コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「祖国 (ロシア)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「ソ連崩壊」改名に伴うリンク修正依頼 - log
1行目: 1行目:
'''祖国'''(そこく)の名称を持つ複数の[[ロシア]]の[[政党]]、政治ブロック、[[社会運動]]体について記す。
'''祖国'''(そこく)の名称を持つ複数の[[ロシア]]の[[政党]]、政治ブロック、[[社会運動]]体について記す。


[[1991年]]の[[ソ連8月クーデター]]未遂事件後、[[ソ連崩壊]]後のロシアでは、[[ボリス・エリツィン|エリツィン]][[政権]]が主導した、急進的市場改革導入によって、経済社会不安が増大し、これに伴い、[[ユーラシア主義]]、ロシア・[[ナショナリズム]]の昂揚が見られた。[[民族主義]]的、[[愛国心|愛国主義]]的政治綱領を持つ政治団体が多数出現を見た。
[[1991年]]の[[ソ連8月クーデター]]未遂事件後、[[ソビエト邦の崩壊]]後のロシアでは、[[ボリス・エリツィン|エリツィン]][[政権]]が主導した、急進的市場改革導入によって、経済社会不安が増大し、これに伴い、[[ユーラシア主義]]、ロシア・[[ナショナリズム]]の昂揚が見られた。[[民族主義]]的、[[愛国心|愛国主義]]的政治綱領を持つ政治団体が多数出現を見た。


なお、[[日本語]]の「祖国」に当たる[[ロシア語]]の'''Otechestvo'''ないし、'''Otchizna'''と'''Rodina'''(родина)があるが、前者が「父の国」(転じて父祖の国、祖国)を意味し、後者が「母の国」(母国)を意味する。政治用語として和訳する際には、両方とも「祖国」と訳される場合がある。
なお、[[日本語]]の「祖国」に当たる[[ロシア語]]の'''Otechestvo'''ないし、'''Otchizna'''と'''Rodina'''(родина)があるが、前者が「父の国」(転じて父祖の国、祖国)を意味し、後者が「母の国」(母国)を意味する。政治用語として和訳する際には、両方とも「祖国」と訳される場合がある。

2020年12月25日 (金) 23:33時点における版

祖国(そこく)の名称を持つ複数のロシア政党、政治ブロック、社会運動体について記す。

1991年ソ連8月クーデター未遂事件後、ソビエト連邦の崩壊後のロシアでは、エリツィン政権が主導した、急進的市場改革導入によって、経済社会不安が増大し、これに伴い、ユーラシア主義、ロシア・ナショナリズムの昂揚が見られた。民族主義的、愛国主義的政治綱領を持つ政治団体が多数出現を見た。

なお、日本語の「祖国」に当たるロシア語Otechestvoないし、OtchiznaRodina(родина)があるが、前者が「父の国」(転じて父祖の国、祖国)を意味し、後者が「母の国」(母国)を意味する。政治用語として和訳する際には、両方とも「祖国」と訳される場合がある。

  1. 祖国 - Otchizna、1993年まで ロシア人民代議員大会の院内会派。政治ブロック「ロシアの統一」を構成していた。
  2. 母国 - Rodina、1993年まで ロシア人民代議員大会の院内会派
  3. 祖国 - 1998年11月にユーリ・ルシコフモスクワ市長が、地方首長を集めて結成した中道左派の政治ブロック。1999年8月にエフゲニー・プリマコフ首相の「全ロシア」と合同し、「祖国・全ロシア」を結成した。
  4. 母国 - 2003年8月から Rodina(родина)は、ロシアの政党。2003年8月に、ドミトリー・ロゴージンセルゲイ・グラジエフを中心として結成された中道左派の政治ブロックである。プーチン与党「統一」を側面支援するため結成されたと言われる。2003年のロシア下院国家会議選挙で、「母国」は37議席を獲得した。「統一ロシア」結成の余波を受けて党勢が衰えていたが、2006年10月28日統一地方選挙後、セルゲイ・ミロノフ上院議長率いるロシア生活党ロシア年金党と合同し中道左派新党公正ロシアを結成した。2016年ロシア下院選挙の結果、1議席を獲得し、同年9月以降、党首のアレクセイ・ジュラフリョフロシア語版英語版のみがロシア下院に議席を持っている党勢である[1]

出典・脚注

外部リンク