コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ユーリ・ニキフォロフ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「ソ連崩壊」改名に伴うリンク修正依頼 - log
29行目: 29行目:


== 略歴 ==
== 略歴 ==
若い頃から各年代の[[サッカーソビエト連邦代表|ソ連代表]]に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年の[[ソ連崩壊]]の余波を受け、故郷である[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]としてプレーする事を選択した。しかし[[FIFAワールドカップ]]に出場する為に[[サッカーロシア代表|ロシア代表]]となる道を選択し、1994年の[[1994 FIFAワールドカップ|アメリカW杯]]に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]でも代表に選出され、1次リーグの[[サッカー日本代表|日本代表]]戦にも出場している<ref name="excite">{{cite news | url=https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=14 | title=ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る|accessdate =8 April 2020}}</ref>。
若い頃から各年代の[[サッカーソビエト連邦代表|ソ連代表]]に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年の[[ソビエト邦の崩壊]]の余波を受け、故郷である[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]としてプレーする事を選択した。しかし[[FIFAワールドカップ]]に出場する為に[[サッカーロシア代表|ロシア代表]]となる道を選択し、1994年の[[1994 FIFAワールドカップ|アメリカW杯]]に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]でも代表に選出され、1次リーグの[[サッカー日本代表|日本代表]]戦にも出場している<ref name="excite">{{cite news | url=https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=14 | title=ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る|accessdate =8 April 2020}}</ref>。


その後、[[2003年]]8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対[[ジュビロ磐田]]戦([[埼玉スタジアム2002|埼玉]])でリーグ戦デビューを飾り<ref>{{cite news | url=https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7648 | title=ニキフォロフ|publisher=data.j-league.|accessdate =8 April 2020}}</ref>、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなる[[2003年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]獲得に貢献した<ref name="excite"/>。しかし[[2004年]]は左ひざの故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、[[2005年]]1月にロシアのスポーツ新聞「[[スポルト・エクスプレス]]」紙とのインタビューで現役引退を表明した。
その後、[[2003年]]8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対[[ジュビロ磐田]]戦([[埼玉スタジアム2002|埼玉]])でリーグ戦デビューを飾り<ref>{{cite news | url=https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7648 | title=ニキフォロフ|publisher=data.j-league.|accessdate =8 April 2020}}</ref>、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなる[[2003年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]獲得に貢献した<ref name="excite"/>。しかし[[2004年]]は左ひざの故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、[[2005年]]1月にロシアのスポーツ新聞「[[スポルト・エクスプレス]]」紙とのインタビューで現役引退を表明した。

2020年12月25日 (金) 23:38時点における版

ニキフォロフ
名前
本名 ユーリ・ヴァレリエヴィッチ・ニキフォロフ
Yuri Valeryevich Nikiforov
ラテン文字 Yuri NIKIFOROV
ロシア語 Юрий Валерьевич Никифоров
基本情報
国籍  ウクライナ
ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1970-09-16) 1970年9月16日(54歳)
出身地 オデッサ
身長 188cm
体重 88kg
選手情報
ポジション DF (CB)
代表歴
1992[1] 独立国家共同体の旗 CIS 4 (0)
1992[1] ウクライナの旗 ウクライナ 3 (0)
1992-2002[1] ロシアの旗 ロシア 55 (6)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ユーリ・ニキフォロフロシア語: Юрий Никифоровユーリイ・ニキーファラフJurij Nikiforov, 1970年9月16日-)は、Jリーグディビィジョン1 (J1)浦和レッドダイヤモンズ等に所属したウクライナ旧ソ連)出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー


略歴

若い頃から各年代のソ連代表に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年のソビエト連邦の崩壊の余波を受け、故郷であるウクライナ代表としてプレーする事を選択した。しかしFIFAワールドカップに出場する為にロシア代表となる道を選択し、1994年のアメリカW杯に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の日韓W杯でも代表に選出され、1次リーグの日本代表戦にも出場している[2]

その後、2003年8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対ジュビロ磐田戦(埼玉)でリーグ戦デビューを飾り[3]、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなるナビスコ杯獲得に貢献した[2]。しかし2004年は左ひざの故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、2005年1月にロシアのスポーツ新聞「スポルト・エクスプレス」紙とのインタビューで現役引退を表明した。

所属クラブ

代表歴

タイトル

代表

クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ソビエト連邦 リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1987 SKAオデッサ 5 0
1988 チョルノモレツ トップリーグ 1 0
ディナモ・キエフ 0 0
1989 0 0
1990 チョルノモレツ 17 0
1991 30 2
ウクライナ リーグ戦 リーグ杯ウクライナ杯 期間通算
1992 チョルノモレツ プレミア 18 2
1992-93 18 2
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
1993 スパルタク・モスクワ トップリーグ 23 0
1994 26 2
1995 22 8
1996 14 5
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1996-97 スポルティング・ヒホン プリメーラ 38 2
1997-98 27 1
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1998-99 PSV エールディヴィジ 25 1
1999-00 29 3
2000-01 26 1
2001-02 19 0
2002-03 RKC 29 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 浦和 29 J1 12 0 4 0
2004 3 0 0 0 0
通算 ソ連 53 2
ウクライナ プレミア 36 4
ロシア トップリーグ 85 15
スペイン プリメーラ 65 3
オランダ エールディヴィジ 128 6
日本 J1 12 0 4 0
総通算 379 30

出典

関連項目