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山本和男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 和男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県熊毛郡大和町(現:光市
生年月日 (1954-02-15) 1954年2月15日(70歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 ドラフト外
初出場 1981年4月10日
最終出場 1988年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山本 和男(やまもと かずお、1954年2月15日 - )は、山口県熊毛郡大和町(現:光市)出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

来歴・人物

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柳井学園高から、社会人野球新日鉄光に入団。大町定夫、児玉克雅ら先発陣を救援投手として支える。1978年にはチーム創部17年目の都市対抗初出場を果たす。1回戦で大町をリリーフして登板するが日本通運に惜敗[1]1980年都市対抗でも、2回戦で大昭和製紙を相手に好投するが敗退[1]

同年オフに、ドラフト外広島東洋カープに入団。背番号は江夏豊から26を受け継いだ。スリークォーターから、MAXは138㌔程、スライダー、シュート、カーブ、シンカーなどを武器とした。左の中継ぎとして活躍し1984年には46試合に登板、5勝をあげる。その後は、清川栄治の台頭により登板機会が減少し、1988年オフに金銭トレードでオリックスに移籍。

しかしここでの一軍登板はなく、1989年限りで引退。1990年1991年は打撃投手を務めたが、年金取得基準となるまでの在籍日数を充足させるため、1990年途中までは登録上は現役だった(当時の『週刊ベースボール』の記事)。1990年はファームで1試合のみ登板している。

退団後、建築会社勤務を経て1994年に広島市内にてラーメン店をオープン、現在に至る[2]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1981 広島 30 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 129 30.1 28 5 11 3 4 19 1 0 17 13 3.90 1.29
1982 42 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 174 42.0 41 4 9 1 3 20 0 0 11 10 2.14 1.19
1983 29 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 147 32.2 37 4 13 2 5 17 1 0 21 20 5.51 1.53
1984 46 0 0 0 0 5 2 0 -- .714 248 58.1 55 5 16 2 4 32 0 0 23 19 2.93 1.22
1985 11 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 52 10.1 19 1 3 0 2 3 0 0 9 7 6.10 2.13
1986 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9 2.2 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.38
1987 24 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 86 21.1 18 2 3 1 0 8 0 0 9 5 2.11 0.98
1988 8 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 44 9.0 17 3 2 0 0 7 0 0 7 7 7.00 2.11
通算:8年 193 0 0 0 0 8 4 0 -- .667 889 206.2 216 24 57 9 18 107 2 0 97 81 3.53 1.32

記録

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背番号

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  • 26 (1981年 - 1988年)
  • 45 (1989年)
  • 79 (1990年)
  • 102 (1991年)

脚注

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  1. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ 工藤直樹 (2019年9月10日). “カープ黄金期の中継ぎ左腕・山本和男さん 秘伝の味で勝負!人気ラーメン店経営”. デイリースポーツ. https://www.daily.co.jp/opinion-d/nextstage/2019/09/10/0012686496.shtml 2022年5月26日閲覧。 

関連項目

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