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「Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/住吉神社 (福岡市) 20210402」の版間の差分

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*{{賛成}}:推薦者票。なお推薦者は特に記事の執筆には関わっておりません。 --[[利用者:紅い目の女の子|紅い目の女の子]]([[利用者‐会話:紅い目の女の子|会話]]/[[特別:投稿記録/紅い目の女の子|履歴]]) 2021年4月2日 (金) 07:18 (UTC)
*{{賛成}}:推薦者票。なお推薦者は特に記事の執筆には関わっておりません。 --[[利用者:紅い目の女の子|紅い目の女の子]]([[利用者‐会話:紅い目の女の子|会話]]/[[特別:投稿記録/紅い目の女の子|履歴]]) 2021年4月2日 (金) 07:18 (UTC)
*{{賛成}} 出典表記に一部問題があって指摘されていたようですけど、誤りを修正したようですし、十分な内容が記述できているものと思います。--[[利用者:Tam0031|Tam0031]]([[利用者‐会話:Tam0031|会話]]) 2021年4月7日 (水) 14:11 (UTC)
*{{賛成}} 出典表記に一部問題があって指摘されていたようですけど、誤りを修正したようですし、十分な内容が記述できているものと思います。--[[利用者:Tam0031|Tam0031]]([[利用者‐会話:Tam0031|会話]]) 2021年4月7日 (水) 14:11 (UTC)
*{{コメント}}:いろいろ問題点が見受けられます。順番に記します。
#導入部の「『三大住吉』の1つ」の出典をお願いします。
#概要の「かつての比恵川・那珂川の河口の冷泉津に突き出る形で鎮座する」は唐突な記述です。3.1創建で出て来るのですから、導入部では無い方がよいのでは?
#概要の「古代日本の独特なもの」の出典を願います。「独特」なのは[[住吉造]]に限らず、[[神明造]]・[[春日造]]・[[流造]]・[[大社造]]…どこも同じでは?
#「『ツツ』を星の意と見る」理由が分かりません。
#「本地仏は薬師如来とされており」。[[本地]]は一柱ごとに付くので、三神なら、三仏・菩薩等が対応するはずです。十二神将なら十二柱が対応します。
#「筑前国住吉大明神御縁起」は、どの文献で読めますか?
#『住吉神社略誌』はいつ成立ですか?どこで読めますか?
#「海部郷」が出て来る意味が分かりません。
#「住吉神社と現人神社の中間に奴国が展開していたことから」。[[奴国]]の所在地は確定していません。この記述では確定事項と勘違いされます。
#「造営年代は住吉大社本殿(1810年造営)より大きく先行する」。神社は寺院と異なり、[[遷宮]]があり(代表例が[[伊勢神宮|神宮]])、古い=穢れと捉えられるので、「大きく先行する」とは言わないでしょう。
#「住吉造は、神明造・大社造などとともに仏教渡来以前に遡りうる古代日本の建築様式とされ、ヤマト大王の住居の様式とする説もある」。岡田『神社の古代史』(新編でないもの。1985年。このテキストは1983年の講演を書き起こしたもので、改訂版でも元々の部分は手を入れていないはずです。)を読みましたが、p.97-98に住吉造と[[大嘗祭#大嘗宮|大嘗宮]]が近しい関係だとあるものの、「仏教渡来以前に遡りうる古代日本の建築様式」とは書かれていません。岡田の「神社の源流はどこまで遡れるのか?」『神道の謎を解く本』(1999)でも「神社建築が成立するのは(略)かなり年代が下るように思われる。伊勢神宮にはすでに8世紀には現在のものと同じ様式の正殿が成立していた(略)けれども(略)例外的存在である(略)神社建築の一般化する時代として、私は9-12世紀の間を注目している」(pp.193-195)と記されており、「仏教渡来以前に遡りうる」との論は、岡田以外の諸文献でも記載がない、[[WP:NOR]]に該当するので、後ほど削除します。
#「8 登場作品」は「和歌に詠われた住吉神社」でしょう。
とりあえずここまで。--[[利用者:Falcated|Falcated]]([[利用者‐会話:Falcated|会話]]) 2021年4月10日 (土) 17:23 (UTC)

2021年4月10日 (土) 17:23時点における版

選考終了日時:2021年4月16日 (金) 07:18 (UTC)

  • (推薦)福岡県に所在する「住吉三神」の一つである住吉神社に関する記事です。その創建からの歴史や、境内の建築物、また執り行われる祭事や神社に所在する文化財などについて、多様な出典を用いて一通り記述されており、一定の水準を満たす記事であると思いますので推薦いたします。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2021年4月2日 (金) 07:18 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。なお推薦者は特に記事の執筆には関わっておりません。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2021年4月2日 (金) 07:18 (UTC)[返信]
  • 賛成 出典表記に一部問題があって指摘されていたようですけど、誤りを修正したようですし、十分な内容が記述できているものと思います。--Tam0031会話2021年4月7日 (水) 14:11 (UTC)[返信]
  • コメント:いろいろ問題点が見受けられます。順番に記します。
  1. 導入部の「『三大住吉』の1つ」の出典をお願いします。
  2. 概要の「かつての比恵川・那珂川の河口の冷泉津に突き出る形で鎮座する」は唐突な記述です。3.1創建で出て来るのですから、導入部では無い方がよいのでは?
  3. 概要の「古代日本の独特なもの」の出典を願います。「独特」なのは住吉造に限らず、神明造春日造流造大社造…どこも同じでは?
  4. 「『ツツ』を星の意と見る」理由が分かりません。
  5. 「本地仏は薬師如来とされており」。本地は一柱ごとに付くので、三神なら、三仏・菩薩等が対応するはずです。十二神将なら十二柱が対応します。
  6. 「筑前国住吉大明神御縁起」は、どの文献で読めますか?
  7. 『住吉神社略誌』はいつ成立ですか?どこで読めますか?
  8. 「海部郷」が出て来る意味が分かりません。
  9. 「住吉神社と現人神社の中間に奴国が展開していたことから」。奴国の所在地は確定していません。この記述では確定事項と勘違いされます。
  10. 「造営年代は住吉大社本殿(1810年造営)より大きく先行する」。神社は寺院と異なり、遷宮があり(代表例が神宮)、古い=穢れと捉えられるので、「大きく先行する」とは言わないでしょう。
  11. 「住吉造は、神明造・大社造などとともに仏教渡来以前に遡りうる古代日本の建築様式とされ、ヤマト大王の住居の様式とする説もある」。岡田『神社の古代史』(新編でないもの。1985年。このテキストは1983年の講演を書き起こしたもので、改訂版でも元々の部分は手を入れていないはずです。)を読みましたが、p.97-98に住吉造と大嘗宮が近しい関係だとあるものの、「仏教渡来以前に遡りうる古代日本の建築様式」とは書かれていません。岡田の「神社の源流はどこまで遡れるのか?」『神道の謎を解く本』(1999)でも「神社建築が成立するのは(略)かなり年代が下るように思われる。伊勢神宮にはすでに8世紀には現在のものと同じ様式の正殿が成立していた(略)けれども(略)例外的存在である(略)神社建築の一般化する時代として、私は9-12世紀の間を注目している」(pp.193-195)と記されており、「仏教渡来以前に遡りうる」との論は、岡田以外の諸文献でも記載がない、WP:NORに該当するので、後ほど削除します。
  12. 「8 登場作品」は「和歌に詠われた住吉神社」でしょう。

とりあえずここまで。--Falcated会話2021年4月10日 (土) 17:23 (UTC)[返信]