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'''ラッキン準男爵'''(のち'''グリムストン準男爵''')及び'''グリムストン子爵'''を前身として、ウィリアム・グリムストンが[[1719年]]に叙位されたことに始まる。
'''ラッキン準男爵'''(のち'''グリムストン準男爵''')及び'''グリムストン子爵'''を前身として、ウィリアム・グリムストンが[[1719年]]に叙位されたことに始まる。


あまたある英国貴族のなかでも、[[イングランド]]、[[スコットランド]]及び[[アイルランド]]の爵位を併せ持ち、くわえて[[グレートブリテン貴族]]ならびに[[連合王国貴族]]爵位をも保有するきわめて珍しい状態を維持している{{#tag:ref|『{{仮リンク|バークス貴族名鑑|en|Burke%27s_Peerage}}』(1931年版)によれば、ヴェルラム伯爵のように3つ以上の[[イギリスのカントリー|イギリス内のカントリー]]をまたいで爵位を持つ家は20世紀においては[[アバコーン公爵]]、[[ランズダウン侯爵]]のみであった<ref>{{Cite web|title=Abercorn|url=http://peerageandgentry.com/texts/bp1931/abercorn.html|website=peerageandgentry.com|accessdate=2020-04-05}}</ref>。ただしその後、ランズダウン侯爵は[[スコットランド貴族]]爵位(註:[[ネアーン卿]])と分離したため、現在は様子が異なる<ref>{{Cite web|title=Nairne, Lord (S, 1681)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/nairne1681.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-04-05}}</ref>。|group="註釈"}}。
あまたある英国貴族のなかでも、[[イングランド]]、[[スコットランド]]及び[[アイルランド]]の爵位を併せ持ち、くわえて[[グレートブリテン貴族]]ならびに[[連合王国貴族]]爵位をも保有するきわめて珍しい状態を維持している{{#tag:ref|『{{仮リンク|バークス貴族名鑑|en|Burke%27s_Peerage}}』(1931年版)によれば、ヴェルラム伯爵のように3つ以上の[[イギリスのカントリー|イギリス内のカントリー]]をまたいで爵位を持つ家は20世紀においては[[アバコーン公爵]]、[[ランズダウン侯爵]]のみであった<ref>{{Cite web|title=Abercorn|url=http://peerageandgentry.com/texts/bp1931/abercorn.html|website=peerageandgentry.com|accessdate=2020-04-05}}</ref>。ただしその後、ランズダウン侯爵は[[スコットランド貴族]]爵位(註:[[ネアーン卿]])と分離したため、現在は様子が異なる<ref>{{Cite web|title=Nairne, Lord (S, 1681)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/nairne1681.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-04-05}}</ref>。|group="註釈"}}。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
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== 現当主の保有爵位 / 準男爵位 ==
== 現当主の保有爵位 / 準男爵位 ==
現当主である{{仮リンク|ジョン・グリムストン_(第7代ヴェルラム伯爵)|en|John_Grimston,_7th_Earl_of_Verulam|label=第7代ヴェルラム伯爵ジョン・ダンカン・グリムストン}}は、以下の爵位及び準男爵位を有する<ref name=":5">{{Cite web|title=Verulam, Earl of (UK, 1815)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/verulam1815.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-04-04}}</ref>。
現当主である{{仮リンク|ジョン・グリムストン_(第7代ヴェルラム伯爵)|en|John_Grimston,_7th_Earl_of_Verulam|label=第7代ヴェルラム伯爵ジョン・ダンカン・グリムストン}}は、以下の爵位及び準男爵位を有する<ref name=":5">{{Cite web|title=Verulam, Earl of (UK, 1815)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/verulam1815.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-04-04}}</ref>。


* '''第7代ヴェルラム伯爵'''<small>(7th Earl of Verulam)</small><br />([[1815年]][[11月24日]]の勅許状による[[連合王国貴族]]爵位)
* '''第7代ヴェルラム伯爵'''<small>(7th Earl of Verulam)</small><br />([[1815年]][[11月24日]]の勅許状による[[連合王国貴族]]爵位)

2020年12月4日 (金) 06:16時点における版

ヴェルラム伯爵

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th, Argent on a Fess Sable three Spur Rowels of six points Or pierced Gules in the dexter chief point an Ermine Spot (Grimston); 2nd, Sable a Fess dancetty between two Leopards' Faces Or (Luckyn); 3rd, Argent three Bugle horns Sable (Forrester) Crest:A Stag's Head erased proper attired Or Supporters:On the dexter side a Stag regardant proper attired Or, and on the sinister side a Griffin regardant Or
創設時期1815年11月24日
創設者摂政ジョージ(ジョージ3世名代)
貴族連合王国貴族
初代4代子爵ジェームズ・グリムストン英語版
現所有者ジョン・グリムストン英語版
相続人グリムストン子爵ジェームズ・グリムストン
相続資格初代伯の嫡出直系男子
付随称号下記
現況存続
邸宅ゴーレムベリー・ハウス英語版
モットーMediocria Firma
(Moderate things are stable)

ヴェルラム伯爵(: Earl of Verulam)はイギリスの伯爵貴族連合王国貴族爵位。

ラッキン準男爵(のちグリムストン準男爵)及びグリムストン子爵を前身として、ウィリアム・グリムストンが1719年に叙位されたことに始まる。

あまたある英国貴族のなかでも、イングランドスコットランド及びアイルランドの爵位を併せ持ち、くわえてグレートブリテン貴族ならびに連合王国貴族爵位をも保有するきわめて珍しい状態を維持している[註釈 1]

歴史

一族の現邸宅であるゴーレムベリー・ハウス第2種国定建造物に指定[3]

ラッキン家の興隆

ラッキン家は本来エセックス地方に住まうヨーマンであったが、15世紀中葉から次第にジェントルマンを自称しはじめた[4]。その祖ウィリアム・ラッキン(William Luckyn,1594-1660)リトル・ウォルサム英語版[註釈 2]に地所を購入するとともに、1628年ごろにはイングランド準男爵位として(エセックス州リトル・ウォルサムの)準男爵(Baronet, of Little Waltham, in the County of Essex)を得た[4][5]

2代準男爵カペル(1622-1680)長期議会におけるハリッジ選挙区英語版選出の議員を務めている[4][6]

その孫にあたる4代準男爵ハーボトル(1683–1737)が男子なく死去すると、準男爵位は弟のウィリアムが継承した[7]

グリムストン家の財産の継承

5代準男爵ウィリアム(1684–1756)は準男爵を相続する以前の1719年にアイルランド貴族としてグリムストン子爵(Viscount Grimston)及びダンボイン男爵(Baron Dunboyne)に叙せられた[8]。彼はさらに大叔父にあたる第3代グリムストン準男爵英語版の死に伴って地所と財産を相続した際、その姓を「ラッキン」から「グリムストン」に改姓している[5][7]。初代子爵は19人の子供をもうけたほか、爵位は存命の次男ジェームズ及びその子ジェームズ・バックナルの順で継承されている[5][8]

3代子爵ジェームズ・バックナル(1747-1808)庶民院議員として活動後、1790年グレートブリテン貴族爵位のハートフォード州におけるゴーレムベリーのヴェルラム男爵(Baron Verulam, of Gorhambury in the County of Hertford)を授けられたため、以降の歴代当主は自動的に貴族院における議席を確保することができた[註釈 3][9][10]

伯爵家としての歴史

その子であるジェームズ・グリムストン英語版(1775-1845)は襲爵の前年に、母方のいとこからスコットランド貴族爵位のフォレスター卿英語版を相続している[註釈 4][11]。彼は続く1815年には連合王国貴族としてヴェルラム伯爵(Earl of Verulam)に昇叙するとともに、あわせてグリムストン子爵(Viscount Grimston)を授けられた。そのため、初代伯以降の歴代当主は英国貴族の持ちうる5種類すべての爵位を保持する状態に至った[5][10][11][12]

2代伯ジェームズ(1809-1895)侍従たる議員英語版ハートフォードシャー統監英語版を務めたほか、熱心なボクシング愛好家としても活動した[5][11][13]

その孫にあたる4代伯ジェームズ(1880–1949)電気工学技師であったことから電気ケーブルメーカーのエンフィールドケーブル社英語版を設立している[11][14]

その子である5代伯ジェームズ(1910-1960)も同社を率いる実業家であったが、彼には子がなかったために爵位は弟のジョン(6代伯)が相続した[11][15]

その息子である7代伯ジョン(1951-)がヴェルラム伯爵家現当主であり、一族の邸宅であるゴーレムベリー・ハウス英語版に居を構えている[16]

一族のモットーは「節度あるは無難なり(Mediocria Firma)[11]

現当主の保有爵位 / 準男爵位

現当主である第7代ヴェルラム伯爵ジョン・ダンカン・グリムストン英語版は、以下の爵位及び準男爵位を有する[11]

  • 第7代グリムストン子爵(7th Viscount Grimston)
    (1815年11月24日の勅許状による連合王国貴族爵位)

一覧

(リトル・ウォルサムの)準男爵(1629年)

グリムストン子爵(1719年)

ヴェルラム伯爵(1815年)

法定推定相続人は現当主の息子であるグリムストン子爵(儀礼称号)ジェームズ・ウォルター・グリムストン(1978 - )。

法定推定相続人の法定推定相続人は、その息子のジョン・イニス・アーチー・グリムストン(2010 - )閣下。

脚注

註釈

  1. ^ バークス貴族名鑑英語版』(1931年版)によれば、ヴェルラム伯爵のように3つ以上のイギリス内のカントリーをまたいで爵位を持つ家は20世紀においてはアバコーン公爵ランズダウン侯爵のみであった[1]。ただしその後、ランズダウン侯爵はスコットランド貴族爵位(註:ネアーン卿)と分離したため、現在は様子が異なる[2]
  2. ^ 同荘園はエセックス州チェルムスフォードの北に位置する小村である。
  3. ^ 政治家としての盟友の初代ソールズベリー侯爵が尽力してくれたことによる叙爵であるという。
  4. ^ 彼は母ハリエットを通じて第5代フォレスター卿の女系子孫であったため、その承継が生じた[11]

出典

  1. ^ Abercorn”. peerageandgentry.com. 2020年4月5日閲覧。
  2. ^ Nairne, Lord (S, 1681)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月5日閲覧。
  3. ^ House, Gorhambury. “Gorhambury House”. www.historichouses.org. 2020年4月4日閲覧。
  4. ^ a b c LUCKYN, Capel (1622-80), of Messing Hall, Essex. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年4月4日閲覧。
  5. ^ a b c d e Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 902. http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  6. ^ Read the eBook Collins's peerage of England; genealogical, biographical, and historical by Arthur Collins online for free (page 20 of 56)”. www.ebooksread.com. 2020年4月4日閲覧。
  7. ^ a b GRIMSTON (formerly LUCKYN), William (1684-1756), of Gorhambury, Herts. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年4月4日閲覧。
  8. ^ a b Vian, Alsager (1890). "Grimston, William Luckyn" . In Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 23. London: Smith, Elder & Co. p. 260-261.
  9. ^ No.13210”. The Gazette 15 June 1790. 2020年4月4日閲覧。
  10. ^ a b GRIMSTON, James Bucknall, 3rd Visct. Grimston [I (1747-1808), of Gorhambury, Herts. | History of Parliament Online]”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年4月4日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h Verulam, Earl of (UK, 1815)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月4日閲覧。
  12. ^ No.17066”. The Gazette 30 September 1815. 2020年4月4日閲覧。
  13. ^ List of patrons, location and details of the Rum Pum-pas club in Thormanby, (1900) Boxers and their Battles; Antecdotal Sketches and Personal Recollections, London, R. A. Everett and Co., pg. 267-8.
  14. ^ “[https://www.cityoflondon.gov.uk/things-to-do/london-metropolitan-archives/the-collections/Documents/diocese-of-london-consistory-court-wills-index-s.pdf Index to the Diocese of London Consistory Court Wills]”. シティ・オブ・ロンドン. p. 15. 2020年4月5日閲覧。
  15. ^ ltd, comdevelopment. “ENFIELD ROLLING MILLS,LIMITED, KT13 0TS : Companies House Number 00200137” (英語). Companies In The UK. 2020年4月4日閲覧。
  16. ^ Burton, Madeleine. “Traffic-chaos wedding was that of Earl of Verulam’s daughter” (英語). Herts Advertiser. 2020年4月4日閲覧。

関連項目