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春夏通じて[[甲子園球場]]の全国大会で通算6勝(春4勝夏2勝)を挙げたことが評価されて、[[2007年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2007年のNPB高校生ドラフト会議]]では、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]から1巡目で指名された。[[佐藤由規]]・[[髙濱卓也]]の指名重複による抽選で交渉権獲得を逃した末の指名だったが、後に[[契約金]]7,000万円、[[年俸]]720万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は'''46'''。常葉菊川高から直接[[NPB]]の球団に入った選手は田中が初めてで、大学経由を含めても[[門奈哲寛]]以来2人目であった。 |
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=== 横浜・DeNA時代 === |
=== 横浜・DeNA時代 === |
2021年2月1日 (月) 04:03時点における版
横浜DeNAベイスターズ #046 | |
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2013年3月17日 横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県新城市 |
生年月日 | 1989年9月18日(35歳) |
身長 体重 |
179 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2007年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2010年9月11日 |
年俸 | 1,000万円(2021年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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田中 健二朗(たなか けんじろう、1989年9月18日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する愛知県新城市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。
経歴
プロ入り前
小学校2年生の時から投手として山吉田少年野球クラブで野球をスタート。中学校3年生の春には、ボーイズリーグの新城ベアーズで全国大会に出場した。
常葉菊川高校への進学後は、投球フォームの乱れから腰椎分離症に悩まされた。しかし、中日ドラゴンズでのプレー経験がある佐野心部長から『ど真ん中投法』を直々に教わると制球が安定していった。2年生の秋からエースとしてチームを牽引すると、3年生春の第79回選抜高等学校野球大会でチームを優勝に導いた。3年生夏の第89回全国高等学校野球選手権大会でも準決勝まで進出し、野村祐輔、小林誠司、土生翔平、上本崇司らを擁する広陵高等学校に敗れはしたものの、平成に入ってからは静岡県勢初めてのベスト4入りを果たした。
春夏通じて甲子園球場の全国大会で通算6勝(春4勝夏2勝)を挙げたことが評価されて、2007年のNPB高校生ドラフト会議では、横浜ベイスターズから1巡目で指名された。佐藤由規・髙濱卓也の指名重複による抽選で交渉権獲得を逃した末の指名だったが、後に契約金7,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は46。常葉菊川高から直接NPBの球団に入った選手は田中が初めてで、大学経由を含めても門奈哲寛以来2人目であった。
横浜・DeNA時代
2008年、左肩を痛めたため、一・二軍を通じて公式戦への登板機会がなく、実戦登板はシーズン終了後のフェニックスリーグにまで持ち越された。
2009年、イースタン・リーグ公式戦で、主に先発投手として3勝をマーク。フレッシュオールスターゲームにも、同リーグの監督推薦選手として出場した。
2010年、9月11日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、6番手投手として一軍公式戦にデビュー[2]。9月15日の対阪神タイガース戦(横浜スタジアム)で一軍公式戦初先発を果たすと、6回0/3を5安打3失点という内容で初勝利を挙げた。横浜の投手による一軍公式戦初先発初勝利は、2008年の小林太志以来であった[3][4]。
2011年、一軍公式戦では、先発として1試合に登板しただけでシーズンを終えた。
2012年、一軍公式戦のロングリリーフで投球内容が安定していたことから、4試合で先発に起用。シーズン通算では15試合に登板したが、0勝2敗、防御率4.67という成績で終わった。
2013年、一軍公式戦には、オール救援で9試合に登板。勝敗は付かず、防御率は4.85であった。
2014年、プロ入り後初めて公式戦の開幕を一軍で迎えたが、インフルエンザに感染したため、公式戦への登板機会のないまま登録を抹消された。以降のシーズンでは一軍と二軍を往復しながら、力のあるボールを投げる手応えをつかんだ[5]。9月に一軍へ昇格してからは、登板した試合を全て無失点に抑えるほど好調で、9月23日の対阪神戦(横浜)では一軍公式戦4年振りの勝利を記録した。シーズン終了後に、首脳陣から先発での起用を打診されたが固辞[6]。
2015年、2年連続で公式戦の開幕を一軍で迎えると、新人ながらクローザーに抜擢された山﨑康晃につなぐセットアッパーとして活躍。首脳陣の判断で山崎が休養した5月15日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、山崎に代わってクローザーを務めると、一軍公式戦での自身初セーブを達成した。チームが前半戦に好調だったことなどを背景に、オールスターゲームでは、ファン投票でセントラル・リーグ中継ぎ投手部門の2位へ入った末に、同リーグの監督推薦選手として初出場。もっとも、前半戦の終盤から徐々に調子を落としていたため、実際にはオールスターゲーム第1戦の前日(7月16日)に出場選手登録を抹消された。同ゲームでは7月18日の第2戦(マツダスタジアム)に3番手で登板したが、公式戦では一軍復帰を果たせずにシーズンを終えた。一軍公式戦全体では、前半戦だけで35試合に登板。2勝2敗ながら、防御率2.20、16ホールドという好成績を残した。なお、シーズン終了後の11月に開催された第1回WBSCプレミア12では、日本代表の第1次候補選手に選ばれた[7]。しかし、前述した事情から、最終ロースターの28名に残らなかった[8]。
2016年、プロ入り後初めて、公式戦の開幕からフルシーズン一軍に帯同。一軍公式戦では登板試合数(61)・勝利数(5勝)・ホールド数(23)で自己最高の成績を残すとともに、左のセットアッパーとしてチーム史上初のクライマックスシリーズ進出へ貢献した。山崎が不調に陥った8月には、右のセットアッパー・三上朋也と交互に、一時クローザーを務めている。
チームのレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでは、読売ジャイアンツとのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ第1戦(10月8日)でホールドを記録したほか、第3戦(10月10日、いずれも東京ドーム)で勝利投手になった。チームの1勝1敗で迎えた第3戦では、同点の9回裏から登板。先頭打者・村田修一を内野安打で出塁させたものの、村田の代走・鈴木尚広への牽制球によってプロ入り後初めて牽制刺を記録した[9]。さらに後続の打者を凡退させることで延長戦に持ち込むと、10回裏の巨人の攻撃を三者凡退に抑えた[10]。結局、DeNAは延長11回表の勝ち越しを経て勝利するとともに、ファイナルステージへの進出を決めた。広島とのファイナルステージでも2試合に登板したが、チームはセ・リーグで優勝した1998年以来の日本シリーズ進出を逃している。
2017年、同姓の田中浩康が東京ヤクルトスワローズから移籍したことに伴って、ユニフォームの背ネームの表記を「K.TANAKA」に変更。前年に続いて、レギュラーシーズンの開幕から1年を通じて一軍に帯同した。一軍公式戦では60試合に登板したものの、先発から転向した左投手の砂田毅樹がセットアッパーを務めたため、ホールド数は11と減少。チームのレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでは、阪神とのCSファーストステージ1試合と、10月28日に福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズ第1戦(福岡ヤフオク!ドーム)で5回裏に2/3イニングを投げただけにとどまった[11]。
2018年、開幕一軍入りを果たしたが、砂田や前年途中から加入したエドウィン・エスコバーなど、他の左投手が救援で活躍。その影響で、一軍公式戦での登板は11試合と、前年から大幅に減少した。一軍公式戦で最後に登板した9月16日の対阪神戦(横浜)では、3回表無死満塁からの登板で2つの押し出し四球を与えたばかりか、阪神の先発投手・藤浪晋太郎に満塁本塁打を浴びた[12]。21世紀のNPB一軍公式戦に登板した投手が、打者として満塁本塁打を放った事例は、この試合の藤浪が初めてである[13]。
2019年、一・二軍とも公式戦の登板機会がないまま、8月15日にトミー・ジョン手術を受けた[14]。シーズン終了後の11月13日には、育成選手として契約を更改。NPBからは12月2日に自由契約選手として公示された[15]が、翌2020年8月の実戦復帰を目標にリハビリへ専念するための暫定措置で、背番号も046に変更している[16]。
人物
実家は近くのコンビニまで数キロ離れた(車で約10分)山間部で、野球に熱中できる環境だった。このため、高校時代は「田舎」がニックネームで、横浜の入団会見で「『ハマの田舎』と呼んで下さい」と語っている(なお、田中の入団後、実家近くにコンビニが開店している。)。その後、公募でニックネームで募集したところ額の剃りこみに特徴があることから『ハマのソリコミ』を田中が選んでいる[17]。また、砂田毅樹からは「けんけん」と呼ばれているほか[18]、ネットでは「タナケン」という呼び名が定着している。
2013年11月、同年5月に一般女性と結婚していたことを発表した[19]。
2015年3月27日の開幕戦(対巨人)に登板した際、2月28日に母親が心筋梗塞により47歳という若さで他界していたことを中継した日本テレビのアナウンサーが明らかにした。
横浜・DeNAでの13年目(2020年)のシーズンを育成選手として迎えることについては、「正直なところ『もう(投手生命が)終わりなんじゃないか』と思っていたので、育成契約の話を(2019年の契約更改で球団から)いただいたことや、(更改の席で三原一晃)球団代表から『今後も長く野球を続けられるように(同年にトミー・ジョン手術を受けた左肘を育成契約の期間中に)しっかり直して欲しい』と言われたことは本当にありがたい。トミー・ジョン手術を受けた後に球速やパフォーマンスが上がった投手の話を聞いているので、『第二の野球人生』とはいかなくても、『新しい田中健二朗』を一から作っていけるよう(実戦復帰までのプロセスを)焦らずに進めていきたい」という表現で前向きに捉えている[16]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | 横浜 DeNA |
5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 103 | 25.0 | 22 | 6 | 10 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 11 | 11 | 3.96 | 1.28 |
2011 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 16 | 3.0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 2 | 6.00 | 2.00 | |
2012 | 15 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 153 | 34.2 | 38 | 3 | 8 | 0 | 2 | 27 | 1 | 0 | 19 | 18 | 4.67 | 1.33 | |
2013 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 59 | 13.0 | 16 | 4 | 6 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 7 | 7 | 4.85 | 1.69 | |
2014 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 68 | 15.1 | 21 | 1 | 3 | 0 | 1 | 17 | 1 | 0 | 8 | 7 | 4.11 | 1.57 | |
2015 | 35 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | 16 | .500 | 140 | 32.2 | 29 | 1 | 16 | 0 | 0 | 29 | 3 | 0 | 9 | 8 | 2.20 | 1.38 | |
2016 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 23 | .625 | 197 | 44.0 | 46 | 2 | 18 | 3 | 1 | 39 | 3 | 0 | 16 | 12 | 2.45 | 1.45 | |
2017 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 11 | .250 | 205 | 48.1 | 43 | 3 | 23 | 0 | 1 | 36 | 2 | 0 | 26 | 24 | 4.47 | 1.37 | |
2018 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 54 | 12.1 | 14 | 2 | 6 | 1 | 0 | 14 | 0 | 0 | 9 | 9 | 6.57 | 1.62 | |
NPB:9年 | 208 | 9 | 0 | 0 | 0 | 11 | 13 | 1 | 50 | .458 | 995 | 228.1 | 235 | 23 | 90 | 4 | 5 | 186 | 11 | 0 | 109 | 98 | 3.86 | 1.42 |
- 2020年度シーズン終了時
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名変更
記録
- 投手記録
- 初登板:2010年9月11日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点[20]
- 初奪三振:同上、8回裏に小田幸平から空振り三振[20]
- 初先発・初勝利:2010年9月15日、対阪神タイガース20回戦(横浜スタジアム)、6回0/3を3失点[21]
- 初ホールド:2015年3月31日、対広島東洋カープ1回戦(横浜スタジアム)、5回表に2番手で救援登板、1回2/3を2失点
- 初セーブ:2015年5月15日、対広島東洋カープ7回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- その他の記録
背番号
- 46 (2008年 - 2019年)
- 046 (2020年 - )
脚注
- ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2020年12月27日閲覧。
- ^ 横浜3年目田中「足プルプル」プロ初登板 - 日刊スポーツ(2010年9月12日)
- ^ 横浜、3年目の田中がプロ初先発で初勝利 - ウェイバックマシン(2010年9月18日アーカイブ分) - サンケイスポーツ(2010年9月15日)
- ^ ベイ投に光…07年センバツV腕が初先発初勝利 - スポーツニッポン(2010年9月16日)
- ^ “1軍スタートの田中健二朗、「負けられない」強い覚悟”. 神奈川新聞 (2015年1月24日). 2015年1月24日閲覧。
- ^ “ベイ田中、亡き母への恩返し”. 神奈川新聞 (2015年4月15日). 2015年4月15日閲覧。
- ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年7月16日)同年8月4日閲覧
- ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年10月9日)同年11月11日閲覧
- ^ 鈴木が2016年10月13日に現役引退を表明したため、この時の牽制死が鈴木の現役最後のプレーになった。
- ^ 田中“サヨナラ危機”にスーパーけん制 あの鈴木からプロ9年目初 スポーツニッポン(2016年10月11日)同日閲覧
- ^ 2017年10月28日(土) ヤフオクドーム 【SMBC日本シリーズ】 福岡ソフトバンクホークス vs 横浜DeNAベイスターズ 第1戦投打成績NPB日本野球機構(2017年10月28日)2019年9月8日閲覧
- ^ “最重要試合”でDeNAが20失点…ラミレス監督「これも野球の試合のひとつ」 BASEBALL KING(2018年9月17日)2019年9月8日閲覧
- ^ 阪神・藤浪晋太郎が満塁本塁打 投手では21世紀初朝日新聞デジタル(2018年9月16日)2019年9月8日閲覧
- ^ 田中健二朗選手の手術について 横浜DeNAベイスターズ(2019年8月15日)2019年9月8日閲覧
- ^ 自由契約選手 2019年度 NPB公式サイト
- ^ a b DeNA田中健二朗「第2の野球人生」来季育成契約 日刊スポーツ(2019年11月13日)同日閲覧
- ^ 横浜田中に新愛称「ハマのそりこみ」 - 日刊スポーツ 2010年9月17日配信、同日閲覧
- ^ 砂田毅樹のTwitterより
- ^ “DeNA・田中が結婚 横浜市内在住の一般女性と”. スポニチ Sponichi Annex (2013年11月25日). 2014年5月13日閲覧。
- ^ a b 神奈川新聞、2010年9月12日。
- ^ 神奈川新聞、2010年9月16日。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 田中健二朗 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube