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「ラードゥジヌイ (ウラジーミル州)」の版間の差分

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[[1971年]]、[[レーザー]]の軍事利用を研究する「ラードゥガ[[設計局]]」が、機密を考慮して深い森の中に研究所を作り、周囲に研究員とその家族のための団地や病院、学校などを建設した。ラードゥジヌイでは町の誕生日を[[1971年]][[2月25日]]としている。[[1977年]]にはこの住宅地は[[都市型集落]](町)の地位を与えられ、「'''ウラジーミル30'''」({{lang-ru|Влади́мир-30}})のコードネームで呼称される様になった。
[[1971年]]、[[レーザー]]の軍事利用を研究する「ラードゥガ[[設計局]]」が、機密を考慮して深い森の中に研究所を作り、周囲に研究員とその家族のための団地や病院、学校などを建設した。ラードゥジヌイでは町の誕生日を[[1971年]][[2月25日]]としている。[[1977年]]にはこの住宅地は[[都市型集落]](町)の地位を与えられ、「'''ウラジーミル30'''」({{lang-ru|Влади́мир-30}})のコードネームで呼称される様になった。


[[1991年]]には市に昇格し、併せてラードゥガ設計局の名にちなんで「ラードゥジヌイ」という地名が与えられた(ラードゥガはロシア語で「[[虹]]」を意味する)。[[1993年]]以降、設計局はロシア連邦国立レーザー研究実験センター「ラードゥガ」へと組織換えされた。[[ソ連崩壊]]後の[[1990年代]]は街の財政は非常に低迷したが、1990年代末から政府の援助が増加し、新たな住宅開発や研究施設の増設なども続いている。
[[1991年]]には市に昇格し、併せてラードゥガ設計局の名にちなんで「ラードゥジヌイ」という地名が与えられた(ラードゥガはロシア語で「[[虹]]」を意味する)。[[1993年]]以降、設計局はロシア連邦国立レーザー研究実験センター「ラードゥガ」へと組織換えされた。[[ソビエト邦の崩壊]]後の[[1990年代]]は街の財政は非常に低迷したが、1990年代末から政府の援助が増加し、新たな住宅開発や研究施設の増設なども続いている。


== 外部リンク ==
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2020年12月26日 (土) 00:22時点における版

座標: 北緯56度0分 東経40度20分 / 北緯56.000度 東経40.333度 / 56.000; 40.333

ラードゥジヌイ市章

ラードゥジヌイロシア語:Ра́дужныйラードゥジュヌィイ)はロシアヴラジーミル州にある都市で、軍用の研究所が置かれ閉鎖行政地域組織(閉鎖都市、ZATO)となっている。行政的にはヴラジーミル州により直接管轄されている。人口は17,506人(2002年国勢調査)。

州都ウラジーミルから南へ25km離れており、クリャージマ川にいくつかの支流(Pol, Buzha, Uzhbol)が流れ込む所にある。周囲は沼地や深い森林に囲まれている。

歴史

ラードゥジヌイの住宅地

1971年レーザーの軍事利用を研究する「ラードゥガ設計局」が、機密を考慮して深い森の中に研究所を作り、周囲に研究員とその家族のための団地や病院、学校などを建設した。ラードゥジヌイでは町の誕生日を1971年2月25日としている。1977年にはこの住宅地は都市型集落(町)の地位を与えられ、「ウラジーミル30」(ロシア語: Влади́мир-30)のコードネームで呼称される様になった。

1991年には市に昇格し、併せてラードゥガ設計局の名にちなんで「ラードゥジヌイ」という地名が与えられた(ラードゥガはロシア語で「」を意味する)。1993年以降、設計局はロシア連邦国立レーザー研究実験センター「ラードゥガ」へと組織換えされた。ソビエト連邦の崩壊後の1990年代は街の財政は非常に低迷したが、1990年代末から政府の援助が増加し、新たな住宅開発や研究施設の増設なども続いている。

外部リンク