「キエフ・ペチェールシク大修道院」の版間の差分
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[[File:Uspensky Sobor.jpg|thumb|250px|大修道院内の一番大きな大聖堂である[[生神女就寝大聖堂]](ウスペンシキイ大聖堂)。[[第二次世界大戦]]中の[[1941年]]、キエフが[[独ソ戦|ドイツ軍の支配下]]にあった時、[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[国家保安人民委員部|NKGB]]のスパイが大聖堂を爆破した。戦後、この事件はソ連のプロパガンダによって「[[ナチス・ドイツ]]による文化遺産の崩壊の一例」としてナチスによる蛮行であると歪曲され、事実は隠蔽された。大聖堂は[[ソ連崩壊]]後、独立ウクライナ政府の支援によって再建された。]] |
[[File:Uspensky Sobor.jpg|thumb|250px|大修道院内の一番大きな大聖堂である[[生神女就寝大聖堂]](ウスペンシキイ大聖堂)。[[第二次世界大戦]]中の[[1941年]]、キエフが[[独ソ戦|ドイツ軍の支配下]]にあった時、[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[国家保安人民委員部|NKGB]]のスパイが大聖堂を爆破した。戦後、この事件はソ連のプロパガンダによって「[[ナチス・ドイツ]]による文化遺産の崩壊の一例」としてナチスによる蛮行であると歪曲され、事実は隠蔽された。大聖堂は[[ソビエト連邦の崩壊]]後、独立ウクライナ政府の支援によって再建された。]] |
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[[キエフ大公国]]の時代、[[1051年]]にキエフの郊外に建立された<ref>{{Cite book|和書 |year = 2014 |title = 地球の歩き方 2014〜15 ロシア |publisher = ダイヤモンド・ビッグ社 |page = 450 |isbn = 978-4-478-04581-7}}</ref>。中世から近世にかけてウクライナの宗教・教育・学問に大きな影響を与えつつ、様々な政権と争ってきた修道院である。 |
[[キエフ大公国]]の時代、[[1051年]]にキエフの郊外に建立された<ref>{{Cite book|和書 |year = 2014 |title = 地球の歩き方 2014〜15 ロシア |publisher = ダイヤモンド・ビッグ社 |page = 450 |isbn = 978-4-478-04581-7}}</ref>。中世から近世にかけてウクライナの宗教・教育・学問に大きな影響を与えつつ、様々な政権と争ってきた修道院である。 |
2020年12月26日 (土) 00:07時点における版
キエフ・ペチェールシク大修道院(ウクライナ語:Києво-Печерська лавра[1];意訳:「キエフ洞窟大修道院」)はウクライナの首都、キエフのペチェールシク地区に位置するキリスト教正教会の大修道院である。
概要
キエフ大公国の時代、1051年にキエフの郊外に建立された[2]。中世から近世にかけてウクライナの宗教・教育・学問に大きな影響を与えつつ、様々な政権と争ってきた修道院である。
現在、大修道院の敷地は、キエフ・ペチェールシク歴史文化国立保護館の管理下にある部分と、モスクワ総主教の庇護下にあるロシア正教会系のウクライナ正教会モスクワ聖庁が管理する部分とに分かれている。モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会モスクワ聖庁の現在の指導者はヴォロディームィル・サボダン府主教である。
ロシア連邦政府と近いモスクワ聖庁は、クリミア危機・ウクライナ東部紛争以降、ウクライナ正教会 (2018年設立)独立を後押ししてきたウクライナ政府と対立関係にある。大修道院は2018年11月、モスクワ聖庁幹部が憎悪を煽る発言をした容疑で、ウクライナ治安機関の捜索を受けた[3]。
キエフ・ペチェールシク大修道院は、聖ソフィア大聖堂などとともに「キエフの聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群及びキエフ・ペチェールシク大修道院」の一部として、1990年に世界遺産リストに登録された。
墓
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脚注・出典
- ^ [クィーイェヴォ・ペチェールスィカ・ラーヴラ]
- ^ 『地球の歩き方 2014〜15 ロシア』ダイヤモンド・ビッグ社、2014年、450頁。ISBN 978-4-478-04581-7。
- ^ 【プーチンのロシア】揺れる東方正教会(2)「聖地」対立最前線に ウクライナ、捜索断行『毎日新聞』朝刊2019年2月1日(国際面)2019年2月10日閲覧。