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'''ジム・ラヴェル'''(Jim Lovell)こと'''ジェームズ・アーサー・ラヴェル・ジュニア'''(James Arthur Lovell Jr. (/ˈlʌvəl/)、[[1928年]][[3月25日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の元[[宇宙飛行士]]、[[海軍航空隊|海軍飛行士]]、機械技師である。[[1968年]]、[[アポロ8号]]の[[アポロ司令・機械船|司令船]]操縦士として、人類初の[[月周回軌道|月周回飛行]]に成功した3人のうちの1人となった。その後、[[1970年]]の[[アポロ13号]]に船長として搭乗し、途中で重大な故障が発生したものの、月を一周して地球に帰還した。


ラヴェルは、[[1965年]]の[[ジェミニ7号]]、[[1966年]]の[[ジェミニ12号]]にも参加している。4回も宇宙飛行を行ったのはラヴェルが史上初である。また、月への飛行を2度行ったのも初である。
'''ジム・ラヴェル'''('''ジェームズ・アーサー・ラヴェル・ジュニア'''、James Arthur Lovell, Jr.、[[1928年]][[3月25日]] - )は[[アメリカ合衆国]]の[[宇宙飛行士]]、海軍軍人。


==若年期==
途中で起きた事故により[[月]]着陸を断念した[[アポロ13号]]の[[船長]]として知られる。
1928年に[[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]で生まれた。父はカナダ・オンタリオ州生まれで石炭炉のセールスマンだった父ジェームズ・ラヴェル・シニア、母はチェコ系のブランシェ(Blanche)(旧姓マセック(Masek))<ref>{{cite web | title=Newsletter Spring 2000: Notable Americans with Czech Roots | publisher=American Friends of the Czech Republic | url=http://www.afocr.org/newsletters/spring2000.htm | accessdate=November 29, 2007 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20080123234750/http://www.afocr.org/newsletters/spring2000.htm <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate = January 23, 2008}}</ref>だった。父は1933年に交通事故で死亡した{{sfn|Burgess|2011|p=290}}。2人の間の子供はラヴェル1人であった。


ラヴェルと母親は[[インディアナ州]][[テレホート (インディアナ州)|テレホート]]にある親戚の家に約2年間住んでいた。その後、母と一緒に[[ウィスコンシン州]][[ミルウォーキー]]に移り住み、ジュノー高校を卒業した。幼少期は[[ボーイスカウト]]に所属し、最終的にボーイスカウトの最高位である{{仮リンク|イーグルスカウト|en|Eagle Scout (Boy Scouts of America)}}を達成した{{sfn|Townley|2006|pp=80–86}}<ref name="honor2">{{cite magazine| last=Ray | first=Mark |year=2007 | url=http://www.scoutingmagazine.org/issues/0701/a-what.html | title=What It Means to Be an Eagle Scout | magazine=Scouting Magazine|publisher=Boy Scouts of America | accessdate=January 5, 2007}}</ref>。
1928年、アメリカ合衆国の[[オハイオ州]]生まれ。[[ウィスコンシン大学]]を卒業し[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]へ進む。[[1952年]]に[[アメリカ海軍|海軍]]に入り[[朝鮮戦争]]に出征、その後[[テスト・パイロット]]を4年間こなした。その後に宇宙飛行士となる。宇宙飛行士としての経歴は後述する。


少年時代のラヴェルは、ロケットに興味を持ち、ロケットの模型を作って飛ばしていた{{sfn|Lovell|Kluger|1995|p=65}}。高校卒業後は[[ウィスコンシン大学マディソン校]]に入学し、1946年から1948年までの2年間、同校の海軍飛行士訓練プログラム(Flying Midshipman)に参加した<ref name=cnn>{{cite news|url=http://www.cnn.com/2013/04/05/us/james-lovell-fast-facts/index.html|title=James Lovell Fast Facts|date=March 8, 2019|website=CNN|accessdate=October 9, 2019}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.navy.mil/submit/display.asp?story_id=98326|title=Capt. James A. Lovell Visits with Wisconsin NROTC Midshipmen|website=United States Navy|accessdate=December 3, 2019|date=January 3, 2017}}</ref>。マディソン大学ではフットボールをプレーし、[[フラタニティ]]組織{{仮リンク|アルファ・ファイ・オメガ|en|Alpha Phi Omega}}に入会した{{sfn|Burgess|2011|p=291}}。
== 宇宙飛行士としての経歴 ==
宇宙飛行計画[[マーキュリー計画]]に立候補するが、宇宙飛行士の第1期生としては健康診査で落選し、第2期生として[[1962年]]に選ばれた。つづく[[ジェミニ計画]]で2度の宇宙飛行を経験し、さらに[[アポロ計画]]でも2度の宇宙飛行を経験する。ただし、月着陸が予定されていたアポロ13号では、事故が起きたため月面に足跡を残す事は果たせなかった。


ラヴェルが飛行士訓練に参加していた1948年の夏、[[アメリカ海軍]]はプログラムの削減を始めており、士官候補生たちは他校に転校するよう圧力を受けていた。そのままでは、海軍飛行士として卒業しても、飛行士の職に就けない可能性があった。ラヴェルは、1948年秋に[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]に出願し、合格した。海軍兵学校1年生の時、液体燃料ロケットエンジンに関する論文を書いた。海軍兵学校で4年間を過ごし、1952年春に少尉として卒業し、学士の学位を取得した。その後、1952年10月から1954年2月まで{{仮リンク|ペンサコーラ海軍航空基地|en|Naval Air Station Pensacola}}で飛行訓練を受けた{{sfn|Burgess|2011|p=291}}。
=== ジェミニ7号 ===

アメリカ人初の宇宙遊泳を果たした[[ジェミニ4号]]の補助要員を経験し、[[1965年]]12月に[[フランク・ボーマン]]と共に[[ジェミニ7号]]で初めて宇宙に飛び立つ。そこで[[ジェミニ6-A号]]との[[ランデブー (宇宙開発)|ランデブー]]に成功した。
==アメリカ海軍でのキャリア==
ラヴェルは1954年2月1日に海軍航空士官に任命された。操縦訓練を終えると、[[カリフォルニア州]][[サンフランシスコ]]近郊の{{仮リンク|モフェット連邦飛行場|en|Moffett Federal Airfield}}にある第3混成飛行隊(VC-3)に配属された。1954年から1956年にかけては、艦上夜間戦闘機[[F2H (航空機)|F2H-3バンシー]]を操縦した。これには、空母「[[シャングリラ (空母)|シャングリラ]]」での西太平洋での任務も含まれていた。シャングリラは、アメリカ海軍の空母としては2番目の[[アングルド・デッキ]]を持つ空母として改装されていた。

陸上勤務に戻ると、艦上ジェット戦闘機[[F3H (航空機)|F3Hデーモン]]のパイロット移行訓練を担当するようになった<ref>{{cite web|url=http://www.epnaao.com/BIOS_files/REGULARS/Lovell-%20James%20A.pdf|title=The Golden Eagles, Regulars: James A. Lovell jr, Capt USN (Ret)|website=epnaao.com|accessdate=March 18, 2018}}</ref>。1958年1月、メリーランド州[[パタクセント・リバー海軍航空基地]]にある[[海軍テストパイロット学校]]で6か月間の[[テストパイロット]]訓練コースに参加した。同級生には[[ピート・コンラッド]]や[[ウォルター・シラー]]がいた。ラヴェルはこのクラスを首席で卒業した{{sfn|Lovell|Kluger|1995|p=184}}。

同年末、[[マーキュリー計画]]の[[宇宙飛行士]]候補としてアメリカ軍のテストパイロットの中から選ばれた110人の中に、ラヴェル、コンラッド、シラーの3人がいた。シラーは[[マーキュリー・セブン]]の1人となったが、ラヴェルとコンラッドは健康上の理由で選抜から漏れた。ラヴェルが落選したのは、血液中の[[ビリルビン]]の値が一時的に高かったためである{{sfn|Lovell|Kluger|1995|p=195}}。

1961年、[[南カリフォルニア大学]](USC)の航空安全学校を修了した{{sfn|Burgess|2011|p=292}}。

パタクセント・リバー海軍航空基地では、電子機器の試験(後に武器の試験)に配属された。ラヴェルに割り当てられたコールサインは「シェイキー」(Shaky)で、これはコンラッドが名付けたものだった<ref>{{Cite book |url=https://books.google.com/books?id=yuC82VWpa30C&q=lovell+instructor+pax+river&pg=PA15 |title=James Lovell: The Rescue of Apollo 13 |last=Goldberg |first=Jan |via=Google Books|isbn=9780823944590|publisher=The Rosen Publishing Group|year=2003|location=New York}}</ref>。

ラヴェルは[[F-4 (戦闘機)|F4H]]のプログラム・マネージャーになり、[[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ジョン・ヤング]]がその下で働いていた。1961年、第101戦闘攻撃飛行隊(VF-101)「デタッチメント・アルファ」の飛行教官および安全技術担当者としての任務を受けた{{sfn|Burgess|2011|p=292}}。

==NASAでのキャリア==
1962年、NASAは[[ジェミニ計画]]と[[アポロ計画]]のために新たな宇宙飛行士を必要としていた。ラヴェルは2度目の応募で、コンラッドとともにNASA宇宙飛行士グループ2「ニューナイン」に合格した<ref>{{cite web|url=http://www.americaspace.com/2012/09/15/the-best-all-around-group-nasas-astronauts-of-62/|title="The Best All-Around Group": NASA's Astronauts of '62|last1=Evans|first1=Ben|website=AmericaSpace|accessdate=February 12, 2018}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/33352619/the_tampa_tribune/|title=Here are the Next Nine Astronauts Who Will Join in U.S. Race to the Moon|newspaper=The Tampa Tribune|location=Tampa, Florida|date=September 18, 1962|page=4A|via=Newspapers.com|agency=UPI}}</ref>。

===ジェミニ計画===
====ジェミニ7号====
[[File:Lovell and Aldrin on Deck - GPN-2000-001356.jpg|thumb|ジェミニ12号での帰還後、回収船のデッキに立つ[[バズ・オルドリン]]とラヴェル]]
ラヴェルは[[ジェミニ4号]]の予備搭乗員に選ばれた。その後、[[1965年]]12月に[[フランク・ボーマン]]とともに[[ジェミニ7号]]のパイロットを務めた。このフライトの目的は、14日間の軌道上での活動がクルーと宇宙船に与える影響を評価することだった<ref>{{cite web|url=http://www.drewexmachina.com/2015/12/04/rendezvous-in-space-the-launch-of-gemini-7/|title=Rendezvous in Space: The Launch of Gemini 7|last=LePage|first=Andrew|date=December 4, 2015|website=Drew Ex Machina|accessdate=April 2, 2017}}</ref>。この14日間のフライトでは、206回の地球周回を行う耐久記録を樹立した。また、[[ジェミニ6-A号]]との史上初の[[ランデブー (宇宙開発)|ランデブー]]に成功した<ref name="nasa1">{{cite web|url=https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1965-100A|title=Gemini 7|accessdate=May 28, 2017|website=NASA Space Science Data Coordinated Archive}}</ref>。


[[12月4日]]にラヴェルとボーマンの乗ったジェミニ7号が打ち上げられ、それを追って[[12月15日]]に[[ウォルター・シラー]]と[[トーマス・スタッフォード]]が乗ったジェミニ6-A号が打ち上げられた。同時に4人が宇宙に滞在したのは初めての事である。
[[12月4日]]にラヴェルとボーマンの乗ったジェミニ7号が打ち上げられ、それを追って[[12月15日]]に[[ウォルター・シラー]]と[[トーマス・スタッフォード]]が乗ったジェミニ6-A号が打ち上げられた。同時に4人が宇宙に滞在したのは初めての事である。


ランデブーに成功したが、すべてが順調だったとは言えない。宇宙での滞在が11日目を迎えた時に、いくつかの[[スラスター]]が噴射しなくなった。さらに翌日には[[燃料電池]]の電力が低下した。このような不具合があったものの14日目に地球帰還した。
ランデブーに成功したが、すべてが順調だったとは言えない。宇宙での滞在が11日目を迎えた時に、いくつかの[[スラスター]]が噴射しなくなった。さらに翌日には[[燃料電池]]の電力が低下した。このような不具合があったものの14日目に地球帰還した。


=== ジェミニ12号 ===
====ジェミニ12号====
ラヴェルはその後、[[ジェミニ10号]]の予備搭乗員となることが予定されていた。しかし、ジェミニ9号の搭乗員だった[[エリオット・シー]]と{{仮リンク|チャールズ・バセット|en|Charles Bassett}}が[[T-38 (航空機)|T-38]]による訓練飛行中にビルに撃突して死亡したため([[:en:1966 NASA T-38 crash|1966 NASA T-38 crash]])、ラヴェルは[[トーマス・スタッフォード]]に代わって[[ジェミニ9-A号]]の予備搭乗員となった。
ラヴェルの2度目の宇宙飛行は[[ジェミニ12号]]であり、これはジェミニ計画の最後の飛行でもあった。[[アジェナ標的機]]とのランデブーとドッキングが目的である。[[エドウィン・オルドリン|バズ・オルドリン]]とのこの飛行を、目的達成で無事に終えた。


ランデブー用の[[レーダー]]が故障して手動でのドッキングを行なう、アジェナ衛星の噴射装置が故障して高度を上げられないなど、細かな問題起きた飛行であった。それでも宇宙遊泳やいくつか科学実験を成功させ、5日間の飛行を終えて地球帰還している
これによりラヴェルは、1966年11月に[[バズ・オルドリン]]を乗せて行われた[[ジェミニ12号]]での2回目の宇宙飛行で、初の船長を務めることとなった。この宇宙飛行では3回の船外活動、59回の地球周回を行い、[[アジェナ標的機]]との5回目のランデブーと4回目のドッキングを達成した。ランデブー用の[[レーダー]]が故障して手動でのドッキングを行なう、アジェナ衛星の噴射装置が故障して高度を上げられないなど、細かな問題起きたが、予定ミッションして、5日間の飛行を終えて地球帰還し


=== アポロ8号 ===
===アポロ計画===
====アポロ8号====
月着陸を目標とするアポロ計画で2度目の有人飛行となる[[アポロ8号]]でラヴェルは3度目の宇宙飛行を迎える。[[1968年]]12月の事である。[[アポロ司令・機械船|司令船]]操縦士として人類初の月軌道周回をこなした。
[[File:Apollo 8 Lovell at Guidance and Navigation station.jpg|thumb|left|200px|アポロ8号の司令船に搭乗中のラヴェル]]
{{Main|アポロ8号}}
ラヴェルは当初、[[ニール・アームストロング]]を船長、[[バズ・オルドリン]]を[[アポロ月着陸船|月着陸船]]操縦士(LMP)とする「アポロ9号」の予備搭乗員の[[アポロ司令・機械船|司令船]]操縦士(CMP)に選ばれた。アポロ9号は、月着陸船の高[[遠地点]]での地球周回テストとして計画された。その後、メインのCMPの[[マイケル・コリンズ (宇宙飛行士)|マイケル・コリンズ]]が脊椎の手術を受けることになったため、ラヴェルと交代することになった。これによりラヴェルは、船長のフランク・ボーマン、LMPの[[ウィリアム・アンダース]]と一緒になった{{sfn|Brooks|Grimwood|Swenson|1979|pp=260–265}}。


実はアポロ8号の乗組員(船長ボーマン/司令船操縦士ラヴェル/[[アポロ月着陸船|月着陸船]]操縦士[[ウィリアム・アンダース]])が乗る事になっていたのは[[アポロ9号]]であった。本来の計画では、アポロ8号で司令船と月着陸船のドッキングなどを確かめ(Dミッション)、アポロ9号で[[月周回軌道]]へ投入する(Eミッション)はずであった。ところが月着陸船の製造が予定よりも遅れており、月への競争相手[[ソビエト連邦|ソ連]]の動向などもあって、順序が逆ったある
本来の計画では、アポロ8号で司令船と月着陸船のドッキングなどを確かめ(Dミッション)、ラヴェルらのアポロ9号で[[月周回軌道]]へ投入する(Eミッション)はずであった。ところが月着陸船の製造が予定よりも遅れ、アポロ8号の打ち上げ予定日に間に合わなくなった。そこで、月への競争相手[[ソビエト連邦|ソ連]]の動向などもあって、8号と9号の順序を入れ替え、9号のミッションは[[アポロ8号]]として先行い、8号のミッションは月着陸船の準備が整った時点行うこととなった(後に[[アポロ9号]]として実施された)


[[12月21日]]アポロ8号打ち上げられ、3日後には月の[[重力圏]]に入り月を周回する軌道に入った。乗組員の3人は、約20時間で月周回軌道を10周をして人類めて[[月裏|の裏側]]を観測し、地球が月の地平線を昇る姿を人類で初めて目撃したのであった。
[[1968年]][[12月21日]]、ボーマン、ラヴェル、アンダースの3人が乗るアポロ8号打ち上げられ、3日後には月の[[重力圏]]に入り月を周回する軌道に入った。3人は人類初の月周回者となった{{sfn|Ertel|Newkirk|Brooks|1978|pp=236–254}}


CMPであるラヴェルは、宇宙船に内蔵された[[六分儀]]を使って星の位置を測定し、宇宙船の位置を決定した。この情報は、必要な軌道修正を計算するために使用された。[[12月24日]]に月周回軌道に入ったアポロ8号は、高度約110キロメートルの円軌道を10回、計20時間かけて周回した。人類で初めて[[月の裏|月の裏側]]を観測し、[[地球の出|地球が月の地平線を昇る姿]]を人類で初めて目撃した。また、月面の白黒テレビ映像を地球に送信した。この日は[[クリスマスイブ]]であることから、ラヴェルはボーマンとアンダースと交代で、聖書の[[創世記]]の一節を読み上げた({{仮リンク|アポロ8号での創世記の朗読|en|Apollo 8 Genesis reading}}を参照)<ref>{{cite web|url=https://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/apollo8_xmas.html|title=The Apollo 8 Christmas Eve Broadcast|website=NASA Space Science Data Coordinated Archive|accessdate=December 29, 2017|date=September 25, 2007}}</ref>。
地球への帰路につくための噴射を行なった[[12月25日]]にラヴェルは、「聞いてくれ。[[サンタクロース]]がいたんだ。」と管制室に対して通信した。また同じく地球への帰路で乗組員3人が[[聖書]]の[[創世記]]を朗読した。このために無神論者団体アメリカン・アテイストの代表であるマダリン・マーレイ・オーヘイルから「宇宙飛行士は、宇宙にいる間は宗教的活動を控えるべきだ」と訴えが出された。


アポロ8号は[[12月25日]]、地球からの電波が届かない月の裏側でロケットの燃焼を行い、地球への帰還を開始した。地球との通信が回復したとき、ラヴェルは真っ先に「聞いてくれ。[[サンタクロース]]がいたんだ」(Please be informed, there is a Santa Claus.)と管制室に対して通信した。アポロ8号は12月27日に地球に帰還した<ref>{{cite web|url=https://www.nasa.gov/topics/history/features/apollo_8.html|title=Apollo 8: Christmas at the Moon|date=December 18, 2014|website=NASA|accessdate=December 29, 2017}}</ref>。
=== アポロ13号 ===
映画『[[アポロ13]]』でも描かれたアポロ13号は、船長ラヴェル/司令船操縦士[[ジャック・スワイガート]]/月着陸船操縦士[[フレッド・ヘイズ]]を乗せて[[1970年]][[4月11日]]に打ち上げられた。ラヴェルの4度目で最後の宇宙飛行である。しかし途中で[[アポロ司令・機械船#機械船|機械船]]に爆発が発生し、月着陸はおろか地球への帰還すら危ぶまれる状態に陥った。


聖書の朗読やサンタクロースの件について、[[無神論]]者団体アメリカン・アテイストの代表であるマダリン・マーレイ・オーヘイルから「宇宙飛行士は、宇宙にいる間は宗教的活動を控えるべきだ」と訴えが出された。
打ち上げから2日後の4月13日、地球から月へ向かう行程をおよそ5分の4ほど進んだところで、機械船の液体酸素タンクが爆発した。これにより、乗組員の呼吸だけでなくコンピュータなどの電源にも必要な酸素がほとんど失われた。機械の冷却水不足にも悩まされ、さらには定員二人の月着陸船に三人が乗船することによって二酸化炭素が増加、二酸化炭素中毒による生命危機の事態にも陥ったが、電源を極力落とし、司令船ではなく月着陸船で過ごすなどの対処で状況を脱し、無事に生還を果たした。


====アポロ13号====
[[スカイラブ計画]]が始まるまで、ラヴェルが人類の中で最も長い時間を宇宙空間で過ごした人間であった。
{{Main|アポロ13号}}
[[File:Jim Lovell at LC-39.png|thumb|left|アポロ13号のミッション前に発射台の前に立つラヴェル]]
[[File:Jim Lovell newspaper.jpg|thumb|right|200px|アポロ13号の無事帰還を伝える新聞記事を、回収船「イオー・ジマ」艦上で読むラヴェル]]
ラヴェルは[[アポロ11号]]の予備搭乗員を務め、その後[[アポロ14号]]で船長となる予定だった。しかし、14号の搭乗員は[[アポロ13号]]の搭乗員とミッションを交代することとなった。これは、13号(交代後は14号)の船長である[[アラン・シェパード]]の訓練が、[[中耳炎]]の悪化により遅れていたためである{{sfn|Slayton|Cassutt|1994|p=236}}。


1970年4月11日、船長のラヴェル、CMPの[[ジャック・スワイガート]]、LMPの[[フレッド・ヘイズ]]が搭乗するアポロ13号が打ち上げられた<ref>{{cite web|url=https://www.nasa.gov/mission_pages/apollo/missions/apollo13.html|title=Apollo 13|date=July 8, 2009|website=NASA|accessdate=December 29, 2017}}</ref>。この飛行はラヴェルにとって、人類史上初となる4度目の宇宙飛行、2度目の月への飛行となった。ラヴェルとヘイズは月面に着陸する予定だった<ref>{{cite news|url=https://www.theguardian.com/science/2017/apr/16/apollo-13-mission-control-unsung-heroes-jim-lovell-interview|title=Apollo 13: celebrating the unsung heroes of mission control|newspaper=The Guardian|accessdate=December 29, 2017|last1=McKie|first1=Robin|date=April 16, 2017}}</ref>。
また、アポロ計画で2度月に行った飛行士は、ラヴェルのほかには[[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ジョン・ヤング]]と[[ユージン・サーナン]]の2人だけである(他の2人は着陸を経験した)。


打ち上げから2日後の4月13日、地球から月へ向かう行程をおよそ5分の4ほど進んだところで、[[液体酸素]]タンクの定期的な攪拌中に火災が発生した。NASAによれば、配線の電気絶縁体が損傷して火花が発生したことが最も有力な原因とされている<ref name="report">{{Citation |last=Cortright |first=Edgar M. |title=Report of the Apollo 13 Review Board |date=June 15, 1970 |url=https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19700076776_1970076776.pdf |publisher=NASA |location=Washington, D.C. }} Text (.TXT) file of report [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/apollo_13_review_board.txt here]. Multi-part PDF files of the report are available [https://history.nasa.gov/ap13rb/ap13index.htm here] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130606113947/http://history.nasa.gov/ap13rb/ap13index.htm |date=June 6, 2013}} and [http://drushel.cwru.edu/apollo13/ here] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130518094130/http://drushel.cwru.edu/apollo13/ |date=May 18, 2013 }}.</ref>。液体酸素が急速に気化してタンクが爆発し、2つ目の酸素タンクも損傷して液体酸素が漏れ出した。わずか2時間余りで機内の酸素は全て失われ、[[アポロ司令・機械船]]に電力を供給する水素[[燃料電池]]も機能しなくなった。
== その他 ==
これにより、月面着陸ミッションは直ちに中止され、搭乗員を安全に地球に帰還させることが唯一の目的となった。
*海軍での最終階級は、大佐。
*アポロ13号における体験を[[ジェフリー・クルーガー]]との共著で"Lost Moon"(邦題『アポロ13』 ISBN 4-10-246301-1 )という書籍にまとめている([[1994年]])。この書籍が映画『アポロ13』の原作となっている。またその映画にラヴェルは、着水した司令船の回収にあたった艦船[[イオー・ジマ (LPH-2)|イオー・ジマ]]の[[艦長]]役で登場している。
*[[マーキュリー計画]]を初め多くの[[宇宙飛行士]]が[[離婚]]を経験しているが、彼は幼馴染のマリリンと添い遂げ、[[おしどり夫婦]]として知られる。


月着陸船をバッテリー、酸素、推進力を供給する[[救命ボート]]として使用し、一旦離脱した{{仮リンク|自由帰還軌道|en|Free-return trajectory}}を再び確立し、月の周りを旋回して地球に帰還することとした{{sfn|Chaikin|2007|pp=304–305}}。地球上で行われた管制官の計算に基づいて、ラヴェルは月着陸船のスラスターとエンジンを手動で操作してコースを2回調整した{{sfn|Chaikin|2007|pp=314, 322}}。アポロ13号は[[4月17日]]に地球に帰還した{{sfn|Chaikin|2007|p=611}}。
== 外部リンク ==

{{Commonscat|Jim Lovell}}
ラヴェルは、月に2度行った3人のうちの1人であるが、[[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ジョン・ヤング]]や[[ユージン・サーナン]]とは異なり、月面には一度も降り立っていない。ラヴェルはジェミニとアポロの飛行で715時間以上を宇宙に滞在し、269回の日の出を宇宙から見た。これは、1973年7月から9月にかけて行われた[[スカイラブ3号]]のミッションで抜かれるまで、最長の宇宙滞在記録だった。アポロ13号が帰還時に到達した地点は、人類が到達した地球から最も遠い地点である<ref>{{cite web | url=http://www.adlerplanetarium.org/pressroom/lovell/lovell_timeline.pdf | title=Captain James A. Lovell Jr. Timeline | accessdate=October 4, 2007 | author=Salgado, José Francisco | date=June 30, 2006 | publisher=Adler Planetarium & Astronomy Museum |archiveurl = https://web.archive.org/web/20071127022319/http://www.adlerplanetarium.org/pressroom/lovell/lovell_timeline.pdf <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate = November 27, 2007}}</ref>{{sfn|Glenday|2010|p=13}}<ref>{{cite web|url=https://www.space.com/11337-human-spaceflight-records-50th-anniversary.html|title=The Most Extreme Human Spaceflight Records|publisher=Space.com|last1=Wall|first1=Mike|date=April 23, 2019|accessdate=November 26, 2019}}</ref>。
* [http://www.jsc.nasa.gov/Bios/htmlbios/lovell-ja.html James A. Lovell Biographical Data] - [http://www.nasa.gov/ NASA]内

==退役後==
[[File:Jim_Lovell.jpg|thumb|right|ノースカロライナ州の科学フェスティバルで講演するラヴェル(2017年4月)]]
ラヴェルは1973年3月1日に海軍と宇宙計画から引退した。同年に[[テキサス州]][[ヒューストン]]にあるベイ・ヒューストン曳航会社に入社し<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/41170463/the_indianapolis_star/|title=Astronaut Lovell to Retire Soon|newspaper=The Indianapolis Star|location=Indianapolis, Indiana|date=January 7, 1973|page=20|via=Newspapers.com|agency=Associated Press}}</ref>、1975年にCEOとなった。1977年にフィスク電話システムズ社の社長となり<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/41182594//|title=Astronaut James Lovell Featured Speaker at WMC|page=5|via=Newspapers.com|newspaper=The Montana Standard|location=Butte, Montana|date=April 15, 1983}}</ref>、その後{{仮リンク|センテル|en|Centel}}社に勤務し、執行副社長となった後に、1991年1月1日に退職した<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/41181676/chicago_tribune/|title=The Moon, and Back|newspaper=Chicago Tribune|location=Chicago, Illinois|date=April 14, 1991|page=18-1|via=Newspapers.com|last1=Engber|first1=Martha}}</ref>。

ラヴェルは、シカゴの{{仮リンク|フェデラル・シグナル|en|Federal Signal Corporation}}(1984年 - 2003年)、故郷ミルウォーキーの{{仮リンク|アストロナウティクス・コーポレーション・オブ・アメリカ|en|Astronautics Corporation of America}}(1990年 - 1999年)、シカゴのセンテル(1987年 - 1991年)など、いくつかの会社の役員を務めている<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/1985/06/17/business/business-people-centel-changes-involve-ex-apollo-astronaut.html|title=Centel Changes Involve Ex-Apollo Astronaut|last1=Gilpin|first1=Kenneth N.|last2=Purdum|first2=Todd S.|newspaper=The New York Times|date=June 17, 1985|page=D2}}</ref><ref>{{cite news|url=https://chicagotribune.newspapers.com/clip/41232713/chicago_tribune/|title=Lights Out for Centel's Role in Electric Utilities|last1=Storch|first1=Charles|date=August 31, 1990|page=35|via=Newspapers.com|newspaper=Chicago Tribune}}</ref><ref name="nasabio">{{cite web |url=https://www.nasa.gov/sites/default/files/atoms/files/lovell_james_0.pdf |title=Astronaut Bio: James A. Lovell |accessdate=April 12, 2021|date=December 1994|publisher=NASA}}</ref><ref>{{cite web |url=http://astronautics.com/company/about/history/astronautics-timeline/ |title=The History of Astronautics Corporation of America|website=Astronautics|accessdate=December 16, 2016}}</ref><ref>{{cite press release |url=http://www.prnewswire.com/news-releases/federal-signal-corporation-announces-board-of-director-changes-election-of-robert-m-gerrity-and-robert-s-hamada-retirement-of-james-a-lovell-jr-72578342.html |title=Federal Signal Corporation Announces Board of Director Changes: Election of Robert M. Gerrity and Robert S. Hamada; Retirement of James A. Lovell Jr. |accessdate=December 16, 2016|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161220171259/https://www.prnewswire.com/news-releases/federal-signal-corporation-announces-board-of-director-changes-election-of-robert-m-gerrity-and-robert-s-hamada-retirement-of-james-a-lovell-jr-72578342.html|archivedate=December 20, 2016|url-status=dead|website=PR Newswire|date=October 17, 2003}}</ref><ref>{{cite news|title= People |url=https://chicagotribune.newspapers.com/clip/42569825/chicago_tribune/ |newspaper=[[Chicago Tribune]] |location=Chicago |date=May 18, 1987|pages=12–4C|via=Newspapers.com}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.astronautix.com/l/lovell.html |title=Lovell |website=Encyclopedia Astronautica |accessdate=December 16, 2016 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190106001918/http://www.astronautix.com/l/lovell.html |archivedate=January 6, 2019 |url-status=dead }}</ref>。

===映画『アポロ13』===
ラヴェルは{{仮リンク|ジェフリー・クルーガー|en|Jeffrey Kluger}}とともに、1994年にアポロ13号のミッションにおける体験をまとめた"''[[:en:Lost Moon|Lost Moon: The Perilous Voyage of Apollo 13]]''"(邦題『アポロ13』 ISBN 4-10-246301-1)を執筆した{{sfn|Lovell|Kluger|1995}}。

[[ロン・ハワード]]監督の1995年の映画『[[アポロ13]]』は、この本を基に制作された。ラヴェルは映画化の話を聞いた時、自分の役は体格が似ている[[ケビン・コスナー]]が適していると思ったが<ref name="DVDLovellCommentary">{{cite video | title = Apollo 13: 2-Disc Anniversary Edition (Disc 1), Special Features:Commentary track by Jim and Marilyn Lovell | medium = DVD | publisher = [[Universal Studios]] | date=March 19, 2005}}</ref>、実際に演じたのは[[トム・ハンクス]]だった<ref>{{cite web|url=https://apnews.com/ea59ee78e4591ef1917ea1afa780dba6|title=Lovell Gets Medal of Honor, Confesses Costner His First Pick to Play Him|date=July 26, 1995|work=Associated Press|accessdate=January 3, 2019}}</ref>。撮影の準備のために、ハンクスはテキサス州のラヴェル夫妻の自宅を訪ね、さらにラヴェルの自家用飛行機で一緒に飛行した<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/41169826/page_b5/|title=Apollo 13 Film Realistic|newspaper=The Herald-News|location=Passaic, New Jersey|date=June 30, 1995|page=B5|via=Newspapers.com|last1=Dunn|first1=Marcia|agency=Associated Press}}</ref>。

この映画で、映画製作者は当初ラヴェルに、[[着水]]した司令船の回収にあたった強襲揚陸艦「[[イオー・ジマ (LPH-2)|イオー・ジマ]]」に乗艦している[[提督]]の役として[[カメオ出演]]することを提案した。しかし、ラヴェルは「私は[[大佐]]として引退した。これからも大佐であり続ける」と言ってそれを断った。最終的にラヴェルは、「イオー・ジマ」の艦長・リーランド・E・カーケモ大佐の役で出演することとなった。宇宙飛行士たちが「イオー・ジマ」に乗り込むシーンで、ハンクスが[[ボイスオーバー]]で話す中、ハンクスの手を握る海軍士官がラヴェルである。妻のマリリンも打ち上げの見学者の役でカメオ出演しているほか、特別版DVDには夫妻によるコメンタリーが収録されている<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/36018365/the_los_angeles_times/|title=Human Dram of 'Apollo 13' Captured|last1=King|first1=Susan|newspaper=Los Angeles Times|location=Los Angeles, California|date=March 29, 2005|page=E5|via=Newspapers.com}}</ref>。

==結婚と家族==
[[File:US Navy 090824-N-9876C-013 Retired Navy captain and former astronaut Jim Lovell and his wife, Marilyn Gerlach, sign the final roofing beam to be lifted into place during the topping off ceremony for the Captain James A. Lovell.jpg|thumb|150px|left|ラヴェルと妻のマリリン(2009年)]]
1952年、海軍兵学校を卒業したラヴェルは、高校時代からの恋人であるマリリン・リリー・ゲルラッハ(Marilyn Lillie Gerlach、1930年7月11日生)と結婚した<ref>{{cite news|url=https://chicagotribune.newspapers.com/clip/33948875/chicago_tribune/|title=Lovells Given Big Reception in Milwaukee|newspaper=Chicago Tribune|date=February 24, 1966|page=4-2A|via=Newspapers.com|agency=Associated Press}}</ref>。ラヴェルが海軍兵学校に転校したとき、マリリンも{{仮リンク|ウィスコンシン州立大学ミルウォーキー校|en|Wisconsin State College of Milwaukee|label=ウィスコンシン州立教育大学}}から[[ワシントンD.C.]]の[[ジョージ・ワシントン大学]]に転校し、ラヴェルの側にいられるようにした<ref>[https://familysearch.org/ark:/61903/1:1:K1HN-CM5 Marilyn Lovell public record] accessed July 15, 2015</ref><ref>{{Cite web |url=https://news.google.com/newspapers?nid=799&dat=19700410&id=EsNOAAAAIBAJ&pg=1145,657505 |title=Lovell, Haise married high school sweethearts |via=Google News |agency=UPI|newspaper=The Bryan Times|date=April 10, 1970|location=Bryan, Ohio|accessdate=March 18, 2018|page=2}}</ref>。

2人の間にはバーバラ、ジェームズ、スーザン、ジェフリーの4人の子供がいる。

1995年の映画『[[アポロ13]]』では、女優の[[キャスリーン・クインラン]]がマリリン役を演じ、[[アカデミー助演女優賞]]にノミネートされた<ref>{{Cite web |url=https://news.google.com/newspapers?nid=1499&dat=19620918&id=B_8pAAAAIBAJ&pg=7197,4432820 |title=Selection of Lovell Puts Kin Into Orbit |last1=Brugmann|first1=Bruce B.|newspaper=The Milwaukee Journal|location=Milwaukee, Wisconsin|date=September 18, 1962|via=Google News |accessdate=March 18, 2018}}</ref>。

1999年、ラヴェル家は[[イリノイ州]][[レイクフォレスト (イリノイ州)|レイクフォレスト]]に{{仮リンク|高級レストラン|en|Fine dining}}「Lovell's of Lake Forest」をオープンした。このレストランには、ラヴェルがNASAに在籍していた頃の品々や、『アポロ13』の撮影で使われた品々が数多く展示されていた。2006年に、息子でエグゼクティブシェフのジェームズ(ジェイ)に所有権が譲渡された<ref>{{cite web|url=http://www.lovellsoflakeforest.com/ |title=Lovells of Lake Forest |publisher=Lovells of Lake Forest |accessdate=June 9, 2013}}</ref>。このレストランは2014年2月に売りに出され<ref>{{cite news|first=Linda |last=Blaser |url=http://lakeforest.suntimes.com/news/business/lovells-LFR-02132014:article |title=Lovell family confirms sale of Lake Forest restaurant |newspaper=Lake Forester |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222042230/http://lakeforest.suntimes.com/news/business/lovells-LFR-02132014%3Aarticle |archivedate=February 22, 2014 |date=February 19, 2014 |accessdate=July 30, 2015 |url-status=dead }}</ref>、2015年4月に閉店し、同月に物件が競売にかけられた<ref>{{Cite web |url=http://www.lovellsoflakeforest.com/events |title=Lovells of Lake Forest Easter Brunch Sunday, April 5, 2015 |website=lovellsoflakeforest.com |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150429051440/http://www.lovellsoflakeforest.com/events |archivedate=April 29, 2015 |url-status=dead |accessdate=March 18, 2018}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/36018502/chicago_tribune/|title=Lovells of Lake Forest Reaches Journey's End|last1=Luc|first1=Karie Angell|page=8|newspaper=Chicago Tribune|location=Chicago, Illinois|date=April 9, 2015|via=Newspapers.com}}</ref>。

[[マーキュリー計画]]を初め多くの宇宙飛行士が[[離婚]]を経験しているが、ラヴェルとマリリンは[[おしどり夫婦]]として知られる。

==賞と栄誉==
ラヴェルは数多くの賞を受賞している<ref name=ishof>{{cite web|url=http://www.nmspacemuseum.org/halloffame/detail.php?id=65|website=New Mexico Museum of Space History|accessdate=October 9, 2019|title=James A. Lovell Jr., USA, Inducted in 1982}}</ref>。

===国内の勲章===
*{{仮リンク|アメリカ合衆国宇宙飛行士勲章|en||United States Astronaut Badge|label=海軍宇宙飛行士勲章}}
*{{仮リンク|アメリカ合衆国飛行士勲章|en|United States Aviator Badge|label=海軍飛行隊}}
*{{仮リンク|海軍ディスティングシュドサービスメダル|en|Navy Distinguished Service Medal}}<ref name=hov>{{cite web|url=https://valor.militarytimes.com/hero/42448|title=James A. Lovell|website=The Hall of Valor Project|accessdate=November 27, 2019}}</ref>
*[[殊勲飛行十字章]]<ref name=hov />
*[[エア・メダル]]
*{{仮リンク|コメンデーションメダル|en|Commendation Medal|label=海軍コメンデーションメダル}}
*[[大統領自由勲章]]<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/39764154/the_philadelphia_inquirer/|title=Heroes of Apollo 13 Welcomed by President and Loved Ones|agency=Associated Press|newspaper=The Philadelphia Enquirer|location=Philadelphia, Pennsylvania|date=April 19, 1970|via=Newspapers.com|page=1}}</ref>
*[[Congressional Space Medal of Honor]]<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/39797776/pensacola_news_journal/|title=Real-Life Apollo Astronaut Wins Medal|newspaper=Pensacola News Journal|location=Pensacola, Florida|date=July 27, 1995|page=2A|via=Newspapers.com|agency=Associated Press}}</ref>
*{{仮リンク|NASAディスティングシュドサービスメダル|en|NASA Distinguished Service Medal}}<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/39740320/tampa_bay_times/|title=America Pays Tribute to 'Boldest Explorers'|newspaper=Tampa Bay Times|location=St. Petersburg, Florida|date=January 10, 1969|page=1A|via=Newspapers.com|agency=Associated Press|volume=85|issue=170}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/44062092/arizona_republic/|title=Agnew Confers Awards on Crews of 3 Apollos|newspaper=Arizona Republic|location=Phoenix, Arizona|date=November 14, 1970|agency=Associated Press|page=23|via=Newspapers.com}}</ref>
*{{仮リンク|NASAエクセプショナルサービスメダル|en|NASA Exceptional Service Medal}}<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/39739763/the_tampa_tribune/|title=4 Gemini Astronauts Agree Man Can Survive in Space|newspaper=The Tampa Tribune|location=Tampa, Florida|date=December 31, 1965|via=Newspapers.com|page=3-B}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.newspapers.com/clip/23093107/the_evening_times/ |title=Johnson Sees Greater U.S. Success in Space |newspaper=The Evening Times |location=Sayre, Pennsylvania |date=November 23, 1966 |page=1 |via=Newspapers.com |agency=Associated Press}}</ref>
*{{仮リンク|第二次世界大戦戦勝勲章|en|World War II Victory Medal}}
*{{仮リンク|国防勲章|en|National Defense Service Medal}}
*{{仮リンク|海軍派兵章|en|Navy Expeditionary Medal}}

===国外の勲章===
*{{仮リンク|中国服役奨章|en|China Service Medal}}
*[[レジオンドヌール勲章]]シュバリエ<ref>{{Cite web |url=https://www.anecdotes-spatiales.com/james-a-lovell-recoit-la-legion-dhonneur/ |title=James A. Lovell reçoit la légion d'honneur |website=anecdotes-spatiales.com |accessdate=January 29, 2021 |url-status=live }}</ref>

===その他の賞===
* {{仮リンク|殊勲イーグルスカウト賞|en|Distinguished Eagle Scout Award}}(1990年)<ref name=oota>{{cite web|url=http://history.oa-bsa.org/node/3307|title=Jim Lovell {{!}} Our History|website=Order of the Arrow|publisher=Boy Scouts of America|language=en|accessdate=April 2, 2017}}</ref><ref name="desalista">{{cite web |url = http://www.scouting.org/filestore/pdf/02-529.pdf |title = Distinguished Eagle Scouts |website=Boy Scouts of America|accessdate = November 4, 2010|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180709153847/https://filestore.scouting.org/filestore/pdf/02-529.pdf|archivedate=July 9, 2018}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/41231208/the_springville_herald/|title=Astronaut to Speak at Eagle Gathering|newspaper=The Springville Herald|location=Springville, Utah|date=June 2, 1993|via=Newspapers.com|page=4}}</ref>
* [[ボーイスカウトアメリカ連盟]] [[シルバー・バッファロー章]](1992年)<ref name=oota /><ref>{{cite web|url=http://www.buckeyecouncil.org/Scouting/Awards/Service/Silver-Buffalo-Award|title=Silver Buffalo Award|website=Boy Scouts of America|publisher=Buckeye Council|accessdate=December 26, 2017}}</ref>
* [[ヘンリー・アーノルド|ヘンリー・H・アーノルド]]トロフィー(1969年)<ref>{{cite speech|url=https://www.presidency.ucsb.edu/node/240868|title=Remarks on Presenting the Robert H. Goddard Memorial Trophy to the Apollo 8 Astronauts.|last=Nixon|first=Richard|date=March 5, 1969|location=Fish Room at the White House|website=The American Presidency Project|accessdate=April 2, 2017}}</ref>
* {{仮リンク|アカデミー・オブ・アチーブメント|en|Academy of Achievement}} ゴールデンプレート賞<ref name="nasabio" />
* [[国際航空連盟]](FAI) De Laval Medal & Gold Space Medals<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/39727802/the_morning_herald/|title=Col. Rockwell Honored by Aero Group|newspaper=The Morning Herald|location=Uniontown, Pennsylvania|date=October 27, 1971|via=Newspapers.com|page=16}}</ref>
* [[ナショナルジオグラフィック協会]] [[ハバード・メダル]]<ref>{{cite book|title=Shackleton's Way: Leadership Lessons from the Great Antarctic Explorer|last1=Morrell|first1=Margot|last2=Capparell|first2=Stephanie|publisher=Penguin|date=January 8, 2001|isbn=9781101200292|url=https://books.google.com/books?id=w7Bolte19FYC&q=National+Geographic+Society%27s+Hubbard+Medal+lovell&pg=PT204}}</ref><ref name=hubbard>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/33382957/muncie_evening_press/|title=Hubbard Medal to Borman Crew|newspaper=Muncie Evening Press|location=Muncie, Indiana|date=April 4, 1969|page=5|via=Newspapers.com|agency=United Press International}}</ref>

ジェミニ6号と7号の搭乗員は、1966年の[[ハーモン・トロフィー]]を受賞した<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/32069952/the_baltimore_sun/|title=4 Spacemen are Honored|newspaper=The Baltimore Sun|location=Baltimore, Maryland|via=Newspapers.com|date=August 7, 1966|page=4|agency=Associated Press}}</ref>。ジェミニ12号のミッションでも1967年のハーモン・トロフィーを受賞した<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/32069556/lincoln_journal_star/|title=Harmon Awards to Astronauts|newspaper=Lincoln Journal Star|location=Lincoln, Nebraska|date=September 11, 1967|page=9|agency=UPI|via=Newspapers.com}}</ref>。

アポロ8号の搭乗員は、1968年に{{仮リンク|コリアー・トロフィー|en|Collier Trophy}}を受賞した<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/26977750/alabama_journal/|title=Apollo 8 Wins Collier Trophy|agency=Associated Press|newspaper=Alabama Journal|location=Montgomery, Alabama|via=Newspapers.com|date=May 9, 1969|page=18}}</ref>。1969年には、ニクソン大統領が{{仮リンク|ロバート・H・ゴダード博士記念トロフィー|en|Dr. Robert H. Goddard Memorial Trophy}}を搭乗員に授与し、ラヴェルが代表して受け取った<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/26978415/the_san_francisco_examiner/|title=Paine Selected as NASA Chief|newspaper=The San Francisco Examiner|agency=Associated Press|via=Newspapers.com|location=San Francisco, California|page=6|date=March 5, 1969}}</ref>。また、1969年に3度めのハーモン・トロフィーを授与された<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/32070254/fort_lauderdale_news/|title=AF Major, 3 Astronauts Get Harmon|newspaper=Fort Lauderdale News|location=Fort Lauderdale, Florida|date=September 7, 1969|page=3E|via=Newspapers.com|agency=UPI}}</ref>。アポロ8号の他の搭乗員とともに、AIAAのヘイリー宇宙飛行士賞を受賞した<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/43547094/florida_today/|title=Apollo 8 Crew Honored|newspaper=Florida Today|location=Cocoa, Florida|date=March 25, 1970|page=12C|via=Newspapers.com}}</ref>。アポロ8号の搭乗員は、1968年に『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌の「[[パーソン・オブ・ザ・イヤー|メン・オブ・ザ・イヤー]]」に選ばれた<ref>{{cite web |url=http://content.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2019712_2019703_2019664,00.html |title=Person of the Year Astronauts Anders, Borman and Lovell: 1968 |website=TIME|last1=Levinstein|first1=Joan|accessdate=October 9, 2019}}</ref>。

1982年、ラヴェルはジェミニ計画の10人の宇宙飛行士の一人として{{仮リンク|国際航空宇宙の殿堂|en|International Air & Space Hall of Fame}}に殿堂入りした<ref name=ishof /><ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/28841417/albuquerque_journal/|title=Astronauts Laud Gemini as Precursor to Shuttle|last1=Shay|first1=Erin|newspaper=Albuquerque Journal|location=Albuquerque, New Mexico|date=October 3, 1982|page=3|via=Newspapers.com}}</ref>。1993年には、他の12人のジェミニ計画の宇宙飛行士とともに、{{仮リンク|アメリカ宇宙飛行士殿堂|en|United States Astronaut Hall of Fame}}に殿堂入りした<ref>{{cite web|url=https://www.astronautscholarship.org/Astronauts/james-a-lovell/|title=James Lovell|website=Astronaut Scholarship Foundation|accessdate=October 9, 2019}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/33582881/florida_today/|title=Activities Honor Gemini Astronauts|newspaper=Florida Today|location=Cocoa, Florida|date=March 14, 1993|page=41|via=Newspapers.com|last1=Clark|first1=Amy}}</ref>。

==ラヴェルに因むもの==
1970年、月の裏側にある[[クレーター]]に「{{仮リンク|ラヴェル (クレーター)|label=ラヴェル|en|Lovell (crater)}}」と名付けられた<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/36981911/the_boston_globe/|title=Armstrong, Aldrin, Collins on Moon again–as Names|last1=McElheny|first1=Victor K.|newspaper=The Boston Globe|location=Boston, Massachusetts|date=August 15, 1970|page=16|via=Newspapers.com}}</ref>。

ミルウォーキーの科学館「{{仮リンク|ディスカバリー・ワールド|en|Discovery World}}」は、「ジェームズ・ラヴェル科学・経済・技術博物館」と名付けられた。また、この博物館はかつて、同じくラヴェルにちなんで名付けられたジェームズ・ラヴェル通りにあった{{sfn|Hintz|2000|p=91}}。

2010年10月、グレートレイクス海軍診療所と北シカゴ退役軍人医療センターを統合した{{仮リンク|キャプテン・ジェームズ・A・ラヴェル連邦医療センター|en|Captain James A. Lovell Federal Health Care Center}}が完成した<ref>{{cite news|url=https://chicagotribune.newspapers.com/clip/36239172/chicago_tribune/|title=Namesake Brings Personal Touch to Lovell Center Fete|last1=Moran|first1=Dan|newspaper=Chicago Tribune|date=October 2, 2015|page=1-1|via=Newspapers.com}}</ref>。

==大衆文化において==
アポロ13号の地球帰還の約1か月後、アポロ13号の搭乗員3人は、[[NBC]]のトーク番組『[[ザ・トゥナイト・ショー]]』([[ジョニー・カーソン]]司会)に出演した<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/39259606/florida_today/|title=Astronauts Shine on 'Tonight Show'|newspaper=Florida Today|location=Cocoa, Florida|date=June 5, 1970|last1=Bara|first1=Margot Reisel|page=12A|via=Newspapers.com}}</ref>。

ラヴェルは[[ニコラス・ローグ]]監督の1976年の映画『[[地球に落ちて来た男]]』に、本人(アポロ13号船長)役でカメオ出演した<ref>{{cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt0074851/fullcredits|title=The Man Who Fell to Earth: Full Cast and Crew|publisher=IMDb|accessdate=December 26, 2017}}</ref>。

ラヴェルの1994年の書籍を元に制作された1995年の映画『[[アポロ13]]』では、[[トム・ハンクス]]がラヴェルの役を演じた<ref>{{cite web|url=https://www.space.com/20320-astronaut-jim-lovell-apollo-13-biography.html|title=Astronaut Jim Lovell: Apollo 13 Commander|last1=Howell|first1=Elizabeth|publisher=Space.com|date=March 20, 2013|accessdate=December 26, 2017}}</ref>。この映画には、ラヴェル夫妻がカメオ出演している(詳細は[[#映画『アポロ13』]]を参照)。

1998年の[[HBO]]のテレビドラマ『[[フロム・ジ・アース/人類、月に立つ]]』では、[[ティム・デイリー]]がラヴェルの役を演じた<ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/1998/04/03/movies/television-review-boyish-eyes-on-the-moon.html|title=Television Review; Boyish Eyes on the Moon|work=The New York Times|date=April 3, 1998|accessdate=August 5, 2018|last1=James|first1=Caryn}}</ref>。

2018年の映画『[[ファースト・マン]]』では、[[パブロ・シュレイバー]]がラヴェルの役を演じた<ref>{{cite web|url=https://deadline.com/2017/10/ryan-gosling-first-man-pablo-schreiber-jim-lovell-astronaut-cast-1202180966/|last1=D'Alessandro|first1=Anthony|date=October 2, 2017|website=Deadline|title=Damien Chazelle Astronaut Movie 'First Man' Finds Its Jim Lovell|accessdate=September 15, 2019}}</ref>。

== 脚注 ==
<!-- === 注釈 ===
{{NoteFoot}}
=== 出典 === -->
{{Reflist|30em}}

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*{{Cite book |title=Deke! U.S. Manned Space: From Mercury to the Shuttle |last1=Slayton |first1=Donald K. "Deke" |author-link1=Deke Slayton |last2=Cassutt |first2=Michael |author-link2=Michael Cassutt |year=1994 |edition=1st |publisher=[[Tor Books|Forge]] |location=New York |isbn=978-0-312-85503-1 |url=https://archive.org/details/dekeusmannedspac00slay/page/236|ref=harv}}
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==外部リンク==
{{Commons category|Jim Lovell}}
* [https://americanarchive.org/catalog/cpb-aacip_15-hh6c24rw94 Interview with Jim Lovell for NOVA series: To the Moon] WGBH Educational Foundation, raw footage, 1998
* {{C-SPAN|jimlovell}}
* {{IMDb name|0522554}}


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2021年4月27日 (火) 16:39時点における版

ジム・ラヴェル
宇宙服を着てポーズをとったラヴェル
NASA所属宇宙飛行士
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
現況 引退
生誕 James Arthur Lovell Jr.
(1928-03-25) 1928年3月25日(96歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州クリーブランド
他の職業 テストパイロット
階級 アメリカ海軍大佐
宇宙滞在期間 29日19時間03分
選抜試験 1962年 NASA Group 2
ミッション ジェミニ7号
ジェミニ12号
アポロ8号
アポロ13号
記章 Gemini 7 logo Gemini 12 logo Apollo 8 logo Apollo 13 logo
退役 1973年3月1日
兵役経験
部門アメリカ海軍
軍歴1946年 - 1973年
最終階級 大佐
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ジム・ラヴェル(Jim Lovell)ことジェームズ・アーサー・ラヴェル・ジュニア(James Arthur Lovell Jr. (/ˈlʌvəl/)、1928年3月25日 - )は、アメリカ合衆国の元宇宙飛行士海軍飛行士、機械技師である。1968年アポロ8号司令船操縦士として、人類初の月周回飛行に成功した3人のうちの1人となった。その後、1970年アポロ13号に船長として搭乗し、途中で重大な故障が発生したものの、月を一周して地球に帰還した。

ラヴェルは、1965年ジェミニ7号1966年ジェミニ12号にも参加している。4回も宇宙飛行を行ったのはラヴェルが史上初である。また、月への飛行を2度行ったのも初である。

若年期

1928年にオハイオ州クリーブランドで生まれた。父はカナダ・オンタリオ州生まれで石炭炉のセールスマンだった父ジェームズ・ラヴェル・シニア、母はチェコ系のブランシェ(Blanche)(旧姓マセック(Masek))[1]だった。父は1933年に交通事故で死亡した[2]。2人の間の子供はラヴェル1人であった。

ラヴェルと母親はインディアナ州テレホートにある親戚の家に約2年間住んでいた。その後、母と一緒にウィスコンシン州ミルウォーキーに移り住み、ジュノー高校を卒業した。幼少期はボーイスカウトに所属し、最終的にボーイスカウトの最高位であるイーグルスカウト英語版を達成した[3][4]

少年時代のラヴェルは、ロケットに興味を持ち、ロケットの模型を作って飛ばしていた[5]。高校卒業後はウィスコンシン大学マディソン校に入学し、1946年から1948年までの2年間、同校の海軍飛行士訓練プログラム(Flying Midshipman)に参加した[6][7]。マディソン大学ではフットボールをプレーし、フラタニティ組織アルファ・ファイ・オメガ英語版に入会した[8]

ラヴェルが飛行士訓練に参加していた1948年の夏、アメリカ海軍はプログラムの削減を始めており、士官候補生たちは他校に転校するよう圧力を受けていた。そのままでは、海軍飛行士として卒業しても、飛行士の職に就けない可能性があった。ラヴェルは、1948年秋に海軍兵学校に出願し、合格した。海軍兵学校1年生の時、液体燃料ロケットエンジンに関する論文を書いた。海軍兵学校で4年間を過ごし、1952年春に少尉として卒業し、学士の学位を取得した。その後、1952年10月から1954年2月までペンサコーラ海軍航空基地英語版で飛行訓練を受けた[8]

アメリカ海軍でのキャリア

ラヴェルは1954年2月1日に海軍航空士官に任命された。操縦訓練を終えると、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のモフェット連邦飛行場英語版にある第3混成飛行隊(VC-3)に配属された。1954年から1956年にかけては、艦上夜間戦闘機F2H-3バンシーを操縦した。これには、空母「シャングリラ」での西太平洋での任務も含まれていた。シャングリラは、アメリカ海軍の空母としては2番目のアングルド・デッキを持つ空母として改装されていた。

陸上勤務に戻ると、艦上ジェット戦闘機F3Hデーモンのパイロット移行訓練を担当するようになった[9]。1958年1月、メリーランド州パタクセント・リバー海軍航空基地にある海軍テストパイロット学校で6か月間のテストパイロット訓練コースに参加した。同級生にはピート・コンラッドウォルター・シラーがいた。ラヴェルはこのクラスを首席で卒業した[10]

同年末、マーキュリー計画宇宙飛行士候補としてアメリカ軍のテストパイロットの中から選ばれた110人の中に、ラヴェル、コンラッド、シラーの3人がいた。シラーはマーキュリー・セブンの1人となったが、ラヴェルとコンラッドは健康上の理由で選抜から漏れた。ラヴェルが落選したのは、血液中のビリルビンの値が一時的に高かったためである[11]

1961年、南カリフォルニア大学(USC)の航空安全学校を修了した[12]

パタクセント・リバー海軍航空基地では、電子機器の試験(後に武器の試験)に配属された。ラヴェルに割り当てられたコールサインは「シェイキー」(Shaky)で、これはコンラッドが名付けたものだった[13]

ラヴェルはF4Hのプログラム・マネージャーになり、ジョン・ヤングがその下で働いていた。1961年、第101戦闘攻撃飛行隊(VF-101)「デタッチメント・アルファ」の飛行教官および安全技術担当者としての任務を受けた[12]

NASAでのキャリア

1962年、NASAはジェミニ計画アポロ計画のために新たな宇宙飛行士を必要としていた。ラヴェルは2度目の応募で、コンラッドとともにNASA宇宙飛行士グループ2「ニューナイン」に合格した[14][15]

ジェミニ計画

ジェミニ7号

ジェミニ12号での帰還後、回収船のデッキに立つバズ・オルドリンとラヴェル

ラヴェルはジェミニ4号の予備搭乗員に選ばれた。その後、1965年12月にフランク・ボーマンとともにジェミニ7号のパイロットを務めた。このフライトの目的は、14日間の軌道上での活動がクルーと宇宙船に与える影響を評価することだった[16]。この14日間のフライトでは、206回の地球周回を行う耐久記録を樹立した。また、ジェミニ6-A号との史上初のランデブーに成功した[17]

12月4日にラヴェルとボーマンの乗ったジェミニ7号が打ち上げられ、それを追って12月15日ウォルター・シラートーマス・スタッフォードが乗ったジェミニ6-A号が打ち上げられた。同時に4人が宇宙に滞在したのは初めての事である。

ランデブーには成功したが、すべてが順調だったとは言えない。宇宙での滞在が11日目を迎えた時に、いくつかのスラスターが噴射しなくなった。さらに翌日には燃料電池の電力が低下した。このような不具合があったものの14日目に地球帰還した。

ジェミニ12号

ラヴェルはその後、ジェミニ10号の予備搭乗員となることが予定されていた。しかし、ジェミニ9号の搭乗員だったエリオット・シーチャールズ・バセット英語版T-38による訓練飛行中にビルに撃突して死亡したため(1966 NASA T-38 crash)、ラヴェルはトーマス・スタッフォードに代わってジェミニ9-A号の予備搭乗員となった。

これによりラヴェルは、1966年11月にバズ・オルドリンを乗せて行われたジェミニ12号での2回目の宇宙飛行で、初の船長を務めることとなった。この宇宙飛行では3回の船外活動、59回の地球周回を行い、アジェナ標的機との5回目のランデブーと4回目のドッキングを達成した。ランデブー用のレーダーが故障して手動でのドッキングを行なう、アジェナ衛星の噴射装置が故障して高度を上げられないなど、細かな問題は起きたが、予定のミッションを達成して、5日間の飛行を終えて地球に帰還した。

アポロ計画

アポロ8号

アポロ8号の司令船に搭乗中のラヴェル

ラヴェルは当初、ニール・アームストロングを船長、バズ・オルドリン月着陸船操縦士(LMP)とする「アポロ9号」の予備搭乗員の司令船操縦士(CMP)に選ばれた。アポロ9号は、月着陸船の高遠地点での地球周回テストとして計画された。その後、メインのCMPのマイケル・コリンズが脊椎の手術を受けることになったため、ラヴェルと交代することになった。これによりラヴェルは、船長のフランク・ボーマン、LMPのウィリアム・アンダースと一緒になった[18]

本来の計画では、アポロ8号で司令船と月着陸船のドッキングなどを確かめ(Dミッション)、ラヴェルらのアポロ9号で月周回軌道へ投入する(Eミッション)はずであった。ところが月着陸船の製造が予定よりも遅れ、アポロ8号の打ち上げ予定日に間に合わなくなった。そこで、月への競争相手ソ連の動向などもあって、8号と9号の順序を入れ替え、9号のミッションはアポロ8号として先に行い、8号のミッションは月着陸船の準備が整った時点で行うこととなった(後にアポロ9号として実施された)。

1968年12月21日、ボーマン、ラヴェル、アンダースの3人が乗るアポロ8号が打ち上げられ、3日後には月の重力圏に入り月を周回する軌道に入った。3人は人類初の月周回者となった[19]

CMPであるラヴェルは、宇宙船に内蔵された六分儀を使って星の位置を測定し、宇宙船の位置を決定した。この情報は、必要な軌道修正を計算するために使用された。12月24日に月周回軌道に入ったアポロ8号は、高度約110キロメートルの円軌道を10回、計20時間かけて周回した。人類で初めて月の裏側を観測し、地球が月の地平線を昇る姿を人類で初めて目撃した。また、月面の白黒テレビ映像を地球に送信した。この日はクリスマスイブであることから、ラヴェルはボーマンとアンダースと交代で、聖書の創世記の一節を読み上げた(アポロ8号での創世記の朗読を参照)[20]

アポロ8号は12月25日、地球からの電波が届かない月の裏側でロケットの燃焼を行い、地球への帰還を開始した。地球との通信が回復したとき、ラヴェルは真っ先に「聞いてくれ。サンタクロースがいたんだ」(Please be informed, there is a Santa Claus.)と管制室に対して通信した。アポロ8号は12月27日に地球に帰還した[21]

聖書の朗読やサンタクロースの件について、無神論者団体アメリカン・アテイストの代表であるマダリン・マーレイ・オーヘイルから「宇宙飛行士は、宇宙にいる間は宗教的活動を控えるべきだ」と訴えが出された。

アポロ13号

アポロ13号のミッション前に発射台の前に立つラヴェル
アポロ13号の無事帰還を伝える新聞記事を、回収船「イオー・ジマ」艦上で読むラヴェル

ラヴェルはアポロ11号の予備搭乗員を務め、その後アポロ14号で船長となる予定だった。しかし、14号の搭乗員はアポロ13号の搭乗員とミッションを交代することとなった。これは、13号(交代後は14号)の船長であるアラン・シェパードの訓練が、中耳炎の悪化により遅れていたためである[22]

1970年4月11日、船長のラヴェル、CMPのジャック・スワイガート、LMPのフレッド・ヘイズが搭乗するアポロ13号が打ち上げられた[23]。この飛行はラヴェルにとって、人類史上初となる4度目の宇宙飛行、2度目の月への飛行となった。ラヴェルとヘイズは月面に着陸する予定だった[24]

打ち上げから2日後の4月13日、地球から月へ向かう行程をおよそ5分の4ほど進んだところで、液体酸素タンクの定期的な攪拌中に火災が発生した。NASAによれば、配線の電気絶縁体が損傷して火花が発生したことが最も有力な原因とされている[25]。液体酸素が急速に気化してタンクが爆発し、2つ目の酸素タンクも損傷して液体酸素が漏れ出した。わずか2時間余りで機内の酸素は全て失われ、アポロ司令・機械船に電力を供給する水素燃料電池も機能しなくなった。 これにより、月面着陸ミッションは直ちに中止され、搭乗員を安全に地球に帰還させることが唯一の目的となった。

月着陸船をバッテリー、酸素、推進力を供給する救命ボートとして使用し、一旦離脱した自由帰還軌道英語版を再び確立し、月の周りを旋回して地球に帰還することとした[26]。地球上で行われた管制官の計算に基づいて、ラヴェルは月着陸船のスラスターとエンジンを手動で操作してコースを2回調整した[27]。アポロ13号は4月17日に地球に帰還した[28]

ラヴェルは、月に2度行った3人のうちの1人であるが、ジョン・ヤングユージン・サーナンとは異なり、月面には一度も降り立っていない。ラヴェルはジェミニとアポロの飛行で715時間以上を宇宙に滞在し、269回の日の出を宇宙から見た。これは、1973年7月から9月にかけて行われたスカイラブ3号のミッションで抜かれるまで、最長の宇宙滞在記録だった。アポロ13号が帰還時に到達した地点は、人類が到達した地球から最も遠い地点である[29][30][31]

退役後

ノースカロライナ州の科学フェスティバルで講演するラヴェル(2017年4月)

ラヴェルは1973年3月1日に海軍と宇宙計画から引退した。同年にテキサス州ヒューストンにあるベイ・ヒューストン曳航会社に入社し[32]、1975年にCEOとなった。1977年にフィスク電話システムズ社の社長となり[33]、その後センテル英語版社に勤務し、執行副社長となった後に、1991年1月1日に退職した[34]

ラヴェルは、シカゴのフェデラル・シグナル英語版(1984年 - 2003年)、故郷ミルウォーキーのアストロナウティクス・コーポレーション・オブ・アメリカ英語版(1990年 - 1999年)、シカゴのセンテル(1987年 - 1991年)など、いくつかの会社の役員を務めている[35][36][37][38][39][40][41]

映画『アポロ13』

ラヴェルはジェフリー・クルーガー英語版とともに、1994年にアポロ13号のミッションにおける体験をまとめた"Lost Moon: The Perilous Voyage of Apollo 13"(邦題『アポロ13』 ISBN 4-10-246301-1)を執筆した[42]

ロン・ハワード監督の1995年の映画『アポロ13』は、この本を基に制作された。ラヴェルは映画化の話を聞いた時、自分の役は体格が似ているケビン・コスナーが適していると思ったが[43]、実際に演じたのはトム・ハンクスだった[44]。撮影の準備のために、ハンクスはテキサス州のラヴェル夫妻の自宅を訪ね、さらにラヴェルの自家用飛行機で一緒に飛行した[45]

この映画で、映画製作者は当初ラヴェルに、着水した司令船の回収にあたった強襲揚陸艦「イオー・ジマ」に乗艦している提督の役としてカメオ出演することを提案した。しかし、ラヴェルは「私は大佐として引退した。これからも大佐であり続ける」と言ってそれを断った。最終的にラヴェルは、「イオー・ジマ」の艦長・リーランド・E・カーケモ大佐の役で出演することとなった。宇宙飛行士たちが「イオー・ジマ」に乗り込むシーンで、ハンクスがボイスオーバーで話す中、ハンクスの手を握る海軍士官がラヴェルである。妻のマリリンも打ち上げの見学者の役でカメオ出演しているほか、特別版DVDには夫妻によるコメンタリーが収録されている[46]

結婚と家族

ラヴェルと妻のマリリン(2009年)

1952年、海軍兵学校を卒業したラヴェルは、高校時代からの恋人であるマリリン・リリー・ゲルラッハ(Marilyn Lillie Gerlach、1930年7月11日生)と結婚した[47]。ラヴェルが海軍兵学校に転校したとき、マリリンもウィスコンシン州立教育大学英語版からワシントンD.C.ジョージ・ワシントン大学に転校し、ラヴェルの側にいられるようにした[48][49]

2人の間にはバーバラ、ジェームズ、スーザン、ジェフリーの4人の子供がいる。

1995年の映画『アポロ13』では、女優のキャスリーン・クインランがマリリン役を演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされた[50]

1999年、ラヴェル家はイリノイ州レイクフォレスト高級レストラン英語版「Lovell's of Lake Forest」をオープンした。このレストランには、ラヴェルがNASAに在籍していた頃の品々や、『アポロ13』の撮影で使われた品々が数多く展示されていた。2006年に、息子でエグゼクティブシェフのジェームズ(ジェイ)に所有権が譲渡された[51]。このレストランは2014年2月に売りに出され[52]、2015年4月に閉店し、同月に物件が競売にかけられた[53][54]

マーキュリー計画を初め多くの宇宙飛行士が離婚を経験しているが、ラヴェルとマリリンはおしどり夫婦として知られる。

賞と栄誉

ラヴェルは数多くの賞を受賞している[55]

国内の勲章

国外の勲章

その他の賞

ジェミニ6号と7号の搭乗員は、1966年のハーモン・トロフィーを受賞した[72]。ジェミニ12号のミッションでも1967年のハーモン・トロフィーを受賞した[73]

アポロ8号の搭乗員は、1968年にコリアー・トロフィーを受賞した[74]。1969年には、ニクソン大統領がロバート・H・ゴダード博士記念トロフィー英語版を搭乗員に授与し、ラヴェルが代表して受け取った[75]。また、1969年に3度めのハーモン・トロフィーを授与された[76]。アポロ8号の他の搭乗員とともに、AIAAのヘイリー宇宙飛行士賞を受賞した[77]。アポロ8号の搭乗員は、1968年に『タイム』誌の「メン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた[78]

1982年、ラヴェルはジェミニ計画の10人の宇宙飛行士の一人として国際航空宇宙の殿堂英語版に殿堂入りした[55][79]。1993年には、他の12人のジェミニ計画の宇宙飛行士とともに、アメリカ宇宙飛行士殿堂英語版に殿堂入りした[80][81]

ラヴェルに因むもの

1970年、月の裏側にあるクレーターに「ラヴェル英語版」と名付けられた[82]

ミルウォーキーの科学館「ディスカバリー・ワールド英語版」は、「ジェームズ・ラヴェル科学・経済・技術博物館」と名付けられた。また、この博物館はかつて、同じくラヴェルにちなんで名付けられたジェームズ・ラヴェル通りにあった[83]

2010年10月、グレートレイクス海軍診療所と北シカゴ退役軍人医療センターを統合したキャプテン・ジェームズ・A・ラヴェル連邦医療センター英語版が完成した[84]

大衆文化において

アポロ13号の地球帰還の約1か月後、アポロ13号の搭乗員3人は、NBCのトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー』(ジョニー・カーソン司会)に出演した[85]

ラヴェルはニコラス・ローグ監督の1976年の映画『地球に落ちて来た男』に、本人(アポロ13号船長)役でカメオ出演した[86]

ラヴェルの1994年の書籍を元に制作された1995年の映画『アポロ13』では、トム・ハンクスがラヴェルの役を演じた[87]。この映画には、ラヴェル夫妻がカメオ出演している(詳細は#映画『アポロ13』を参照)。

1998年のHBOのテレビドラマ『フロム・ジ・アース/人類、月に立つ』では、ティム・デイリーがラヴェルの役を演じた[88]

2018年の映画『ファースト・マン』では、パブロ・シュレイバーがラヴェルの役を演じた[89]

脚注

  1. ^ Newsletter Spring 2000: Notable Americans with Czech Roots”. American Friends of the Czech Republic. January 23, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。November 29, 2007閲覧。
  2. ^ Burgess 2011, p. 290.
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参考文献

外部リンク