「双頭の鷲」の版間の差分
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またローマ帝国の継承を自負する[[神聖ローマ帝国]]と[[ハプスブルク家]]の紋章となり、更に[[オーストリア帝国]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]、[[ドイツ国]]などに継承された。1472年には[[東ローマ帝国]]の姫[[ゾイ・パレオロギナ]]を迎えた[[ロシア帝国]]も「双頭の鷲」を採用した。東ローマ帝国滅亡後は、ロシア帝国もローマ帝国の後継を自負し、その「双頭」は、「東([[アジア]])」と「西([[ヨーロッパ]])」に渡る統治権を表した。また16世紀にハプスブルク家出身で神聖ローマ帝国皇帝となったスペイン国王[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世(カルロス1世)]]により[[スペインの国章]]にも一時使用された。これらハプスブルク家関連の「双頭の鷲」の多くは黒色である。 |
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===20世紀での廃止と21世紀での復活=== |
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20世紀前半に、ロシアは[[ロシア革命]]により[[ソビエト連邦]]に、セルビアやドイツ東部([[ドイツ民主共和国|東ドイツ]])は[[第二次世界大戦]]の結果として[[社会主義国]]となり、「双頭の鷲」は皇帝の象徴として国章から削除された。社会主義国では孤立するアルバニアのみ掲げた。しかし1990年代の[[ソ連崩壊]]、[[東欧革命]]により、それぞれ復活された。また[[オーストリア]]は1918年の[[第一共和国 (オーストリア)|共和政]]以降の国章は「双頭」ではなく単なる「単頭」の鷲である。また[[ワイマール共和国]]と[[ドイツ連邦共和国]]も「双頭」ではなく「単頭」の鷲を国章に採用している。 |
20世紀前半に、ロシアは[[ロシア革命]]により[[ソビエト連邦]]に、セルビアやドイツ東部([[ドイツ民主共和国|東ドイツ]])は[[第二次世界大戦]]の結果として[[社会主義国]]となり、「双頭の鷲」は皇帝の象徴として国章から削除された。社会主義国では孤立するアルバニアのみ掲げた。しかし1990年代の[[ソビエト連邦の崩壊]]、[[東欧革命]]により、それぞれ復活された。また[[オーストリア]]は1918年の[[第一共和国 (オーストリア)|共和政]]以降の国章は「双頭」ではなく単なる「単頭」の鷲である。また[[ワイマール共和国]]と[[ドイツ連邦共和国]]も「双頭」ではなく「単頭」の鷲を国章に採用している。 |
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==双頭の鷲ジェスチュア== |
==双頭の鷲ジェスチュア== |
2020年12月25日 (金) 23:46時点における版
双頭の鷲(そうとうのわし、ギリシア語: Δικέφαλος αετός、ドイツ語: Doppeladler、英語: Double-headed eagle)とは、鷲の紋章の一種で、頭を2つ持つ鷲の紋章。
主に東ローマ帝国や神聖ローマ帝国と、関連したヨーロッパの国家や貴族などに使用された。現在でもセルビア、アルバニア、ドイツ、ロシアなどの国章や、ギリシャ正教会などで使用されている。
歴史
「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章で、知られている最古の図像は、紀元前3,800年頃のシュメールのラガシュの都市神ニンギルスに関するものである。一説には、「双頭の鷲」と「単頭のライオン頭の鷲」は、同じものを表していると考えられている。紀元前20世紀から7世紀の間のシュメールや、現在のトルコ地域のヒッタイトでも使用された[1]。また11-12世紀のセルジューク朝でも使用された。
「ローマ」の象徴として
ローマ帝国の国章は単頭の鷲の紋章であったが、その後も帝国の権威の象徴として使われ続け、(一説には、イサキオス1世コムネノスが「単頭の鷲」を故郷アナトリアの聖獣である「双頭の鷲」に変更させたとする言い伝えがある)、13世紀の東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝時代に「双頭の鷲」の紋章が採用された。この紋章は元々はパレオロゴス家の家紋との説もある。東ローマ帝国における「双頭」は、「西」と「東」の双方に対するローマ帝国の支配権を表したが、実際には「西」(過去の西ローマ帝国の支配領域)の支配権を既に失っていった時代である。
「ローマの後継者」の象徴として
「東ローマの後継者」の象徴として
東ローマ帝国の「双頭の鷲」は、ギリシャ正教会、コンスタンティノープル総主教庁、セルビア、アルバニア、ロシアなどに継承された。セルビアの王は「ツァリ」「バシレイオス」と「皇帝」を名乗り東ローマに対抗した。セルビアの「双頭の鷲」の多くは白色である。ロシアは東ローマ滅亡後に、皇帝家の皇女を妃に迎えたことを根拠に東ローマの後継者を自任し「ツァーリ」「インペラトール」と「皇帝」を名乗った。
「西ローマの後継者」の象徴として
またローマ帝国の継承を自負する神聖ローマ帝国とハプスブルク家の紋章となり、更にオーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ国などに継承された。1472年には東ローマ帝国の姫ゾイ・パレオロギナを迎えたロシア帝国も「双頭の鷲」を採用した。東ローマ帝国滅亡後は、ロシア帝国もローマ帝国の後継を自負し、その「双頭」は、「東(アジア)」と「西(ヨーロッパ)」に渡る統治権を表した。また16世紀にハプスブルク家出身で神聖ローマ帝国皇帝となったスペイン国王カール5世(カルロス1世)によりスペインの国章にも一時使用された。これらハプスブルク家関連の「双頭の鷲」の多くは黒色である。
20世紀での廃止と21世紀での復活
20世紀前半に、ロシアはロシア革命によりソビエト連邦に、セルビアやドイツ東部(東ドイツ)は第二次世界大戦の結果として社会主義国となり、「双頭の鷲」は皇帝の象徴として国章から削除された。社会主義国では孤立するアルバニアのみ掲げた。しかし1990年代のソビエト連邦の崩壊、東欧革命により、それぞれ復活された。またオーストリアは1918年の共和政以降の国章は「双頭」ではなく単なる「単頭」の鷲である。またワイマール共和国とドイツ連邦共和国も「双頭」ではなく「単頭」の鷲を国章に採用している。
双頭の鷲ジェスチュア
左右の手の甲を交差させ左右の親指が鷲の双頭、のこる左右の指が翼を表す「双頭の鷲ジェスチュア」がある。2018 FIFAワールドカップでサッカースイス代表の選手でコソボ出身2人グラニト・ジャカとジェルダン・シャチリが試合中に「双頭の鷲ジェスチュア」をしたために「試合中の政治的行為」とみなされたことがある。双頭の鷲がアルバニアとセルビアの国章に使用されており、コソボ問題に関する政治主張とみなされたためである[2][3]。
例
東ローマ帝国関連
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ギリシャ正教の旗
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ラスカリス家(en)の紋章
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ギリシャ陸軍のエンブレム
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北イピロス自治共和国en:Autonomous Republic of Northern Epirusの国旗を印刷した切手(1914年)
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セルビア Nemanjić家の紋章(12世紀)
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ユーゴスラビア王国の国章
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スルプスカ共和国の過去の国章
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セルビア・モンテネグロの国章
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ベオグラードの紋章
ロシア帝国関連
神聖ローマ帝国関連
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オーストリア帝国の紋章(1815年-)
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ドイツ連邦の紋章
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スカンデルベグの紋章
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第21SS武装山岳師団 "スカンデルベグ" のエンブレム
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ドイツ リューベックの紋章
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ドイツ デュースブルクの紋章
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ドイツ エッセンの紋章
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オランダアーネムの紋章
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オランダ フローニンゲンの紋章
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オランダ ナイメーヘンの紋章
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オランダ パースの紋章
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スペイン トレド県の旗
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イタリア ヴェッレトリの紋章
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バログ氏族の盾
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バログ氏族の紋章
類似の例
関連項目
- 国章
- 家紋
- 鷲 (紋章)
- 双頭の鷲の旗の下に
- ガンダベルンダ - ヒンドゥー神話に登場する双頭の鳥
- 比翼の鳥 - 東洋における伝説の鳥で、双頭の姿で描かれることが多い。
- ハクトウワシ - アメリカ合衆国の国鳥で、法律執行力の象徴に使われている。
脚注
- ^ en:List of pharaohs の各王について書かれた石板を見てゆくと類似の図案を確認できる。鷲の双頭ではなく蛇の双頭になっており、それらは丸く太陽を囲んでいる。
- ^ スイス逆転勝ち立役者、ジャカとシャキリ“双頭の鷲ジェスチャー”の意味2018年6月23日スポーツ報知
- ^ なお開催国ロシアも国章は双頭の鷲である。