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2020年12月14日 (月) 20:07時点における版
益田 静方(ますだ よしみち、1850年(嘉永)3年 - 1876年(明治9年)12月3日)明治時代初期の筑前国夜須郡下秋月村士族。秋月の乱の首謀者。
略伝
東京で大橋陶庵の塾で学び、秋月に帰って私塾を開き、青少年を指導した。秋月の乱の謀議を主導する。
挙兵にあたり、福岡・佐賀・久留米の挙兵説得に向かったが、1876年(明治9年)10月26日、佐賀から戻る途中で検問の官憲に捕縛された。12月3日、福岡臨時裁判所で秋月挙兵国事犯に判決が出され、主犯として今村百八郎と共に士族を除族され、死刑判決を受ける。同日福岡桝子屋町の獄を出され、斬首刑に処せられた。27歳。
益田は近世の日本裁判史上斬罪第1号となった。