合(先発12試合)に登板して2勝1敗、防御率3.43、40奪三振を記録した。7月にはルーキー級[[ガルフ・コーストリーグ|ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズ]]でプレーし、1試合に登板した。オフの11月20日に[[ロースター (MLB)#25人枠と40人枠|40人枠]]入りを果たした<ref>[http://washington.nationals.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20131120&content_id=64080186&vkey=pr_was&c_id=was Nationals select Sammy Solis, Michael Taylor and Aaron Barrett] MLB.com</ref>。
{{by|2013年}}はA+級ポトマックでプレーし、13試合(先発12試合)に登板して2勝1敗、防御率3.43、40奪三振を記録した。7月にはルーキー級[[ガルフ・コーストリーグ|ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズ]]でプレーし、1試合に登板した。オフの11月20日に[[ロースター (MLB)#26人枠と40人枠|40人枠]]入りを果たした<ref>[http://washington.nationals.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20131120&content_id=64080186&vkey=pr_was&c_id=was Nationals select Sammy Solis, Michael Taylor and Aaron Barrett] MLB.com</ref>。


{{by|2014年}}は傘下のマイナー4球団(ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズ、A級ヘイガーズタウン、A+級ポトマック、AA級[[ハリスバーグ・セネターズ]])でプレーし、計5試合に登板した。
{{by|2014年}}は傘下のマイナー4球団(ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズ、A級ヘイガーズタウン、A+級ポトマック、AA級[[ハリスバーグ・セネターズ]])でプレーし、計5試合に登板した。

2021年4月13日 (火) 09:02時点における版

サミー・ソリス
Sammy Solis
ワシントン・ナショナルズ時代
(2018年5月29日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州ミネアポリス
生年月日 (1988-08-10) 1988年8月10日(36歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB / 2015年4月29日
NPB / 2019年7月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

サミュエル・ロバート・ソリスSamuel Robert Solis, 1988年8月10日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス出身のプロ野球選手投手)。左投右打。愛称はショー・ショーShow-Show[1]

経歴

プロ入り前

2007年MLBドラフト18巡目(全体553位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名されるも契約せず、サンディエゴ大学へ進学した。

プロ入りとナショナルズ時代

2010年MLBドラフト2巡目(全体51位)でワシントン・ナショナルズから指名され、プロ入り。契約後、傘下のA級ヘイガーズタウン・サンズ英語版でプロデビューし、2試合に登板した。

2011年はまずA級ヘイガーズタウンでプレーし、7試合に先発登板して2勝1敗、防御率4.02、40奪三振を記録した。7月からA+級ポトマック・ナショナルズに昇格。10試合に先発登板して6勝2敗、防御率2.72、53奪三振を記録した。

2012年は3月6日にトミー・ジョン手術を行い[2]、シーズンを棒に振った。

2013年はA+級ポトマックでプレーし、13試合(先発12試合)に登板して2勝1敗、防御率3.43、40奪三振を記録した。7月にはルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズでプレーし、1試合に登板した。オフの11月20日に40人枠入りを果たした[3]

2014年は傘下のマイナー4球団(ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズ、A級ヘイガーズタウン、A+級ポトマック、AA級ハリスバーグ・セネターズ)でプレーし、計5試合に登板した。

2015年は開幕をAA級ハリスバーグで迎え、4月29日にメジャー初昇格を果たした[4]。翌30日のニューヨーク・メッツ戦でメジャーデビューし、5月10日のアトランタ・ブレーブス戦では初勝利を挙げた。この年は18試合にリリーフ登板し、1勝1敗、防御率3.38という数字を残した。また、FIPも3.46であり、実際の防御率とのかい離はほとんどなかった。

2016年は、前年比でほぼ倍増となる37試合にリリーフ登板し、防御率2.41・2勝4敗・WHIP1.27という好成績をマークした。また、与四球が激増したが、三振奪取のペースも大幅にアップし、奪三振率は10.3という高数値だった。

2017年は前年と同程度の30試合に登板したが、防御率5.88・WHIP1.35と大幅に成績を落とした。

2018年は56試合に登板したが防御率は6.41と、さらに悪化した。

2019年3月9日に自由契約となった[5]

パドレス傘下時代

2019年3月11日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[6]

DeNA時代

2019年5月31日、NPB横浜DeNAベイスターズと契約したことが発表された[7]。背番号は97[8]。7月に1軍に昇格し4試合に登板した後降格。9月6日に左肩の故障の治療のため帰国を発表[9]。10月16日に来季の契約を結ばない事が発表された[10]

選手としての特徴

最速156km/hの速球に加え、落差の大きいカーブ、チェンジアップを投げる[11]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2015 WSH 18 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 119 21.1 25 2 4 2 1 17 0 0 11 8 3.38 1.36
2016 37 0 0 0 0 2 4 0 9 .333 172 41.1 31 1 21 2 1 47 2 0 12 11 2.41 1.27
2017 30 0 0 0 0 1 0 1 7 1.000 112 26.0 22 4 13 0 0 28 3 0 17 17 5.88 1.35
2018 56 0 0 0 0 1 2 0 13 .333 177 39.1 43 7 18 1 4 44 4 0 28 28 6.41 1.55
2019 DeNA 4 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 17 4.1 4 1 2 0 0 2 0 0 1 1 2.08 1.38
MLB:4年 141 0 0 0 0 5 7 1 30 .417 555 127.2 121 14 56 5 6 136 9 0 68 64 4.51 1.39
NPB:1年 4 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 17 4.1 4 1 2 0 0 2 0 0 1 1 2.08 1.38
  • 2020年度シーズン終了時

NPB記録

その他の記録

背番号

  • 36(2015年 - 2018年)
  • 97(2019年)

脚注

関連項目

外部リンク