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「ノーマンビー侯爵」の版間の差分

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== 現当主の保有爵位 ==
== 現当主の保有爵位 ==
現当主である第5代ノーマンビー侯爵{{仮リンク|コンスタンティン・フィップス (第5代ノーマンビー侯爵)|label=コンスタンティン・フィップス|en|Constantine Phipps, 5th Marquess of Normanby}}は、以下の爵位を有する<ref>{{Cite web|last=Lundy|first=Darryl|url=http://www.thepeerage.com/p1193.htm#i11926|title=Constantine Edmund Walter Phipps, 5th Marquess of Normanby|work=thepeerage.com|language=英語|accessdate=2015年8月6日}}</ref><ref>{{Cite web|title=Normanby, Marquess of (UK, 1838)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/normanby1838.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-05-08}}</ref>。
現当主である第5代ノーマンビー侯爵{{仮リンク|コンスタンティン・フィップス (第5代ノーマンビー侯爵)|label=コンスタンティン・フィップス|en|Constantine Phipps, 5th Marquess of Normanby}}は、以下の爵位を有する<ref>{{Cite web|last=Lundy|first=Darryl|url=http://www.thepeerage.com/p1193.htm#i11926|title=Constantine Edmund Walter Phipps, 5th Marquess of Normanby|work=thepeerage.com|language=英語|accessdate=2015年8月6日}}</ref><ref>{{Cite web|title=Normanby, Marquess of (UK, 1838)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/normanby1838.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-05-08}}</ref>。


*'''第5代ノーマンビー侯爵'''(5th Marquess of Normanby)<br>([[1838年]][[6月25日]]の勅許状による[[連合王国貴族]]爵位)
*'''第5代ノーマンビー侯爵'''(5th Marquess of Normanby)<br>([[1838年]][[6月25日]]の勅許状による[[連合王国貴族]]爵位)

2020年12月4日 (金) 05:48時点における版

ノーマンビー侯フィップス家の紋章のエスカッシャン部分

ノーマンビー侯爵英語: Marquess of Normanby)は、イギリス侯爵位。

2度創設されており、1期目は第3代マルグレイヴ伯爵英語版ジョン・シェフィールド1694年イングランド貴族爵位として叙されたものだが、2代で廃絶した。現存する2期目は第2代マルグレイヴ伯爵コンスタンティン・フィップスが1838年に連合王国貴族爵位として叙されたものである。

歴史

シェフィールド家

第3代マルグレイヴ伯爵ジョン・シェフィールドが、1694年5月10日イングランド貴族爵位「カウンティ・オブ・リンカンのノーマンビー侯爵」に叙せられたのがノーマンビー侯の最初の創設である。彼はさらに1703年3月23日にはバッキンガム及びノーマンビー公に叙せられたのでノーマンビー侯爵位はその従属爵位となった[1]。しかしその子である2代バッキンガム=ノーマンビー公(2代ノーマンビー侯)エドマンド・シェフィールドが継承者なく死去したため、爵位は廃絶している[2]

フィップス家

初代ノーマンビー侯コンスタンティン・ヘンリー・フィップス

現在のノーマンビー侯爵家であるフィップス家が貴族に列したのは、コンスタンティン・フィップス(1722–1775)1767年9月3日アイルランド貴族「カウンティ・オブ・ウェックスフォードのニューロスのマルグレイヴ男爵」に叙せられたのに始まる[3]。なおこのコンスタンティン・フィップスの母方の祖母キャサリン・セドリー英語版は、再婚で初代バッキンガム=ノーマンビー公ジョン・シェフィールドと結婚し、その間に2代バッキンガム=ノーマンビー公エドマンドを儲けており、この縁戚関係からフィップス家がマルグレイヴ伯爵やノーマンビー侯爵などシェフィールド家由来の爵位を叙されたものと見られる。

初代マルグレイヴ男爵の長男コンスタンティン・ジョン・フィップス英語版(1744–1792)は、王立海軍軍人として七年戦争に従軍した後、政界に転じてホイッグ党、ついでトーリー党庶民院議員として活躍した。1775年に第2代ニューロスのマルグレイヴ男爵位を襲爵し、さらに1790年7月7日グレートブリテン貴族「カウンティ・オブ・ヨークのマルグレイヴのマルグレイヴ男爵」に叙され、貴族院議員に列した。しかし彼には男子がなかったため、彼の死とともに同爵位は消滅している[4]

その後、初代男爵の次男ヘンリー・フィップス(1755–1831)が第3代ニューロスのマルグレイヴ男爵位を継承した。彼は陸軍軍人としてアメリカ独立戦争に従軍した後、トーリー党の庶民院議員として活躍し、1794年8月13日に改めてグレートブリテン貴族爵位「カウンティ・オブ・ヨークのマルグレイヴのマルグレイヴ男爵」に叙せられ、貴族院議員に列した。彼はその後トーリー党政権下で外務大臣(在職1805-1806)や海軍大臣(1807-1810)などの閣僚職を歴任し、1812年9月7日に「カウンティ・オブ・ヨークのマルグレイヴ伯爵」と「カウンティ・オブ・ヨークのノーマンビーのノーマンビー子爵」に叙せられた[5]

初代マルグレイヴ伯の死後、その長男コンスタンティン・ヘンリー・フィップス(1797–1863)が第2代マルグレイヴ伯爵位を継承した。彼はトーリー党、後ホイッグ党の政治家として活躍し、ジャマイカ総督(在職1832-1834)、王璽尚書(在職1834)、アイルランド総督(在職1835-1839)、陸軍・植民地大臣(在職1839年)、内務大臣(在職1839-1841)などを歴任した。そして1838年6月25日には「カウンティ・オブ・ヨークのノーマンビーのノーマンビー侯爵」に叙せられた[6]

初代ノーマンビー侯の死後、その長男ジョージ・フィップス英語版(1819–1890)が第2代ノーマンビー侯爵位を継承した。彼は襲爵前に自由党の政治家として活躍し、その後、ノバスコシア(在職1858-1863)、クイーンズランド(在職1871-1874)、ニュージーランド(在職1874-1879)、ヴィクトリア(在職1879-1884)などの総督職を歴任した[7]

現在の当主はその曾孫である5代ノーマンビー侯コンスタンティン・エドムンド・ウォルター・フィップス英語版(1954-)である。

現当主の保有爵位

現当主である第5代ノーマンビー侯爵コンスタンティン・フィップス英語版は、以下の爵位を有する[8][9]

  • 第5代ノーマンビー侯爵(5th Marquess of Normanby)
    (1838年6月25日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第6代マルグレイヴ伯爵(6th Earl of Mulgrave)
    (1812年9月7日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第6代ヨーク州ノーマンビーのノーマンビー子爵(6th Viscount Normanby)
    (1812年9月7日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第6代ヨーク州マルグレイヴのマルグレイヴ男爵(6th Baron Mulgrave, of Mulgrave in the County of York)
    (1794年8月13日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第8代ウェックスフォード県ニューロスのマルグレイヴ男爵(8th Baron Mulgrave, of New Ross in the County of Wexford)
    (1767年9月3日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)

一覧

ノーマンビー侯 第1期 (1694年)

詳細はバッキンガム=ノーマンビー公爵英語版を参照。

マルグレイヴ男爵 第1期 (1767年)

マルグレイヴ伯 第2期(1812)

ノーマンビー侯 第2期 (1838)

法定推定相続人は現当主の長男マルグレイヴ伯爵(儀礼称号)ジョン・サミュエル・コンスタンティン・フィップス(1994-)

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “John Sheffield, 1st Duke of the County of Buckingham and of Normanby” (英語). 2015年8月6日閲覧。
  2. ^ Lundy, Darryl. “Edmund Sheffield, 2nd Duke of the County of Buckingham and of Normanby” (英語). 2015年8月6日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Constantine Phipps, 1st Baron Mulgrave of New Ross” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Constantine John Phipps, 2nd Baron Mulgrave of New Ross” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Henry Phipps, 1st Earl of Mulgrave” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Henry Phipps, 1st Earl of Mulgrave” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “George Augustus Constantine Phipps, 2nd Marquess of Normanby” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Constantine Edmund Walter Phipps, 5th Marquess of Normanby” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
  9. ^ Normanby, Marquess of (UK, 1838)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月8日閲覧。