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「大社駅」の版間の差分

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==駅構造==
==駅構造==
廃止当時、島式・相対式ホーム2面3線を持つ地上駅であった。なお、これら3線はホームの末端で1線に収束した後、その先に車止めが設置されていたが、その引上げ線はかなり距離が長く、[[道路]]と交差する部分もあり、[[踏切]]も設置されていた。出雲大社の膝元であることから、[[1951年]] - [[1961年]]までの間は[[東京駅|東京]]直通の[[急行列車]]「[[出雲 (列車)|出雲]]」が運行されていた。その後も[[1980年代]]まで「[[わかさ (列車)|大社]]」や「[[だいせん (列車)|だいせん]]」といった急行列車や、参詣者の[[団体専用列車|団体臨時列車]]などが乗り入れてきていたため、ホームは非常に長い。
廃止当時、島式・相対式ホーム2面3線を持つ地上駅であった。なお、これら3線はホームの末端で1線に収束した後、その先に車止めが設置されていたが、その引上げ線はかなり距離が長く、[[道路]]と交差する部分もあり、[[踏切]]も設置されていた。出雲大社の膝元であることから、[[1951年]] - [[1961年]]までの間は[[東京駅|東京]]直通の[[急行列車]]「[[サンライズ出雲|出雲]]」が運行されていた。その後も[[1980年代]]まで「[[わかさ (列車)|大社]]」や「[[だいせん (列車)|だいせん]]」といった急行列車や、参詣者の[[団体専用列車|団体臨時列車]]などが乗り入れてきていたため、ホームは非常に長い。


現在残っている[[駅舎]]は[[1924年]]([[大正]]13年)[[2月28日]]に竣工した2代目で、木造平屋441平方メートル、[[出雲大社]]を模したつくりである。団体専用の改札口などもあったが、廃止後もホームや駅の掲示などもすべて当時のまま残されている。以前この駅舎は、[[中央本線]][[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]の北口駅舎を設計した曽田甚蔵が設計したもので、[[伊東忠太]]がお墨付きを与えたと言われていた。しかし、大社線廃止後、駅舎の屋根裏調査で上棟式の棟板が発見され、設計者は当時神戸鉄道管理局の技手だった丹羽三雄であったことが判明した。なお、駅舎は[[2004年]]に国の[[重要文化財]]に指定された。また、当駅とは対照的なモダンな西洋建築である[[一畑電車]][[出雲大社前駅]]とともに、[[近代化産業遺産]](続33)にも認定されている。
現在残っている[[駅舎]]は[[1924年]]([[大正]]13年)[[2月28日]]に竣工した2代目で、木造平屋441平方メートル、[[出雲大社]]を模したつくりである。団体専用の改札口などもあったが、廃止後もホームや駅の掲示などもすべて当時のまま残されている。以前この駅舎は、[[中央本線]][[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]の北口駅舎を設計した曽田甚蔵が設計したもので、[[伊東忠太]]がお墨付きを与えたと言われていた。しかし、大社線廃止後、駅舎の屋根裏調査で上棟式の棟板が発見され、設計者は当時神戸鉄道管理局の技手だった丹羽三雄であったことが判明した。なお、駅舎は[[2004年]]に国の[[重要文化財]]に指定された。また、当駅とは対照的なモダンな西洋建築である[[一畑電車]][[出雲大社前駅]]とともに、[[近代化産業遺産]](続33)にも認定されている。

2021年1月17日 (日) 01:22時点における版

大社駅
駅舎(国の重要文化財
たいしゃ
Taisha
荒茅 (2.5 km)
所在地 島根県簸川郡大社町北荒木*
北緯35度23分12.14秒 東経132度41分24.8秒 / 北緯35.3867056度 東経132.690222度 / 35.3867056; 132.690222座標: 北緯35度23分12.14秒 東経132度41分24.8秒 / 北緯35.3867056度 東経132.690222度 / 35.3867056; 132.690222
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)*
所属路線 大社線
キロ程 7.5 km(出雲市起点)
電報略号 タシ
駅構造 終着駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1912年(明治45年)6月1日
廃止年月日 1990年(平成2年)4月1日**
備考 * 廃止時のデータ。
** 大社線とともに廃止。
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大社駅(たいしゃえき)は、島根県簸川郡大社町(現・出雲市)にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)大社線廃駅)である。大社線の廃線に伴い1990年(平成2年)4月1日に廃止となった。廃止後も純和風建築の駅舎が残されており、観光名所の一つとなっている。

駅構造

廃止当時、島式・相対式ホーム2面3線を持つ地上駅であった。なお、これら3線はホームの末端で1線に収束した後、その先に車止めが設置されていたが、その引上げ線はかなり距離が長く、道路と交差する部分もあり、踏切も設置されていた。出雲大社の膝元であることから、1951年 - 1961年までの間は東京直通の急行列車出雲」が運行されていた。その後も1980年代まで「大社」や「だいせん」といった急行列車や、参詣者の団体臨時列車などが乗り入れてきていたため、ホームは非常に長い。

現在残っている駅舎1924年大正13年)2月28日に竣工した2代目で、木造平屋441平方メートル、出雲大社を模したつくりである。団体専用の改札口などもあったが、廃止後もホームや駅の掲示などもすべて当時のまま残されている。以前この駅舎は、中央本線高尾駅の北口駅舎を設計した曽田甚蔵が設計したもので、伊東忠太がお墨付きを与えたと言われていた。しかし、大社線廃止後、駅舎の屋根裏調査で上棟式の棟板が発見され、設計者は当時神戸鉄道管理局の技手だった丹羽三雄であったことが判明した。なお、駅舎は2004年に国の重要文化財に指定された。また、当駅とは対照的なモダンな西洋建築である一畑電車出雲大社前駅とともに、近代化産業遺産(続33)にも認定されている。

歴史

開業当時のホーム 機関車は230形

隣の駅

西日本旅客鉄道
大社線
荒茅駅 - 大社駅

駅周辺

脚注

  1. ^ 「知る人ぞ知る」駅から、「誰もが行きたくなる」駅へ。”. 西日本旅客鉄道 (2014年11月19日). 2014年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月19日閲覧。
  2. ^ 現在の太い参道は参拝客を配慮して後からできた物。旧参道の繁華街から反対を受けて出雲大社から離れた位置の駅になった。旧参道では大回りをしないといけなかった。

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、大社駅に関するカテゴリがあります。