コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「今出宏°」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
出典の明記
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「岩崎哲也」→「岩﨑哲也」の改名に伴うリンク修正依頼 - log
40行目: 40行目:
2004年には、元[[マイルスデイヴィス]]バンドにも所属していたピアニスト [[ジョン・ビーズリー|ジョンビーズリー]]のプロデュースで3rdアルバム"PAHANA"をリリース。 interFMなどにレギュラー出演する。
2004年には、元[[マイルスデイヴィス]]バンドにも所属していたピアニスト [[ジョン・ビーズリー|ジョンビーズリー]]のプロデュースで3rdアルバム"PAHANA"をリリース。 interFMなどにレギュラー出演する。


2005年、三味線奏者の[[岩哲也|岩間哲也]]の多国籍バンドJIPANGにレコーディングで参加し、東ヨーロッパ、ルーマニアなどのフェスに幾度か出演する。
2005年、三味線奏者の[[岩哲也|岩間哲也]]の多国籍バンドJIPANGにレコーディングで参加し、東ヨーロッパ、ルーマニアなどのフェスに幾度か出演する。


2006年、横浜KAMOMEにて歌謡曲やGS、民謡などを織り交ぜ延々とジャムするコンセプトのユニット”サブカルテット”でライブ映像を配信。
2006年、横浜KAMOMEにて歌謡曲やGS、民謡などを織り交ぜ延々とジャムするコンセプトのユニット”サブカルテット”でライブ映像を配信。

2021年2月16日 (火) 11:58時点における版

Imadee Hiroshi(イマディ~宏 1969年 - )ブルースハープ10ホールズハーモニカ)奏者・講師。

ヴォーカル・MC等、日本のミュージシャン。

来歴

歌謡曲~ニューミュージック~YMOの全盛期に育ち、歳の離れた兄や姉の影響で洋楽やクロスオーバーな音楽を耳にしながら、スティービーワンダーなどにも影響を受ける。

1980年代後半、同級生と初めてロックンロールバンドを組み、ヴォーカリストとして地元や都内などでライヴ活動を始め、ブルースハープも独学で始め、曲の間奏などで吹き始める。

高校卒業後もロックンロールからルーツを辿り、R&B・ブルースなどに影響を受け、地元や横田基地などで活動し始める。この頃から本格的に、ブルースハープの先人達にもアドバイスを受け、都内でのセッションにブルースハープとヴォーカルで飛び入りし活動。

同時にファンク・レゲエ・ニューソウルなどを取り入れた自身の音楽を作り始める。

1990年代前半に、憧れていたブルースロックギタリスト岩田浩史に誘われ、日本在住のブルースマン・ハイタイドハリスのバンドに入り、レコーディングやツアーを経験し、プロミュージシャンへとシフトしていく。その他、ローラーコースターの山崎よしきに誘われ、日本人のブルースのコンピレーションアルバムなどにも参加している。

この頃、ツアーで共演した石川二三夫にハーモニカのタングブロック奏法を教わり、奏法を切り替える。

その後単身ニューヨークへ渡り、飛び入りセッションなどで確かな手応えを感じると同時に、ブラジルのアイアートモレイラとフローラプリムのFORTH WORLDを観て衝撃を受け、民族音楽などを絡めたミクスチャーな音楽をビジョンに持ち始める。

1990年代半ば、憧れていた伝説のピアニスト本田竹広との共演をきっかけに伝説のジャズドラマー日野元彦とも出会い、急激に日本のトップジャズミュージシャンの世界に足を踏み入れる。

この頃からCMソングなども歌い、ポップス界でのデビューも間近になるが、自身の曲や好きな音楽をやりたく多くのスカウトを全て断る。

1995年、本田竹広のアルバムにて、日野元彦・ポールジャクソン・五十嵐一生・臼庭潤とJAZZ FUNK BANDとしてレコーディング、ツアーに参加する。

同時進行で、自身の曲やプロデュース、作詞・作曲・制作を志し、音楽プロダクション スィートベイジルに所属。

東芝EMIと契約し、名前を変えてポップスユニットでメジャー活動をしながら、THE CHANG、E-ZEE BANDなどにサポートやゲストで参加。その他CM、ドラマ、映画のレコーディングなどでも多数演奏する。

1999年、本田竹広のワールドミュージックバンド "THE PURE" に参加。

この頃から、劇団SETの舞台のハーモニカ指導等、アーティストや俳優にもブルースハープコーチを多数務め、ブルースハープ講師、トレーナーとしても仕事を始める。

自身の音楽やバンドを作品にしたく、多くのジャズミュージシャンを輩出したレーベル EAST WORKS にて、坂本竜太田中義人、penny-k、アーミンリンツビヒラと組んだ”今出宏°+KOOLOON”で2000年にアルバムデビュー。2003年には韓国でも発売になる。同レーベルの先輩シンガー綾戸智絵のアルバムやツアーにも参加し、エルネグロオラシオ&ロビーアーミンバンドなどと全国ツアーを回る。

2001年にワールドミュージック色を強めたセカンドアルバム”MONGO”を塩田哲嗣等と制作。翌年には参加メンバーから発展したジャムバンドMONGO-Xで日野JINO賢二・藤山E.T.英一郎等と西日本を中心にツアー活動をする。

2004年には、元マイルスデイヴィスバンドにも所属していたピアニスト ジョンビーズリーのプロデュースで3rdアルバム"PAHANA"をリリース。 interFMなどにレギュラー出演する。

2005年、三味線奏者の岩間哲也の多国籍バンドJIPANGにレコーディングで参加し、東ヨーロッパ、ルーマニアなどのフェスに幾度か出演する。

2006年、横浜KAMOMEにて歌謡曲やGS、民謡などを織り交ぜ延々とジャムするコンセプトのユニット”サブカルテット”でライブ映像を配信。

2010年、本田の”THE PURE"を受け継ぐ意識で、横浜赤レンガ倉庫のモーションブルーを中心に活動していたオリジナルバンド"aprons"(エプロンズ)にてデモミニアルバムを制作し、ライブ販売する。

この時期に自らのルーツである鳥取県の民謡”貝殻節”を宇宙的なアレンジでカヴァする。

2011年、ピアニスト永見行崇のプロデュースで、ドラマー・パーカッショニスト宮川剛と永見とで結成したエレクトリックワールドミュージックトリオ"GANMI-H°"でアルバム"ZENG SING"をリリース。同年、アトスインターナショナルから自身のバンド”今出宏°+KOOLOON”でライヴDVDをリリース。

2011年、プライベートレーベルから、スタンダードのバラードカヴァーアルバム"n-innocent Ballad"をリリース。

2012年、昭和的なハワイアンをレゲェなどの風味でカヴァーした”ハワイモニカ”をリリース。

2015年後半からブルースハープ講師以外の音楽活動を休止。

2017年、千葉のベイエリア出身のミュージシャン中心に結成した新しい自身のバンド”APRO BEATS”(エプロビーツ)などで活動を再開。

現在はドラマ・映画・ポップスなど様々なレコーディングに参加のほか、 "今出宏°+KOOLOON" "APRO BEATS" 18年来不定期に活動しているSOUL・ FUNKだけをカヴァー、セッションする”Y-CONNECTION" ワイルドワンズ植田暁芳のワールドセミアコースティックバンド"MISSION POSSIBLE" などで活動を続けている。

ディスコグラフィ

アルバム

  • 2000年 being your slave 今出宏°+KOOLOON
  • 2001年 MONGO 今出宏°
  • 2004年 PAHANA 今出宏°
  • 2011年 ZENG SING GANMI-H°
  • 2011年 n-innocent Ballad 今出宏°
  • 2014年 ハワイモニカ 今出宏° 

参加

レコーディング

ステージ(ゲスト・サポートなど)

ドラマ/TV

  • 「蘇る金狼」 「夢のカリフォルニア」 「やまとなでしこ」 「アンフェア」 「ギルティ」 「リアル・クローズ」「紙の月」...etc
  • 旅番組 火野正平 日本縦断心旅

ゲーム

コマーシャル/CM

  • チョーヤの梅酒、JR西日本...etc

映画/Movie

  • 「マーメイド」(COREA)
  • 「ALWAYS~三丁目の夕日」
  • 「ドラゴンボール」...etc

関連項目