「モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗」の版間の差分
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| 根拠法令 = モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則 |
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== 変遷 == |
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[[File:Flag of Moldavian SSR.svg|200px|center|thumb|{{FIAV|historical|1}} 1952年1月31日から1990年4月27日までの国旗]] |
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その後、[[ソ連崩壊]]間際の[[1990年]]4月27日、最高会議は「モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗について」の法令を定め、1978年からの憲法の第168条に次のような変更を加えた<ref name="flag2"/>。 |
その後、[[ソビエト連邦の崩壊]]間際の[[1990年]]4月27日、最高会議は「モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗について」の法令を定め、1978年からの憲法の第168条に次のような変更を加えた<ref name="flag2"/>。 |
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{{quotation|モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗は矩形の[[三色旗|トリコロール]]であり、3色の帯は左から[[アジュール (紋章学)|アジュール]]、黄、赤の順に、等幅に垂直方向に配置される。黄色い帯の中央にはモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国章を表示する。}} |
{{quotation|モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗は矩形の[[三色旗|トリコロール]]であり、3色の帯は左から[[アジュール (紋章学)|アジュール]]、黄、赤の順に、等幅に垂直方向に配置される。黄色い帯の中央にはモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国章を表示する。}} |
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[[File:Flag of the Moldavian Soviet Socialist Republic (proposed).svg|200px|center|thumb|{{FIAV|historical|1}}{{FIAV|reconstructed|1}} 1990年4月27日の国旗]] |
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2020年12月26日 (土) 00:54時点における版
用途及び属性 | ? |
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縦横比 | 1:2 |
制定日 | 1952年1月31日 |
使用色 | 赤色、緑色、金色 |
根拠法令 | モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則 |
モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗は1941年に最初に制定され、その後のデザイン変更による1952年制定のものがソビエト連邦の崩壊間際まで使用された。
変遷
1925年4月23日からのモルダヴィア自治社会主義ソビエト共和国憲法の第48条においては、
自治モルダヴィア社会主義ソビエト共和国は、モルダヴィア中央執行委員会によって制定され、全ウクライナ中央執行委員会によって承認された独自の国章と国旗を持つ。
と定められていた[1]。この時点では具体的な国旗は策定されていなかったが、同年9月4日に中央執行委幹部会は特別委に国旗の策定を命じた[1]。同月21日に中央執行委小幹部会は、赤旗の上に次の意匠を配したものをモルダヴィア自治共和国の国旗と決議した[1]。
翌10月19日に中央執行委は、国章とともにこの国旗を承認した[1]。
1932年2月2日にウクライナ共産党モルダヴィア州委局はモルダヴィア語アルファベットのラテン文字化を決議したため、国旗の国名表記も „R.A.S.S.M.” へ変更されたと思われるが、その詳細は明らかになっていない[1]。
その後、1937年にウクライナ共和国が国旗を刷新し、これに伴ってモルダヴィア自治共和国国旗も、翌1938年1月6日に採択された新憲法の第112条により一新された[1]。
モルダヴィア自治ソビエト社会主義共和国の国旗はウクライナSSRの国旗であり、左上部隅旗竿付近に金の鎌と槌と、ウクライナ語とモルダヴィア語での «УРСР» の文字、«УРСР» の下にはより小さい文字のウクライナ語とモルダヴィア語で «Молдавська АРСР» を表示した赤旗である。
しかし、新憲法の採択からわずか52日後の翌2月27日、党モルダヴィア州局は再びモルダヴィア語アルファベットをキリル文字へと書き換える決議をなした[1]。
2年後の1940年8月2日にモルダヴィア自治共和国はモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国へと昇格し、翌1941年2月10日に第1期モルダヴィア共和国最高会議は、新たな憲法を採択した[2]。
第118条:モルダヴィアSSRの国旗は赤旗であり、左上部隅旗竿付近に金の鎌と槌、そして金文字の «РССМ» を表示する。高さに対する幅の比は1:2とする。
条文には文字の配置については規定がないが、配置は円弧状であった[2]。
1947年2月に連邦最高会議幹部会は各構成共和国が新たな国旗を策定するよう勧告する決議を採択し、これに伴って連邦科学アカデミーモルダヴィア共和国支部が策定した新たな国旗案は、1952年1月31日のモルダヴィア共和国最高会議幹部会令によって承認された[2]。
モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗は、旗の全幅に緑の帯を配した赤旗であり、上部旗竿付近赤色の領域には金の鎌と槌を、その上には金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示する。高さに対する幅の比は1:2とする。緑の帯と旗の高さの比は1:4とする。
この変更は、同年4月11日に最高会議によって憲法第118条に反映された[2]。翌1955年12月24日の最高会議幹部会令「モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則」により、デザインについての細則が定められた[2]。
鎌と槌は辺長を旗の高さの5分の1とする正方形に収まる。鎌の鋭端は正方形の上辺中点に接し、鎌と槌の柄は下辺両端に接する。柄を含めた槌の長さは正方形の対角線の4分の3とする。五芒星は旗の高さの10分の1を直径とし、正方形の上辺に接する円に収まる。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの4分の1とする。旗の上端から星の中心までの距離は、旗の高さの10分の1とする。
その後、ソビエト連邦の崩壊間際の1990年4月27日、最高会議は「モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗について」の法令を定め、1978年からの憲法の第168条に次のような変更を加えた[2]。
考案者のS・タバクとS・オダイニクの回顧録によれば、国旗の左端をアジュールとしたのは、左端を群青とするルーマニアの国旗との混同を避けるためであるという[2]。しかし、中央に表示するとされた肝心の国章は新案がまだ承認されておらず、表示される国章はやむなく1940年以来のものと解釈された[2]。これに対して代議員らは暫定的に国章なしでの国旗の使用を決議し、同日夜には最高会議議事堂にトリコロールが掲げられた[2]。
翌5月12日には、最高会議決議第17-7により国旗の縦横比を1:2、国章の幅を国旗の幅の5分の1とすることが承認されたが、未だ国章自体については決定されないままであった[2]。翌6月23日にモルダヴィア共和国は国名を「モルドバ・ソビエト社会主義共和国」と改称するとともに主権宣言を行い、11月3日にようやく最高会議は新たなモルドバの国章を承認した[2]。その後、翌1991年5月23日にモルドバ・ソビエト社会主義共和国は「モルドバ共和国」と改称し[2]、8月27日にソ連からの独立を宣言した[3]。
なお、同時期にモルドバから一方的に独立した沿ドニエストル共和国の国旗は、1952年から1990年までのモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の国旗と全く同一のものである[4]。