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「ナストーイチヴイ (駆逐艦・2代)」の版間の差分

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しかし、そののち[[ソ連崩壊|ソ連は崩壊]]、モスコーフスキイ・コムソモーレツの所属もロシア海軍に移った。また、[[共産主義]]的な艦名も時代にそぐわないものとなり、[[1992年]][[2月15日]]には'''ナストーイチヴイ'''と改称された。1992年[[12月30日]]には竣工となった。起工は前艦[[ベスポコーイヌイ_(駆逐艦)|ベスポコーイヌイ]]の1年後であったが、ソ連崩壊の混乱の中、竣工はナストーイチヴイの方が9ヶ月程度早くなった。
しかし、そののち[[ソビエト邦の崩壊|ソ連は崩壊]]、モスコーフスキイ・コムソモーレツの所属もロシア海軍に移った。また、[[共産主義]]的な艦名も時代にそぐわないものとなり、[[1992年]][[2月15日]]には'''ナストーイチヴイ'''と改称された。1992年[[12月30日]]には竣工となった。起工は前艦[[ベスポコーイヌイ_(駆逐艦)|ベスポコーイヌイ]]の1年後であったが、ソ連崩壊の混乱の中、竣工はナストーイチヴイの方が9ヶ月程度早くなった。


[[1993年]][[2月5日]]には二重赤旗受賞バルト艦隊に配属され、[[3月27日]]より実働体制に入った。ソ連崩壊後の海軍再編の中でバルト艦隊の保有していた2 隻の[[巡洋艦|指揮巡洋艦]]が相次いで除籍されたため、ナストーイチヴイはバルト艦隊の旗艦に任命された。
[[1993年]][[2月5日]]には二重赤旗受賞バルト艦隊に配属され、[[3月27日]]より実働体制に入った。ソ連崩壊後の海軍再編の中でバルト艦隊の保有していた2 隻の[[巡洋艦|指揮巡洋艦]]が相次いで除籍されたため、ナストーイチヴイはバルト艦隊の旗艦に任命された。

2020年12月26日 (土) 00:08時点における版

モスコーフスキイ・コムソモーレツ
ナストーイチヴイ
2005年6月6日ラトビアヴェンツピスル沖のバルト海上を進むナストーイチヴイ
艦歴
モスコーフスキイ・コムソモーレツ
Московский Комсомолец
起工 1989年 第190造船工場
所属 ソ連海軍バルト艦隊
ロシア海軍バルト艦隊
進水 1991年6月
竣工 1992年12月30日
ナストーイチヴイ
Настойчивый
改称 1992年2月15日
所属 ロシア海軍バルト艦隊
要目
艦種 駆逐艦
艦型 956-A 「サルィーチ」設計
工場番号 876
排水量 基準排水量 6500 t
満載排水量 7940 t
全長 156.37 m
全幅 17.19 m
喫水 7.79 m
機関 蒸気タービン2 基 99500 馬力(73100 kWt)
KVG-5 4 基
推進 2推進
電源 ディーゼル発電機4 基 各600 kWt
タービン発動機2 基 各1250 kWt
速力 最大速度 33.4 kn
巡航速度 18.4 kn
航続距離 2400 /32 kn
4500 浬/18.4 kn
乗員 士官 31 名
水兵 313 名
武装 KT-190「モスキート」4連装艦対艦ミサイル発射機 2 基(3M82「モスキートM」ミサイル8 発)
「ヨーシュ」艦対空ミサイル連装発射機 1 基(9M317ミサイル48 発)
130 mm連装両用AK-130 2 基
30 mm6砲身機関砲AK-630M 4 基
533 mm2連装魚雷発射管DTA-53 2 基
6連装対潜ロケット弾発射機RBU-1000「スメールチ3」 2 基(RGB-10ロケット48 発)
機雷 40 個
レーダー 対空・対水上捜索照準3次元レーダーMR-750「フレガートMA」 1 基
水上捜索照準レーダー「ヴォールガ」 3 基
航法レーダー「ヴァイガーチ」 1 基
射撃管制レーダー 「ミネラール」(「モスキート」用) 1 基
MR-700「オレーフ」(「ウラガーン」用) 6 基
MR-184「レーフ218M」(130 mm砲用) 1 基
MR-123「ヴィーンペル」(CIWS用) 2 基
ソナー MGK-335S「プラーチナS」 1 基
水中通信システムMG-7 1 基
電子戦装備 MR-405M「スタールト2」 1 基
チャフフレア連装発射機PK-2 2 基
チャフ・フレア10連装発射機PK-10「スメールイ」 8 基
諸装備 光学航法システムDVU-2 1 基
電波航法システム 2 基
通信システム 1 式
敵味方識別装置 各種
搭載機 Ka-27PS/PL 1 機

ナストーイチヴイ(ロシア語:Настойчивыйナストーイチヴィイ)は、ソ連ロシア連邦駆逐艦である。ソ連海軍ロシア海軍では、艦隊水雷艇(Эскадренный миноносец)に分類された。ロシア語で「根気強い、粘り強い」といった意味の艦名は、56号計画型駆逐艦先代艦から受け継いだものである。2007年現在、ロシア海軍バルト艦隊旗艦となっている。2007年現在、艦長オレーク・ヴァシーリエヴィチ・グリシャン海軍中佐である。

概要

建造

1987年12月30日956-A 「サルィーチ」設計艦隊水雷艇の2番艦となる工場番号第876号艦がソ連海軍に登録された。この艦は、1989年にレニングラート(現サンクトペテルブルク)の第190造船工場(A・A・ジュダーノフ記念工場、現セーヴェルナヤ・ヴェールフィ)で起工、「モスクワコムソモール員」という意味のモスコーフスキイ・コムソモーレツ(Московский Комсомолецマスコーフスキイ・カムサモーリェツ)という艦名を与えられた。1991年6月には進水した。

しかし、そののちソ連は崩壊、モスコーフスキイ・コムソモーレツの所属もロシア海軍に移った。また、共産主義的な艦名も時代にそぐわないものとなり、1992年2月15日にはナストーイチヴイと改称された。1992年12月30日には竣工となった。起工は前艦ベスポコーイヌイの1年後であったが、ソ連崩壊の混乱の中、竣工はナストーイチヴイの方が9ヶ月程度早くなった。

1993年2月5日には二重赤旗受賞バルト艦隊に配属され、3月27日より実働体制に入った。ソ連崩壊後の海軍再編の中でバルト艦隊の保有していた2 隻の指揮巡洋艦が相次いで除籍されたため、ナストーイチヴイはバルト艦隊の旗艦に任命された。

活動

ナストーイチヴイは、ソ連邦解体後の混乱で財政の壊滅した1990年代を通じ良好な状態に維持され、活発に行動した。

配備間後もない1993年6月19日から6月26日にかけては、バルト海沿岸のドイツの都市キールを訪問し、続く6月28日から7月2日にかけては北海沿岸のヴィルヘルムスハーフェンを訪問した。なお、この訪問においてナストーイチヴイはキール運河を航行した最初のソ連およびロシア海軍艦艇となった。

1994年7月、ナストーイチヴイはフランスルーアン港を訪問した。1996年7月には、ナストーイチヴイはバルト海諸国海軍合同演習「BALTOPS-96」に参加した。10月にはフランスのシェルブールを訪問し、露仏同盟100周年を祝った。1997年2月から4月にかけては遠征に赴き、20000 を航破した。アラブ首長国連邦アブダビで開催された国際展示会にも展示された。

南アフリカ共和国海軍創設75周年の祝典にもロシア海軍の代表として参加し、ケープタウンサイモンズタウンへ赴いた。2000年5月には、ナストーイチヴイは戦時中に戦没した潜水艦S-8に対する敬意を表する式典に参加した。

2003年2005年には「BALTOPS」に参加した。また、2005年には、隔年でサンクトペテルブルクで開催される兵器展示会IMDS-2005に新型潜水艦サンクトペテルブルクと共にロシアの海軍技術を代表する秀作艦として出展された。

表彰

1994年、1996年、1997年には、ナストーイチヴイはロシア海軍での防空部門における最高位を勝ち取った。1996年から1999年にかけては、砲撃部門における最高位をものにした。2000年から2001年にかけては、攻撃部隊の1 艦として戦闘種目と砲撃部門、戦術的戦闘準備の部門で最高位を獲得した。

1996年と1997年には、ナストーイチヴイはロシア最良の水上艦艇に認定された。1996年夏には、艦はロシア連邦大統領ボリス・エリツィンの訪問を受けた。エリツィンは、ナストーイチヴイ乗員たちが艦を戦時準備態勢に維持しており、武装や備品が整備の行き届いた状態であることを高く評価した。2000年7月には、艦はロシア連邦大統領ヴラジーミル・プーチンの訪問を受けた。

装備

装備は、ベスポコーイヌイより若干の変更が加えられている。ひとつは搭載レーダーの変更で、従来の「フレガートM」や「フレガートM2」に代え、建造時最新鋭の3次元レーダーMR-750「フレガートMA」が搭載された。

搭載ミサイルも改良され、艦対空ミサイルは、新型の「ヨーシュ」に更新された。これは9K37M1-2「ブークM1-2」の艦載型で、誘導方式がセミアクティヴレーダーと慣性誘導の複合式となり、射程は50 km、マッハ4以上の目標への対処が可能となっている。艦対艦ミサイル3M80「モスキート」から射程延長型の3M92「モスキートM」に変更された。

関連項目

外部リンク