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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[千葉県立千葉商業高等学校|千葉商業高]]では3年次の{{by|1970年}}に[[第42回選抜高等学校野球大会|春の選抜]]で甲子園初出場。2年生エースの永島時郎とバッテリーを組んで準々決勝に進出するが、[[広陵高等学校 (広島県)|広陵]]の[[佐伯和司]]に0-1で完封負けを喫す。高校卒業後は{{by|1971年}}に[[法政大学野球部|法政大学]]へ進学し、[[東京六大学野球連盟|東京六大学リーグ]]では4年次の{{by|1974年}}秋季に[[江川卓 (野球)|江川卓]]とバッテリーを組んで優勝に貢献。同季のベストナインに選出された。新人当時の江川の教育係を務めたこと、4年秋のリーグを優勝したことは、プロ入り後も思い出のシーンに挙げている{{#tag:ref|参考:大洋捕手時代のプロ野球名鑑…<ref name="wbb_19850225_pro" />|group="注"}}。大学卒業後は{{by|1975年}}に[[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱自動車川崎]]へ入社し、[[都市対抗野球大会|都市対抗]]には[[日本鋼管野球部|日本鋼管]](2回)、[[JX-ENEOS野球部|日本石油]]、[[東芝硬式野球部|東芝]]の補強選手として出場。{{by|1979年}}オフに[[ドラフト外入団|ドラフト外]]で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]へ入団し、1年目の{{by|1980年}}は[[9月23日]]の[[阪神タイガース|阪神]]戦([[横浜スタジアム|横浜]])で9回表に初出場<ref>[http://2689web.com/1980/WT/WT22.html 大洋vs阪神 22回戦]</ref>。2年目の{{by|1981年}}は[[4月15日]]の[[広島東洋カープ|広島]]戦(横浜)で8回裏に[[北別府学]]から初安打を放つと<ref>[http://2689web.com/1981/CW/CW2.html 大洋vs広島 2回戦]</ref>、初先発出場:[[5月14日]]の広島戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民]])に8番・捕手として初先発出場し<ref>[http://2689web.com/1981/CW/CW5.html 広島vs大洋 5回戦]</ref>、3日後の[[5月17日|同17日]]の[[中日ドラゴンズ|中日]]戦([[宮城球場|宮城]])で6回裏に[[堂上照]]からタイムリー二塁打を放って初打点を記録。リードでも[[遠藤一彦]]の完投勝利をアシストした<ref>[http://2689web.com/1981/DW/DW7.html 大洋vs中日 7回戦]</ref>。3年目の{{by|1982年}}には[[福嶋久晃]]・[[辻恭彦]]・[[加藤俊夫]]とレギュラーを争い、64試合に先発マスクを被って自己最多の91試合に出場。{{by|1983年}}[[5月10日]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦([[明治神宮野球場|神宮]])で7回表に[[井本隆]]から先制決勝2ラン本塁打を放つが、この一本が初本塁打となった<ref>[http://2689web.com/1983/WS/WS2.html ヤクルトvs大洋 2回戦]</ref>。[[6月]]に入ると、[[6月21日|同21日]]の阪神戦([[阪神甲子園球場|甲子園]])で2番手の[[中田良弘]]から<ref>[http://2689web.com/1983/WT/WT11.html 阪神vs大洋 11回戦]</ref>、[[6月28日|同28日]]の広島戦(広島市民)で3番手の[[山本和男]]から本塁打を放つ<ref>[http://2689web.com/1983/CW/CW10.html 広島vs大洋 10回戦]</ref>。シーズン途中には[[若菜嘉晴]]が入団したこともあり、出場機会が減少。{{by|1984年}}[[10月7日]]のヤクルト戦(神宮)で[[尾花高夫]]から最後の本塁打を放ち、[[10月10日|同10日]]の広島戦(広島市民)に[[関根浩史]]の代打で起用されたのが最終出場となった。一軍出場がゼロになった{{by|1985年}}限りで現役を引退{{#tag:ref|一部資料では1986年まで大洋に選手として在籍していたことになっている<ref name="npb_cl_pdf_meibo_1950-2009" /><ref name="npb_cl_pdf_meibo_1950-2013" />が誤り。|group="注"}}。
[[千葉県立千葉商業高等学校|千葉商業高]]では3年次の{{by|1970年}}に[[第42回選抜高等学校野球大会|春の選抜]]で甲子園初出場。2年生エースの永島時郎とバッテリーを組んで準々決勝に進出するが、[[広陵高等学校 (広島県)|広陵]]の[[佐伯和司]]に0-1で完封負けを喫す。高校卒業後は{{by|1971年}}に[[法政大学野球部|法政大学]]へ進学し、[[東京六大学野球連盟|東京六大学リーグ]]では4年次の{{by|1974年}}秋季に[[江川卓 (野球)|江川卓]]とバッテリーを組んで優勝に貢献。同季のベストナインに選出された。新人当時の江川の教育係を務めたこと、4年秋のリーグを優勝したことは、プロ入り後も思い出のシーンに挙げている{{#tag:ref|参考:大洋捕手時代のプロ野球名鑑…<ref name="wbb_19850225_pro" />|group="注"}}。大学卒業後は{{by|1975年}}に[[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱自動車川崎]]へ入社し、[[都市対抗野球大会|都市対抗]]には[[日本鋼管野球部|日本鋼管]](2回)、[[JX-ENEOS野球部|日本石油]]、[[東芝硬式野球部|東芝]]の補強選手として出場。{{by|1979年}}オフに[[ドラフト外入団|ドラフト外]]で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]へ入団し、1年目の{{by|1980年}}は[[9月23日]]の[[阪神タイガース|阪神]]戦([[横浜スタジアム|横浜]])で9回表に初出場<ref>[http://2689web.com/1980/WT/WT22.html 大洋vs阪神 22回戦]</ref>。2年目の{{by|1981年}}は[[4月15日]]の[[広島東洋カープ|広島]]戦(横浜)で8回裏に[[北別府学]]から初安打を放つと<ref>[http://2689web.com/1981/CW/CW2.html 大洋vs広島 2回戦]</ref>、初先発出場:[[5月14日]]の広島戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民]])に8番・捕手として初先発出場し<ref>[http://2689web.com/1981/CW/CW5.html 広島vs大洋 5回戦]</ref>、3日後の[[5月17日|同17日]]の[[中日ドラゴンズ|中日]]戦([[宮城球場|宮城]])で6回裏に[[堂上照]]からタイムリー二塁打を放って初打点を記録。リードでも[[遠藤一彦]]の完投勝利をアシストした<ref>[http://2689web.com/1981/DW/DW7.html 大洋vs中日 7回戦]</ref>。3年目の{{by|1982年}}には[[福嶋久晃]]・[[辻恭彦]]・[[加藤俊夫]]とレギュラーを争い、64試合に先発マスクを被って自己最多の91試合に出場。{{by|1983年}}[[5月10日]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦([[明治神宮野球場|神宮]])で7回表に[[井本隆]]から先制決勝2ラン本塁打を放つが、この一本が初本塁打となった<ref>[http://2689web.com/1983/WS/WS2.html ヤクルトvs大洋 2回戦]</ref>。[[6月]]に入ると、[[6月21日|同21日]]の阪神戦([[阪神甲子園球場|甲子園]])で2番手の[[中田良弘]]から<ref>[http://2689web.com/1983/WT/WT11.html 阪神vs大洋 11回戦]</ref>、[[6月28日|同28日]]の広島戦(広島市民)で3番手の[[山本和男]]から本塁打を放つ<ref>[http://2689web.com/1983/CW/CW10.html 広島vs大洋 10回戦]</ref>。シーズン途中には[[若菜嘉晴]]が入団したこともあり、出場機会が減少。{{by|1984年}}[[10月7日]]のヤクルト戦(神宮)で[[尾花髙夫|尾花高夫]]から最後の本塁打を放ち、[[10月10日|同10日]]の広島戦(広島市民)に[[関根浩史]]の代打で起用されたのが最終出場となった。一軍出場がゼロになった{{by|1985年}}限りで現役を引退{{#tag:ref|一部資料では1986年まで大洋に選手として在籍していたことになっている<ref name="npb_cl_pdf_meibo_1950-2009" /><ref name="npb_cl_pdf_meibo_1950-2013" />が誤り。|group="注"}}。


引退後は大洋で二軍育成コーチ({{by|1986年}} - {{by|1987年}})・二軍バッテリーコーチ({{by|1988年}} - {{by|1989年}}, {{by|1991年}} - {{by|1992年}})・一軍バッテリーコーチ({{by|1990年}})を務め、1990年には7年ぶりで「横浜大洋ホエールズ」としては最後のAクラス入りに貢献。球団名が「横浜ベイスターズ」{{#tag:ref|1992年シーズンオフに球団名変更。|group="注"}}となった{{by|1993年}}からスカウトに転身し、北関東・北信越地区担当や東日本地区担当のチーフスカウト{{#tag:ref|「東日本担当チーフスカウト」と明記された資料…<ref name="47n_shimoduke_20071004" />|group="注"}}を務めた後に球団職員の肩書で[[野球タイ王国代表|タイ王国代表]]派遣コーチを務めた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081214-439993.html 横浜がタイにコーチ派遣、アジア戦略強化] - 『nikkansports.com』(日刊スポーツ)2008年12月14日8時20分(紙面から) ※「元スカウトの高浦己佐緒球団職員」との記載あり。</ref>こともあった。{{by|2009年}}退団。{{by|2010年}}から{{by|2011年}}まで[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]二軍バッテリーコーチを2シーズン務めた{{#tag:ref|2009年11月9日付配信の公式サイト内ニュースでは「高浦 美佐緒」表記だった<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/601.html 新任コーチと背番号について] - 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト 2009年11月9日配信</ref>が、12月15日付配信の同ニュースより「髙浦 己佐緒」に登録名変更することが発表された<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/632.html 来季のコーチ陣について] - 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト 2009年12月15日配信</ref>|group="注"}}のち、{{by|2012年}}には[[横浜DeNAベイスターズ]]の二軍バッテリーコーチに就任し<ref>{{Cite web|date=2011-10-20|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20111020-852481.html|title=【楽天】高浦氏ら4コーチと契約結ばず|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2011-10-21}}</ref><ref>{{Cite web|date=2011-10-21|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/111021/bsh1110211605002-n1.htm|title=楽天4コーチ退団、安部コーチは西武復帰へ|publisher=サンケイスポーツ|accessdate=2011-10-21}}</ref><ref>{{Cite web|date=2011-12-16|url=http://www.baystars.co.jp/bay/news/team_detail.html?category=4&news_thread=1&id=3294|title=2012年度 横浜DeNAベイスターズ・コーチングスタッフ|publisher=横浜DeNAベイスターズ|accessdate=2011-12-16}}</ref>、{{by|2014年}}<ref>[http://www.baystars.co.jp/news/2014/10/1003_04.php 2015年度 コーチ契約について] 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2014年10月3日配信)2014年10月3日閲覧。</ref>。{{by|2015年}}[[1月30日]]、[[日本学生野球協会]]より学生野球指導資格の回復認定を受けた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/01/31/kiji/K20150131009722940.html 元西武監督、甲子園アイドルも!学生野球資格回復を認定] - 『スポニチアネックス』2015年1月31日5時30分 ※回復者全235名のリストより、「高浦己佐緒(62)DeNA」の記載あり(人名、年齢、NPB最終所属球団の順)。</ref>。[[日本ウェルネススポーツ大学]]野球部コーチを務める。
引退後は大洋で二軍育成コーチ({{by|1986年}} - {{by|1987年}})・二軍バッテリーコーチ({{by|1988年}} - {{by|1989年}}, {{by|1991年}} - {{by|1992年}})・一軍バッテリーコーチ({{by|1990年}})を務め、1990年には7年ぶりで「横浜大洋ホエールズ」としては最後のAクラス入りに貢献。球団名が「横浜ベイスターズ」{{#tag:ref|1992年シーズンオフに球団名変更。|group="注"}}となった{{by|1993年}}からスカウトに転身し、北関東・北信越地区担当や東日本地区担当のチーフスカウト{{#tag:ref|「東日本担当チーフスカウト」と明記された資料…<ref name="47n_shimoduke_20071004" />|group="注"}}を務めた後に球団職員の肩書で[[野球タイ王国代表|タイ王国代表]]派遣コーチを務めた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081214-439993.html 横浜がタイにコーチ派遣、アジア戦略強化] - 『nikkansports.com』(日刊スポーツ)2008年12月14日8時20分(紙面から) ※「元スカウトの高浦己佐緒球団職員」との記載あり。</ref>こともあった。{{by|2009年}}退団。{{by|2010年}}から{{by|2011年}}まで[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]二軍バッテリーコーチを2シーズン務めた{{#tag:ref|2009年11月9日付配信の公式サイト内ニュースでは「高浦 美佐緒」表記だった<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/601.html 新任コーチと背番号について] - 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト 2009年11月9日配信</ref>が、12月15日付配信の同ニュースより「髙浦 己佐緒」に登録名変更することが発表された<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/632.html 来季のコーチ陣について] - 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト 2009年12月15日配信</ref>|group="注"}}のち、{{by|2012年}}には[[横浜DeNAベイスターズ]]の二軍バッテリーコーチに就任し<ref>{{Cite web|date=2011-10-20|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20111020-852481.html|title=【楽天】高浦氏ら4コーチと契約結ばず|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2011-10-21}}</ref><ref>{{Cite web|date=2011-10-21|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/111021/bsh1110211605002-n1.htm|title=楽天4コーチ退団、安部コーチは西武復帰へ|publisher=サンケイスポーツ|accessdate=2011-10-21}}</ref><ref>{{Cite web|date=2011-12-16|url=http://www.baystars.co.jp/bay/news/team_detail.html?category=4&news_thread=1&id=3294|title=2012年度 横浜DeNAベイスターズ・コーチングスタッフ|publisher=横浜DeNAベイスターズ|accessdate=2011-12-16}}</ref>、{{by|2014年}}<ref>[http://www.baystars.co.jp/news/2014/10/1003_04.php 2015年度 コーチ契約について] 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2014年10月3日配信)2014年10月3日閲覧。</ref>。{{by|2015年}}[[1月30日]]、[[日本学生野球協会]]より学生野球指導資格の回復認定を受けた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/01/31/kiji/K20150131009722940.html 元西武監督、甲子園アイドルも!学生野球資格回復を認定] - 『スポニチアネックス』2015年1月31日5時30分 ※回復者全235名のリストより、「高浦己佐緒(62)DeNA」の記載あり(人名、年齢、NPB最終所属球団の順)。</ref>。[[日本ウェルネススポーツ大学]]野球部コーチを務める。

2020年12月23日 (水) 05:10時点における版

髙浦 美佐緒
2014年2月2日、横浜DeNAベイスターズ総合練習場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県木更津市
生年月日 (1952-07-20) 1952年7月20日(72歳)
身長
体重
173 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1979年 ドラフト外
初出場 1980年9月23日
最終出場 1984年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

髙浦 美佐緒(たかうら みさお、1952年7月20日[注 1] - )は、千葉県木更津市出身[注 2]の元プロ野球選手捕手)・コーチ

本名同じ[注 3]。1984年までの登録名は「高浦 美佐緒」、1985年から1992年の登録名は「高浦 己佐緒[注 4]、2010年から2014年の登録名は「髙浦 己佐緒」(いずれも、読みは同じ)。選手時代の愛称は「タカ[注 5]

本名および2010年以降の登録名に使われる「」の字は、旧字体の「」(はしごだか)であるが、新字体の「高」に差し替えられることもある[注 6]

経歴

千葉商業高では3年次の1970年春の選抜で甲子園初出場。2年生エースの永島時郎とバッテリーを組んで準々決勝に進出するが、広陵佐伯和司に0-1で完封負けを喫す。高校卒業後は1971年法政大学へ進学し、東京六大学リーグでは4年次の1974年秋季に江川卓とバッテリーを組んで優勝に貢献。同季のベストナインに選出された。新人当時の江川の教育係を務めたこと、4年秋のリーグを優勝したことは、プロ入り後も思い出のシーンに挙げている[注 7]。大学卒業後は1975年三菱自動車川崎へ入社し、都市対抗には日本鋼管(2回)、日本石油東芝の補強選手として出場。1979年オフにドラフト外横浜大洋ホエールズへ入団し、1年目の1980年9月23日阪神戦(横浜)で9回表に初出場[10]。2年目の1981年4月15日広島戦(横浜)で8回裏に北別府学から初安打を放つと[11]、初先発出場:5月14日の広島戦(広島市民)に8番・捕手として初先発出場し[12]、3日後の同17日中日戦(宮城)で6回裏に堂上照からタイムリー二塁打を放って初打点を記録。リードでも遠藤一彦の完投勝利をアシストした[13]。3年目の1982年には福嶋久晃辻恭彦加藤俊夫とレギュラーを争い、64試合に先発マスクを被って自己最多の91試合に出場。1983年5月10日ヤクルト戦(神宮)で7回表に井本隆から先制決勝2ラン本塁打を放つが、この一本が初本塁打となった[14]6月に入ると、同21日の阪神戦(甲子園)で2番手の中田良弘から[15]同28日の広島戦(広島市民)で3番手の山本和男から本塁打を放つ[16]。シーズン途中には若菜嘉晴が入団したこともあり、出場機会が減少。1984年10月7日のヤクルト戦(神宮)で尾花高夫から最後の本塁打を放ち、同10日の広島戦(広島市民)に関根浩史の代打で起用されたのが最終出場となった。一軍出場がゼロになった1985年限りで現役を引退[注 8]

引退後は大洋で二軍育成コーチ(1986年 - 1987年)・二軍バッテリーコーチ(1988年 - 1989年, 1991年 - 1992年)・一軍バッテリーコーチ(1990年)を務め、1990年には7年ぶりで「横浜大洋ホエールズ」としては最後のAクラス入りに貢献。球団名が「横浜ベイスターズ」[注 9]となった1993年からスカウトに転身し、北関東・北信越地区担当や東日本地区担当のチーフスカウト[注 10]を務めた後に球団職員の肩書でタイ王国代表派遣コーチを務めた[19]こともあった。2009年退団。2010年から2011年まで東北楽天ゴールデンイーグルス二軍バッテリーコーチを2シーズン務めた[注 11]のち、2012年には横浜DeNAベイスターズの二軍バッテリーコーチに就任し[22][23][24]2014年[25]2015年1月30日日本学生野球協会より学生野球指導資格の回復認定を受けた[26]日本ウェルネススポーツ大学野球部コーチを務める。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1980 大洋 4 4 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .000 .250 .250
1981 29 31 28 4 4 1 0 0 5 1 0 0 3 0 0 0 0 8 2 .143 .143 .179 .322
1982 91 167 151 7 26 6 0 0 32 6 0 0 4 1 9 2 2 35 4 .172 .227 .212 .439
1983 47 101 85 5 21 0 1 3 32 11 1 0 5 0 10 3 1 23 1 .247 .333 .376 .709
1984 8 15 14 1 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .214 .267 .429 .696
通算:5年 179 318 281 18 54 7 1 4 75 19 1 0 12 1 21 5 3 70 7 .192 .255 .267 .522

年度別守備成績

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1980 4 4 3 1 .250
1981 22 21 13 8 .381
1982 88 66 47 19 .288
1983 47 46 36 10 .217
1984 7 6 6 0 .000
通算 168 143 105 38 .266

記録

背番号

  • 43 (1980年 - 1981年)[28]
  • 39 (1982年 - 1985年)[28]
  • 77 (1986年 - 1992年)[28]
  • 73 (2010年 - 2011年)[28]
  • 87 (2012年 - 2014年)[注 13]

登録名

  • 高浦 美佐緒 (たかうら みさお、1980年 - 1984年)[28][29][注 14]
  • 高浦 己佐緒 (たかうら みさお、1985年 - 1992年)[28][29][注 15]
  • 髙浦 己佐緒 (たかうら みさお、2010年 - 2014年)[注 16]

関連情報

書籍

  • 安倍昌彦著『スカウト プロ野球の輪郭をふちどってきた男たち』(2009年11月発売、日刊スポーツ出版社ISBN 9784817202734 ※「第7章 高浦己佐緒(横浜ベイスターズ)」より、横浜のチーフスカウトから中国プロ野球の指導者としての活動についてつづられている。

脚注

注釈

  1. ^ 生年月日は次の資料[1][2][3]を参照。
  2. ^ 木更津市出身である旨については、次の資料[2][3]を参照。
  3. ^ 本名が「髙浦 美佐緒」である旨については、次の資料[2][3]を参照。
  4. ^ 横浜スカウト在任当時も、「高浦己佐緒」表記で紹介される場合があった[4][5][6]
  5. ^ 参考:[7]
  6. ^ 楽天コーチ在任当時の公式サイト内プロフィール(2009年11月[8]、2011年10月[9]
  7. ^ 参考:大洋捕手時代のプロ野球名鑑…[7]
  8. ^ 一部資料では1986年まで大洋に選手として在籍していたことになっている[17][18]が誤り。
  9. ^ 1992年シーズンオフに球団名変更。
  10. ^ 「東日本担当チーフスカウト」と明記された資料…[6]
  11. ^ 2009年11月9日付配信の公式サイト内ニュースでは「高浦 美佐緒」表記だった[20]が、12月15日付配信の同ニュースより「髙浦 己佐緒」に登録名変更することが発表された[21]
  12. ^ 一軍公式戦初出場試合の年月日、対戦相手、試合会場については次の資料[27]を参照。
  13. ^ 2013年までは次の資料[28]、2014年までは次の資料[29]を参照。
  14. ^ 参考…1950年から2009年までのセントラル・リーグ全選手・監督・コーチ名簿より、1984年まで「高浦美佐緒」、1985年より「高浦己佐緒」に変更の旨記載あり[17][18]
  15. ^ 現役最終年だった1985年当時「高浦美佐緒」の登録名だったことは、次の資料[1]も参照。
  16. ^ 2013年までは次の資料[28]、2014年までは次の資料[29]を参照。

出典

  1. ^ a b 『日本プロ野球歴代全選手写真名鑑』(『B.B.MOOK』1144。2015年4月15日発売、ベースボール・マガジン社発行。コード:ISBN 978-4583622217)P118掲載「高浦美佐緒」
  2. ^ a b c 『12球団全選手カラー百科名鑑2010』(『廣済堂ベストムック』151号。『ホームラン』特別編集。2010年2月17日発売、廣済堂あかつき発行。コード:ISBN 4331801543)P145掲載「髙浦己佐緒」のプロフィール(楽天二軍バッテリーコーチとして紹介)
  3. ^ a b c 『12球団全選手カラー百科名鑑2014』(『廣済堂ベストムック』247号。『ホームラン』特別編集。2010年2月21日、廣済堂出版発行。コード:ISBN 978-4331802533)P195掲載「髙浦己佐緒」のプロフィール(DeNA二軍育成コーチとして紹介)
  4. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2002』(『ホームラン』2002年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P45掲載「セ・リーグ スカウト(編成部)一覧」
  5. ^ スカウトは恋心で“あなた買います” - 『nikkei BPnet』2007年11月16日9時16分
  6. ^ a b 佐藤(文星付)に横浜が指名あいさつ - 『47NEWS』2007年10月4日22時29分付(ソース:下野新聞)
  7. ^ a b 『週刊ベースボール』1985年2月25日号「'85プロ野球全選手写真名鑑」(第40巻・第8号、通算1511号。同年月日、ベースボール・マガジン社発行。)掲載「高浦己佐緒」プロフィール(大洋の捕手として紹介 ※2014年に同社から発行された『日本プロ野球80年史』の初回生産分限定復刻版にも掲載)
  8. ^ 2009年11月当時の東北楽天ゴールデンイーグルスオフィシャルサイト内で配信された高浦のプロフィール(インターネット・アーカイブ同25日付保存キャッシュ)
  9. ^ 2011年10月当時の東北楽天ゴールデンイーグルスオフィシャルサイト内で配信された高浦のプロフィール(インターネット・アーカイブ同27日付保存キャッシュ)
  10. ^ 大洋vs阪神 22回戦
  11. ^ 大洋vs広島 2回戦
  12. ^ 広島vs大洋 5回戦
  13. ^ 大洋vs中日 7回戦
  14. ^ ヤクルトvs大洋 2回戦
  15. ^ 阪神vs大洋 11回戦
  16. ^ 広島vs大洋 10回戦
  17. ^ a b セントラル・リーグ公式サイト内で配信された歴代全在籍選手・監督・コーチ名簿(1950年 - 2009年。原則一軍在籍者)
  18. ^ a b セントラル・リーグ公式サイト内で配信された歴代全在籍選手・監督・コーチ名簿(1950年 - 2013年。原則一軍在籍者)
  19. ^ 横浜がタイにコーチ派遣、アジア戦略強化 - 『nikkansports.com』(日刊スポーツ)2008年12月14日8時20分(紙面から) ※「元スカウトの高浦己佐緒球団職員」との記載あり。
  20. ^ 新任コーチと背番号について - 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト 2009年11月9日配信
  21. ^ 来季のコーチ陣について - 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト 2009年12月15日配信
  22. ^ 【楽天】高浦氏ら4コーチと契約結ばず”. 日刊スポーツ (2011年10月20日). 2011年10月21日閲覧。
  23. ^ 楽天4コーチ退団、安部コーチは西武復帰へ”. サンケイスポーツ (2011年10月21日). 2011年10月21日閲覧。
  24. ^ 2012年度 横浜DeNAベイスターズ・コーチングスタッフ”. 横浜DeNAベイスターズ (2011年12月16日). 2011年12月16日閲覧。
  25. ^ 2015年度 コーチ契約について 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2014年10月3日配信)2014年10月3日閲覧。
  26. ^ 元西武監督、甲子園アイドルも!学生野球資格回復を認定 - 『スポニチアネックス』2015年1月31日5時30分 ※回復者全235名のリストより、「高浦己佐緒(62)DeNA」の記載あり(人名、年齢、NPB最終所属球団の順)。
  27. ^ 『週刊ベースボール別冊』2010年桜花号「2010プロ野球全選手カラー写真名鑑」(第37巻・第5号、通算250号。2010年4月20日、ベースボール・マガジン社発行)P65掲載「髙浦己佐緒」(楽天二軍バッテリーコーチとして紹介)
  28. ^ a b c d e f g h 『日本プロ野球背番号大図鑑』より、各球団の年度別背番号一覧表を参照。
  29. ^ a b c d 『日本プロ野球80年史』資料編より、各球団の年度別チームメンバー表を参照。

参考資料

  • 各種プロ野球名鑑
  • 『日本プロ野球背番号大図鑑 球団別全背番号年表 1936→2013』(『BB MOOK』892。2013年2月1日、ベースボール・マガジン社発行) ISBN 978-4583619354
  • 『日本プロ野球80年史 1934-2014』(2014年12月、ベースボール・マガジン社発行) ISBN 978-4-583-10668-7
    • 付録DVD-ROM「記録編」
  • 各種外部リンク

関連項目

外部リンク