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「駐日ロシア大使」の版間の差分

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* [[1945年]]([[昭和]]20年)[[8月9日]] - [[ソビエト連邦]]が[[日ソ中立条約]]を破棄し[[ソ連対日宣戦布告|対日宣戦布告]]を行い([[ソ連対日参戦]])、外交関係が中断。
* [[1945年]]([[昭和]]20年)[[8月9日]] - [[ソビエト連邦]]が[[日ソ中立条約]]を破棄し[[ソ連対日宣戦布告|対日宣戦布告]]を行い([[ソ連対日参戦]])、外交関係が中断。
* [[1956年]](昭和31年)[[10月19日]] - [[日ソ共同宣言]]が発表され、[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]](現:[[ロシア|ロシア連邦]])との大使レベルの外交関係を回復。
* [[1956年]](昭和31年)[[10月19日]] - [[日ソ共同宣言]]が発表され、[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]](現:[[ロシア|ロシア連邦]])との大使レベルの外交関係を回復。
* [[1991年]]([[平成]]3年)[[12月25日]] - [[ソ連崩壊]]および[[継承国]]の[[ロシア連邦]]樹立に伴い、「駐日ソビエト連邦大使館」が「駐日ロシア連邦大使館」となり(現在の所在地:[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[麻布台]]2-1-1)、{{仮リンク|ルドヴィグ・チジョフ|ru|Чижов, Людвиг Александрович}}第16代駐日ソビエト連邦大使が、初代駐日ロシア連邦大使として就任。
* [[1991年]]([[平成]]3年)[[12月25日]] - [[ソビエト邦の崩壊]]および[[継承国]]の[[ロシア連邦]]樹立に伴い、「駐日ソビエト連邦大使館」が「駐日ロシア連邦大使館」となり(現在の所在地:[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[麻布台]]2-1-1)、{{仮リンク|ルドヴィグ・チジョフ|ru|Чижов, Людвиг Александрович}}第16代駐日ソビエト連邦大使が、初代駐日ロシア連邦大使として就任。
* [[2018年]](平成30年)[[1月29日]] - [[ミハイル・ガルージン]]、第6代駐日ロシア連邦大使(現職)に就任。
* [[2018年]](平成30年)[[1月29日]] - [[ミハイル・ガルージン]]、第6代駐日ロシア連邦大使(現職)に就任。
== 歴代大使 ==
== 歴代大使 ==

2020年12月26日 (土) 00:41時点における版

駐日ロシア大使(ちゅうにちロシアたいし)とは、ロシア連邦政府が派遣した日本に駐在するロシア特命全権大使

本項ではロシア帝国以降について記述する。

日露外交関係年表

歴代大使

駐日ロシア帝国大使

氏名 着任 退任 備考
1 エフゲニー・ビュチョフロシア語版 1871年1月1日
(明治3年11月11日)
1873年(明治6年)5月15日 代理公使・総領事
2 キリル・シュトルーベロシア語版 1873年(明治6年)5月15日 1882年(明治15年)1月12日 代理公使・総領事:
~1874年(明治7年)12月3日
弁理公使:
1874年(明治7年)12月3日
~1876年(明治9年)7月1日
特命全権公使:
1876年(明治9年)7月1日~
- ロマン・ローゼン 1877年(明治10年)11月22日 1879年(明治12年)8月12日 代理公使
3 ミハイル・バルトロメイ 1882年(明治15年)1月12日 1882年(明治15年)11月30日 特命全権公使
4 アレクサンドル・ダヴィドフロシア語版 1883年(明治16年)4月10日 1885年(明治18年)11月20日 特命全権公使
5 ドミトリー・シェービチロシア語版 1886年(明治19年)1月28日 1892年(明治25年)7月28日 特命全権公使
6 ミハイル・ヒトロヴォロシア語版 1892年(明治25年)7月28日 1896年(明治29年)6月30日 特命全権公使
- アレクセイ・シュペイエル 1896年(明治29年)2月25日 1897年(明治30年)11月6日 代理公使
7 ロマン・ローゼン 1897年(明治30年)2月4日 1899年(明治32年)11月18日 特命全権公使
8 アレクサンドル・イズヴォリスキー 1899年(明治32年)11月18日 1902年(明治35年)10月24日 特命全権公使
9 ロマン・ローゼン 1902年(明治35年) 1904年(明治37年)1月28日 特命全権公使
国交断絶状態
日露戦争開戦~ポーツマス条約発効)
10 ユーリ・フメーチェフロシア語版 1906年(明治39年) 1908年(明治41年) 特命全権公使
11 ニコライ・マレフスキー=マレヴィチロシア語版 1908年(明治41年) 1916年(大正5年)
12 ヴァシーリー・クルペンスキーロシア語版 1916年(大正5年) 1917年(大正6年)3月3日

駐日ロシア臨時政府大使

1917年(大正6年)11月8日にロシア帝国で十月革命が起こったことにより、外交関係は中断している。

氏名 着任 退任 備考
1 ヴァシーリー・クルペンスキーロシア語版 1917年(大正6年) 1921年(大正10年) 特命全権大使
- ドミトリー・アブリコソフロシア語版 1921年(大正10年) 1925年(大正14年) 代理公使

駐日ソビエト連邦大使

氏名 着任 退任 備考
1 ヴィクトル・コップロシア語版 1925年(大正14年)2月25日 1927年(昭和2年)1月31日 全権代表
2 ヴァレリヤン・ドヴガレフスキーロシア語版 1927年(昭和2年)3月5日 1927年(昭和2年)10月21日 全権代表
3 アレクサンドル・トロヤノスキーロシア語版 1927年(昭和2年)11月14日 1933年(昭和8年)1月24日 全権代表
4 コンスタンチン・ユレーネフロシア語版 1933年(昭和8年)1月29日 1937年(昭和12年)6月16日 全権代表
5 ミハイル・スラヴツキーロシア語版 1937年(昭和12年)7月27日 1939年(昭和14年)9月29日 全権代表
6 コンスタンチン・スメタニン 1939年(昭和14年)9月29日 1942年(昭和17年)5月28日 全権代表(~1941年5月9日)
特命全権大使(1941年5月9日~)
7 ヤコフ・マリク 1942年(昭和17年)5月28日 1945年(昭和20年)8月9日
国交断絶状態
ソ連対日参戦日ソ共同宣言発効)
8 イヴァン・テヴォシアン 1956年(昭和31年)12月30日 1958年(昭和33年)3月30日
9 ニコライ・フェドレンコ 1958年(昭和33年)6月15日 1962年(昭和37年)7月16日
10 ウラジーミル・ヴィノグラードフロシア語版 1962年(昭和37年)7月16日 1967年(昭和42年)4月3日
11 オレグ・トロヤノスキーロシア語版 1967年(昭和42年)4月3日 1976年(昭和51年)4月17日
12 ドミトリー・ポリャンスキー 1976年(昭和51年)4月17日 1982年(昭和57年)2月11日
13 ウラジーミル・パブロフロシア語版 1982年(昭和57年)2月11日 1985年(昭和60年)2月27日
14 ピョートル・アブラシモフロシア語版 1985年(昭和60年)2月27日 1986年(昭和61年)5月13日
15 ニコライ・ソロフィエフロシア語版 1986年(昭和61年)5月13日 1990年(平成2年)8月7日
16 ルドヴィグ・チジョフロシア語版 1990年(平成2年)8月7日 1991年(平成3年)12月25日

駐日ロシア連邦大使

氏名 着任 退任 備考
1 ルドヴィグ・チジョフロシア語版 1991年(平成3年)12月25日 1996年(平成8年)9月6日
2 アレクサンドル・パノフ 1996年(平成8年)9月6日 2003年(平成15年)12月25日
3 アレクサンドル・ロシュコフ 2004年(平成16年)3月2日 2006年(平成18年)12月28日
4 ミハイル・ベールイ 2006年(平成18年)12月28日 2012年(平成24年)2月20日
5 エフゲニー・アファナーシエフ 2012年(平成24年)2月20日 2018年(平成30年)1月29日
6 ミハイル・ガルージン 2018年(平成30年)1月29日 (現職)

脚注

  1. ^ 倉田 有佳. “函館のソ連領事館と日本人職員”. 函館日ロ交流史研究会. 2011年9月24日閲覧。

関連項目

参考文献