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* 日体大時代は非常に過酷な生活をしていた。1年生の柔道部員は7畳の部屋で7人が寝るという扱いであり、ウォークマン、サンダル、短パンは規則で禁止されていた。他にも食堂以外でものを食べているところを他人に見られてはならず、もし見られたら夜中に1年生の部員全員呼び出されて鉄拳制裁を受けた。初めて日体大の寮で寝た時、天井を見たら「一年、雑草。二年、平民。三年、天皇。四年、神様」と書かれてあり、菊田は「これはヤバいところに来たな……」と思ったという。2年生になると髪を伸ばせるが、伸ばした者は通過儀礼として先輩達から鉄のスパイクで殴られ、殴られた者は頭部から血が勢いよく噴き出たという<ref name="zadankai"/>。
* 日体大時代は非常に過酷な生活をしていた。1年生の柔道部員は7畳の部屋で7人が寝るという扱いであり、ウォークマン、サンダル、短パンは規則で禁止されていた。他にも食堂以外でものを食べているところを他人に見られてはならず、もし見られたら夜中に1年生の部員全員呼び出されて鉄拳制裁を受けた。初めて日体大の寮で寝た時、天井を見たら「一年、雑草。二年、平民。三年、天皇。四年、神様」と書かれてあり、菊田は「これはヤバいところに来たな……」と思ったという。2年生になると髪を伸ばせるが、伸ばした者は通過儀礼として先輩達から鉄のスパイクで殴られ、殴られた者は頭部から血が勢いよく噴き出たという<ref name="zadankai"/>。
* 大学時代はちょうど[[第二次UWF]]が盛り上がっていた頃であったが、菊田はプロレスだと割り切って観ていた。[[中井裕樹]]や[[佐藤ルミナ]]などは[[UWF]]を真剣勝負だと思って憧れて総合格闘技に進んだが、それとは対照的である。菊田は中学時代に[[リッキー・フジ]]からプロレスがショーであることを詳細に教わっていた<ref name="zadankai"/>。
* 大学時代はちょうど[[第二次UWF]]が盛り上がっていた頃であったが、菊田はプロレスだと割り切って観ていた。[[中井裕樹]]や[[佐藤ルミナ]]などは[[UWF]]を真剣勝負だと思って憧れて総合格闘技に進んだが、それとは対照的である。菊田は中学時代に[[リッキー・フジ]]からプロレスがショーであることを詳細に教わっていた<ref name="zadankai"/>。
* 一時期、雑誌「[[kamipro|紙のプロレス]]」におけるインタビューで、「[[天山広吉]]・[[小島聡]]はロクな死に方をしない、人間的にバカにした商売、騙して連れてきて金を取る」など[[プロレスラー]]や[[プロレス]]を貶める発言を連発し、[[田道場]]やプロレスファンの怒りを買った。これには短期間ではあるが、[[UWFインターナショナル]]や[[新日本プロレス]]に入門した際、人間関係で何かしらのトラブルが背景にあったことによる。後に、[[PRIDE.20]]で前述の経緯などから菊田に対して強い嫌悪感を持つ[[アレクサンダー大塚]]との試合に勝利した後のリング上で「かつて批判したことはありますが、プロレスも格闘技も素晴らしいものだと思っています」と観客に訴えた。これは後に天山・小島を指したものではなく、プロレスラー全員を指して「ロクな死に方をしない」と言ったことが判明。あまりの問題発言に編集部で作為したのだと後のkamiproに真相が掲載された。2015年3月24日、[[真夜中のハーリー&レイス]]に出演した際、菊田自身が、新日本プロレス道場での顛末を語っており、明大柔道つながりで[[坂口征二]]の伝手で入門したこと、教官であった[[馳浩]]にクビを宣告されたこと、そして同期入門で唯一人デビューを果たした小島を尊敬していることを明かした。2017年2月24日に収録された『KAMINOGE』の座談会でも新日本プロレスでの出来事やプロレスに関する発言などについて同様のことを話しており、kamiproで言いたかったことは天山と小島への批判ではなく[[武藤敬司]]と[[ペドロ・オタービオ]]の試合への批判であり、字数オーバーした原稿をゲラチェックに出して校正で大幅に削るというライターの阿修羅チョロの悪い癖が原因であったことを明かした<ref name="zadankai">東邦出版『KAMINOGE』vol.64 p130-149</ref>。
* 一時期、雑誌「[[kamipro|紙のプロレス]]」におけるインタビューで、「[[天山広吉]]・[[小島聡]]はロクな死に方をしない、人間的にバカにした商売、騙して連れてきて金を取る」など[[プロレスラー]]や[[プロレス]]を貶める発言を連発し、[[田道場]]やプロレスファンの怒りを買った。これには短期間ではあるが、[[UWFインターナショナル]]や[[新日本プロレス]]に入門した際、人間関係で何かしらのトラブルが背景にあったことによる。後に、[[PRIDE.20]]で前述の経緯などから菊田に対して強い嫌悪感を持つ[[アレクサンダー大塚]]との試合に勝利した後のリング上で「かつて批判したことはありますが、プロレスも格闘技も素晴らしいものだと思っています」と観客に訴えた。これは後に天山・小島を指したものではなく、プロレスラー全員を指して「ロクな死に方をしない」と言ったことが判明。あまりの問題発言に編集部で作為したのだと後のkamiproに真相が掲載された。2015年3月24日、[[真夜中のハーリー&レイス]]に出演した際、菊田自身が、新日本プロレス道場での顛末を語っており、明大柔道つながりで[[坂口征二]]の伝手で入門したこと、教官であった[[馳浩]]にクビを宣告されたこと、そして同期入門で唯一人デビューを果たした小島を尊敬していることを明かした。2017年2月24日に収録された『KAMINOGE』の座談会でも新日本プロレスでの出来事やプロレスに関する発言などについて同様のことを話しており、kamiproで言いたかったことは天山と小島への批判ではなく[[武藤敬司]]と[[ペドロ・オタービオ]]の試合への批判であり、字数オーバーした原稿をゲラチェックに出して校正で大幅に削るというライターの阿修羅チョロの悪い癖が原因であったことを明かした<ref name="zadankai">東邦出版『KAMINOGE』vol.64 p130-149</ref>。
* UWF時代は合宿所の中では[[田村潔司]]が絶対の立場であり、当時デビューしていた[[金原弘光]]ですら日曜日の外出は自由に出来ず、出掛ける際に「もし田村さんが来たら、ちょっとコンビニに行ってすぐに帰ってくるみたいだとか言ってごまかしておいてくれ」と新弟子に言ったほどである。その中でも菊田が辛いと思ったのは田村が入り終わるまで新人は入浴が許されなかったことであり、夜中の1時まで他の新弟子と共に無言でリビングで体育座りすることがざらであった。とうとう入浴をあきらめざるを得なくなり、我慢できなくなった菊田は入門して2週間ほど経過した頃、合宿所に自分一人という状況であったことをチャンスと思ってそのまま脱走した<ref name="zadankai"/>。
* UWF時代は合宿所の中では[[田村潔司]]が絶対の立場であり、当時デビューしていた[[金原弘光]]ですら日曜日の外出は自由に出来ず、出掛ける際に「もし田村さんが来たら、ちょっとコンビニに行ってすぐに帰ってくるみたいだとか言ってごまかしておいてくれ」と新弟子に言ったほどである。その中でも菊田が辛いと思ったのは田村が入り終わるまで新人は入浴が許されなかったことであり、夜中の1時まで他の新弟子と共に無言でリビングで体育座りすることがざらであった。とうとう入浴をあきらめざるを得なくなり、我慢できなくなった菊田は入門して2週間ほど経過した頃、合宿所に自分一人という状況であったことをチャンスと思ってそのまま脱走した<ref name="zadankai"/>。



2020年12月23日 (水) 05:00時点における版

菊田 早苗
基本情報
本名 菊田 早苗
通称 GRABAKAの総帥
寝技バカ一代
寝技キング
寝技世界一
流離の格闘家
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-09-10) 1971年9月10日(53歳)
出身地 東京都練馬区
所属 GRABAKA
身長 176cm
体重 89kg
階級 ライトヘビー級
ミドル級ウェルター級
バックボーン 柔道
テーマ曲 Hearts on Fire
(ジョン・キャファティ)
テンプレートを表示
獲得メダル
日本の旗 日本
男子 グラップリング
アブダビコンバット
2001 アブダビ 88kg級
YouTube
チャンネル
活動期間 2013年6月6日 -
ジャンル エンターテイメント
登録者数 7230人
総再生回数 1,477,211回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年7月21日時点。
テンプレートを表示

菊田 早苗(きくた さなえ、1971年9月10日 - )は、日本男性総合格闘家東京都練馬区出身。GRABAKA主宰。元ライトヘビー級キング・オブ・パンクラシストADCC 2001 88kg未満級 優勝。

明治大学名誉教授弁護士菊田幸一を父に持つ。

来歴

小学6年生で身長が170㎝あまりあった。小学校6年の時に佐山聡スーパータイガージムに入門。しかし当時のスーパータイガージムはフィットネスクラブのような感じであったため物足りなさを感じてすぐに退会してしまった[1]

学生時代には柔道を経験。練馬区立練馬東中学校では中学柔道関東大会で、明大中野高校では高校柔道総体86kg級で優勝を果たした。

日本体育大学体育学部武道学科に進学し、柔道部では古賀稔彦の指導を受けるが、スクールカラーが体育教員養成系である日体大にあって体育教師志望でなかったため休学。その後、新日本プロレスUWFインターナショナルに入門するも前者は破門、後者は脱走という形で退団。その後、プロレスから逃げた者に居場所はないからと就職しようと考えたが柔道部の恩師に不動産屋を紹介されると「なんでもいいから儲かりたいんじゃない」と考えUWFインターナショナルへの出戻りを決意。しかし出戻りを決意してうけたテストでは脱水症状になるまで体を動かした末に山本喧一とスパーリングを行うという過酷なプログラムを課され、腕を折られる。結果は不合格[1]

プロレスで3度の挫折を味わった菊田は大学を正式に中退してワーキングホリデーで渡豪。スタン・ザ・マンも通っていたジムでキックボクシングを習う[1]

帰国後にタイガージムの頃からの顔見知りであった平直行へ挨拶し、平から「練習パートナーがいないから寝技やらない?」と誘われて正道会館に入門。ちょうどその頃UFCホイス・グレイシーが活躍していたころであり、試合を見て柔道の寝技を戦いに使えるものだと知った菊田は、それまで避けていたほど嫌いであった寝技に傾倒するようになった。正道会館入門後、アマチュアシュートボクシング全国大会重量級を制し、総合格闘技大会ザ・トーナメント・オブ・Jも連覇。トーナメント・オブ・Jに優勝した後、平から「石井館長に言って給料払うから、ここ(正道会館柔術クラス)で指導者として働かないか?」と誘われたが、何度も断ったため一時期試合を干された[1]

修斗リングスPRIDE参戦を経て1999年6月、パンクラスに参戦。2000年にはパンクラスの中で外部勢力を集めた新勢力「GRABAKA(グラバカ)」を立ち上げた。

2001年4月にアブダビコンバット88kg未満級に出場し、日本人初の優勝を果たした。

2001年8月18日、DEEP2001 in YOKOHAMAでシェマック・ウォレスと対戦し、マウントパンチによるTKO勝ちを収めた。試合後のリング上で9月30日に美濃輪育久とのライトヘビー級(-90kg)キング・オブ・パンクラス決定戦をアピールした[2]。試合は顔面のカットによるドクターストップでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した[3]

2002年8月8日、UFO LEGENDアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、右ストレートでKO負け。

2002年12月、GRABAKAジムを東京都中野区にオープン。

2003年11月30日、ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチで近藤有己と対戦し、左フックでKO負けを喫し王座陥落した。

2005年8月、練習中に右足内腿靭帯を部分断裂。10月2日に予定されていた近藤との3度目のタイトルマッチは中止となった。

2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005瀧本誠と対戦。判定勝利を収めるものの試合後にDSE榊原社長から試合内容について苦言を呈された。

2007年12月31日のやれんのか! 大晦日! 2007で同じGRABAKAに所属する三崎和雄vs秋山成勲戦にセコンドとして付き、その後の再戦騒動に巻き込まれた[4]

2008年3月5日の『戦極』旗揚げ戦戦極 〜第一陣〜フィル・バローニと対戦予定であったが、バローニが右肩負傷で欠場となり菊田も欠場となった。

2008年6月8日、戦極 〜第三陣〜で約1年半振りに試合を行いクリス・ライスと対戦。腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2009年1月4日、戦極の乱2009吉田秀彦と対戦し、2-1の判定勝ち。

2010年6月20日、SRC13Yasubei榎本と対戦。右アッパーでダウンしたところにパウンドで追撃されTKO負け[5]

2010年10月24日、9年2か月ぶりのDEEP参戦となったDEEP 50 IMPACTでキム・イサクと対戦。タオル投入によるTKO勝ち[6]

2011年10月15日、GRABAKA LIVE!で山本喧一と対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収めた。

人物・エピソード

  • 特技はピアノ演奏。
  • 日体大時代は非常に過酷な生活をしていた。1年生の柔道部員は7畳の部屋で7人が寝るという扱いであり、ウォークマン、サンダル、短パンは規則で禁止されていた。他にも食堂以外でものを食べているところを他人に見られてはならず、もし見られたら夜中に1年生の部員全員呼び出されて鉄拳制裁を受けた。初めて日体大の寮で寝た時、天井を見たら「一年、雑草。二年、平民。三年、天皇。四年、神様」と書かれてあり、菊田は「これはヤバいところに来たな……」と思ったという。2年生になると髪を伸ばせるが、伸ばした者は通過儀礼として先輩達から鉄のスパイクで殴られ、殴られた者は頭部から血が勢いよく噴き出たという[1]
  • 大学時代はちょうど第二次UWFが盛り上がっていた頃であったが、菊田はプロレスだと割り切って観ていた。中井裕樹佐藤ルミナなどはUWFを真剣勝負だと思って憧れて総合格闘技に進んだが、それとは対照的である。菊田は中学時代にリッキー・フジからプロレスがショーであることを詳細に教わっていた[1]
  • 一時期、雑誌「紙のプロレス」におけるインタビューで、「天山広吉小島聡はロクな死に方をしない、人間的にバカにした商売、騙して連れてきて金を取る」などプロレスラープロレスを貶める発言を連発し、髙田道場やプロレスファンの怒りを買った。これには短期間ではあるが、UWFインターナショナル新日本プロレスに入門した際、人間関係で何かしらのトラブルが背景にあったことによる。後に、PRIDE.20で前述の経緯などから菊田に対して強い嫌悪感を持つアレクサンダー大塚との試合に勝利した後のリング上で「かつて批判したことはありますが、プロレスも格闘技も素晴らしいものだと思っています」と観客に訴えた。これは後に天山・小島を指したものではなく、プロレスラー全員を指して「ロクな死に方をしない」と言ったことが判明。あまりの問題発言に編集部で作為したのだと後のkamiproに真相が掲載された。2015年3月24日、真夜中のハーリー&レイスに出演した際、菊田自身が、新日本プロレス道場での顛末を語っており、明大柔道つながりで坂口征二の伝手で入門したこと、教官であった馳浩にクビを宣告されたこと、そして同期入門で唯一人デビューを果たした小島を尊敬していることを明かした。2017年2月24日に収録された『KAMINOGE』の座談会でも新日本プロレスでの出来事やプロレスに関する発言などについて同様のことを話しており、kamiproで言いたかったことは天山と小島への批判ではなく武藤敬司ペドロ・オタービオの試合への批判であり、字数オーバーした原稿をゲラチェックに出して校正で大幅に削るというライターの阿修羅チョロの悪い癖が原因であったことを明かした[1]
  • UWF時代は合宿所の中では田村潔司が絶対の立場であり、当時デビューしていた金原弘光ですら日曜日の外出は自由に出来ず、出掛ける際に「もし田村さんが来たら、ちょっとコンビニに行ってすぐに帰ってくるみたいだとか言ってごまかしておいてくれ」と新弟子に言ったほどである。その中でも菊田が辛いと思ったのは田村が入り終わるまで新人は入浴が許されなかったことであり、夜中の1時まで他の新弟子と共に無言でリビングで体育座りすることがざらであった。とうとう入浴をあきらめざるを得なくなり、我慢できなくなった菊田は入門して2週間ほど経過した頃、合宿所に自分一人という状況であったことをチャンスと思ってそのまま脱走した[1]

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
44 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
31 4 17 10 0 3 1
9 4 2 3 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ソン・ケナン 5分2終了 判定0-3 REAL 1 2014年12月23日
成瀬昌由 1R 2:25 腕ひしぎ十字固め GRABAKA LIVE! 3 2013年10月27日
× 桜木裕司 1R 0:35 KO(サッカーボールキック) GRABAKA LIVE! 2 2012年10月27日
山本喧一 1R 2:18 TKO(マウントパンチ) GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK 2011年10月15日
キム・イサク 1R 1:21 TKO(タオル投入) DEEP 50 IMPACT 〜10年目の奇跡〜 2010年10月24日
× Yasubei榎本 1R 3:57 TKO(右アッパー→パウンド) SRC13 2010年6月20日
吉田秀彦 5分3R終了 判定2-1 戦極の乱2009 2009年1月4日
クリス・ライス 1R 3:54 腕ひしぎ十字固め 戦極 〜第三陣〜 2008年6月8日
ジョン・フランソワ・レノグ 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の十三- 2006年11月5日
瀧本誠 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- 2005年12月31日
アイスマン 1R 2:14 アキレス腱固め PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 2004年11月7日
キース・ロッケル 5分3R終了 判定2-0 PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 2004年4月23日
× 近藤有己 3R 0:08 KO(左フック) PANCRASE 2003 HYBRID TOUR
【ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】
2003年11月30日
エルヴィス・シノシック 5分3R終了 判定3-0 PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年8月31日
近藤有己 5分3R終了 判定1-1 PANCRASE 2003 HYBRID TOUR
【ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】
2003年5月18日
エデュアルド・パンプロナ 5分3R終了 判定3-0 PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 2002年11月30日
× アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 2R 0:29 KO(右ストレート) 世界最強伝説 UFO LEGEND 2002年8月8日
アレクサンダー大塚 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE.20 2002年4月28日
渡辺大介 1R 2:14 肩固め PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年12月1日
美濃輪育久 2R 4:30 TKO(ドクターストップ) PANCRASE 2001 PROOF TOUR
【ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】
2001年9月30日
シェマック・ウォレス 1R 1:52 TKO(マウントパンチ) DEEP2001 in YOKOHAMA 2001年8月18日
マット・トライヘイ 1R 1:11 腕ひしぎ十字固め PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年6月26日
トゥ・レン 1R 2:02 肩固め Kasshin 2 2001年3月11日
アレックス・スティーブリング 1R 3:11 無効試合(バッティング) PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年2月4日
高橋義生 1R 7:22 肩固め PANCRASE 2000 TRANS TOUR 2000年12月4日
× ムリーロ・ブスタマンチ 15分1R終了 判定0-3 PANCRASE 2000 TRANS TOUR 2000年10月31日
マッシブ・イチ 1R 2:13 腕ひしぎ十字固め PANCRASE 2000 TRANS TOUR 2000年6月26日
ユージーン・ジャクソン 1R 4:38 腕ひしぎ十字固め UFC 25: Ultimate Japan 3 2000年4月14日
柳澤龍志 15分1R終了 判定3-0 PANCRASE 2000 TRANS TOUR 2000年2月27日
鈴木みのる 2:39 肩固め PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 1999年12月18日
トラビス・フルトン 15分1R終了 時間切れ PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 1999年10月25日
エディ・ミリス 1R 1:57 ギブアップ(パウンド) PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 1999年9月18日
伊藤崇文 10分+延長3分終了 判定3-0 PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 1999年7月6日
エリック・ゲデック 1:20 チョークスリーパー PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 1999年6月11日
× ポール・ジョーンズ 5分3R終了 判定0-3 修斗 Las Grandes Viajes 6 1998年11月27日
松井大二郎 10分3R終了 時間切れ PRIDE.4 1998年10月11日
× ヘンゾ・グレイシー 6R 0:43 フロントチョーク PRIDE.2 1998年3月15日
田中稔 2R 3:08 ネックロック リングス BATTLE GENESIS Vol.2 1997年10月14日
辻嘉一 8:33 腕ひしぎ十字固め リングス BATTLE GENESIS Vol.1 1997年4月4日
須田匡昇 1R 3:59 腕ひしぎ十字固め ザ・トーナメント・オブ・J '97
【ヘビー級トーナメント 決勝】
1997年7月27日
米谷利展 1R 1:00 アキレス腱固め ザ・トーナメント・オブ・J '97
【ヘビー級トーナメント 準決勝】
1997年7月27日
北川純 1R 3:15 アキレス腱固め ザ・トーナメント・オブ・J '97
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年7月27日
× ムスタク・アブドゥーラ 1R 6:27 前腕チョーク VALE TUDO JAPAN '96 1996年7月7日
須田匡昇 1R 1:15 ヒールホールド ザ・トーナメント・オブ・J '96
【決勝】
1996年3月30日
芳岡博之 1R 3:05 ヒールホールド ザ・トーナメント・オブ・J '96
【準決勝】
1996年3月30日
イーゲン井上 5分1R終了 判定 ザ・トーナメント・オブ・J '96
【2回戦】
1996年3月30日
川勝三朗 1R 2:04 V1アームロック ザ・トーナメント・オブ・J '96
【1回戦】
1996年3月30日

グラップリング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
サウロ・ヒベイロ ポイント3-0 ADCC 2001
【88kg未満級 決勝】
2001年4月12日
イーゲン井上 ポイント2-0 ADCC 2001
【88kg未満級 準決勝】
2001年4月12日
クリス・ブラウン ポイント6-4 ADCC 2001
【88kg未満級 2回戦】
2001年4月11日
エヴァン・タナー ポイント6-0 ADCC 2001
【88kg未満級 1回戦】
2001年4月11日
× ヒーガン・マチャド ポイント ADCC 1999
【99kg未満級 1回戦】
1999年2月24日

獲得タイトル

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 東邦出版『KAMINOGE』vol.64 p130-149
  2. ^ 村浜、ホーキに完敗/DEEP2001 8.18横浜 BoutReview 2001年8月18日
  3. ^ 強すぎる!菊田、美濃輪の出血誘いTKO勝ち/パンクラス9.30横文 BoutReview 2001年9月30日
  4. ^ 菊田のブログでは、初めから複数戦の契約は無かったと主張。
  5. ^ 【SRC戦極】最強チャンピオン誕生!サンドロが金原を僅か38秒でKO、王座を奪取(2) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年6月20日
  6. ^ 【DEEP】死闘!菊野が帯谷を判定で退ける、青木&ミノワマン&長南は快勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月24日

関連項目

外部リンク

前優勝者
サウロ・ヒベイロ
第4回アブダビコンバット88kg未満級優勝
2001年4月12日
次優勝者
サウロ・ヒベイロ
空位
前タイトル保持者
KEI山宮
第2代パンクラスライトヘビー級王者

2001年9月30日 - 2003年11月30日

次王者
近藤有己