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「ジョー・ローゼンタール」の版間の差分

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{{Infobox person
[[File:JoeRosenthal1990.jpg|thumb|240px|ジョー・ローゼンタール(1990年)]]
| name = ジョー・ローゼンタール
'''ジョー・ローゼンタール'''('''Joe Rosenthal'''、[[1911年]][[10月9日]] - [[2006年]][[8月20日]])は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[写真家]]。
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| caption = ジョー・ローゼンタール(1990年)
| birth_name = Joseph John Rosenthal
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| occupation = {{hlist|写真家|記者|名誉海兵隊員}}
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| awards = [[ピューリッツァー賞 写真部門]]<br>{{仮リンク|海軍公共奉仕功労賞|en|Navy Distinguished Public Service Award}}
}}
'''ジョー・ローゼンタール'''({{Lang-en-short|Joe Rosenthal}} {{IPA-en|ˈroʊzənθɔl|}}<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=G6FwGaQpBvE#t=43 Joe Rosenthal memorialized in San Francisco] Marines([[アメリカ海兵隊]]) </ref>)こと'''ジョセフ・ジョン・ローゼンタール'''({{Lang-en-short|Joseph John Rosenthal|links=no}}、[[1911年]][[10月9日]] - [[2006年]][[8月20日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[写真家]]である。1945年の[[硫黄島の戦い]]で6人のアメリカ兵が[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]の[[摺鉢山 (東京都)|摺鉢山]]山頂に[[アメリカ合衆国の国旗|星条旗]]を掲揚する瞬間を撮影した『[[硫黄島の星条旗]]』で[[ピューリッツァー賞 写真部門]]を受賞した<ref name=WashingtonPost_Bernstein_20060821>{{cite news |access-date=December 19, 2007
|url=https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/08/21/AR2006082100039.html
|title=Joe Rosenthal; Shot Flag-Raising at Iwo Jima |first=Adam |last=Bernstein
|date=August 22, 2006
|newspaper=[[The Washington Post]]
|quote=Joe Rosenthal, 94, a World War II news photographer whose dramatic picture of servicemen raising the U.S. flag atop [[Iwo Jima]]'s summit was one of the most reproduced images of the period, died August 20 at Atria Tamalpais Creek assisted living center in Novato, California.}}</ref>。この写真は、[[第二次世界大戦]]中に撮影された最もよく知られた写真のうちの1枚であり、[[アーリントン国立墓地]]近くに建立された[[海兵隊戦争記念碑]]のモチーフとなった。'''ローゼンソール'''<ref>{{cite news |access-date=March 19, 2023
|url=http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20070626000134
|title=硫黄島に初の星条旗掲揚/C・リンドバーグ氏が死去
|date=June 26, 2007
|newspaper=[[四国新聞]]}}</ref>とも表記される。


==若年期==
[[硫黄島の戦い]]([[1945年]])で日米両軍が死闘の末、5人の[[アメリカ海兵隊]]員と1人の[[アメリカ海軍]]兵が[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]の[[摺鉢山 (東京都)|摺鉢山]]の頂上に[[アメリカ合衆国の国旗|星条旗]]を掲揚する瞬間を撮影した『[[硫黄島の星条旗]]』で[[ピューリッツァー賞]]([[ピューリッツァー賞 写真部門]])を受賞した。
ローゼンタールは[[1911年]][[10月9日]]に[[ワシントンD.C.]]で生まれた。両親はユダヤ系ロシア人移民であるが、ローゼンタールは若い時に[[カトリック]]に改宗した<ref>{{cite news|author=Bernstein, Adam|title=Joe Rosenthal; Shot Flag-Raising at Iwo Jima|date=August 22, 2006|newspaper=The Washington Post|url=https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/08/21/AR2006082100039.html|quote=Joseph J. Rosenthal was born October 9, 1911, to Russian immigrant Jews; he converted to Catholicism as a young man. |access-date=October 11, 2009}}</ref>。[[世界恐慌]]の頃に趣味として写真撮影を始めた。1929年にマッキンリー高校を卒業し、新聞社の雑用係(オフィスボーイ)として働いた後、仕事を求めて[[サンフランシスコ]]に移り、1932年に『{{仮リンク|サンフランシスコ・ニュース|en|The Daily News (San Francisco)}}』に記者兼写真家として入社した。


== 生涯 ==
== 第二次世界大戦 ==
[[第二次世界大戦]]へのアメリカ参戦後、ローゼンタールは[[アメリカ陸軍]]に従軍写真家として入隊しようとしたが、[[弱視]]のため入隊できなかった<ref name=SFGate_Leary_20060821/>。1941年に[[AP通信]]に移った。1943年、写真家として{{仮リンク|アメリカ合衆国商船隊|en|United States Maritime Service}}に入隊し、[[准士官]]として[[ブリテン諸島]]での船内の様子や[[北アフリカ戦線]]を記録した。1944年にAP通信に復帰し、{{仮リンク|アジア・太平洋戦線|en|Asiatic-Pacific Theater}}の[[アメリカ陸軍]]や[[アメリカ海兵隊]]に従軍して、[[ホーランジアの戦い|ホーランジア]]、[[ニューギニアの戦い|ニューギニア]]、[[グアム]]、[[ペリリューの戦い|ペリリュー]]、[[アンガウルの戦い|アンガウル]]、[[硫黄島の戦い|硫黄島]]で取材を行った。
1911年10月9日[[ワシントンD.C.]]で[[ユダヤ系]]ロシア移民の子として生まれる。[[写真]]に興味を持ち、[[世界恐慌]]後、仕事を探すために[[サンフランシスコ]]に移るが、ここで[[1932年]]サンフランシスコニュース紙に入社し、報道カメラマンとなる。弱視を理由に兵役を免れたローゼンタールは、[[AP通信]]に移り[[太平洋戦争]]中は海兵隊に従軍カメラマンとして戦場を回った。特に上述の通り、1945年[[2月23日]]の硫黄島の戦いにおける、摺鉢山の攻防後に5人の兵士達が星条旗を掲げ1人が固定のロープを探す写真は大戦中、最も有名な写真のうちの一つとなった。但し、この作品については、戦闘末午前10時15分に旗を掲げたものを戦闘終了後の12時15分に、改めて5フィート×8フィート(140cm×245cm)と最初の旗(70cm×135cm)の2倍の星条旗を掲げる際に撮影した3枚のうち1枚とされる。


=== 『硫黄島の星条旗』 ===
1945年後半にAPを退社し、サンフランシスコ・クロニクル社 (San Francisco Chronicle) に入り、引退するまで同社で35年の長きにわたりカメラマンとして活躍した。
{{main|硫黄島の星条旗}}
[[File:Raising the Flag on Iwo Jima, larger - edit1.jpg|thumb|『[[硫黄島の星条旗]]』]]
アメリカ軍が硫黄島に上陸してから4日目の1945年2月23日(金曜日)の朝、硫黄島へ向かう海兵隊の上陸用舟艇に乗っていたローゼンタールは、島の南端の摺鉢山の山頂に星条旗が掲げられるという知らせを聞いた。ローゼンタールは島に上陸すると、当時報道写真家の定番だった大型の高速度カメラを持って摺鉢山へ急いだ。そして、海兵隊所属の従軍写真家ボブ・キャンベル兵長、海兵隊の映像撮影担当者{{仮リンク|ビル・ジェノウスト|en|Bill Genaust}}兵長とともに、山を登り始めた。その途中で、山頂で手榴弾の爆発を受けてカメラを破壊されたため下山中だった海兵隊の写真家、{{仮リンク|ルイス・ロウェリー|en|Louis Lowery}}二等軍曹から、既に午前10時40分に星条旗が掲揚され、山頂でその写真を撮ったと聞かされた。3人は一旦下山しようかと考えたが、ロウェリーが山頂は写真をとるのに良い場所だと言っていたため、山頂を目指すことにした<ref name="Colliers">{{cite journal|last1=Rosenthal |first1=Joe |last2=Heinz |first2=W.C. |title=The Picture that will Live Forever |journal=Collier's Magazine |date=February 18, 1955 |url=http://oldmagazinearticles.com/1955_Joe_Rosenthal_Io_Jima_Article_pdf |access-date=April 18, 2016 |publisher=Crowell-Collier Publishing Company |url-status=unfit |archive-url=https://web.archive.org/web/20130323213838/http://oldmagazinearticles.com/1955_Joe_Rosenthal_Io_Jima_Article_pdf |archive-date=March 23, 2013 }}</ref>。


[[File:Iwo Jima Suribachi DN-SD-03-11845.JPEG|thumb|right|[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]の[[摺鉢山 (東京都)|摺鉢山]]]]
[[2001年]][[9月11日]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]で写真家の[[トーマス・E・フランクリン]] (Thomas E. Franklin) が撮影した、「グランドゼロスピリット (Ground Zero Spirit)」は、ローゼンタールの硫黄島の作品と類似が指摘され、ローゼンタールに対するインタビューが行われた他、ローゼンタールとフランクリンの対談も行われた。
[[File:Genaust-Rosenthal-Gung-Ho-photo-2-23-45.jpg|thumb|right|「ガンホー写真」を撮影するローゼンタール(左から2人目)。左端は映像を撮影するジェノウスト。]]
山頂についたローゼンタールたちは、山頂に小さな星条旗が掲げられているのを見た。ローゼンタールはキャンベルに、星条旗の横に立つ自分の写真を撮ってもらった。その横で、海兵隊員がより大きな星条旗を鉄パイプに取り付けていた。そして、将校が小さな旗を降ろして大きな旗を掲げるよう命じた。ローゼンタールは、両方の旗を1枚の写真に収めることを一瞬考えたが、両方の旗が画角に収まりそうになかったため、大きな旗を掲揚する様子のみを撮影することにした(キャンベルは小さな旗を降ろす様子を撮影していた)<ref name="Colliers"/>。


ローゼンタールは身長が165センチメートルしかないため、高さを稼ぐために石と土嚢を積んでその上に立った。レンズをF8とF11の間に、シャッタースピードを1/400秒にセットした所で、6人の海兵隊員が大きな旗を掲げ始めたのが視界の片隅に見えた<ref>[http://www.marines.mil/News/News-Display/Article/810457/usmc-statement-on-iwo-jima-flagraisers/ USMC Statement on Marine Corps Flag Raisers], Office of U.S. Marine Corps Communication, June 23, 2016</ref>。ローゼンタールはすぐに振り向いて、ファインダーを覗かずにシャッターを切った。その3メートル右側で、ジェノウストがほぼ同じアングルからカラーフィルムで映像を撮影していた<ref name="Colliers"/>。その後、AP通信に事前に内容を確認してもらうために、白黒フィルムでもう1枚撮影した。掲揚が終わった後、ローゼンタールは山頂にいた海兵隊員16人と海軍衛生兵2人を星条旗の周りに集めて、「ガンホー」と呼ばれるポーズをとらせて写真(いわゆる「ガンホー写真」)を撮影した<ref>{{cite news|last1=Knopf|first1=David|title=Camden-Fleming man an unsung hero at Iwo Jima|url=http://www.richmond-dailynews.com/2012/01/camden-fleming-man-an-unsung-hero-at-iwo-jima/|access-date=April 18, 2016|work=Richmond News.|date=January 2, 2012}}</ref>。
2006年8月20日老衰のためサンフランシスコ郊外の介護施設で死去した。94歳。


[[File:USMC War Memorial Night.jpg|thumb|[[海兵隊戦争記念碑]]]]
==参考==
このとき撮影された写真『[[硫黄島の星条旗]]』はすぐに全世界に配信され、2月25日(日曜日)の新聞に掲載された{{efn|一方、ロウェリーが撮影した最初の星条旗掲揚の写真が公開されたのは1947年末だった。}}。アメリカ国民の厭戦感情が高まっていた中で、この写真は「この戦争の勝利の象徴」とみなされた<ref>{{cite news |url = http://www.irishtimes.com/newspaper/opinion/2006/0901/1156791312212.html | title = An Irishman's Diary | last = Ó'Riain | first = Seán | newspaper = [[The Irish Times]] | date = September 11, 2006 }}</ref><ref name="taiwan"/>。多くの雑誌がこの写真を表紙にした。ローゼンタールはこの写真で1945年の[[ピューリッツァー賞 写真部門]]を受賞した。アメリカ政府はこの写真を戦争債券購入運動のポスターに使用し、263億ドルの資金を調達した<ref name=SFGate_Leary_20060821/><ref name="taiwan"/>。1954年には、この写真を元に製作した[[海兵隊戦争記念碑]](通称 硫黄島記念碑)が建立された。
{{reflist}}
* Mark Edward Harris. "Joe Rosenthal: The Road to Glory". In: Camera & Darkroom (ed.), Volume 16 Number 6 (June 1994). Beverly Hills, CA. pp. 40-49.
* Hal Buell. Uncommon Valor, Common Virtue: Iwo Jima and the Photograph that Captured America (May 2006). New York, NY.


『硫黄島の星条旗』が有名になっても、ローゼンタールは謙虚だった。この写真についてローゼンタールは"I took the picture; the Marines took Iwo Jima."(私は写真を撮っただけだ。海兵隊員たちが硫黄島を取った)と述べていた<ref name=SFGate_Leary_20060821/><ref name="taiwan">{{cite web | url = https://www.taiwannews.com.tw/en/news/273771 | title = Joe Rosenthal's iconic Iwo Jima photograph remembered in 'Flags of Our Fathers' | last = Coyle | first = Jake | date = October 20, 2006 | website = taiwannews.com.tw/ | publisher = [[Taiwan News]] | archiveurl=https://web.archive.org/web/20211029174701/https://www.taiwannews.com.tw/en/news/273771|archivedate=2021-10-29|accessdate=2023-02-14 }}</ref>。
== 外部リンク ==
* [http://www.montney.com/marine/iwo.htm History of the Flag-Raising on Iwo Jima]
* [http://www.voanews.com/specialenglish/archive/2003-08/a-2003-08-09-2-1.cfm This is America-Iwo Jima statue]


== 戦後 ==
{{Normdaten}}
ローゼンタールは1945年後半にAP通信を退社し、タイムズ・ワイド・ワールド・フォトの主任写真家兼マネージャーになった。その後、『[[サンフランシスコ・クロニクル]]』紙に入社し、1981年に退職するまでの35年間、写真家として活動した<ref name=SFGate_Leary_20060821/>。


1996年4月13日、[[アメリカ海兵隊総司令官|海兵隊総司令官]]{{仮リンク|チャールズ・C・クルラック|en|Charles C. Krulak}}から{{仮リンク|名誉海兵隊員|en|Honorary Marine}}に任命された<ref name=USMC_Odom_20060917/>。

2001年9月11日の[[アメリカ同時多発テロ事件]]で写真家の[[トーマス・E・フランクリン]] (Thomas E. Franklin) が撮影した『[[レイジング・ザ・フラッグ・アット・グラウンド・ゼロ|Raising the Flag at Ground Zero]]』は、ローゼンタールの『硫黄島の星条旗』と類似が指摘され、ローゼンタールに対するインタビューが行われた他、ローゼンタールとフランクリンの対談も行われた。

ローゼンタールは[[2006年]][[8月20日]]、サンフランシスコ郊外の[[カリフォルニア州]]{{仮リンク|ノバト (カリフォルニア州)|label=ノバト|en|Novato, California}}の介護施設で、睡眠中に自然死した<ref name=sf>{{cite news | url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/c/a/2006/08/21/MNGEJKM9VH1.DTL | title= Joe Rosenthal 1911–2006 | first = Kevin | last = Leary | work = [[San Francisco Chronicle]] |quote=Retired Chronicle photographer Joe Rosenthal, who won the Pulitzer Prize and international acclaim for his soul-stirring picture of the World War II flag-raising on Iwo Jima, died Sunday in Novato. Rosenthal, 94, retired from The Chronicle in 1981 after a distinguished 35-year career and many professional honors, but the flag-raising picture was his masterpiece for which he will always be remembered. | date=August 21, 2006| access-date = September 9, 2007}}</ref><ref name=NYT_20060822>{{cite news |title=Joe Rosenthal, 94, Photographer at Iwo Jima, Dies |url=https://www.nytimes.com/2006/08/22/obituaries/22rosenthal.html?_r=1&pagewanted=all&oref=login |quote=Joe Rosenthal, the Associated Press photographer who captured the enduring image of the American fighting man in World War II with his depiction of five Marines and a Navy corpsman raising a huge American flag over the Japanese island of Iwo Jima, died Sunday in Novato, Calif. He was 94. |work=[[The New York Times]] |date=August 22, 2006 |access-date=July 10, 2008 | first=Richard | last=Goldstein}}</ref>。遺体は火葬された。同年9月15日にカリフォルニアの{{仮リンク|マリーンズ・メモリアル・クラブ|en|Marines' Memorial Club}}で海兵隊による追悼式が、9月16日にサンフランシスコの教会で追悼ミサが行われた<ref>Winslow, Donald R., NPPA (September 15, 2006) ''"Marine Corprs Ceremony Honors Joseph J. Rosenthal, 9''4" [https://www.nppa.org/news/2129]. Retrieved February 10, 2015</ref>。

== 賞と栄誉 ==
* [[ピューリッツァー賞 写真部門]](1945年)<ref name=SFGate_Leary_20060821>
{{cite news|access-date=January 23, 2009
|url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/c/a/2006/08/21/MNGEJKM9VH1.DTL
|title=Joe Rosenthal: 1911–2006;Photo was his fame – his pride 'My Marines'
|first=Kevin |last=Leary |work=[[San Francisco Chronicle]] |page=A1
|date=August 21, 2006}}</ref>
* 国際写真家殿堂<ref>[http://www.iphf.org/contact/plan-your-visit International Photography Hall of Fame and Museum]</ref>
* {{仮リンク|海軍公共奉仕功労賞|en|Navy Distinguished Public Service Award}}(2006年)<ref name=USMC_Odom_20060917>
{{cite news|access-date=January 23, 2009
|url=http://www.marines.mil/units/hqmc/mcrc/12mcd/Pages/2006/Marine%20Corps%20awards%20Joe%20Rosenthal%20Distinguished%20Public%20Service%20Medal.aspx
|archive-url=https://web.archive.org/web/20080518023022/http://www.marines.mil/units/hqmc/mcrc/12mcd/Pages/2006/Marine%20Corps%20awards%20Joe%20Rosenthal%20Distinguished%20Public%20Service%20Medal.aspx
|url-status=dead
|archive-date=May 18, 2008
|title= Marine Corps awards Joe Rosenthal Distinguished Public Service Medal
|date=September 17, 2006
|work=Marine Corps News
|first=Sgt. Christine C. |last=Odom
|publisher=United States Marine Corps }}</ref>

== 大衆文化において ==
2006年10月公開の映画『[[父親たちの星条旗]]』において、ローゼンタールの役を[[ネッド・アイゼンバーグ]]が演じた<ref>{{cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt0418689/fullcredits/?ref_=tt_cl_sm|title=Flags of Our Fathers(2006) Full Cast & Crew|publisher=IMBd|accessdate=2023-02-14}}</ref>。

==脚注==
===注釈===
{{notelist}}
===出典===
{{Reflist}}

==参考文献==
{{Refbegin}}
*{{cite journal | first = Mark Edward | last = Harris | title = Joe Rosenthal: The Road to Glory | journal = Camera & Darkroom Photography | volume = 16 | issue = 6 | date = June 1994 | pages = 40–49 | issn = 1056-8484 |oclc=22700574 }}
*{{cite book | first = Hal | last = Buell | author-link = Hal Buell | title = Uncommon Valor, Common Virtue: Iwo Jima and the Photograph that Captured America | url = https://archive.org/details/uncommonvalorcom00buel | url-access = registration |date=May 2006 | publisher = Berkley Pub. Group | isbn = 0-425-20980-6 | oclc = 65978720 | location = New York }}
{{Refend}}

==外部リンク==
{{Commons category|Joe Rosenthal (photographer)}}
*[https://web.archive.org/web/20070905115709/http://www.ap.org/pages/about/pulitzer/rosenthal.html Flag Raising Photo Not Posed]
*[http://www.montney.com/marine/iwo.htm History of the Flag-Raising on Iwo Jima]
*[http://learningenglish.voanews.com/content/a-23-a-2003-08-09-2-1-83116137/121475.html This is America – Iwo Jima statue]
*[https://web.archive.org/web/20061022212240/http://www.featurepics.com/PhotoReports/Rosenthal.aspx 1-400th of a second shot – story highlighted in numbers]
*[http://www.sfgate.com/news/article/JOE-ROSENTHAL-1911-2006-Photo-was-his-fame-2490706.php Joe Rosenthal: 1911–2006]
*{{Find a Grave|15449435|name=Joseph John Rosenthal|work=Photographer}}

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2023年3月18日 (土) 19:26時点における版

ジョー・ローゼンタール
Joe Rosenthal
ジョー・ローゼンタール(1990年)
生誕 Joseph John Rosenthal
(1911-10-09) 1911年10月9日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
死没 2006年8月20日(2006-08-20)(94歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ノバト
職業
  • 写真家
  • 記者
  • 名誉海兵隊員
著名な実績硫黄島の星条旗
受賞 ピューリッツァー賞 写真部門
海軍公共奉仕功労賞英語版
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ジョー・ローゼンタール: Joe Rosenthal [ˈroʊzənθɔl][1])ことジョセフ・ジョン・ローゼンタール(英: Joseph John Rosenthal1911年10月9日 - 2006年8月20日)は、アメリカ合衆国写真家である。1945年の硫黄島の戦いで6人のアメリカ兵が硫黄島摺鉢山山頂に星条旗を掲揚する瞬間を撮影した『硫黄島の星条旗』でピューリッツァー賞 写真部門を受賞した[2]。この写真は、第二次世界大戦中に撮影された最もよく知られた写真のうちの1枚であり、アーリントン国立墓地近くに建立された海兵隊戦争記念碑のモチーフとなった。ローゼンソール[3]とも表記される。

若年期

ローゼンタールは1911年10月9日ワシントンD.C.で生まれた。両親はユダヤ系ロシア人移民であるが、ローゼンタールは若い時にカトリックに改宗した[4]世界恐慌の頃に趣味として写真撮影を始めた。1929年にマッキンリー高校を卒業し、新聞社の雑用係(オフィスボーイ)として働いた後、仕事を求めてサンフランシスコに移り、1932年に『サンフランシスコ・ニュース英語版』に記者兼写真家として入社した。

第二次世界大戦

第二次世界大戦へのアメリカ参戦後、ローゼンタールはアメリカ陸軍に従軍写真家として入隊しようとしたが、弱視のため入隊できなかった[5]。1941年にAP通信に移った。1943年、写真家としてアメリカ合衆国商船隊英語版に入隊し、准士官としてブリテン諸島での船内の様子や北アフリカ戦線を記録した。1944年にAP通信に復帰し、アジア・太平洋戦線英語版アメリカ陸軍アメリカ海兵隊に従軍して、ホーランジアニューギニアグアムペリリューアンガウル硫黄島で取材を行った。

『硫黄島の星条旗』

硫黄島の星条旗

アメリカ軍が硫黄島に上陸してから4日目の1945年2月23日(金曜日)の朝、硫黄島へ向かう海兵隊の上陸用舟艇に乗っていたローゼンタールは、島の南端の摺鉢山の山頂に星条旗が掲げられるという知らせを聞いた。ローゼンタールは島に上陸すると、当時報道写真家の定番だった大型の高速度カメラを持って摺鉢山へ急いだ。そして、海兵隊所属の従軍写真家ボブ・キャンベル兵長、海兵隊の映像撮影担当者ビル・ジェノウスト英語版兵長とともに、山を登り始めた。その途中で、山頂で手榴弾の爆発を受けてカメラを破壊されたため下山中だった海兵隊の写真家、ルイス・ロウェリー英語版二等軍曹から、既に午前10時40分に星条旗が掲揚され、山頂でその写真を撮ったと聞かされた。3人は一旦下山しようかと考えたが、ロウェリーが山頂は写真をとるのに良い場所だと言っていたため、山頂を目指すことにした[6]

硫黄島摺鉢山
「ガンホー写真」を撮影するローゼンタール(左から2人目)。左端は映像を撮影するジェノウスト。

山頂についたローゼンタールたちは、山頂に小さな星条旗が掲げられているのを見た。ローゼンタールはキャンベルに、星条旗の横に立つ自分の写真を撮ってもらった。その横で、海兵隊員がより大きな星条旗を鉄パイプに取り付けていた。そして、将校が小さな旗を降ろして大きな旗を掲げるよう命じた。ローゼンタールは、両方の旗を1枚の写真に収めることを一瞬考えたが、両方の旗が画角に収まりそうになかったため、大きな旗を掲揚する様子のみを撮影することにした(キャンベルは小さな旗を降ろす様子を撮影していた)[6]

ローゼンタールは身長が165センチメートルしかないため、高さを稼ぐために石と土嚢を積んでその上に立った。レンズをF8とF11の間に、シャッタースピードを1/400秒にセットした所で、6人の海兵隊員が大きな旗を掲げ始めたのが視界の片隅に見えた[7]。ローゼンタールはすぐに振り向いて、ファインダーを覗かずにシャッターを切った。その3メートル右側で、ジェノウストがほぼ同じアングルからカラーフィルムで映像を撮影していた[6]。その後、AP通信に事前に内容を確認してもらうために、白黒フィルムでもう1枚撮影した。掲揚が終わった後、ローゼンタールは山頂にいた海兵隊員16人と海軍衛生兵2人を星条旗の周りに集めて、「ガンホー」と呼ばれるポーズをとらせて写真(いわゆる「ガンホー写真」)を撮影した[8]

海兵隊戦争記念碑

このとき撮影された写真『硫黄島の星条旗』はすぐに全世界に配信され、2月25日(日曜日)の新聞に掲載された[注釈 1]。アメリカ国民の厭戦感情が高まっていた中で、この写真は「この戦争の勝利の象徴」とみなされた[9][10]。多くの雑誌がこの写真を表紙にした。ローゼンタールはこの写真で1945年のピューリッツァー賞 写真部門を受賞した。アメリカ政府はこの写真を戦争債券購入運動のポスターに使用し、263億ドルの資金を調達した[5][10]。1954年には、この写真を元に製作した海兵隊戦争記念碑(通称 硫黄島記念碑)が建立された。

『硫黄島の星条旗』が有名になっても、ローゼンタールは謙虚だった。この写真についてローゼンタールは"I took the picture; the Marines took Iwo Jima."(私は写真を撮っただけだ。海兵隊員たちが硫黄島を取った)と述べていた[5][10]

戦後

ローゼンタールは1945年後半にAP通信を退社し、タイムズ・ワイド・ワールド・フォトの主任写真家兼マネージャーになった。その後、『サンフランシスコ・クロニクル』紙に入社し、1981年に退職するまでの35年間、写真家として活動した[5]

1996年4月13日、海兵隊総司令官チャールズ・C・クルラック英語版から名誉海兵隊員に任命された[11]

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で写真家のトーマス・E・フランクリン (Thomas E. Franklin) が撮影した『Raising the Flag at Ground Zero』は、ローゼンタールの『硫黄島の星条旗』と類似が指摘され、ローゼンタールに対するインタビューが行われた他、ローゼンタールとフランクリンの対談も行われた。

ローゼンタールは2006年8月20日、サンフランシスコ郊外のカリフォルニア州ノバトの介護施設で、睡眠中に自然死した[12][13]。遺体は火葬された。同年9月15日にカリフォルニアのマリーンズ・メモリアル・クラブ英語版で海兵隊による追悼式が、9月16日にサンフランシスコの教会で追悼ミサが行われた[14]

賞と栄誉

大衆文化において

2006年10月公開の映画『父親たちの星条旗』において、ローゼンタールの役をネッド・アイゼンバーグが演じた[16]

脚注

注釈

  1. ^ 一方、ロウェリーが撮影した最初の星条旗掲揚の写真が公開されたのは1947年末だった。

出典

  1. ^ Joe Rosenthal memorialized in San Francisco Marines(アメリカ海兵隊
  2. ^ Bernstein, Adam (August 22, 2006). “Joe Rosenthal; Shot Flag-Raising at Iwo Jima”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/08/21/AR2006082100039.html December 19, 2007閲覧. "Joe Rosenthal, 94, a World War II news photographer whose dramatic picture of servicemen raising the U.S. flag atop Iwo Jima's summit was one of the most reproduced images of the period, died August 20 at Atria Tamalpais Creek assisted living center in Novato, California." 
  3. ^ “硫黄島に初の星条旗掲揚/C・リンドバーグ氏が死去”. 四国新聞. (June 26, 2007). http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20070626000134 March 19, 2023閲覧。 
  4. ^ Bernstein, Adam (August 22, 2006). “Joe Rosenthal; Shot Flag-Raising at Iwo Jima”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/08/21/AR2006082100039.html October 11, 2009閲覧. "Joseph J. Rosenthal was born October 9, 1911, to Russian immigrant Jews; he converted to Catholicism as a young man." 
  5. ^ a b c d e Leary, Kevin (August 21, 2006). “Joe Rosenthal: 1911–2006;Photo was his fame – his pride 'My Marines'”. San Francisco Chronicle: p. A1. http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/c/a/2006/08/21/MNGEJKM9VH1.DTL January 23, 2009閲覧。 
  6. ^ a b c Rosenthal, Joe; Heinz, W.C. (February 18, 1955). “The Picture that will Live Forever”. Collier's Magazine (Crowell-Collier Publishing Company). オリジナルのMarch 23, 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130323213838/http://oldmagazinearticles.com/1955_Joe_Rosenthal_Io_Jima_Article_pdf April 18, 2016閲覧。. 
  7. ^ USMC Statement on Marine Corps Flag Raisers, Office of U.S. Marine Corps Communication, June 23, 2016
  8. ^ Knopf, David (January 2, 2012). “Camden-Fleming man an unsung hero at Iwo Jima”. Richmond News.. http://www.richmond-dailynews.com/2012/01/camden-fleming-man-an-unsung-hero-at-iwo-jima/ April 18, 2016閲覧。 
  9. ^ Ó'Riain, Seán (September 11, 2006). “An Irishman's Diary”. The Irish Times. http://www.irishtimes.com/newspaper/opinion/2006/0901/1156791312212.html 
  10. ^ a b c Coyle, Jake (October 20, 2006). “Joe Rosenthal's iconic Iwo Jima photograph remembered in 'Flags of Our Fathers'”. taiwannews.com.tw/. Taiwan News. 2021年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月14日閲覧。
  11. ^ a b Odom, Sgt. Christine C. (September 17, 2006). “Marine Corps awards Joe Rosenthal Distinguished Public Service Medal”. Marine Corps News (United States Marine Corps). オリジナルのMay 18, 2008時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080518023022/http://www.marines.mil/units/hqmc/mcrc/12mcd/Pages/2006/Marine%20Corps%20awards%20Joe%20Rosenthal%20Distinguished%20Public%20Service%20Medal.aspx January 23, 2009閲覧。 
  12. ^ Leary, Kevin (August 21, 2006). “Joe Rosenthal 1911–2006”. San Francisco Chronicle. http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/c/a/2006/08/21/MNGEJKM9VH1.DTL September 9, 2007閲覧. "Retired Chronicle photographer Joe Rosenthal, who won the Pulitzer Prize and international acclaim for his soul-stirring picture of the World War II flag-raising on Iwo Jima, died Sunday in Novato. Rosenthal, 94, retired from The Chronicle in 1981 after a distinguished 35-year career and many professional honors, but the flag-raising picture was his masterpiece for which he will always be remembered." 
  13. ^ Goldstein, Richard (August 22, 2006). “Joe Rosenthal, 94, Photographer at Iwo Jima, Dies”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2006/08/22/obituaries/22rosenthal.html?_r=1&pagewanted=all&oref=login July 10, 2008閲覧. "Joe Rosenthal, the Associated Press photographer who captured the enduring image of the American fighting man in World War II with his depiction of five Marines and a Navy corpsman raising a huge American flag over the Japanese island of Iwo Jima, died Sunday in Novato, Calif. He was 94." 
  14. ^ Winslow, Donald R., NPPA (September 15, 2006) "Marine Corprs Ceremony Honors Joseph J. Rosenthal, 94" [1]. Retrieved February 10, 2015
  15. ^ International Photography Hall of Fame and Museum
  16. ^ Flags of Our Fathers(2006) Full Cast & Crew”. IMBd. 2023年2月14日閲覧。

参考文献

  • Harris, Mark Edward (June 1994). “Joe Rosenthal: The Road to Glory”. Camera & Darkroom Photography 16 (6): 40–49. ISSN 1056-8484. OCLC 22700574. 
  • Buell, Hal (May 2006). Uncommon Valor, Common Virtue: Iwo Jima and the Photograph that Captured America. New York: Berkley Pub. Group. ISBN 0-425-20980-6. OCLC 65978720. https://archive.org/details/uncommonvalorcom00buel 

外部リンク