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* [[1440年]] - [[プロイセン同盟|プロイセン連合]]に加盟。
* [[1440年]] - [[プロイセン同盟|プロイセン連合]]に加盟。
* [[1454年]] - ドイツ騎士団に対する新教徒(プロイセン連合)の反乱をきっかけに、[[三十年戦争]]が始まる。 騎士団の城を破壊し、新市街と旧市街を連結する
* [[1454年]] - ドイツ騎士団に対する新教徒(プロイセン連合)の反乱をきっかけに、[[三十年戦争]]が始まる。 騎士団の城を破壊し、新市街と旧市街を連結する
* [[1466年]] - [[第二次トルンの和約]] 。[[ドイツ騎士団国]]の西部地域は[[ポーランド王領プロシア]]となり、ポーランド王国支配下に入る。
* [[1466年]] - [[第二次トルンの和約]] 。[[ドイツ騎士団国]]の西部地域は[[王領プロイセン]]となり、ポーランド王国支配下に入る。
* [[1473年]] - [[ニコラウス・コペルニクス|ミコワイ・コペルニク]](コペルニクス)がトルンで生まれる
* [[1473年]] - [[ニコラウス・コペルニクス|ミコワイ・コペルニク]](コペルニクス)がトルンで生まれる
* [[1500年]] - 聖ヨハネ大聖堂に「Tuba Dei」の鐘が吊るされる。
* [[1500年]] - 聖ヨハネ大聖堂に「Tuba Dei」の鐘が吊るされる。

2020年12月31日 (木) 23:58時点における版

Toruń
Toruńの旗
Toruńの紋章
紋章
愛称: 
City of Angels, Gingerbread city, Copernicus Town
標語: 
"Durabo" (ラテン語: "I will endure")
Toruńの位置(ポーランド内)
Toruń
Toruń
Toruńの位置(クヤヴィ=ポモージェ県内)
Toruń
Toruń
北緯53度0分47秒 東経18度35分50秒 / 北緯53.01306度 東経18.59722度 / 53.01306; 18.59722座標: 北緯53度0分47秒 東経18度35分50秒 / 北緯53.01306度 東経18.59722度 / 53.01306; 18.59722
ポーランド
クヤヴィ=ポモージェ県
カウンティ city county
設立 13世紀
市制施行 1233
政府
 • 市長 Michał Zaleski
面積
 • 都市 115.75 km2
標高
65 m
人口
(2014)
 • 都市 203,148人
 • 密度 1,800人/km2
 • 都市圏
297,646人
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
87-100 to 87-120
市外局番 +48 56
カープレート CT
ウェブサイト http://www.torun.pl/
地図
世界遺産 中世都市トルン
ポーランド
トルンの市庁舎
トルンの市庁舎
英名 Medieval Town of Torun
仏名 Ville médiévale de Toruń
登録区分 文化遺産
登録基準 (2),(4)
登録年 1997年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
トルンの位置(トルン内)
トルン
使用方法表示

トルンToruń Pl-Toruń.ogg [tɔruɲ][ヘルプ/ファイル]ドイツ語Thorn)は、ポーランド中北部ヴィスワ川のほとりに位置する工業都市で、クヤヴィ=ポモージェ県の県議会所在地。1998年までは旧トルン県の県都であった。1997年に旧市街が世界遺産に登録された。トルンは、中世からプロイセン領内にあった都市。

トルンはブィドゴシュチュからヴィスワ川を遡り東南東に40kmほどのところにある。2003年にはブィドゴシュチュ医科大学がトルン大学に統合された。

日本語ではトルンの表記の他、トルニと表記されることも多い。

名前の由来

1226年の記録には「Thorn」として登場し、1466年ごろの文書には「Thorun」、「Turon」、「Toron」、「Turun」、「Thoron」などという名で記述されていて、15世紀以降のポーランド王国支配下後は現在のポーランド語名称「Toruń」となっている。 トルンの名称の起源についてはいくつかの説がある。

  1. 十字軍によって樹立されたエルサレム王国に「Toron」という町があり、この名に由来した「Thorn」という町をドイツ騎士団がかつてトルンがあった場所(古トルン)に建設した。
  2. ポーランド語で「道」、「軌道」あるいは「(水の)流れ」を意味する「tor」に由来する。つまり「流れ(沿い)の町」、「ヴィスワのほとりの町」を意味する。
  3. 「Toron」という人物の名前に由来している。つまり、「Toronの町」を意味する。
  4. 「tarnina(りんぼく)の町」を意味する「Tarnów」に由来する。Tarnów という名の町はポーランド各地にある。これがのちにドイツ語化して「Thorn」となり、ふたたびポーランド語化されて「Toruń」となった。
  5. 北欧神話の神、トールに由来する。

しかし、「Toruń」にも「Thorn」にも語源的意味はないとする主張もある。

ドイツ騎士団国時代はトルンの名をたいてい「Thorun」と綴り、のちにトルンがポーランド王国領に入ると12世紀にポーランドに導入されたラテン文字での文書には「Thorun」、「Thorunium」、「civitas Thorunensis」、「civitas Torunensis」と記述されるようになった。その後「Thorn」となり、第二次世界大戦後にポーランド領になると、現代の名称「Toruń」になった。

歴史

トルン遠景
中央が旧市街(15世紀以前に建設された歴史的市街地)。右端に新市街(16世紀以後に建設された歴史的市街地)の聖ヤコブ教会と聖カタリナ教会の塔が見える。

地理

ワルシャワからの距離はおよそ180kmで、ヴィスワ川の中流に位置する。

トルン出身の人物

姉妹都市

脚注

  1. ^ 『地球の歩き方 2017〜18 チェコ/ポーランド/スロヴァキア』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、296頁。ISBN 978-4-478-06043-8 

関連項目

外部リンク