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取は受の足元に仰向けに倒れて、受の右足を左脇に抱える。取は左脚を受の両脚の間に差し入れて、受の右脚の後、外側、前、内股へと絡める。取は受を取の右側に横倒しにして、左脚を伸ばすようにして受の右膝を極める。 |
取は受の足元に仰向けに倒れて、受の右足を左脇に抱える。取は左脚を受の両脚の間に差し入れて、受の右脚の後、外側、前、内股へと絡める。取は受を取の右側に横倒しにして、左脚を伸ばすようにして受の右膝を極める。 |
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2020年12月20日 (日) 05:57時点における版
足緘 | |
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足緘のイラスト | |
分類 | 固技 |
下位分類 | 関節技 |
対象 | 脚 |
講道館 | 有 |
技名 | |
英語 | Leg entanglement |
足緘(あしがらみ)は、相手の膝を屈伸方向ではなく横方向に極める、もしくは膝を捻る、柔道の関節技である。講道館や国際柔道連盟 (IJF) での正式名。IJF略号AGR/P06。別表記足搦み、脚がらみ[1]。
概要
取は受の足元に仰向けに倒れて、受の右足を左脇に抱える。取は左脚を受の両脚の間に差し入れて、受の右脚の後、外側、前、内股へと絡める。取は受を取の右側に横倒しにして、左脚を伸ばすようにして受の右膝を極める。
1910年(明治43年)、高専柔道の試合において足緘が使用された。講道館柔道試合審判規定において足緘は1916年に禁止となった[2]。しかし、高専柔道においてはしばらく使用され、1921年までに禁止技となった。1921年7月の第8回全国高専大会で膝十字固めが初めて使用され、禁止技の足緘ではないかと乱闘寸前の騒動となっている[3]。大日本武徳会柔術試合審判規定では書籍『柔道大事典』によると1899年[4]、書籍『最新スポーツ大事典』によると1925年に禁止となる[1]。
1985年、講道館は講道館固技名称を制定、発表するが禁止技にも拘わらず足緘が含まれていた。関節技の禁止技としては唯一であった。1995年のIJF技名称制定でも同様に含まれていた。
ブラジリアン柔術では国際ブラジリアン柔術連盟、国際柔術連盟ともに禁止技である。サンボでも禁止技である。1950年に日本で旗揚げした国際柔道協会のプロ柔道でも禁止技であった[5]。
補足
柔道界などでもハーフガードポジションのことを「足緘」、「足搦み」などと呼ぶ場合があるが異なる技である。
脚注
- ^ a b 日本体育協会(監修) 著、岸野雄三 編『最新スポーツ大事典』(初版)大修館書店(原著1987年6月1日)、43頁。ISBN 4-469-06203-0。
- ^ 小俣幸嗣、松井勲、尾形敬史『詳解 柔道のルールと審判法 2004年度版』大修館書店(原著2004年8月20日)。ISBN 4-469-26560-8。
- ^ 工藤雷介『秘録日本柔道』東京スポーツ新聞社、1973年5月25日、255-262頁。「学生柔道の伝統」
- ^ 嘉納行光、川村禎三、中村良三、醍醐敏郎、竹内善徳『柔道大事典』佐藤宣践(監修)(初版第1刷)、アテネ書房、日本(原著1999年11月21日)。ISBN 4871522059。「大日本武徳会柔術試合審判規定」
- ^ 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』新潮社、日本(原著2011年9月30日)、275頁。ISBN 9784103300717。「関節技の場合頸椎及膝関節は禁ず。」