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「ヘルシンキ宣言 (全欧安全保障協力会議)」の版間の差分

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==冷戦後とクリミア問題 ==
==冷戦後とクリミア問題 ==
ヘルシンキ宣言は[[条約]]ではないが、[[ソ連崩壊]]後でも国際交流の[[現状]]であった。[[2014年クリミア危機]]に関連して、この宣言が注目されている<ref>日本経済新聞2014年3月25日朝刊 経済教室「国際法からみたクリミア問題、武力背景の編入は違法、独立宣言・条約は無効」 </ref>。
ヘルシンキ宣言は[[条約]]ではないが、[[ソビエト邦の崩壊]]後でも国際交流の[[現状]]であった。[[2014年クリミア危機]]に関連して、この宣言が注目されている<ref>日本経済新聞2014年3月25日朝刊 経済教室「国際法からみたクリミア問題、武力背景の編入は違法、独立宣言・条約は無効」 </ref>。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2020年12月26日 (土) 00:22時点における版

ヘルシンキ宣言(Helsinki Declaration)またはヘルシンキ合意(Helsinki Accords)は、1975年7〜8月、フィンランドヘルシンキにおいて開催された「全欧安全保障協力会議(Conference on Security and Cooperation in Europe:CSCE)」で採択された最終の合意文書のこと。

宣言に署名する東西の首脳。左から、シュミット西ドイツ首相、ホーネッカー東ドイツ社会主義統一党書記長アメリカフォード大統領オーストリアクライスキー首相

この全欧安全保障協力会議にはアルバニアを除きソ連を含めたヨーロッパ33ヵ国、アメリカカナダの計35ヵ国の首脳が参加した(そして全参加国が同文書に調印)。

ヘルシンキ宣言」は、国家主権の尊重、武力不行使、国境の不可侵、領土保全、紛争の平和的解決、内政不干渉、人権と諸自由の尊重などの原則、信頼醸成措置の促進などの安全保障や技術協力などの推進を掲げ、冷戦時代の東西対話に大いに役割を果たした。

宣言後の全欧安全保障協力会議

1989年東欧革命やそれに続く冷戦の終結(1989年、米ブッシュ大統領とソ連ゴルバチョフ共産党書記長によるマルタ会談にて終結)を踏まえ、1990年11月新たに「パリ憲章」採択。 事務局長(ウィーンプラハ)、紛争防止センター(ウィーン)、自由選挙促進事務局(ワルシャワ)の設置を決定し、常設期間として準備を進めた。 その後バルト三国独立国家共同体 (CIS) (1991年アルマ・アタ宣言」に基づきソ連が崩壊してできた)の10ヵ国等も加わる。

1994年12月にはブダペストで開催された「全欧安全保障協力会議 (CSCE) 」において52ヵ国参加のもと正式に常設のOSCEの設置を決定。 名称を「欧州安全保障協力機構 (OSCE) 」に変更。1995年1月発足。 これまで単に「会議の連続体」にすぎなかったCSCEを紛争予防・解決の実行力を伴う組織とし「地域安全保障機構」にすることを決定。

1999年には「ヨーロッパの安全保障憲章」を採択し、機能強化を進める。2004年55ヵ国が加盟。 日本は1992年7月に準加盟国として参加が認められた。

冷戦後とクリミア問題

ヘルシンキ宣言は条約ではないが、ソビエト連邦の崩壊後でも国際交流の現状であった。2014年クリミア危機に関連して、この宣言が注目されている[1]

関連項目

参考文献

  1. ^ 日本経済新聞2014年3月25日朝刊 経済教室「国際法からみたクリミア問題、武力背景の編入は違法、独立宣言・条約は無効」 

外部リンク