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その後、2代伯デイヴィッド<small>(1610-1679)</small>は1672年の時点で15人の子供に先立たれてしまい、末娘マーガレットが存命するのみとなった<ref name=":2" />。そこで、彼は爵位を一度王冠に返還({{仮リンク|ノヴォダマス|en|Charter_of_novodamus}})、マーガレットとその子孫に相続を許す再叙爵を受けている<ref name=":1" /><ref name=":2" />。デイヴィッドが没すると準男爵位は廃絶した一方、残る爵位を彼女が相続した<ref name=":2" />。
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2020年12月4日 (金) 06:20時点における版

ウィームズ伯爵
(兼 マーチ伯爵 )

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th, Argent a Fess Azure within a Double Tressure flory counterflory Gules (Charteris); 2nd and 3rd, Or a Lion rampant Gules armed and langued Azure (Wemyss) Crest:A Dexter Hand holding up a Dagger paleways proper Supporters:On either side a Swan wings elevated gorged about the neck with an Earl's Coronet all proper
創設時期1633年6月25日
創設者チャールズ1世
貴族スコットランド貴族
初代初代伯ジョン・ウィームズ
現所有者13代伯ジェームズ・チャータリス英語版
相続人エルホー卿リチャード・チャータリス
付随称号下記を参照。
現況存続
邸宅ゴスフォード・ハウス英語版
ニードパス城英語版
エルホー城英語版
スタンウェイ・ハウス英語版
旧邸宅エミスフィールド・ハウス
モットーJe Pense(I think)
1810年以降はマーチ伯爵を兼ねる

ウィームズ伯爵: Earl of Wemyss,[ˈwmz] / WEEMZ)は、イギリスの伯爵貴族スコットランド貴族爵位。ジョン・ウィームズが1633年に叙されたことに始まる。1810年以降は、マーチ伯爵と継承者を一にする。

歴史

一族の古城エルホー城を望む
10代伯フランシス
伯爵家の親族ロスリン・ウィームズ英語版海軍元帥。

伯爵家の祖ジョン・ウィームズ(1665-1705)枢密顧問官英語版国教会総会勅使英語版を務めた人物である[1][2]。彼は1625年にノヴァ・スコシアの準男爵に叙せられたのち、1628年にエルホーのウィームズ卿(Lord Wemyss of Elcho)に昇叙した[註釈 1][1][2][3]。ジョンは1633年にさらにウィームズ伯爵(Earl of Wemyss)に陛爵するとともに、併せてエルホー=メシル卿(Lord Elcho and Methel)を授けられている[1][2][3][4]。一連の爵位はすべてスコットランド貴族爵位であり、彼の男子への継承を求めるものであった[3]

その後、2代伯デイヴィッド(1610-1679)は1672年の時点で15人の子供に先立たれてしまい、末娘マーガレットが存命するのみとなった[3]。そこで、彼は爵位を一度王冠に返還(ノヴォダマス)、マーガレットとその子孫に相続を許す再叙爵を受けている[2][3]。デイヴィッドが没すると準男爵位は廃絶した一方、残る爵位を彼女が相続した[3]

その子である4代伯デイヴィッド(1678-1720)スコットランド王国イングランド王国合同時にスコットランド代表の1人に選ばれている[5]。彼は長男に早世されていたため、爵位は次男ジェームズが継承した[6]

5代伯ジェームズ(1699-1756)の頃に、彼の息子デイヴィッド(1721-1787)1745年ジャコバイト蜂起に身を投じた廉で私権剥奪を受ける事件が起きている[2][7]。このため、デイヴィッドは父の爵位を継ぐことができず、その財産も三男ジェームズが限嗣相続をすることで一応の解決を見た[3]。また、5代伯の婚姻を通じて、チャータリス家の財産が伯爵家に舞い込むこととなる[註釈 2][3][4]

その次男フランシス(1723-1808)は1771年に母方の「チャータリス」の紋章とその名を用いることを許されている[2][3]

彼の孫フランシス(1772-1853)は父祖同様にウィームズ伯爵を仮冒したほか、親族の第3代マーチ伯爵の死後はこれも加えて、爵位の請願を行っていた[2][3]。彼はその後の1826年に貴族院による爵位回復の決議を受けて、80年ぶりに伯爵位を取り戻している[2][3][4]。この際に、マーチ伯爵とそれに付随する爵位[註釈 3]も併せて回復したため、これ以降はウィームズ伯爵とマーチ伯爵は継承者を一つにする[3]

フランシスは爵位回復に先立つ1821年に新規に連合王国貴族爵位のファイフ州ウィームズのウィームズ男爵(Baron Wemyss, of Wemyss in the County of Fife)に叙されたため、歴代当主は自動的に貴族院に議席を得ることとなった[2][3][8]

その孫にあたる10代伯フランシス(1818-1914)は、1881年から1910年にかけて女王ヴィクトリア及び国王エドワード7世の副官を務めた[2][9]

その直系のひ孫にあたる13代伯ジェームズ(1984-)が伯爵家現当主である。

ウィームズ伯家からは著名人物が輩出されている。ナポレオン戦争期を活躍したウィリアム・ウィームズ英語版将軍(1814年に陸軍大将[10])や、第一次世界大戦を戦ったロスリン・ウィームズ英語版海軍元帥(第12巡洋艦戦隊司令英語版東インド艦隊司令長官英語版第一海軍卿を歴任)の名が挙げられる[11][12]

また、エリザベス女王の私設秘書を務めたマーティン・チャータリス英語版も一族の出身である[註釈 4]

伯爵家の邸宅

伯爵家の本邸はイースト・ロージアン州ロングニドリー英語版に位置するゴスフォード・ハウス英語版。伯爵家は他にもスタンウェイ・ハウス英語版ニードパス城英語版及びエルホー城英語版を有する[3]

現当主の保有爵位

現当主である第13代ウィームズ伯爵ジェームズ・ドナルド・チャータリス英語版は、以下の爵位を有する[3]

  • 第11代ウィームズ伯爵(11th Earl of Wemyss)
    (1633年6月25日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第9代マーチ伯爵(9th Earl of March)
    (1697年4月20日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第9代ピーブルス子爵(9th Viscount of Peebles)
    (1697年4月20日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第11代エルホーのウィームズ卿(11th Lord Wemyss of Elcho)
    (1628年4月1日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第11代エルホー=メシル卿(11th Lord Elcho and Methil)※法定推定相続人の儀礼称号
    (1633年6月25日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第9代ニードパス、ライン及びマナードのダグラス卿(9th Lord Douglas of Neidpath, Lyne and Munard)
    (1697年4月20日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第6代ファイフ州ウィームズのウィームズ男爵(6th Baron Wemyss, of Wemyss in the County of Fife)
    (1821年7月17日の勅許状による連合王国貴族爵位)

ウィームズ伯爵(1633年)

爵位の法定推定相続人は、現当主の一人息子であるエルホー卿(儀礼称号)フランシス・リチャード・チャータリス(1984-)。

マーチ伯爵(1697年)

これ以降の歴代伯爵は上記「ウィームズ伯爵(1633年)」を参照。

脚注

註釈

  1. ^ 『Elcho』の発音は「[ˈɛl.x]」。
  2. ^ 5代伯の妻の父フランシス・チャータリス英語版はギャンブルで財をなしたという[4]
  3. ^ 「ピーブルス子爵位」と「ニードパス、ライン及びマナードのダグラス卿位」がマーチ伯爵に附属する。
  4. ^ チャータリス卿は英国王室構成員の内情に明るく、ヨーク公爵夫人を『下品』、プリンス・オブ・ウェールズを『泣き虫』、エリザベス王太后を『若干ながら現実逃避屋』とそれぞれ評した[13]

出典

  1. ^ a b c Henderson, Thomas (1899). "Wemyss, David (1678-1720)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 60. London: Smith, Elder & Co. p. 246-247.
  2. ^ a b c d e f g h i j Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. pp. 916-917. http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/916 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Wemyss, Earl of (S, 1633)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年6月2日閲覧。
  4. ^ a b c d Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Wemyss, Earls of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 517.
  5. ^ Henderson, Thomas Finlayson (1899). "Wemyss, David (1678-1720)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 60. London: Smith, Elder & Co. pp. 246–247.
  6. ^ Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 85–86.
  7. ^ David, Lord Elcho”. www.electricscotland.com. 2020年6月2日閲覧。
  8. ^ "No. 17724". The London Gazette (英語). 14 July 1821. p. 1461. 2020年6月3日閲覧
  9. ^ Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood. 3 (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 4124. ISBN 0-9711966-2-1 
  10. ^ The Royal military calendar, or Army service and commission book. Containing the services and progress of promotion of the generals, lieutenant-generals, major-generals, colonels, lieutenant-colonels, and majors of the army, according to seniority: with details of the principal military events of the last century”. Archive.org (2010年7月21日). 2017年3月15日閲覧。
  11. ^ WEMYSS, William (1760-1822), of Wemyss, Fife. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年6月3日閲覧。
  12. ^ Rosslyn Erskine Wemyss, First Baron Wester Wemyss - The Dreadnought Project”. dreadnoughtproject.org. 2020年6月3日閲覧。
  13. ^ Noreen Taylor (7 January 1995). “Saying what everyone thinks”. The Spectator. http://archive.spectator.co.uk/article/7th-january-1995/14/saying-what-everyone-thinks. 

関連項目