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*昭和15年 「人体三角の発見とその喜び」を著述し、一躍有名となり「大殿姿勢学会」設立される。帝大学長[[永井潜]]、元東北大総長[[井上仁吉]]。軍部からは、翼讃会 元海軍大将 [[山本英輔]]、陸軍大将([[文部大臣]])[[荒木貞夫]]、[[司法大臣]][[柳川平助]]。 |
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*昭和25年 第五期「日本学術会議」会員となり、以後名誉会員 |
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2020年12月30日 (水) 08:58時点における版
岩淵 大殿(いわぶち だいでん、1889年 - 1974年3月1日)は、日本の宗教哲学者。歯科医師。
経歴
- 明治22年 長野県東筑摩郡四賀村(現松本市)大字会田生まれ
- 大正7年 歯科医師免許取得
- 大正9年 東京府下八郡八王子歯科医師会理事以後、歯科医師会向上のため紛争す
- 大正12年 日本大学法律専門部卒業
- 大正14年 小学校における歯倹の必要をとき、日本で初めて小学校医となる。名誉歯科町医を受ける
- 昭和2年 日本歯科医師会委員以後、理事等を得る。
- 昭和8年 東京歯科医専(東京歯科大学)学長の血脇守之助の推挙で東京帝国大学医学部生理学校室(永井潜博士)幹事及び評議員となる。のち主事
- 昭和9年 東京帝国大学内「日本民族衛生学会」幹事
- 昭和11年 東京代々木倶楽部会員となる。
- 昭和12年 東北帝国大学総長井上仁吉を会長に「優生生活協会」設立
- 昭和13年 この頃より、歯科医業をやめ、医事倫理医学及び数理学よりなる仏教哲学の研究に没頭す。
- 昭和15年 「人体三角の発見とその喜び」を著述し、一躍有名となり「大殿姿勢学会」設立される。帝大学長永井潜、元東北大総長井上仁吉。軍部からは、翼讃会 元海軍大将 山本英輔、陸軍大将(文部大臣)荒木貞夫、司法大臣柳川平助。
- 昭和21年 東京大空襲にて、明治神宮一帯、延焼し渋谷区穏田の住居全焼。長野県会田村に疎開。
- 昭和25年 第五期「日本学術会議」会員となり、以後名誉会員
- 昭和26年 「大殿哲学」著述・講演 歯科医師としての仕事を一切すて、曼荼羅研究に没頭。
- 昭和36年 「世紀姿勢曼荼羅」全八幅 大殿哲学をこの中に集積す。
- 昭和36年 旧本郷村老人会会長となり、老人大学等、七年間、老人会の資質の向上をはかる。
- 昭和49年 死去。
業績
数理学等を研究した宗教哲学者。日本学術会議名誉会員となり、有機集合論よりなる人間精神の解明にあたり、人体姿勢生理と精神関係における研究を進め「人体三角原理」を発見したとされる。多くの有識者等に影響を与え、二十数回に及ぶ発表講演は、昭和天皇への「御前講義」のはこびの段となった。
日本国内初の歯科医師会を創立、日本発の小学校医となる。
著書
- 歯科医業 医業経済論理
- 医師歯科医師医事倫理及医業経済 /岩淵大殿著 歯苑社 昭和5年
- 人体三角の発見と其悦び:これは日本の科学者が発見/岩淵大殿著 玄久社 昭和15年
- 歯科医事法制学体系論
- 郷土史、教著
- 信濃ノ國會田黨と田澤神明史考
- 正座〈科学禅〉方法学講義録
- 質の哲学
- 私語能心理学
- 四.五律心理学
- 因果解析学
- 大殿哲学
- 岩淵式健康法
- 日本天皇に捧ぐ科学論文
- 日本天皇論
- 日本天皇の行方〈各種論文〉