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{{by|2002年}}には正捕手の矢野が故障離脱をしてしまい在籍捕手の中では最多の34試合先発マスクを被ったがチャンスを生かせず、逆に出場機会が減る。同年のシーズンオフに[[下柳剛]]・[[中村豊 (野球)|中村豊]]との複数トレードで、[[伊達昌司]]と共に[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]へ移籍。
{{by|2002年}}には正捕手の矢野が故障離脱をしてしまい在籍捕手の中では最多の34試合先発マスクを被ったがチャンスを生かせず、逆に出場機会が減る。同年のシーズンオフに[[下柳剛]]・[[中村豊 (野球)|中村豊]]との複数トレードで、[[伊達昌司]]と共に[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]へ移籍。


日本ハムでも自身は怪我に苦しみその間に若手の[[橋信二]]の台頭やベテラン捕手の[[中嶋聡]]の加入もあり、{{by|2005年}}に現役引退。
日本ハムでも自身は怪我に苦しみその間に若手の[[橋信二]]の台頭やベテラン捕手の[[中嶋聡]]の加入もあり、{{by|2005年}}に現役引退。


=== 現役引退後 ===
=== 現役引退後 ===

2021年1月11日 (月) 03:43時点における版

山田 勝彦
阪神タイガース 二軍バッテリーコーチ #82
2016年3月20日 阪神鳴尾浜球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市熱田区
生年月日 (1969-07-02) 1969年7月2日(55歳)
身長
体重
183 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1987年 ドラフト3位
初出場 1989年10月15日
最終出場 2005年4月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

山田 勝彦(やまだ かつひこ、1969年7月2日 - )は、愛知県名古屋市熱田区出身の元プロ野球選手捕手、右投右打)、コーチ。現在は阪神タイガースの二軍バッテリーコーチ。

経歴

プロ入り前

中学時代は陸上部に所属し、投てき種目でジュニアオリンピックに出場。 東邦高校時代に投手から捕手に転向し、1986年には春の選抜に出場。通算24本塁打を放った。

1987年のドラフト3位で阪神タイガースへ入団。

プロ入り後

1989年にプロ入り初出場を果たすと、1991年からは出場機会が増え、打率1割台と打撃には苦しんだが、プロ初本塁打を含む2本塁打をマーク。

5年目の1992年には正捕手として投手陣をリードし、チームの2位躍進に貢献。打撃では打率.204と苦しんだが、本塁打は前年を少しだけ上回る4本を記録した。その後は正捕手の座を手中にするかと思われたが、関川浩一矢野燿大などの存在もあり、自身も伸び悩む。

1999年には野村克也監督に守備を酷評されるが、2000年には規定打席不足ながら打率.319をマークするなど打撃で開眼し、同年8月24日ヤクルトスワローズ戦ではプロ初のサヨナラヒットを放つ。翌年も打撃面では安定し前年より出番は多かったものの守備面では矢野に勝てず二番手捕手止まりだった。

2002年には正捕手の矢野が故障離脱をしてしまい在籍捕手の中では最多の34試合先発マスクを被ったがチャンスを生かせず、逆に出場機会が減る。同年のシーズンオフに下柳剛中村豊との複数トレードで、伊達昌司と共に日本ハムファイターズへ移籍。

日本ハムでも自身は怪我に苦しみその間に若手の髙橋信二の台頭やベテラン捕手の中嶋聡の加入もあり、2005年に現役引退。

現役引退後

現役引退後は球団側から二軍バッテリーコーチ就任の要請があったが、これを辞退。2006年、阪神時代の監督である野村を慕って東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍バッテリーコーチに就任し、2010年に退任。

2011年から2012年までオリックス・バファローズの一軍バッテリーコーチを務めた[1]

2013年からは古巣・阪神の一軍バッテリーコーチ、2016年からは二軍バッテリーコーチ、2018年からは再び一軍バッテリーコーチ、2019年からは再び二軍バッテリーコーチを務める。試合中は一塁ベースコーチも兼任する。

人物・選手としての特徴

ヤクルト戦での大乱闘

1996年6月29日、ヤクルト戦の古田敦也の打席で嶋田哲也が古田の頭部付近にビーンボール球を4球続けて投げたことで古田が嶋田に激怒し歩みよる。そこで古田を制止しようとした山田に古田が放り上げたバットが山田に当たったことから山田も激高し応酬していまい、両チーム入り乱れての大乱闘に発展した。山田と古田は乱闘の当事者として退場処分を受けた。また山田は乱闘の際に古田に投げられたのを始め、阪神時代の同僚であったトーマス・オマリーヘンスリー・ミューレンスに殴られるなど凄まじい結果となった。山田曰く、これは古田がインサイドをえげつなく投手に要求してくるからその報復の意味もあったと後に語っている。またこのシーンはこの年の珍プレー番組でも取り上げられた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 阪神 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1991 66 166 149 14 19 4 0 2 29 6 0 0 6 1 10 1 0 41 3 .128 .181 .195 .376
1992 114 340 313 17 64 12 0 4 88 31 0 1 9 3 14 8 1 81 7 .204 .239 .281 .520
1993 63 115 108 7 19 3 0 0 22 2 0 0 4 0 2 2 1 31 1 .176 .198 .204 .402
1994 58 114 103 8 21 2 0 3 32 8 2 0 4 1 6 0 0 17 1 .204 .245 .311 .556
1995 30 19 16 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 2 0 0 7 0 .063 .167 .063 .229
1996 99 301 274 19 52 9 0 2 67 18 0 0 6 3 17 4 1 52 9 .190 .237 .245 .482
1997 92 238 214 14 56 16 0 4 84 21 0 0 6 0 17 2 1 37 7 .262 .319 .393 .711
1998 69 146 138 4 28 2 0 0 30 6 0 0 0 1 6 1 1 26 5 .203 .240 .217 .457
1999 21 39 35 2 5 1 0 0 6 0 0 0 3 0 1 0 0 8 2 .143 .167 .171 .338
2000 45 102 94 6 30 4 1 2 42 11 0 0 4 1 2 2 1 21 2 .319 .337 .447 .784
2001 54 147 134 14 37 7 0 2 50 10 0 2 4 1 7 2 1 31 8 .276 .315 .373 .688
2002 39 106 97 9 15 3 0 1 21 9 0 0 3 0 6 2 0 21 6 .155 .204 .216 .420
2003 日本ハム 40 82 77 7 13 1 0 1 17 8 1 0 2 0 3 0 0 15 3 .169 .200 .221 .421
2004 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2005 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
NPB:16年 795 1916 1753 121 360 64 1 21 489 130 3 3 52 11 93 24 7 388 54 .205 .247 .279 .526

記録

背番号

  • 61 (1988年 - 1991年)
  • 35 (1992年、2005年)
  • 27 (1993年 - 2002年)
  • 24 (2003年 - 2004年)
  • 70 (2006年 - 2010年)
  • 72 (2011年 - 2012年)
  • 82 (2013年 - )

脚注

関連項目

外部リンク