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1932年(昭和7年)1月、新湊町会議員に選出され1期在任{{R|歴代}}。[[帝国農会]]参事、富山県[[農会]]技師兼幹事、産業組合中央金庫(現[[農林中央金庫]])秘書課長、[[石黒忠篤]][[農林水産大臣|農林大臣]][[秘書官]]{{R|歴代}}、農地開発営団常任幹事、農村更生協会常任理事、[[農山漁村文化協会]]監事などを務めた{{R|gisyuu}}。
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2020年12月26日 (土) 10:42時点における版

内藤 友明(ないとう ともあき、1894年明治27年)12月8日[1] - 1992年平成4年)3月14日[2])は、大正から昭和期の農業技術者、政治家衆議院議員富山県新湊市長。

経歴

富山県[3]射水郡新湊町(新湊市を経て現射水市[2])出身。1917年(大正6年)東京帝国大学農科大学実科を卒業した[2][3]

1932年(昭和7年)1月、新湊町会議員に選出され1期在任[1]帝国農会参事、富山県農会技師兼幹事、産業組合中央金庫(現農林中央金庫)秘書課長、石黒忠篤農林大臣秘書官[1]、農地開発営団常任幹事、農村更生協会常任理事、農山漁村文化協会監事などを務めた[3]

1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙富山県第2区国民協同党公認で出馬して初当選し[1][4]、以後1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙まで再選され[5]、衆議院議員に連続5期在任した[2][3]。この間、第1次鳩山一郎内閣農林政務次官、富山県農業会議会長、新湊市農業協同組合長、国民民主党代議士会長、同農林部長、同政策副委員長、日本民主党全国委員会副委員長などを務めた[1][2][3]。その後、第29回総選挙まで連続2回立候補したがいずれも次点で落選した[6]

1967年(昭和42年)7月24日、新湊市長に選出され、1979年(昭和54年)7月23日まで3期在任した[1][2]。この間、新湊市公害防止条例の制定、緑化推進条例の制定、保健施設の整備、雪害対策として道路消雪管の敷設を行うなど、市民の健康増進の施策などを推進した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『日本の歴代市長』第2巻、146頁。
  2. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』425頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』436頁。
  4. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』213頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』177頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』178頁。

参考文献

  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。