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* 山本の実の息子2人も格闘技をしており、長男はDAIKIは[[Fighting NEXUS]]でプロデビュー、次男山本空良は[[ZST]]でプロデビュー、次男は[[RIZIN]] FF アマチュアMMA 2017フェザー級トーナメントも優勝している。 |
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* 自身の[[YouTube]]チャンネルにて披露したプロレスラーの物真似が大人気で、[[高田延彦]]、[[前田日明]]、[[中野龍雄]]、[[長州力]]、[[安生洋二|安生]]に電話したときの[[ジャイアント馬場]]、[[桜庭和志]]、[[アントニオ猪木]]、[[佐々木健介]]、安生洋二などがレパートリーで、モノマネではなく[[ダウンロード]]なので電波状況が悪いと出来上がりに狂いが出るときもある。基本だいたいうまくいく。 |
* 自身の[[YouTube]]チャンネルにて披露したプロレスラーの物真似が大人気で、[[髙田延彦|高田延彦]]、[[前田日明]]、[[中野龍雄]]、[[長州力]]、[[安生洋二|安生]]に電話したときの[[ジャイアント馬場]]、[[桜庭和志]]、[[アントニオ猪木]]、[[佐々木健介]]、安生洋二などがレパートリーで、モノマネではなく[[ダウンロード]]なので電波状況が悪いと出来上がりに狂いが出るときもある。基本だいたいうまくいく。 |
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* [[Twitter]]の質問箱の意味のわからない質問には長州の名言「何が言いたいんだ!紙面飾って!俺の体はひとつしか無いんだぞ!」で答えている。そしてくだらない質問、答えられないような下衆な質問には中野の「ん!わかんねぇ」で答えている。最近はなぜか恋愛相談も出てきている。 |
* [[Twitter]]の質問箱の意味のわからない質問には長州の名言「何が言いたいんだ!紙面飾って!俺の体はひとつしか無いんだぞ!」で答えている。そしてくだらない質問、答えられないような下衆な質問には中野の「ん!わかんねぇ」で答えている。最近はなぜか恋愛相談も出てきている。 |
2020年12月23日 (水) 04:35時点における版
基本情報 | |
---|---|
本名 | 山本 健一 |
通称 |
ヤマケン Uのはぐれ狼 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1976年7月11日(48歳) |
出身地 | 大阪府門真市 |
所属 | POD |
身長 | 182cm |
体重 | 96kg |
階級 | ミドル級 |
バックボーン | 空手 |
山本 喧一 | |
---|---|
YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2020年2月20日 - |
ジャンル | エンターテイメント |
登録者数 | 9130人 |
総再生回数 | 約107.8万回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2020年8月9日時点。 |
山本 喧一(やまもと けんいち、1976年7月11日 - )は、日本の総合格闘家、プロレスラー、実業家。本名・旧リングネーム:山本 健一(読みは同じ)。大阪府門真市出身。UFC -Jミドル級トーナメント優勝者。
来歴
幼少時代に両親が離婚し預け先で虐待を受けた。虐待の傷跡は、山本の体に今もなお残っているという。
小学校時代は喧嘩に明け暮れ手が付けられなかったが、中学時代に門真市から青森県に転居。柔道部に所属しながら鬱積した不満を晴らすべく暴れていたが、前田日明の自伝『パワー・オブ・ドリーム』を読んで感銘を受け極真空手[1]を始める。プロレスラーになる前は、正道会館の内弟子を務めていた。
1993年にUWFインターナショナルに入門。1994年10月14日、大阪城ホール大会にて行われた桜庭和志戦でデビュー。当初のリングネームは本名の山本 健一。1995年9月から新日本プロレスとの全面対抗戦が始まると、高山善廣、安生洋二と「ザ・ゴールデン・カップス」を組み活躍。1996年12月のUインター解散後は後継団体のキングダムを経て、1998年にリングスに移籍(3月28日の興行から出場、7月5日付けで正式所属)。だが、検査で脳に透明中隔嚢胞という腫瘍(良性)を理由に、1999年1月23日の試合を最後にリングスを退団する。
退団を機にリングネームを山本 喧一に改名。UFC 23で行われたUFC-Jミドル級トーナメントに優勝する。
格闘技ジム「POWER OF DREAM」を設立。ジム経営と並行して、素手でのパンチを認めた総合格闘技トーナメント「タイタンファイト」、クラブでDJプレイやライブとともに総合格闘技の試合をし、山本自身が賞金首となってプロ・アマ問わず挑戦を受けるコンセプトの「クラブ・ファイト」を主催する。その後、PRIDEなどに参戦。
ジムを閉鎖してからは、WSR(ウェラサクレック・ムエタイジム)に所属を移し、ムエタイの試合に参戦し、60戦している本場の世界ランカー相手に勝利する。
2005年に念願のアメリカに渡り、更なる修行を重ねる。
2006年6月3日、アメリカの大会「Maximum Fighting Championship」「bodogFight」に出場。カリーム・エリングトンと対戦し、逆転KO負けを喫した。
同年、2006年11月bodogペイパービュー放送記念タイトルマッチ挑戦者決定シークレットマッチが密かに日本で行われるも2R足の甲を骨折しドクターストップにより敗れている。
その後、アメリカに戻ろうとするが、オーバーステイとされ強制送還となった。
2008年5月24日、ハッスル・エイド2008にてアン・ジョー司令長官率いるゴールデン・カップスのセコンドとして姿を現す。
タイタンファイト」を、2009年に9年ぶりにプロデュース、復活させた。
2011年8月、北海道札幌市東区にて格闘技道場「POWER OF DREAM」を再オープン。
2014年9月21日に引退を発表。10月13日のハードヒット札幌大会が引退試合となった[2][3]。Uインター時代からの後輩である上山龍紀とメインイベントで対戦した。引退後は後進の育成に努める。
2015年3月19日に行われた安生洋二引退試合でザ・ゴールデン・カップスを再結成するために旧リングネームで限定復帰した。
戦績
総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
26 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
5 勝 | 2 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 |
19 敗 | 10 | 6 | 3 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | 高橋義生 | 1R 6:29 KO(膝蹴り→掌底) | U-SPIRITS again | 2013年3月9日 |
× | KEI山宮 | 5分2R終了 判定0-3 | GRABAKALIVE! 2 | 2012年10月27日 |
× | 菊田早苗 | 1R 2:18 TKO(マウントパンチ) | GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK | 2011年10月15日 |
× | ディエゴ・ヴィトスキー | 2R TKO(タオル投入) | MARS BodogFight 01 | 2006年10月4日 |
× | カリエム・エリングトン | 1R 4:51 TKO(パウンド) | Mix Fighting Championships: USA vs. Russia 3 | 2006年6月3日 |
○ | ゲルマン・レイエス | 2R KO(左ハイキック) | 琉球 Kamikaze Spirits | 2005年11月13日 |
× | 美濃輪育久 | 1R 3:23 TKO(マウントパンチ) | PRIDE 武士道 -其の四- | 2004年7月19日 |
× | アレクサンダー大塚 | 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE.25 | 2003年3月16日 |
× | ケビン・ランデルマン | 3R 1:16 TKO(グラウンドの膝蹴り) | PRIDE.23 | 2002年11月24日 |
× | 須藤元気 | 2R 2:46 チョークスリーパー | リングス WORLD TITLE SERIES | 2001年12月21日 |
△ | 保村晃 | 10分1R終了 時間切れ | Club Fight NAGOYA | 2001年3月4日 |
△ | 秋山賢治 | 10分1R終了 時間切れ | Club Fight OSAKA | 2001年1月27日 |
× | パット・ミレティッチ | 2R 1:58 フロントチョーク | UFC 29: Defense of the Belts 【UFC世界ライト級タイトルマッチ】 |
2000年12月16日 |
○ | 倉橋達也 | 8:00 KO(マウントパンチ) | Club Fight Round 1 | 2000年11月12日 |
○ | 藤井克久 | 2R 4:13 膝十字固め | UFC 23: Ultimate Japan 2 【ミドル級トーナメント 決勝】 |
1999年11月19日 |
○ | 高瀬大樹 | 5分2R終了 判定3-0 | UFC 23: Ultimate Japan 2 【ミドル級トーナメント 1回戦】 |
1999年11月19日 |
キックボクシング
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | デン・サックモンティー | 3R 1:24 KO | 第3回 M-1ムエタイチャレンジ | 2004年4月11日 |
プロレス
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | ウィリー・ピータース | 1R 13:45 TKO(膝蹴り) | リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998 〜第1回国別対抗戦FNRカップ〜 GRAND-FINAL |
1999年1月23日 |
× | 田村潔司 | 1R 11:26 TKO(右ハイキック) | リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998 〜第1回国別対抗戦FNRカップ〜 SEMI-FINAL |
1998年12月23日 |
× | リー・ハスデル | 10:56 KO | リングス FIGHTING INTEGRATION 6th | 1998年9月21日 |
× | 坂田亘 | 20分終了 ポイント | リングス FIGHTING INTEGRATION 5th | 1998年8月28日 |
× | ヴォルク・ハン | 8:24 逆片エビ固め | リングス CAPTURED 〜AKIRA MAEDA LAST MATCH〜 | 1998年7月20日 |
× | 成瀬昌由 | 11:07 アームロック | リングス FIGHTING INTEGRATION 4th 【トーナメント21タイトルマッチ】 |
1998年6月27日 |
× | 高阪剛 | 9:15 膝十字固め | リングス Battle Genesis Vol.4 | 1998年6月20日 |
× | クリストファー・ヘイズマン | 5:35 腕ひしぎ十字固め | リングス・オーストラリア「Who Needs Rules Fight Night」 | 1998年6月7日 |
○ | クリストファー・ヘイズマン | 12:39 裸絞め | リングス FIGHTING INTEGRATION 3rd 【トーナメント21次期挑戦者決定戦】 |
1998年5月29日 |
× | ヴァレンタイン・オーフレイム | 6:39 TKO(タオル投入) | リングス FIGHTING INTEGRATION 1st | 1998年3月28日 |
○ | ダニエル・ロペス・ロドリゲス | 2:43 ダブルリストロック | キングダム・RV-G 後楽園ホール | 1998年1月28日 |
○ | マーク・ホール | 3:30 足首固め | キングダム・AMBITION 国立代々木第2体育館 | 1997年12月14日 |
○ | パトリック・スミス | 5:21 足首固め | キングダム・BARTH TOUR'97 鹿児島アリーナ | 1997年12月8日 |
× | 安生洋二 | 17:14 アームバー | キングダム・BARTH TOUR'97 博多スターレーン | 1997年12月2日 |
× | 桜庭和志 | 5:52 アームロック | キングダム・BARTH TOUR'97 札幌中島体育センター | 1997年11月19日 |
× | 高山善廣 | 5:45 腕ひしぎ十字固め | キングダム・BARTH TOUR'97 函館市民体育館 | 1997年11月15日 |
○ | 折原昌夫 | 5:33 ダブルリストロック | キングダム・新世界 NEW WORLD 後楽園ホール | 1997年11月3日 |
× | 桜庭和志 | 7:18 腕ひしぎ逆十字固め | キングダム・BARTH TOUR'97 別府ビーコンプラザ | 1997年9月20日 |
○ | 垣原賢人 | 3:55 腕ひしぎ十字固め | キングダム・BARTH TOUR'97 別府ビーコンプラザ | 1997年9月20日 |
○ | ビリー・ジャック・スコット | 5:00 判定勝ち | キングダム・BARTH TOUR'97 別府ビーコンプラザ | 1997年9月20日 |
○ | ニコラス・スタークス | 4:18 KO(ローキック) | キングダム・PRELUDE FOR THE WORLD 後楽園ホール | 1997年9月3日 |
× | 佐野友飛 | 3:27 足首固め | キングダム・BARTH TOUR'97 新潟市体育館 | 1997年8月22日 |
○ | 垣原賢人 | 0:18 KO | キングダム・BARTH Step3 国立代々木第2体育館 | 1997年7月29日 |
○ | ニコ・ゴルドー | 2:41 足首固め | キングダム・BARTH Step2 国立代々木第2体育館 | 1997年6月20日 |
× | 金原弘光 | 7:14 スリーパーホールド | キングダム・BARTH Step1 国立代々木体育館 | 1997年5月4日 |
タイトル歴
- UFC 23-Jミドル級トーナメント 優勝(1999年)
エピソード
- 2001年12月に、須藤元気とリングスのリングで試合を行ったことがある。山本の通常体重は96kgであるが、この試合のために苦しみながらも75kgにまで減量してきた。さらにこの試合では山本が保持していた「UFC-JAPAN」(UFCの認定タイトルではなく、現在活動停止中のUFC-JAPANが制定したベルト)のベルトが賭けられた。試合は裸絞めで山本が敗北し、ベルトは須藤に奪われた。
- 総合格闘家の所英男は「パワー・オブ・ドリーム」時代の弟子に当たる。ジムを閉鎖したことによりその関係は途絶えてしまったが、所は「今でも山本さんを尊敬しているし感謝している」と述べている。
- プロレスラーのジェイク・リー、大森北斗は、北海道で再開したパワー・オブ・ドリームでの門下生にあたる。
- 試合時に「ヤマケンヤマケンヤマケン!」という早口のコールが客席から起こることが恒例となっている。これは、ゴールデン・カップス時代からのもの。
- 山本の実の息子2人も格闘技をしており、長男はDAIKIはFighting NEXUSでプロデビュー、次男山本空良はZSTでプロデビュー、次男はRIZIN FF アマチュアMMA 2017フェザー級トーナメントも優勝している。
- 自身のYouTubeチャンネルにて披露したプロレスラーの物真似が大人気で、高田延彦、前田日明、中野龍雄、長州力、安生に電話したときのジャイアント馬場、桜庭和志、アントニオ猪木、佐々木健介、安生洋二などがレパートリーで、モノマネではなくダウンロードなので電波状況が悪いと出来上がりに狂いが出るときもある。基本だいたいうまくいく。
- Twitterの質問箱の意味のわからない質問には長州の名言「何が言いたいんだ!紙面飾って!俺の体はひとつしか無いんだぞ!」で答えている。そしてくだらない質問、答えられないような下衆な質問には中野の「ん!わかんねぇ」で答えている。最近はなぜか恋愛相談も出てきている。
- 絡んだ選手の特徴をうまく掴み名言を混じえながらの物真似を行う。ちなみに本人的には物真似ではなくダウンロードと呼び、故人の物真似はイタコ芸という。経営している居酒屋で客の要望により披露していたのでかなりの腕前である。
- ファンに対して非常に礼儀正しくあたたかい対応で現役時代の雰囲気と違うと驚く人も多い。
- UWFインターナショナル時代、新日本プロレスとの対抗戦でファイトスタイルの違いに戸惑いが隠せない試合が続いていた、ある日敵側である長州力に呼び出され「お前が山本か?お前が山本か?お前が山本か?」と3回呼ばれ驚く。「山本!割り切れ!」と長州語で激励された後に「山本飯食ってんのか?これで飯でも食えー!」と飯代10万与えられた。その後他のメンバー5人で10万もらう機会があったが分けたら2万だった。結果山本1人だけ12万もらった事になる。敵側から小遣いをもらったことにより他の選手は処分を受けるが一番年齢が若くキャリアが浅い山本だけは処分を受けずに済む。
- 愛猫の名前はロッキーちゃん。元々猫アレルギーだが、子猫の頃に出会い一目惚れ、一緒に暮らすためアレルギーを克服した。かなりの溺愛ぶり。
- 消滅したプロレス団体UWFをいまだに愛し続けている。分裂消滅した事により傷ついたファンに対して今でも悪いと思っている。
- 少年時代過酷で寂しい時代を過ごした後16歳で弟子入りしたUWFインターナショナルで辛くもあり楽しくもあった修行時代を過ごし家族というものを疑似経験する。疑似ではあるが山本にとってそれが初めての家族だった。そのためUWFに対しての熱い思いは誰にも負けないくらい強い。母親の居ない山本は妻の母親を非常に大切な存在と思い大事にしている。
- 経営する居酒屋の客の平均滞在時間は5時間は超える。飲食店としては死活問題だが本人は笑って答えファンや常連客との時間を楽しんでいる。
- 過去のインタビューでUWFのUはアルティメットの頭文字のUに変わるだろうと答えていた。
- 東京で経営していた格闘技ジムパワーオブドリーム時代の弟子にホイス・グレイシー(ホイス有山、東京時代の弟子であり所英男の先輩にあたる現在は会社員)に似ている人がいるが、ファンからニコラス・ケイジに似ていると被せられる。
人物
- 総合格闘家であるが立ち技にも適応でき、ムエタイの試合に出場し勝利を収めた(2004年WPKC世界ヘビー級4位)。
- ブラジリアン柔術ヘンゾ・グレイシー一派であり、アメリカ人で初めてブラックベルトを取得したショーン・ウィリアムスから茶帯の資格を取得し、USオープングラップリングファイトでは準優勝を収めた。
脚注
- ^ 同じ道場に、のちのキックボクサー小比類卷貴之が在籍していた
- ^ “山本喧一が10・13ハードヒット札幌大会で引退”. DDTプロレスリング (2014年9月21日). 2014年10月10日閲覧。
- ^ “ハードヒット10・13札幌直前! 佐藤光留かく語りき。「札幌でやることになって、ハードヒットに出ていた勝村さんが宮下クンの仲間で、その宮下クンはPOD所属で、そこにはヤマケンさんがいた。ブワーッと繋がってしまった。でも、これは偶然なんです。だから人の気持ちって動くんじゃないですか」”. DDTプロレスリング (2014年10月9日). 2014年10月10日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Yamaken Tube - YouTubeチャンネル
- 山本喧一オフィシャルブログ
- Kenichi Yamamoto (@yamaken_yade) - X(旧Twitter)
- 株式会社ウィットエンターテイメント事業部
- POWER OF DREAM - 総合格闘技道場
- バウトレビュー 選手データ
- SHERDOG 選手データ