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1947年、長豊郡から北面を編入。1950年、西北面と山外面を[[延白郡]]に移管し、12面・103里に再編した。 |
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1952年12月に行われた郡面里統廃合に伴い、牛峰・金川・古東・北・雄徳面全域と冬火面の一部(1里)、[[長豊郡]]嶺北面の一部(3里)・西南面の一部(1里)、平山郡平山面の一部(2里)を併せ、'''金川郡'''(1邑16里)が再編され、旧金川面に[[邑 (朝鮮)|邑]]が置かれた。旧金川郡のうち、外柳・合灘・左・口耳面の全域と兎山面の一部(10里)を[[兎山郡]]に、冬火面の5里を[[平山郡]]に、兎山面の一部(3里)を[[江原道 (北)|江原道]][[ |
1952年12月に行われた郡面里統廃合に伴い、牛峰・金川・古東・北・雄徳面全域と冬火面の一部(1里)、[[長豊郡]]嶺北面の一部(3里)・西南面の一部(1里)、平山郡平山面の一部(2里)を併せ、'''金川郡'''(1邑16里)が再編され、旧金川面に[[邑 (朝鮮)|邑]]が置かれた。旧金川郡のうち、外柳・合灘・左・口耳面の全域と兎山面の一部(10里)を[[兎山郡]]に、冬火面の5里を[[平山郡]]に、兎山面の一部(3里)を[[江原道 (北)|江原道]][[鉄原郡]]にそれぞれ移管した。 |
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2002年10月現在、1邑14里が置かれている。 |
2002年10月現在、1邑14里が置かれている。 |
2020年12月19日 (土) 22:33時点における版
位置 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 금천군 |
漢字: | 金川郡 |
片仮名転写: | クムチョン=グン |
ローマ字転写 (MR): | Kŭmch'ŏn-gun |
統計 | |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
金川郡(クムチョンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国黄海北道に属する郡。
地理
黄海北道の南部、礼成江流域に位置する。
行政区画
1邑・14里を管轄する。
- 金川邑(クムチョヌプ)
- 江南里(カンナムニ)
- 江北里(カンブンニ)
- 鶏井里(ケジョンニ)
- 南亭里(ナムジョンニ)
- 徳山里(トクサンニ)
- 両合里(リャンハムニ)
- 龍城里(リョンソンニ)
- 文明里(ムンミョンニ)
- 白馬里(ペンマリ)
- 白陽里(ペギャンニ)
- 新江里(シンガンニ)
- 円明里(ウォンミョンニ)
- 月岩里(ウォラムニ)
- 県内里(ヒョンネリ)
歴史
前近代
三国時代には百済、のちに高句麗の版図であった。統一新羅時代には牛峰県とされ、漢州に属した。高麗王朝成立後の995年、関内道の所属の県となる。1015年、西海道平州に編入される。1061年には開城府に編入された。
朝鮮王朝成立後の1395年、豊海道(のちに黄海道)牛峰県となる。1652年、黄海道牛峰県と開城府江陰県が合併され、黄海道金川郡に改編された。
近代
1895年には地方制度改革によって金川郡と兎山郡が分離され、開城府に属した(二十三府制)。翌1896年には黄海道所属となった(十三道制)。日本統治下の1914年、兎山郡が廃止され、その大部分が金川郡に編入された。1943年現在、13面・110里が所属した。
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現代
1947年、長豊郡から北面を編入。1950年、西北面と山外面を延白郡に移管し、12面・103里に再編した。
1952年12月に行われた郡面里統廃合に伴い、牛峰・金川・古東・北・雄徳面全域と冬火面の一部(1里)、長豊郡嶺北面の一部(3里)・西南面の一部(1里)、平山郡平山面の一部(2里)を併せ、金川郡(1邑16里)が再編され、旧金川面に邑が置かれた。旧金川郡のうち、外柳・合灘・左・口耳面の全域と兎山面の一部(10里)を兎山郡に、冬火面の5里を平山郡に、兎山面の一部(3里)を江原道鉄原郡にそれぞれ移管した。
2002年10月現在、1邑14里が置かれている。
年表
この節の出典[1]
- 1652年 - 黄海道牛峰県と開城府江陰県が合併され、金川郡が設置される。
- 1895年 - 兎山郡と併合され、開城府に属する金川郡となる(二十三府制)。
- 1896年 - 黄海道所属となる(十三道制)。管下に15面があった:郡内面・九水面・県内面・馬山面・右面・北面・西面・東面・古県面・合灘面・好賢面・左面・山外面・冬火面・口耳面。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、黄海道兎山郡の大部分(美原面を除く)、平山郡の一部(金岩面の一部)が金川郡に編入。金川郡に以下の面が成立。(15面)
- 金郊面・県内面・白馬面・西北面・古東面・合灘面・好賢面・左面・山外面・冬火面・口耳面・月城面・西泉面・外柳面・宿仁面
- 1929年 - 金郊面が金川面に改称。(15面)
- 1939年 (12面)
- 白馬面および県内面の一部が合併し、牛峰面が発足。
- 好賢面・冬火面が合併し、雄徳面が発足。
- 月城面・宿仁面が合併し、兎山面が発足。
- 県内面の残部が金川面に編入。
- 1945年8月(光復直後) (17面)
- 1945年11月 - 嶺北面・嶺南面・北面・土城面が長豊郡に編入。(13面)
- 1947年 - 長豊郡北面を編入。(14面)
- 1950年 - 西北面・山外面が延白郡に移管。(12面)
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、黄海道金川郡牛峰面・金川面・古東面・北面・雄徳面および冬火面の一部、長豊郡嶺北面・小南面の各一部、平山郡平山面の一部地域をもって、金川郡を設置。金川郡に以下の邑・里が成立。(1邑16里)
- 金川邑・南亭里・龍城里・白馬里・県内里・円明里・文明里・月岩里・徳山里・鶏井里・江北里・礪峴里・山城里・江南里・両合里・白陽里・新江里
- 1954年10月 - 黄海道の分割により、黄海北道金川郡となる。(1邑16里)
- 江南里の一部が礪峴里に編入。
- 1960年3月 - 山城里の一部が開城直轄市長豊郡月古里に編入。(1邑16里)
- 1961年3月 (1邑14里)
- 礪峴里および江南里の一部が開城直轄市開豊郡に編入。
- 山城里が開城直轄市長豊郡に編入。
交通
鉄道
脚注
外部リンク
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