「ストラスペイ男爵」の版間の差分
HMS Barham (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし |
|||
7行目: | 7行目: | ||
=== 第1期(1858年) === |
=== 第1期(1858年) === |
||
{{仮リンク|ジョン・オギルヴィ=グラント_(第7代シーフィールド伯爵)|en|John_Ogilvy-Grant,_7th_Earl_of_Seafield|label=ジョン・オギルヴィ=グラント}}{{fontsize|small|(1815–1881)}}は[[1858年]][[8月14日]]に[[連合王国貴族]]として「'''インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵'''{{fontsize|small|(Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)}}」に叙されたが、これが第1期の創設にあたる<ref>{{London Gazette|issue=22171|page=3667|date=6 August 1858}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|title=Seafield, Earl of (S, 1701)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
{{仮リンク|ジョン・オギルヴィ=グラント_(第7代シーフィールド伯爵)|en|John_Ogilvy-Grant,_7th_Earl_of_Seafield|label=ジョン・オギルヴィ=グラント}}{{fontsize|small|(1815–1881)}}は[[1858年]][[8月14日]]に[[連合王国貴族]]として「'''インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵'''{{fontsize|small|(Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)}}」に叙されたが、これが第1期の創設にあたる<ref>{{London Gazette|issue=22171|page=3667|date=6 August 1858}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|title=Seafield, Earl of (S, 1701)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/seafield1701.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-08-15}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|title=Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc : Free Download, Borrow, and Streaming|url=https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/810|website=Internet Archive|accessdate=2020-08-16|language=en|publisher=|author=Arthur G.M. Hesilrige|page=811}}</ref>。彼は叙爵前の1853年に父から「'''[[シーフィールド伯爵]]'''」を継承していたため、男爵位は伯爵位の従属爵位となった<ref name=":0" /><ref name=":2" />。 |
||
しかし、その子である8代伯イアン{{fontsize|small|(1851-1884)}}が1884年に生涯未婚のまま死去すると、男爵位は廃絶となった<ref name=":0" />。一方で、伯爵位は叔父ジェームズが継承するとともに、彼が直後に第2期の叙爵を受けることとなる。 |
しかし、その子である8代伯イアン{{fontsize|small|(1851-1884)}}が1884年に生涯未婚のまま死去すると、男爵位は廃絶となった<ref name=":0" />。一方で、伯爵位は叔父ジェームズが継承するとともに、彼が直後に第2期の叙爵を受けることとなる。 |
||
14行目: | 14行目: | ||
9代伯ジェームズ{{fontsize|small|(1817-1888)}}は[[1884年]][[6月17日]]に連合王国貴族爵位の「'''インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵'''{{fontsize|small|(Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)}}」に叙された<ref name=":0" /><ref name=":2" /><ref>{{London Gazette|issue=25364|page=2610|date=13 June 1884}}</ref>。この叙爵が現在まで存続している。 |
9代伯ジェームズ{{fontsize|small|(1817-1888)}}は[[1884年]][[6月17日]]に連合王国貴族爵位の「'''インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵'''{{fontsize|small|(Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)}}」に叙された<ref name=":0" /><ref name=":2" /><ref>{{London Gazette|issue=25364|page=2610|date=13 June 1884}}</ref>。この叙爵が現在まで存続している。 |
||
その孫にあたる11代伯[[ジェームズ・オギルヴィ=グラント (第11代シーフィールド伯爵)|ジェームズ]]{{fontsize|small|(1876-1915)}}が男子のないまま[[第一次世界大戦]]で戦死を遂げたため、男爵位は弟トレヴァー(4代男爵、{{fontsize|small|1879–1948}})が継承した{{#tag:ref|男爵位と同様に男子への継承を求める[[コフーン準男爵|準男爵位]]も弟トレヴァーへ相続されている。|group="註釈"}}<ref name=":2" /><ref name=":3">{{Cite web|title=Strathspey, Baron (UK, 1884)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
その孫にあたる11代伯[[ジェームズ・オギルヴィ=グラント (第11代シーフィールド伯爵)|ジェームズ]]{{fontsize|small|(1876-1915)}}が男子のないまま[[第一次世界大戦]]で戦死を遂げたため、男爵位は弟トレヴァー(4代男爵、{{fontsize|small|1879–1948}})が継承した{{#tag:ref|男爵位と同様に男子への継承を求める[[コフーン準男爵|準男爵位]]も弟トレヴァーへ相続されている。|group="註釈"}}<ref name=":2" /><ref name=":3">{{Cite web|title=Strathspey, Baron (UK, 1884)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/strathspey1884.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-08-15}}</ref>。他方、女系継承可能なシーフィールド伯爵位を始めとする[[スコットランド貴族]]爵位は11代伯の長女ニーナが相続している<ref name=":1">{{cite book|title=Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood|publisher=Burke's Peerage & Gentry|edition=107|year=2003|pages=|ref=harv|isbn=0-9711966-2-1|date=|editor-first=Charles|editor-last=Mosley|volume=3|page=3552}}</ref>。 |
||
以降は4代男爵の系統で存続しており、その孫にあたる6代男爵ジェームズ{{fontsize|small|(1943-)}}がストラスペイ男爵家現当主である<ref name=":3" />。彼は同時に{{仮リンク|グラント氏族|en|Clan_Grant}}{{fontsize|small|(Clan Grant)}}の氏族長を務めている<ref name=":3" />。 |
以降は4代男爵の系統で存続しており、その孫にあたる6代男爵ジェームズ{{fontsize|small|(1943-)}}がストラスペイ男爵家現当主である<ref name=":3" />。彼は同時に{{仮リンク|グラント氏族|en|Clan_Grant}}{{fontsize|small|(Clan Grant)}}の氏族長を務めている<ref name=":3" />。 |
2020年12月4日 (金) 06:22時点における版
ストラスペイ男爵(第2期) | |
---|---|
Arms:Gules three Antique Crowns Or Crest:A Burning Hill proper Supporters:On either side a Savage or Naked Man wreathed about the head and middle with Laurel and bearing on his exterior shoulder a Club proper
| |
創設時期 | 1884年6月17日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵ジェームズ・オギルヴィ=グラント |
現所有者 | 6代男爵ジェームズ・グラント・オブ・グラント |
相続人 | なし |
推定相続人 | マイケル・グラント・オブ・グラント |
相続資格 | 初代男爵の嫡出直系男子 |
付随称号 | (コフーンの)準男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | Above the Crest:Craig Elachie; Below the Shield:Stand Fast |
男爵家当主はグラント氏族長を兼ねる |
ストラスペイ男爵(英: Baron Strathspey,[stræθspˈɛi])はイギリスの男爵、貴族、連合王国貴族爵位。これまでに二度創設されており、いずれもシーフィールド伯爵家への叙爵である。第2期が現存するが、現在は伯爵位と分離している。
歴史
第1期(1858年)
ジョン・オギルヴィ=グラント(1815–1881)は1858年8月14日に連合王国貴族として「インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵(Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)」に叙されたが、これが第1期の創設にあたる[1][2][3]。彼は叙爵前の1853年に父から「シーフィールド伯爵」を継承していたため、男爵位は伯爵位の従属爵位となった[2][3]。
しかし、その子である8代伯イアン(1851-1884)が1884年に生涯未婚のまま死去すると、男爵位は廃絶となった[2]。一方で、伯爵位は叔父ジェームズが継承するとともに、彼が直後に第2期の叙爵を受けることとなる。
第2期(1884年)
9代伯ジェームズ(1817-1888)は1884年6月17日に連合王国貴族爵位の「インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵(Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)」に叙された[2][3][4]。この叙爵が現在まで存続している。
その孫にあたる11代伯ジェームズ(1876-1915)が男子のないまま第一次世界大戦で戦死を遂げたため、男爵位は弟トレヴァー(4代男爵、1879–1948)が継承した[註釈 1][3][5]。他方、女系継承可能なシーフィールド伯爵位を始めとするスコットランド貴族爵位は11代伯の長女ニーナが相続している[6]。
以降は4代男爵の系統で存続しており、その孫にあたる6代男爵ジェームズ(1943-)がストラスペイ男爵家現当主である[5]。彼は同時にグラント氏族(Clan Grant)の氏族長を務めている[5]。
現当主の保有爵位 / 地位
現当主である第6代ストラスペイ男爵ジェームズ・パトリック・トレヴァー・グラント・オブ・グラントは、以下の爵位を有する[5]。
- 第6代インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵(6th Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)
(1884年6月17日の勅許状による連合王国貴族爵位[2]) - 第18代(コフーンの)準男爵(18th Baronet, of Colquhoun)
(1704年4月29日の勅許状によって1625年8月30日創設とみなす先官礼遇を認めるノヴァスコシア準男爵位)
ストラスペイ男爵家当主は2020年現在、以下の地位を世襲している。
- 第33代グラント氏族長(33rd Chief of the Name and Arms of Grant)
一覧
ストラスペイ男爵(第1期;1858年)
- 初代ストラスペイ男爵(第7代シーフィールド伯爵)ジョン・チャールズ・オギルヴィ=グラント (1815–1881)
- 第2代ストラスペイ男爵(第8代シーフィールド伯爵)イアン・チャールズ・オギルヴィ=グラント (1851–1884)(1884年にストラスペイ男爵位廃絶)
ストラスペイ男爵(第2期;1884年)
- 初代ストラスペイ男爵(第9代シーフィールド伯爵)ジェームズ・オギルヴィ=グラント (1817–1888)
- 第2代ストラスペイ男爵(第10代シーフィールド伯爵)フランシス・ウィリアム・オギルヴィ=グラント (1847–1888)
- 第3代ストラスペイ男爵(第11代シーフィールド伯爵)ジェームズ・オギルヴィ=グラント (1876–1915)
- 第4代ストラスペイ男爵トレヴァー・オギルヴィ=グラント (1879–1948)
- 第5代ストラスペイ男爵ドナルド・パトリック・トレヴァー・グラント・オブ・グラント (1912–1992)
- 第6代ストラスペイ男爵ジェームズ・パトリック・トレヴァー・グラント・オブ・グラント (1943-)
爵位の推定相続人は、現当主の弟であるマイケル・パトリック・グラント・オブ・グラント閣下 (1953-)。
脚注
註釈
出典
- ^ "No. 22171". The London Gazette (英語). 6 August 1858. p. 3667.
- ^ a b c d e “Seafield, Earl of (S, 1701)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年8月15日閲覧。
- ^ a b c d Arthur G.M. Hesilrige. “Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. p. 811. 2020年8月16日閲覧。
- ^ "No. 25364". The London Gazette (英語). 13 June 1884. p. 2610.
- ^ a b c d “Strathspey, Baron (UK, 1884)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年8月15日閲覧。
- ^ Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood. 3 (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 3552. ISBN 0-9711966-2-1