「金田和之」の版間の差分
30行目: | 30行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
=== プロ入り前 === |
=== プロ入り前 === |
||
[[中 |
[[中﨑雄太]]・[[中﨑翔太|翔太]]兄弟の生家に近い実家で出生した後に、[[曽於市立財部小学校|財部小学校]]3年時から、財部サンデーズで野球を始める。[[曽於市立財部中学校|財部中学校]]時代には軟式野球部に所属した。卒業後に進学した[[宮崎県立都城商業高等学校]]では、2年の冬から肘を怪我しており<ref>{{Cite web|title=オリックス・金田和之の「高3夏の思い出」とは?|url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=046-20190805-06|website=週刊ベースボールONLINE|accessdate=2019-09-06|language=ja}}</ref>、春夏とも[[阪神甲子園球場]]の全国大会に出場できなかった。インタビューで「高3の夏」について訊かれたときには「僕の世代の宮崎はすごかったんです。元ヤクルトの赤川([[赤川克紀]])、元西武の中崎([[中﨑雄太]])、元ソフトバンクの有馬([[有馬翔]])と3人も高卒でプロ入りして、2人はドラフト1位。僕は夏が終わってしばらく投げていなかったら、ヒジが良くなってきた。」と答えている<ref>{{Cite web|title=オリックス・金田和之の「高3夏の思い出」とは?|url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=046-20190805-06|website=週刊ベースボールONLINE|accessdate=2019-09-06|language=ja}}</ref>。 |
||
[[大阪学院大学]][[経済学部]]へ進学し、同校の[[大阪学院大学硬式野球部|硬式野球部]]へ所属<ref name="OsakaGakuin">{{Cite web |date=2012-10-25|url=http://www.osaka-gu.ac.jp/ogu_club/news/h_baseball/2012/kaneda.html|title=硬式野球部 金田 和之 投手 「阪神タイガース」からドラフト5位指名|publisher=大阪学院大学|accessdate=2013-04-12}}</ref>。同部が加盟する[[関西六大学野球連盟|関西六大学野球]]のリーグ戦では、2年時の春季に初登板を果たすと、3年時の春季から4年時の春季まで3期連続で5勝をマーク。3年時の春季には、最優秀投手賞を受賞<ref name="OsakaGakuin" />。3年時の秋季と4年時の春季には、ベストナインに選ばれた<ref name="OsakaGakuin" />。4年時には、春季から秋季にわたって6試合連続完封を記録した<ref name="sanspo20121026">{{cite news|title=阪神5位・金田、経済効果起こすで!|author=堀啓介|newspaper=サンケイスポーツ|date=2012-10-26|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20121026/tig12102605030011-n1.html|accessdate=2013-02-23}}{{リンク切れ|date=2013年12月}}</ref>。4年次の秋季リーグ中に肩を痛めたため、終盤の優勝決定戦などには登板できなかった<ref name="sanspo20121103">{{cite news|title=阪神D5位・金田、プロで直球勝負!|author=玉木充|newspaper=サンケイスポーツ|date=2012-11-03|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20121103/tig12110305030005-n1.html|accessdate=2013-02-23}}{{リンク切れ|date=2013年12月}}</ref><ref name="sanspo20121030">{{cite news|title=阪神D5・金田、右肩痛でスタンド観戦|author=|newspaper=サンケイスポーツ|date=2012-10-30|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20121030/tig12103005050015-n1.html|accessdate=2013-02-23}}{{リンク切れ|date=2013年12月}}</ref>が、在学中にはリーグ戦通算で32試合に登板。18勝6敗、防御率1.48という成績を残した。 |
[[大阪学院大学]][[経済学部]]へ進学し、同校の[[大阪学院大学硬式野球部|硬式野球部]]へ所属<ref name="OsakaGakuin">{{Cite web |date=2012-10-25|url=http://www.osaka-gu.ac.jp/ogu_club/news/h_baseball/2012/kaneda.html|title=硬式野球部 金田 和之 投手 「阪神タイガース」からドラフト5位指名|publisher=大阪学院大学|accessdate=2013-04-12}}</ref>。同部が加盟する[[関西六大学野球連盟|関西六大学野球]]のリーグ戦では、2年時の春季に初登板を果たすと、3年時の春季から4年時の春季まで3期連続で5勝をマーク。3年時の春季には、最優秀投手賞を受賞<ref name="OsakaGakuin" />。3年時の秋季と4年時の春季には、ベストナインに選ばれた<ref name="OsakaGakuin" />。4年時には、春季から秋季にわたって6試合連続完封を記録した<ref name="sanspo20121026">{{cite news|title=阪神5位・金田、経済効果起こすで!|author=堀啓介|newspaper=サンケイスポーツ|date=2012-10-26|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20121026/tig12102605030011-n1.html|accessdate=2013-02-23}}{{リンク切れ|date=2013年12月}}</ref>。4年次の秋季リーグ中に肩を痛めたため、終盤の優勝決定戦などには登板できなかった<ref name="sanspo20121103">{{cite news|title=阪神D5位・金田、プロで直球勝負!|author=玉木充|newspaper=サンケイスポーツ|date=2012-11-03|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20121103/tig12110305030005-n1.html|accessdate=2013-02-23}}{{リンク切れ|date=2013年12月}}</ref><ref name="sanspo20121030">{{cite news|title=阪神D5・金田、右肩痛でスタンド観戦|author=|newspaper=サンケイスポーツ|date=2012-10-30|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20121030/tig12103005050015-n1.html|accessdate=2013-02-23}}{{リンク切れ|date=2013年12月}}</ref>が、在学中にはリーグ戦通算で32試合に登板。18勝6敗、防御率1.48という成績を残した。 |
2020年12月9日 (水) 02:22時点における版
オリックス・バファローズ #58 | |
---|---|
2018年4月20日 タマホームスタジアム筑後にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県曽於郡財部町(現:曽於市) |
生年月日 | 1990年9月18日(34歳) |
身長 体重 |
184 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2012年 ドラフト5位 |
初出場 | 2014年3月28日 |
年俸 | 1,400万円(2020年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
金田 和之(かねだ かずゆき、1990年9月18日 - )は、鹿児島県曽於郡財部町(現在の曽於市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。
経歴
プロ入り前
中﨑雄太・翔太兄弟の生家に近い実家で出生した後に、財部小学校3年時から、財部サンデーズで野球を始める。財部中学校時代には軟式野球部に所属した。卒業後に進学した宮崎県立都城商業高等学校では、2年の冬から肘を怪我しており[2]、春夏とも阪神甲子園球場の全国大会に出場できなかった。インタビューで「高3の夏」について訊かれたときには「僕の世代の宮崎はすごかったんです。元ヤクルトの赤川(赤川克紀)、元西武の中崎(中﨑雄太)、元ソフトバンクの有馬(有馬翔)と3人も高卒でプロ入りして、2人はドラフト1位。僕は夏が終わってしばらく投げていなかったら、ヒジが良くなってきた。」と答えている[3]。
大阪学院大学経済学部へ進学し、同校の硬式野球部へ所属[4]。同部が加盟する関西六大学野球のリーグ戦では、2年時の春季に初登板を果たすと、3年時の春季から4年時の春季まで3期連続で5勝をマーク。3年時の春季には、最優秀投手賞を受賞[4]。3年時の秋季と4年時の春季には、ベストナインに選ばれた[4]。4年時には、春季から秋季にわたって6試合連続完封を記録した[5]。4年次の秋季リーグ中に肩を痛めたため、終盤の優勝決定戦などには登板できなかった[6][7]が、在学中にはリーグ戦通算で32試合に登板。18勝6敗、防御率1.48という成績を残した。
2012年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから5巡目で指名[4]。契約金4,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は48。ちなみに、この年の3月には、同球団二軍との練習試合に登板。5回を投げて1失点(自責点0)という結果を残していた[5]。
阪神時代
2013年には、前年に痛めた右肩のリハビリと並行させながら、春季キャンプ前の新人合同自主トレーニングからスローペースで調整[8]。その影響で、公式戦の開幕を二軍で迎えた。7月19日のフレッシュオールスターゲーム(秋田こまちスタジアム)では、ウエスタン・リーグ選抜の3番手投手として4回表に登板。1イニングを三者凡退に抑えた[9]。8月15日に入団後初の出場選手登録を果たしたが、一軍公式戦への登板機会がないまま、2日後の17日に登録を抹消。白仁田寛和が先発する予定だった9月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦(阪神甲子園球場)では、一軍へ合流した白仁田に代わって、急遽先発を任された。一軍の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)に先発予定だったジェイソン・スタンリッジの故障で、白仁田を急遽同カードの先発に起用したことによる措置だった[10]が、試合自体は2回裏に降雨ノーゲームで終了した[10]。ウエスタン・リーグ公式戦には17試合に登板、1勝4敗、防御率3.68という成績を残した。
2014年には、入団後初めての開幕一軍入りを果たすと、3月28日に読売ジャイアンツ(巨人)との開幕戦(東京ドーム)7回表に一軍デビュー[11]。延長12回まで決着が付かなかった6月17日の対北海道日本ハムファイターズ戦(甲子園)では、12回表に6番手で登板すると、打者1人を抑えた。さらに、その裏にマット・マートンのサヨナラ安打でチームが勝利したため、一軍での初勝利を挙げた[12]。7月22日の対巨人戦(甲子園)でも、同点で迎えた延長12回表1死1塁の場面で登板。1球で井端弘和を併殺打に仕留め、その裏に阪神がサヨナラ勝利を収めたことから、NPB一軍公式戦史上36人目の1球勝利を記録した[13]。一軍公式戦で初めて先発のマウンドを任された8月21日の対中日ドラゴンズ戦(京セラドーム大阪)では、5回を投げて4被安打2失点という内容ながら、シーズンの4勝目を記録。試合後には、ヒーローインタビューを初めて受けた[14]。一軍公式戦全体では、中継ぎを中心に40試合へ登板。5勝1敗、防御率3.61という成績を残した。
2015年には、前年の活躍を背景に、一軍の先発要員として期待された[15]。レギュラーシーズンの序盤には、一軍公式戦8試合に登板。しかし、防御率が5.19に達するほど振るわず、5月4日に出場選手登録を抹消された[16]。結局、一軍公式戦全体でも、10試合の登板にとどまった。
2016年には、開幕直後の3月31日にシーズン初の出場選手登録。4月9日の対広島東洋カープ戦(甲子園)で一軍公式戦3試合目の登板を果たしたが、対戦した打者3人にいずれも四球を出したあげく、1死も取れないまま降板を命じられた。この年に一軍監督へ就任したばかりの金本知憲は、金田の降板後に、「淡々と投げてベンチでも淡々と座っているので、どういう気持ちで何を考えているのかさっぱり分からない。伝わってくるものが何もない」という表現で金田の姿勢を問題視。翌10日に登録を抹消される[17]と、8月下旬まで二軍での調整を余儀なくされた。その一方で、9月30日の対巨人戦(甲子園)では、1点ビハインドの9回表に5番手で登板。鳥谷敬の失策から招いた1死2塁のピンチを無失点で凌ぐと、その裏に味方打線の4連打でチームがサヨナラ勝利を収めたため、一軍公式戦としてはこの年唯一の勝利を挙げた[18]。しかし、一軍公式戦での登板は6試合にとどまった。
オリックス時代
2016年12月16日に、オリックス・バファローズへ移籍することが発表された。この年のシーズン終了後に糸井嘉男が国内FA権の行使によってオリックスから阪神へ移籍したことに伴って、NPBの規約で阪神からオリックスへの補償義務が生じたため、オリックス側からの指名で移籍に至った[19]。背番号は58[20]。
2017年には、西勇輝が先発した8月22日の対北海道日本ハムファイターズ戦(ほっともっとフィールド神戸)で、1回表1死に松本剛の放ったライナーが西の左手首を直撃したことを受けて、2回表から急遽登板。そのまま3イニングを投げた末に、パシフィック・リーグ公式戦初勝利を挙げた[21]。同年は一軍公式戦34試合に登板。防御率は4.15ながら、4勝1敗2ホールドを記録した。
2018年には、一軍公式戦10試合に登板。しかし、阪神時代の2013年以来5年振りに白星を挙げられず、防御率も7.30と振るわなかった。
選手としての特徴
打者の手許で微妙に変化する最速153km/hのストレート[22][11]と、岩隈久志に似た投球フォームが持ち味。金田自身も、岩隈の投球フォームを参考にしていることを認めている[8]。ただし、オリックス移籍後の2018年からは、従来の投球フォームから右腕を下げることを試みている[23]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014 | 阪神 | 40 | 2 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | .833 | 264 | 62.1 | 65 | 6 | 20 | 1 | 0 | 41 | 6 | 0 | 27 | 25 | 3.61 | 1.36 |
2015 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 53 | 9.2 | 19 | 1 | 6 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 11 | 8 | 7.45 | 2.59 | |
2016 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 29 | 6.0 | 6 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 4 | 4 | 6.00 | 1.67 | |
2017 | オリックス | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 2 | .800 | 170 | 39.0 | 42 | 3 | 10 | 0 | 1 | 34 | 1 | 0 | 19 | 18 | 4.15 | 1.33 |
2018 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 65 | 12.1 | 20 | 2 | 8 | 0 | 1 | 14 | 2 | 0 | 10 | 10 | 7.30 | 2.27 | |
2019 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 36 | 7.1 | 12 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 4 | 4 | 4.91 | 2.05 | |
2020 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 39 | 8.1 | 10 | 1 | 7 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 6 | 6 | 6.48 | 2.04 | |
通算:7年 | 112 | 4 | 0 | 0 | 0 | 12 | 2 | 0 | 2 | .857 | 656 | 145.0 | 174 | 13 | 58 | 1 | 2 | 109 | 11 | 0 | 81 | 75 | 4.66 | 1.60 |
- 2020年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2014 | 阪神 | 40 | 5 | 13 | 1 | 3 | .947 |
2015 | 10 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | オリックス | 34 | 3 | 7 | 1 | 0 | .909 |
2018 | 10 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2019 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 6 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 112 | 14 | 29 | 2 | 3 | .956 |
- 2020年度シーズン終了時
記録
- 投手記録
- 初記録
- 初登板:2014年3月28日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、7回裏に3番手で登板、1回無失点[11]
- 初奪三振:2014年3月30日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、4回裏に片岡治大から空振り三振
- 初勝利:2014年6月17日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(阪神甲子園球場)、12回表2死に6番手で救援登板、1/3回無失点[12]
- 初先発登板・初先発勝利:2014年8月21日、対中日ドラゴンズ17回戦(京セラドーム大阪)、5回4被安打2失点
- 初ホールド:2017年7月2日、対埼玉西武ライオンズ11回戦(メットライフドーム)、6回裏に2番手で救援登板、1回無失点
- その他の記録
- 1球勝利:2014年7月22日、対読売ジャイアンツ14回戦(阪神甲子園球場)、12回表に6番手で救援登板・完了、井端弘和に併殺打
- 打撃記録
- 初打席・初安打:2014年8月21日、対中日ドラゴンズ17回戦(京セラドーム大阪)、2回裏にダニエル・カブレラから中前安打
背番号
- 48 (2013年 - 2016年)
- 58 (2017年 - )
登場曲
- 「Don't Wake Me Up」クリス・ブラウン(2013年 - )
脚注
- ^ “オリックス - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “オリックス・金田和之の「高3夏の思い出」とは?”. 週刊ベースボールONLINE. 2019年9月6日閲覧。
- ^ “オリックス・金田和之の「高3夏の思い出」とは?”. 週刊ベースボールONLINE. 2019年9月6日閲覧。
- ^ a b c d “硬式野球部 金田 和之 投手 「阪神タイガース」からドラフト5位指名”. 大阪学院大学 (2012年10月25日). 2013年4月12日閲覧。
- ^ a b 堀啓介 (2012年10月26日). “阪神5位・金田、経済効果起こすで!”. サンケイスポーツ 2013年2月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 玉木充 (2012年11月3日). “阪神D5位・金田、プロで直球勝負!”. サンケイスポーツ 2013年2月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “阪神D5・金田、右肩痛でスタンド観戦”. サンケイスポーツ. (2012年10月30日) 2013年2月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “ようやく…阪神・D5金田、初のブルペン”. サンケイスポーツ. (2013年1月29日) 2013年9月10日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “プロ野球フレッシュオールスターゲーム2013 試合結果”. 日本野球機構. 2016年12月20日閲覧。
- ^ a b 『金田和之投手に聞いてみました』 岡本育子の新・小虎日記(2014年1月11日)2014年1月13日閲覧。
- ^ a b c “阪神・金田、無失点デビューに「ホッ」”. サンケイスポーツ. (2014年3月29日) 2014年3月29日閲覧。
- ^ a b “マートンのサヨナラ打で阪神連勝”. デイリースポーツ. (2014年6月17日) 2014年6月17日閲覧。
- ^ 阪神・金田 球団14年ぶり1球勝利投手にスポーツニッポン2014年7月23日配信
- ^ 2年目・金田 プロ未経験5回投げ切った「点を取られたんで60点」スポーツニッポン2014年8月21日配信
- ^ “江夏臨時C太鼓判!金田開幕ローテや”. デイリースポーツ. (2015年2月5日) 2016年3月30日閲覧。
- ^ “阪神・金田、一死も取れず2失点で2軍降格 二神が初昇格へ”. サンケイスポーツ. (2015年5月4日) 2016年3月30日閲覧。
- ^ “阪神・金本監督が就任後、最大級の激怒!「伝わってくるものない」”. サンケイスポーツ. (2016年4月10日) 2016年12月20日閲覧。
- ^ “阪神金田ラッキー今季初星!鳥谷失策もカバーして吉”. 日刊スポーツ. (2016年9月30日) 2016年12月20日閲覧。
- ^ FA選手獲得に対する人的補償選手について阪神タイガース公式サイト 2016年12月16日
- ^ “オリックス金田の背番号は58、FA糸井の人的補償”. 日刊スポーツ. (2016年12月19日) 2016年12月20日閲覧。
- ^ “オリックス西アクシデントで降板、左手首に打球直撃”. 日刊スポーツ. (2017年8月2日) 2018年12月22日閲覧。
- ^ 阪神から移籍の右腕 金田和之投手(月刊オリックス・バファローズ通信)
- ^ “オリックス金田500万減「来年はキャリアハイを」”. 日刊スポーツ. (2018年12月4日) 2018年12月22日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 金田和之 - NPB.jp 日本野球機構