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フィンチ家は[[12世紀]]イングランドの国王[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]の{{仮リンク|宮内長官 (イギリス)|label=宮内長官|en|Lord Chamberlain}}だったヘンリー・フィッツハーバート(Henry FitzHerbert)の子孫だといわれている。[[1350年代]]にフィンチ家の女子相続人と婚姻した後にフィンチに改姓したという<ref>Burke's Peerage, 1934 (re:Finch, Earl of Winchilsea and Nottingham)によればサー・ウィリアム・ダグダルは"the Finch family is probably descended from Henry FitzHerbert, Chamberlain of King Henry I and ancestor of the Herbert Earls of Pembroke. They are thought to have changed their name to Finch after marriage to an heiress daughter of an earlier Finch family"と記述している</ref>。 |
フィンチ家は[[12世紀]]イングランドの国王[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]の{{仮リンク|宮内長官 (イギリス)|label=宮内長官|en|Lord Chamberlain}}だったヘンリー・フィッツハーバート(Henry FitzHerbert)の子孫だといわれている。[[1350年代]]にフィンチ家の女子相続人と婚姻した後にフィンチに改姓したという<ref>Burke's Peerage, 1934 (re:Finch, Earl of Winchilsea and Nottingham)によればサー・ウィリアム・ダグダルは"the Finch family is probably descended from Henry FitzHerbert, Chamberlain of King Henry I and ancestor of the Herbert Earls of Pembroke. They are thought to have changed their name to Finch after marriage to an heiress daughter of an earlier Finch family"と記述している</ref>。 |
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[[16世紀]]後半から[[17世紀]]初頭の当主{{仮リンク|モイル・フィンチ (初代準男爵)|label=モイル・フィンチ|en|Sir Moyle Finch, 1st Baronet}}{{small|(不詳-1614)}}は、{{仮リンク|ウェイマス選挙区|en|Weymouth (UK Parliament constituency)}}や{{仮リンク|ケント選挙区|en|Kent (UK Parliament constituency)}}、{{仮リンク|ウィンチルシー選挙区|en|Winchelsea (UK Parliament constituency)}}から選出されて[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務め、1596年から1605年にかけては{{仮リンク|ケントのハイ・シェリフ|en|High Sheriff of Kent}}を務めた<ref>{{cite web | url=http://www.kentarchaeology.ac/TopographicalTradition/1659-kilburne.pdf | author= Richard Kilburne |title=A Topographie or Survey of the County of Kent |location=London |date=1659|accessdate=2011-04-14}}</ref>。1611年にイングランド準男爵位の'''ケント州におけるイーストウェルの準男爵'''(Baronet, of Eastwell in the County of Kent)に叙位された<ref name = Cockayne>[https://archive.org/stream/cu31924092524374#page/n57/mode/2up George E. Cokayne ''Complete Baronetage, Vol 1'' (1900)]</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p2530.htm#i25292 |title=Sir Moyle Finch, 1st Bt.|accessdate= 2019-12-5 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。さらに彼の死後にその未亡人である{{仮リンク|エリザベス・フィンチ (初代ウィンチルシー女伯爵)|label=エリザベス・フィンチ(旧姓ヘニッジ)|en|Elizabeth Finch, 1st Countess of Winchilsea}}{{small|(1556–1634)}}が1623年7月5日に[[イングランド貴族]]爵位の'''ケント州におけるメイドストンのメイドストン女子爵'''{{small|(Viscountess Maidstone, of Maidstone in the County of Kent)}}、ついで1628年7月11日に'''ウィンチルシー女伯爵'''{{small|(Countess of Winchilsea)}}に叙位された。いずれも彼女の男系男子に継承される爵位である<ref name="CP EW">{{Cite web |title=Winchilsea, Earl of (E, 1628)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
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1614年の初代準男爵モイルの死後、モイルとエリザベスの間の長男のセオフィラスが第2代準男爵位を継承したが、彼は1619年に母に先だってウィンチルシー伯爵位を継承することなく死去した。長弟{{仮リンク|トマス・フィンチ (第2代ウィンチルシー伯爵)|label=トマス・フィンチ|en|Thomas Finch, 2nd Earl of Winchilsea}}{{small|(1578–1639)}}が第3代準男爵位を継承し、1634年の母エリザベスの死で第2代ウィンチルシー伯爵位も継承した<ref name="CP EW"/>。 |
1614年の初代準男爵モイルの死後、モイルとエリザベスの間の長男のセオフィラスが第2代準男爵位を継承したが、彼は1619年に母に先だってウィンチルシー伯爵位を継承することなく死去した。長弟{{仮リンク|トマス・フィンチ (第2代ウィンチルシー伯爵)|label=トマス・フィンチ|en|Thomas Finch, 2nd Earl of Winchilsea}}{{small|(1578–1639)}}が第3代準男爵位を継承し、1634年の母エリザベスの死で第2代ウィンチルシー伯爵位も継承した<ref name="CP EW"/>。 |
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3代伯の死後、その息子の4代伯[[チャールズ・フィンチ (第4代ウィンチルシー伯爵)|チャールズ・フィンチ]]{{small|(1672–1712)}}、5代伯[[ヘニッジ・フィンチ (第5代ウィンチルシー伯爵)|ヘニッジ・フィンチ]] {{small|(Heneage Finch, 1657–1726)}}、6代伯[[ジョン・フィンチ (第6代ウィンチルシー伯爵)|ジョン・フィンチ]]{{small|(1683–1729)}}と兄から弟への継承が続いたが、6代伯の死去で2代伯からの男系男子は絶えた<ref name="CP EW"/>。 |
3代伯の死後、その息子の4代伯[[チャールズ・フィンチ (第4代ウィンチルシー伯爵)|チャールズ・フィンチ]]{{small|(1672–1712)}}、5代伯[[ヘニッジ・フィンチ (第5代ウィンチルシー伯爵)|ヘニッジ・フィンチ]] {{small|(Heneage Finch, 1657–1726)}}、6代伯[[ジョン・フィンチ (第6代ウィンチルシー伯爵)|ジョン・フィンチ]]{{small|(1683–1729)}}と兄から弟への継承が続いたが、6代伯の死去で2代伯からの男系男子は絶えた<ref name="CP EW"/>。 |
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2代伯には弟にヘニッジ・フィンチ{{small|(1580-1631)}}があった。その長男{{仮リンク|ヘニッジ・フィンチ (初代ノッティンガム伯)|label=ヘニッジ・フィンチ|en|Heneage Finch, 1st Earl of Nottingham}}{{small|(1620-1682)}}は、[[イングランド王政復古|王政復古]]後の1660年にイングランド準男爵位の'''(ローンストンの)準男爵'''(Baronet "of Raunston")に叙位され、1660年から1673年まで{{仮リンク|オックスフォード大学選挙区|en|Oxford University (UK Parliament constituency)}}などから選出されて庶民院議員を務めた。[[大法官]](当時は[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議長を兼ねた)就任に際して[[1674年|1673/74年]][[1月10日]]に[[イングランド貴族]]'''ノーサンプトン州におけるダヴェントリーのフィンチ男爵'''(Baron Finch, of Daventry in the County of Northampton)に叙位され、ついで[[1681年]][[5月12日]]に'''[[ノッティンガム伯爵]]'''に叙位された<ref name="CP EN">{{Cite web |title=Nottingham, Earl of (E, 1681)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
2代伯には弟にヘニッジ・フィンチ{{small|(1580-1631)}}があった。その長男{{仮リンク|ヘニッジ・フィンチ (初代ノッティンガム伯)|label=ヘニッジ・フィンチ|en|Heneage Finch, 1st Earl of Nottingham}}{{small|(1620-1682)}}は、[[イングランド王政復古|王政復古]]後の1660年にイングランド準男爵位の'''(ローンストンの)準男爵'''(Baronet "of Raunston")に叙位され、1660年から1673年まで{{仮リンク|オックスフォード大学選挙区|en|Oxford University (UK Parliament constituency)}}などから選出されて庶民院議員を務めた。[[大法官]](当時は[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議長を兼ねた)就任に際して[[1674年|1673/74年]][[1月10日]]に[[イングランド貴族]]'''ノーサンプトン州におけるダヴェントリーのフィンチ男爵'''(Baron Finch, of Daventry in the County of Northampton)に叙位され、ついで[[1681年]][[5月12日]]に'''[[ノッティンガム伯爵]]'''に叙位された<ref name="CP EN">{{Cite web |title=Nottingham, Earl of (E, 1681)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/nottingham1681.htm#NOTTINGHAM_1681_1|accessdate= 2019-12-1|last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。[[1682年]]に彼が死去すると長男[[ダニエル・フィンチ (第2代ノッティンガム伯)|ダニエル・フィンチ]]{{small|(1647–1730)}}が第2代ノッティンガム伯爵を継承。彼は[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の政治家として名誉革命後の政界で[[北部担当国務大臣]]や[[南部担当国務大臣]]などを歴任して活躍した。そして最晩年の[[1729年]]に又従兄弟(はとこ)にあたる6代ウィンチルシー伯が死去すると第7代ウィンチルシー伯爵位を継承した。そのためこれ以降のウィンチルシー伯爵は、ノッティンガム伯爵、ダヴェントリーのフィンチ男爵、(ローンストンの)準男爵位も保有している<ref name="CP EW"/>。 |
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その息子の8代ウィンチルシー伯[[ダニエル・フィンチ (第8代ウィンチルシー伯爵)|ダニエル・フィンチ]]{{small|(1709頃–1769)}}も{{仮リンク|海軍大臣 (イギリス)|label=海軍大臣|en|First Lord of the Admiralty}}や[[枢密院 (イギリス)|枢密院議長]]といった閣僚職を歴任して政界で活躍した<ref name="CP EW"/>。 |
その息子の8代ウィンチルシー伯[[ダニエル・フィンチ (第8代ウィンチルシー伯爵)|ダニエル・フィンチ]]{{small|(1709頃–1769)}}も{{仮リンク|海軍大臣 (イギリス)|label=海軍大臣|en|First Lord of the Admiralty}}や[[枢密院 (イギリス)|枢密院議長]]といった閣僚職を歴任して政界で活躍した<ref name="CP EW"/>。 |
2020年12月4日 (金) 06:12時点における版
ウィンチルシー伯爵 Earl of Winchilsea (兼 ノッティンガム伯爵 ) | |
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Quarterly, 1st & 4th: argent, a chevron between three garbs gules; (Hatton) 2nd & 3rd, argent, a chevron between three griffins, passant, wings endorsed sable (Finch) | |
創設時期 | 1628年7月11日 |
創設者 | チャールズ1世 |
貴族 | イングランド貴族 |
初代 | エリザベス・フィンチ |
現所有者 | ダニエル・フィンチ=ハットン(17代ウィンチルシー伯) |
相続人 | トビアス・フィンチ=ハットン(メイドストン子爵) |
相続資格 | 初代女伯の直系の嫡出の男系男子 |
付随称号 | メイドストン子爵 ダヴェントリーのフィンチ男爵 イーストウェルの準男爵 ローンストンの準男爵 |
邸宅 | カービー・ホール |
旧邸宅 | イーストウェル・パーク |
モットー | Nil conscire sibi |
ウィンチルシー伯爵(英語: Earl of Winchilsea)は、イングランド貴族の伯爵位のひとつ。ウィンチルシー選挙区の庶民院議員で1611年に準男爵に叙位されたモイル・フィンチの未亡人だったエリザベス・フィンチが1628年に叙位されたのに始まる。1729年に分流の貴族だった第2代ノッティンガム伯爵ダニエル・フィンチが第7代ウィンチルシー伯爵位を継承して以降はノッティンガム伯爵位と一緒に継承されている。
歴史
フィンチ家は12世紀イングランドの国王ヘンリー1世の宮内長官だったヘンリー・フィッツハーバート(Henry FitzHerbert)の子孫だといわれている。1350年代にフィンチ家の女子相続人と婚姻した後にフィンチに改姓したという[1]。
16世紀後半から17世紀初頭の当主モイル・フィンチ(不詳-1614)は、ウェイマス選挙区やケント選挙区、ウィンチルシー選挙区から選出されて庶民院議員を務め、1596年から1605年にかけてはケントのハイ・シェリフを務めた[2]。1611年にイングランド準男爵位のケント州におけるイーストウェルの準男爵(Baronet, of Eastwell in the County of Kent)に叙位された[3][4]。さらに彼の死後にその未亡人であるエリザベス・フィンチ(旧姓ヘニッジ)(1556–1634)が1623年7月5日にイングランド貴族爵位のケント州におけるメイドストンのメイドストン女子爵(Viscountess Maidstone, of Maidstone in the County of Kent)、ついで1628年7月11日にウィンチルシー女伯爵(Countess of Winchilsea)に叙位された。いずれも彼女の男系男子に継承される爵位である[5]。
1614年の初代準男爵モイルの死後、モイルとエリザベスの間の長男のセオフィラスが第2代準男爵位を継承したが、彼は1619年に母に先だってウィンチルシー伯爵位を継承することなく死去した。長弟トマス・フィンチ(1578–1639)が第3代準男爵位を継承し、1634年の母エリザベスの死で第2代ウィンチルシー伯爵位も継承した[5]。
その息子3代伯ヘニッジ・フィンチ(1635頃–1689)はイングランド内戦中に王党派として行動し、名誉革命ではオランダ総督オラニエ公ウィレム(後の国王ウィリアム3世)の支持者として行動した[5]。
3代伯の死後、その息子の4代伯チャールズ・フィンチ(1672–1712)、5代伯ヘニッジ・フィンチ (Heneage Finch, 1657–1726)、6代伯ジョン・フィンチ(1683–1729)と兄から弟への継承が続いたが、6代伯の死去で2代伯からの男系男子は絶えた[5]。
2代伯には弟にヘニッジ・フィンチ(1580-1631)があった。その長男ヘニッジ・フィンチ(1620-1682)は、王政復古後の1660年にイングランド準男爵位の(ローンストンの)準男爵(Baronet "of Raunston")に叙位され、1660年から1673年までオックスフォード大学選挙区などから選出されて庶民院議員を務めた。大法官(当時は貴族院議長を兼ねた)就任に際して1673/74年1月10日にイングランド貴族ノーサンプトン州におけるダヴェントリーのフィンチ男爵(Baron Finch, of Daventry in the County of Northampton)に叙位され、ついで1681年5月12日にノッティンガム伯爵に叙位された[6]。1682年に彼が死去すると長男ダニエル・フィンチ(1647–1730)が第2代ノッティンガム伯爵を継承。彼はトーリー党の政治家として名誉革命後の政界で北部担当国務大臣や南部担当国務大臣などを歴任して活躍した。そして最晩年の1729年に又従兄弟(はとこ)にあたる6代ウィンチルシー伯が死去すると第7代ウィンチルシー伯爵位を継承した。そのためこれ以降のウィンチルシー伯爵は、ノッティンガム伯爵、ダヴェントリーのフィンチ男爵、(ローンストンの)準男爵位も保有している[5]。
その息子の8代ウィンチルシー伯ダニエル・フィンチ(1709頃–1769)も海軍大臣や枢密院議長といった閣僚職を歴任して政界で活躍した[5]。
8代伯には男子がなかったため、9代伯は甥ジョージ・フィンチ(1752–1826)が継承した。しかし彼も子供がなかったため、彼の死後はその従兄弟甥ジョージ・ウィリアム・フィンチ=ハットン(1791–1858)が10代伯を継承した。彼の祖父エドワード(1697-1771)は8代伯の弟にあたるが、1764年に母方ハットン子爵ハットン家のカービー・ホールの財産を相続しており、これを機に「フィンチ=ハットン(Finch-Hatton)」の二重性に改姓していた[5]。
10代伯の死後はその長男11代伯ジョージ・ジェームズ・フィンチ=ハットン(1815–1887)、ついでその弟12代伯マレー・エドワード・ゴードン・フィンチ=ハットン (1851–1898)、さらにその弟13代伯ヘンリー・ストーモント・フィンチ=ハットン(1852–1927)が継承。13代伯以降、父から子への継承が続き、2019年現在の当主は17代伯ダニエル・ジェイムズ・ハットフィールド・フィンチ=ハットン(1967-)である[5][7]。
現当主の保有爵位/準男爵位
現当主ダニエル・フィンチ=ハットンは以下の爵位/準男爵位を保有している[5]。
- 第17代ウィンチルシー伯爵 (17th Earl of Winchilsea)
- 第12代ノッティンガム伯爵 (12th Earl of Nottingham)
- ケント州におけるメイドストンの第17代メイドストン子爵 (17th Viscount Maidstone, of Maidstone in the County of Kent
- ノーサンプトン州におけるダヴェントリーの第12代フィンチ男爵 (12th Baron Finch, of Daventry in the County of Northampton)
- (1673/74年1月10日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
- (ケント州におけるイーストウェルの)第18代準男爵 (18th Baronet "of Eastwell, co. Kent")
- (バッキンガム州におけるローンストンの)第12代準男爵 (12th Baronet "of Raunston, co. Buckingham")
歴代当主
イーストウェルのフィンチ準男爵 (1611年)
- 初代準男爵サー・モイル・フィンチ (Moyle Finch, -1614)
- 2代準男爵セオフィラス・フィンチ (Theophilus Finch, 1573頃–1619頃)
- 3代準男爵サー・トマス・フィンチ (Thomas Finch, 1578–1639)
- 1634年に第2代ウィンチルシー伯爵を継承。
ウィンチルシー伯爵 (1628年)
- 初代ウィンチルシー女伯エリザベス・フィンチ (Elizabeth Finch, 1556–1634)
- 2代ウィンチルシー伯トマス・フィンチ (Thomas Finch, 1578–1639)
- 3代ウィンチルシー伯ヘニッジ・フィンチ (Heneage Finch, 1635頃–1689)
- 4代ウィンチルシー伯チャールズ・フィンチ (Charles Finch, 1672–1712)
- 5代ウィンチルシー伯ヘニッジ・フィンチ (Heneage Finch, 不詳–1726)
- 6代ウィンチルシー伯ジョン・フィンチ (John Finch, 1683–1729)
- 7代ウィンチルシー伯/2代ノッティンガム伯ダニエル・フィンチ (Daniel Finch, 1647–1730)
- 8代ウィンチルシー伯/3代ノッティンガム伯ダニエル・フィンチ (Daniel Finch, 1689–1769)
- 9代ウィンチルシー伯/4代ノッティンガム伯ジョージ・フィンチ (George Finch, 1752–1826)
- 10代ウィンチルシー伯/5代ノッティンガム伯ジョージ・ウィリアム・フィンチ=ハットン (George William Finch-Hatton, 1791–1858)
- 11代ウィンチルシー伯/6代ノッティンガム伯ジョージ・ジェームズ・フィンチ=ハットン (George James Finch-Hatton, 1815–1887)
- 12代ウィンチルシー伯/7代ノッティンガム伯マレー・エドワード・ゴードン・フィンチ=ハットン (Murray Edward Gordon Finch-Hatton, 1851–1898)
- 13代ウィンチルシー伯/8代ノッティンガム伯ヘンリー・ストーモント・フィンチ=ハットン (Henry Stormont Finch-Hatton, 1852–1927)
- 14代ウィンチルシー伯/9代ノッティンガム伯ガイ・モンタギュー・ジョージ・フィンチ=ハットン (Guy Montagu George Finch-Hatton, 1885–1939)
- 15代ウィンチルシー伯/10代ノッティンガム伯クリストファー・ガイ・ヘニッジ・フィンチ=ハットン (Christopher Guy Heneage Finch-Hatton, 1911–1950)
- 16代ウィンチルシー伯/11代ノッティンガム伯クリストファー・デニーズ・ストーモント・フィンチ=ハットン (Christopher Denys Stormont Finch-Hatton, 1936–1999)
- 17代ウィンチルシー伯/12代ノッティンガム伯ダニエル・ジェイムズ・ハットフィールド・フィンチ=ハットン (Daniel James Hatfield Finch-Hatton, 1967-)
- 法定推定相続人は現当主の長男メイドストン子爵トビアス・ジョシュア・ストーモント・フィンチ=ハットン (Tobias Joshua Stormont Finch-Hatton, 1998-)
ノッティンガム伯 7期 (1681年)
- 初代ノッティンガム伯ヘニッジ・フィンチ (Heneage Finch, 1621-1682)
- 2代ノッティンガム伯ダニエル・フィンチ (Daniel Finch, 1647–1730)
- 1729年に第7代ウィンチルシー伯爵位継承
系図
1611年(イーストウェルの)準男爵 | 1628年ウィンチルシー伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代準男爵 モイル・フィンチ (不詳-1614) | 初代ウィンチルシー女伯 エリザベス・フィンチ (1556–1634) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代準男爵 セオフィラス・フィンチ (1573頃–1619頃) | 2代ウィンチルシー伯 3代準男爵 トマス・フィンチ (1578–1639) | ヘニッジ・フィンチ (不詳-1631) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1681年ノッティンガム伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ウィンチルシー伯 4代準男爵 ヘニッジ・フィンチ (1635頃–1689) | 初代ノッティンガム伯 ヘニッジ・フィンチ (1620-1682) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1714年アイルズフォード伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
メイドストン子爵(儀礼称号) ウィリアム・フィンチ (1652-1672) | 5代ウィンチルシー伯 6代準男爵 ヘニッジ・フィンチ (1657–1726) | 6代ウィンチルシー伯 7代準男爵 ジョン・フィンチ (1683–1729) | 7代ウィンチルシー伯 2代ノッティンガム伯 8代準男爵 ダニエル・フィンチ (1647–1730) | 初代アイルズフォード伯 ヘニッジ・フィンチ (1649頃-1719) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
アイルズフォード伯フィンチ家へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4代ウィンチルシー伯 5代準男爵 チャールズ・フィンチ (1672–1712) | 8代ウィンチルシー伯 3代ノッティンガム伯 9代準男爵 ダニエル・フィンチ (1689–1769) | ウィリアム・フィンチ (1691-1766) | エドワード・フィンチ=ハットン (1697-1771) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
9代ウィンチルシー伯 4代ノッティンガム伯 10代準男爵 ジョージ・フィンチ (1752–1826) | ジョージ・フィンチ=ハットン (1747-1823) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10代ウィンチルシー伯 5代ノッティンガム伯 11代準男爵 ジョージ・フィンチ=ハットン (1791–1858) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11代ウィンチルシー伯 6代ノッティンガム伯 12代準男爵 ジョージ・フィンチ=ハットン (1815–1887) | 12代ウィンチルシー伯 7代ノッティンガム伯 13代準男爵 マレー・フィンチ=ハットン (1851–1898) | 13代ウィンチルシー伯 8代ノッティンガム伯 14代準男爵 ヘンリー・フィンチ=ハットン (1852–1927) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
14代ウィンチルシー伯 9代ノッティンガム伯 15代準男爵 ガイ・フィンチ=ハットン (1885–1939) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
15代ウィンチルシー伯 10代ノッティンガム伯 16代準男爵 クリストファー・フィンチ=ハットン (1911–1950) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
16代ウィンチルシー伯 11代ノッティンガム伯 17代準男爵 クリストファー・フィンチ=ハットン (1936–1999) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
17代ウィンチルシー伯 12代ノッティンガム伯 18代準男爵 ダニエル・フィンチ=ハットン (1967–) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ Burke's Peerage, 1934 (re:Finch, Earl of Winchilsea and Nottingham)によればサー・ウィリアム・ダグダルは"the Finch family is probably descended from Henry FitzHerbert, Chamberlain of King Henry I and ancestor of the Herbert Earls of Pembroke. They are thought to have changed their name to Finch after marriage to an heiress daughter of an earlier Finch family"と記述している
- ^ Richard Kilburne (1659年). “A Topographie or Survey of the County of Kent”. 2011年4月14日閲覧。
- ^ George E. Cokayne Complete Baronetage, Vol 1 (1900)
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Moyle Finch, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月5日閲覧。
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