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若い頃から各年代の[[サッカーソビエト連邦代表|ソ連代表]]に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年の[[ソ連崩壊]]の余波を受け、故郷である[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]としてプレーする事を選択した。しかし[[FIFAワールドカップ]]に出場する為に[[サッカーロシア代表|ロシア代表]]となる道を選択し、1994年の[[1994 FIFAワールドカップ|アメリカW杯]]に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]でも代表に選出され、1次リーグの[[サッカー日本代表|日本代表]]戦にも出場している<ref name="excite">{{cite news | url=https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=14 | title=ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る|accessdate =8 April 2020}}</ref>。 |
若い頃から各年代の[[サッカーソビエト連邦代表|ソ連代表]]に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年の[[ソビエト連邦の崩壊]]の余波を受け、故郷である[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]としてプレーする事を選択した。しかし[[FIFAワールドカップ]]に出場する為に[[サッカーロシア代表|ロシア代表]]となる道を選択し、1994年の[[1994 FIFAワールドカップ|アメリカW杯]]に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]でも代表に選出され、1次リーグの[[サッカー日本代表|日本代表]]戦にも出場している<ref name="excite">{{cite news | url=https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=14 | title=ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る|accessdate =8 April 2020}}</ref>。 |
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その後、[[2003年]]8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対[[ジュビロ磐田]]戦([[埼玉スタジアム2002|埼玉]])でリーグ戦デビューを飾り<ref>{{cite news | url=https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7648 | title=ニキフォロフ|publisher=data.j-league.|accessdate =8 April 2020}}</ref>、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなる[[2003年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]獲得に貢献した<ref name="excite"/>。しかし[[2004年]]は左ひざの故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、[[2005年]]1月にロシアのスポーツ新聞「[[スポルト・エクスプレス]]」紙とのインタビューで現役引退を表明した。 |
その後、[[2003年]]8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対[[ジュビロ磐田]]戦([[埼玉スタジアム2002|埼玉]])でリーグ戦デビューを飾り<ref>{{cite news | url=https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7648 | title=ニキフォロフ|publisher=data.j-league.|accessdate =8 April 2020}}</ref>、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなる[[2003年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]獲得に貢献した<ref name="excite"/>。しかし[[2004年]]は左ひざの故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、[[2005年]]1月にロシアのスポーツ新聞「[[スポルト・エクスプレス]]」紙とのインタビューで現役引退を表明した。 |
2020年12月25日 (金) 23:38時点における版
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名前 | ||||||
本名 |
ユーリ・ヴァレリエヴィッチ・ニキフォロフ Yuri Valeryevich Nikiforov | |||||
ラテン文字 | Yuri NIKIFOROV | |||||
ロシア語 | Юрий Валерьевич Никифоров | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウクライナ ロシア | |||||
生年月日 | 1970年9月16日(54歳) | |||||
出身地 | オデッサ | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
代表歴 | ||||||
1992[1] | CIS | 4 | (0) | |||
1992[1] | ウクライナ | 3 | (0) | |||
1992-2002[1] | ロシア | 55 | (6) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ユーリ・ニキフォロフ(ロシア語: Юрий Никифоровユーリイ・ニキーファラフ、Jurij Nikiforov, 1970年9月16日-)は、Jリーグディビィジョン1 (J1)・浦和レッドダイヤモンズ等に所属したウクライナ(旧ソ連)出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。
略歴
若い頃から各年代のソ連代表に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年のソビエト連邦の崩壊の余波を受け、故郷であるウクライナ代表としてプレーする事を選択した。しかしFIFAワールドカップに出場する為にロシア代表となる道を選択し、1994年のアメリカW杯に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の日韓W杯でも代表に選出され、1次リーグの日本代表戦にも出場している[2]。
その後、2003年8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対ジュビロ磐田戦(埼玉)でリーグ戦デビューを飾り[3]、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなるナビスコ杯獲得に貢献した[2]。しかし2004年は左ひざの故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、2005年1月にロシアのスポーツ新聞「スポルト・エクスプレス」紙とのインタビューで現役引退を表明した。
所属クラブ
- 1987年 SKAオデッサ (ウクライナ、旧ソ連)
- 1988年 チョルノモレツ・オデッサ (旧ソ連・ウクライナ)
- 1988年 - 1989年 ディナモ・キエフ (ウクライナ、旧ソ連)
- 1990年 - 1993年 チョルノモレツ・オデッサ (旧ソ連・ウクライナ)
- 1993年 - 1996年 スパルタク・モスクワ (ロシア)
- 1996年 - 1998年 スポルティング・デ・ヒホン (スペイン)
- 1998年 - 2002年 PSVアイントホーフェン (オランダ)
- 2002年 - 2003年7月 RKCヴァールヴァイク (オランダ)
- 2003年8月 - 2004年6月 浦和レッドダイヤモンズ (日本)
代表歴
タイトル
代表
- FIFA U-16世界選手権:1回 (1987年)
- UEFA U-19欧州選手権:1回 (1988年)
クラブ
- ウクライナ・カップ:1回 (1992年)
- ロシア・プレミアリーグ:3回 (1993年、1994年、1996年)
- ロシア・カップ:1回 (1994年)
- エールディヴィジ:2回 (2000年、2001年)
- Jリーグカップ:1回 (2003年)
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ソビエト連邦 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1987 | SKAオデッサ | 5 | 0 | ||||||||
1988 | チョルノモレツ | トップリーグ | 1 | 0 | |||||||
ディナモ・キエフ | 0 | 0 | |||||||||
1989 | 0 | 0 | |||||||||
1990 | チョルノモレツ | 17 | 0 | ||||||||
1991 | 30 | 2 | |||||||||
ウクライナ | リーグ戦 | リーグ杯 | ウクライナ杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | チョルノモレツ | プレミア | 18 | 2 | |||||||
1992-93 | 18 | 2 | |||||||||
ロシア | リーグ戦 | ロシア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | スパルタク・モスクワ | トップリーグ | 23 | 0 | |||||||
1994 | 26 | 2 | |||||||||
1995 | 22 | 8 | |||||||||
1996 | 14 | 5 | |||||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1996-97 | スポルティング・ヒホン | プリメーラ | 38 | 2 | |||||||
1997-98 | 27 | 1 | |||||||||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
1998-99 | PSV | エールディヴィジ | 25 | 1 | |||||||
1999-00 | 29 | 3 | |||||||||
2000-01 | 26 | 1 | |||||||||
2001-02 | 19 | 0 | |||||||||
2002-03 | RKC | 29 | 1 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 浦和 | 29 | J1 | 12 | 0 | 4 | 0 | ||||
2004 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
通算 | ソ連 | 53 | 2 | ||||||||
ウクライナ | プレミア | 36 | 4 | ||||||||
ロシア | トップリーグ | 85 | 15 | ||||||||
スペイン | プリメーラ | 65 | 3 | ||||||||
オランダ | エールディヴィジ | 128 | 6 | ||||||||
日本 | J1 | 12 | 0 | 4 | 0 | ||||||
総通算 | 379 | 30 |
出典
- ^ a b c “Yury Nikiforov - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る” 8 April 2020閲覧。
- ^ “ニキフォロフ”. data.j-league. 8 April 2020閲覧。