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「鞏義市」の版間の差分

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[[殷|殷代]]には'''斟鄩'''(現在の回郭鎮羅荘村・芝田鎮稍柴村一帯)と称され国都が設置されている。[[周|周代]]になると'''鞏伯国'''が置かれた。
[[殷|殷代]]には'''斟鄩'''(現在の回郭鎮羅荘村・芝田鎮稍柴村一帯)と称され国都が設置されている。[[周|周代]]になると'''鞏伯国'''が置かれた。


[[紀元前249年|前249年]]([[荘襄王 (秦)|荘襄王]]元年)、[[秦]]により'''鞏県'''が設置される。「山河が四方を塞ぎ、鞏固で(攻撃にも)抜かれることはない」ことから命名され、[[前漢|漢代]]には[[河南郡]]、[[魏晋南北朝時代]]には[[東魏]]により[[成皋郡]]の管轄とされ、[[北斉]]により鞏県は廃止となり[[成皋県]]に編入された。[[隋|隋朝]]が成立すると[[596年]]([[開皇]]16年)に再び[[豫州|洛州]]の下に鞏県が設置、[[宋 (王朝)|宋代]]以降は[[河南府]]の管轄となり[[清|清末]]まで沿襲された。
[[紀元前249年|前249年]]([[荘襄王]]元年)、[[秦]]により'''鞏県'''が設置される。「山河が四方を塞ぎ、鞏固で(攻撃にも)抜かれることはない」ことから命名され、[[前漢|漢代]]には[[河南郡]]、[[魏晋南北朝時代]]には[[東魏]]により[[成皋郡]]の管轄とされ、[[北斉]]により鞏県は廃止となり[[成皋県]]に編入された。[[隋|隋朝]]が成立すると[[596年]]([[開皇]]16年)に再び[[豫州|洛州]]の下に鞏県が設置、[[宋 (王朝)|宋代]]以降は[[河南府]]の管轄となり[[清|清末]]まで沿襲された。


[[中華民国]]が成立すると[[1913年]]([[中華民国暦|民国]]2年)に[[北京政府]]により新設された[[豫西道]](翌年[[河洛道]]と改称)の管轄とされたが、[[1927年]](民国16年)、道制廃止に伴い[[河南省 (中華民国)|河南省]]の直轄とされた。[[1932年]](民国21年)以降は第十行政督察区の管轄となっている。
[[中華民国]]が成立すると[[1913年]]([[中華民国暦|民国]]2年)に[[北京政府]]により新設された[[豫西道]](翌年[[河洛道]]と改称)の管轄とされたが、[[1927年]](民国16年)、道制廃止に伴い[[河南省 (中華民国)|河南省]]の直轄とされた。[[1932年]](民国21年)以降は第十行政督察区の管轄となっている。

2021年3月21日 (日) 23:03時点における版

中華人民共和国 河南省 鞏義市
宋陵
鄭州市中の鞏義市の位置
鄭州市中の鞏義市の位置
鄭州市中の鞏義市の位置
簡体字 巩义
繁体字 鞏義
拼音 Gŏngyì
カタカナ転写 ゴンイー
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
河南
副省級市 鄭州市
行政級別 県級市
面積
総面積 1,041 km²
人口
総人口(2002) 79 万人
経済
電話番号 0371
郵便番号 451250
行政区画代碼 410181
公式ウェブサイト http://www.gongyi.gov.cn/

鞏義市(きょうぎ-し)は中華人民共和国河南省鄭州市に位置する県級市。まもなく区に昇格する予定。

歴史

殷代には斟鄩(現在の回郭鎮羅荘村・芝田鎮稍柴村一帯)と称され国都が設置されている。周代になると鞏伯国が置かれた。

前249年荘襄王元年)、により鞏県が設置される。「山河が四方を塞ぎ、鞏固で(攻撃にも)抜かれることはない」ことから命名され、漢代には河南郡魏晋南北朝時代には東魏により成皋郡の管轄とされ、北斉により鞏県は廃止となり成皋県に編入された。隋朝が成立すると596年開皇16年)に再び洛州の下に鞏県が設置、宋代以降は河南府の管轄となり清末まで沿襲された。

中華民国が成立すると1913年民国2年)に北京政府により新設された豫西道(翌年河洛道と改称)の管轄とされたが、1927年(民国16年)、道制廃止に伴い河南省の直轄とされた。1932年(民国21年)以降は第十行政督察区の管轄となっている。

1949年、中華人民共和国政府は鄭州専区の管轄としたが、1955年開封専区1958年には鄭州市1961年には開封地区1983年には再び鄭州市の管轄とした。1991年、県級市の鞏義市に改編され現在に至る。

行政区画

  • 街道:新華路街道、杜甫路街道、永安路街道、孝義街道、紫荊路街道
  • 鎮:米河鎮、新中鎮、小関鎮、竹林鎮、大峪溝鎮、河洛鎮、站街鎮、康店鎮、北山口鎮、西村鎮、芝田鎮、回郭鎮、魯荘鎮、夾津口鎮、渉村鎮

交通

  • 隴海鉄路
  • 310国道・連霍高速道路・豫(河南)31線、開通する総延長は1347キロメートル。
  • 焦鞏黄河大橋(焦作市 - 鞏義間)

出身者

  • 程本:春秋時代の哲学者、著作に『子華子』。
  • 尹勛:後漢代、「八顧」のひとり。「天下英藩尹伯元」と賞賛される。
  • 嵆含西晋の植物学者。著書『南方草木状』は世界史上最も初期の植物誌。
  • 杜審言代の詩人。
  • 杜甫:唐代の詩人。杜審言の孫。
  • 盧亜:代の状元
  • 牛鳳山:代の武状元。
  • 常香玉:豫劇(河南省の伝統劇)の演劇芸術家。

名所

外部リンク