「ノースブルック男爵」の版間の差分
m Category:イギリスの男爵位を除去; Category:連合王国貴族の男爵位を追加 (HotCat使用) |
|||
10行目: | 10行目: | ||
[[ベアリングス銀行]]の創設者である初代準男爵[[フランシス・ベアリング (初代準男爵)|サー・フランシス・ベアリング]]<small>(1740-1810)</small>は、[[1793年]][[5月29日]]にグレートブリテン準男爵位「'''{{仮リンク|ベアリング準男爵|label=(ラークビーアの)準男爵|en|Baring baronets}}'''(Baronet "of Larkbeer")」に叙されている<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3028.htm#i30280|title= Sir Francis Baring, 1st Bt.|accessdate= 2015-2-28 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP"/><ref>{{London Gazette|issue=13526|date=7 May 1793|page=380}}</ref>。 |
[[ベアリングス銀行]]の創設者である初代準男爵[[フランシス・ベアリング (初代準男爵)|サー・フランシス・ベアリング]]<small>(1740-1810)</small>は、[[1793年]][[5月29日]]にグレートブリテン準男爵位「'''{{仮リンク|ベアリング準男爵|label=(ラークビーアの)準男爵|en|Baring baronets}}'''(Baronet "of Larkbeer")」に叙されている<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3028.htm#i30280|title= Sir Francis Baring, 1st Bt.|accessdate= 2015-2-28 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP"/><ref>{{London Gazette|issue=13526|date=7 May 1793|page=380}}</ref>。 |
||
その嫡流の孫である第3代準男爵[[フランシス・ベアリング (初代ノースブルック男爵)|サー・フランシス・ソーンヒル・ベアリング]]<small>(1796-1866)</small>は、[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]政権下で[[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]]や{{仮リンク|海軍大臣 (イギリス)|label=海軍大臣|en|First Lord of the Admiralty}}等を務め、[[1866年]][[1月4日]]に[[連合王国貴族]]爵位「'''カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるストラットンのノースブルック男爵'''(Baron Northbrook, of Stratton, in the County of Southampton)」に叙せられた<ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3456.htm#i34556|title= Francis Thornhill Baring, 1st Baron Northbrook |accessdate= 2015-3-1 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
その嫡流の孫である第3代準男爵[[フランシス・ベアリング (初代ノースブルック男爵)|サー・フランシス・ソーンヒル・ベアリング]]<small>(1796-1866)</small>は、[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]政権下で[[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]]や{{仮リンク|海軍大臣 (イギリス)|label=海軍大臣|en|First Lord of the Admiralty}}等を務め、[[1866年]][[1月4日]]に[[連合王国貴族]]爵位「'''カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるストラットンのノースブルック男爵'''(Baron Northbrook, of Stratton, in the County of Southampton)」に叙せられた<ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3456.htm#i34556|title= Francis Thornhill Baring, 1st Baron Northbrook |accessdate= 2015-3-1 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/northbrook1866.htm|title=Northbrook, Baron (UK, 1866)|accessdate= 2016-08-30|last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
||
その長男である第2代ノースブルック男爵[[トーマス・ベアリング (初代ノースブルック伯爵)|トマス・ジョージ・ベアリング]]<small>(1826-1904)</small>は、1872年から1876年にかけて[[インド総督]]を務めたが、親インド的統治を行おうとしたために[[インド担当大臣]]第3代[[ソールズベリー侯爵]][[ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯爵)|ロバート・ガスコイン=セシル]]と対立を深め、辞任に追い込まれた経緯を持つ<ref>[[#浜渦(1999)|浜渦(1999)]] p.124-126</ref>。しかし帰国後の[[1876年]][[6月10日]]に連合王国貴族「'''カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるノースブルック伯爵'''(Earl of Northbrook, in the County of Southampton)」および「'''カウンティ・オブ・ケントにおけるリーのベアリング子爵'''(Viscount Baring, of Lee, in the County of Kent)」に叙せられている<ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p3456.htm#i34559 |title= Thomas George Baring, 1st Earl of Northbrook |accessdate= 2015-3-1 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
その長男である第2代ノースブルック男爵[[トーマス・ベアリング (初代ノースブルック伯爵)|トマス・ジョージ・ベアリング]]<small>(1826-1904)</small>は、1872年から1876年にかけて[[インド総督]]を務めたが、親インド的統治を行おうとしたために[[インド担当大臣]]第3代[[ソールズベリー侯爵]][[ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯爵)|ロバート・ガスコイン=セシル]]と対立を深め、辞任に追い込まれた経緯を持つ<ref>[[#浜渦(1999)|浜渦(1999)]] p.124-126</ref>。しかし帰国後の[[1876年]][[6月10日]]に連合王国貴族「'''カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるノースブルック伯爵'''(Earl of Northbrook, in the County of Southampton)」および「'''カウンティ・オブ・ケントにおけるリーのベアリング子爵'''(Viscount Baring, of Lee, in the County of Kent)」に叙せられている<ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p3456.htm#i34559 |title= Thomas George Baring, 1st Earl of Northbrook |accessdate= 2015-3-1 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
2020年12月4日 (金) 05:47時点における版
ノースブルック男爵 | |
---|---|
Arms:Quarterly: 1st and 4th, Azure a Fess Or in chief a Bear's Head proper muzzled and ringed of the second differenced by a Portcullis Azure (Baring); 2nd and 3rd, Gules a Cross Paty fitchy Or between three Fish hauriant Argent within an Orle of eight Cross Crosslets of the second (Herring) Crest:A Mullet Erminois two of the points resting on the pinions of a Pair of Wings conjoined and elevated Argent Supporters:On either side a Bear proper muzzled and charged on the shoulder with a Portcullis Or
| |
創設時期 | 1866年1月4日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵フランシス・ベアリング |
現所有者 | 6代男爵フランシス・ベアリング |
相続人 | なし |
推定相続人 | なし 準男爵位に関しては、ピーター・ベアリング |
付随称号 | (ラークビーアの)準男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | Probitate Et Labore (By uprightness and toil) |
ノースブルック男爵(英: Baron Northbrook)は、連合王国貴族の男爵位。
1866年にベアリング家嫡流のフランシス・ベアリングが叙されたのに始まる。1876年に第2代ノースブルック男爵トマスがノースブルック伯爵に叙されているが、トマスの血統は二代しか続かなかったため廃絶している。トマスの弟の家系がノースブルック男爵位を継承して現在に至っている。2015年現在の当主は第6代ノースブルック男爵フランシスである。
歴史
ベアリングス銀行の創設者である初代準男爵サー・フランシス・ベアリング(1740-1810)は、1793年5月29日にグレートブリテン準男爵位「(ラークビーアの)準男爵(Baronet "of Larkbeer")」に叙されている[1][2][3]。
その嫡流の孫である第3代準男爵サー・フランシス・ソーンヒル・ベアリング(1796-1866)は、ホイッグ党政権下で財務大臣や海軍大臣等を務め、1866年1月4日に連合王国貴族爵位「カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるストラットンのノースブルック男爵(Baron Northbrook, of Stratton, in the County of Southampton)」に叙せられた[4][2]。
その長男である第2代ノースブルック男爵トマス・ジョージ・ベアリング(1826-1904)は、1872年から1876年にかけてインド総督を務めたが、親インド的統治を行おうとしたためにインド担当大臣第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルと対立を深め、辞任に追い込まれた経緯を持つ[5]。しかし帰国後の1876年6月10日に連合王国貴族「カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるノースブルック伯爵(Earl of Northbrook, in the County of Southampton)」および「カウンティ・オブ・ケントにおけるリーのベアリング子爵(Viscount Baring, of Lee, in the County of Kent)」に叙せられている[6]。
ノースブルック伯爵位は長男フランシス・ジョージ(1850-1929)に継承されたが、彼には子供がなかったため、1929年の彼の死とともに廃絶した[7]。
第4代ノースブルック男爵位と第6代準男爵位は初代ノースブルック男爵の次男フランシス・ヘンリー(1850-1915)の子フランシス・アーサー(1882-1947)によって継承された[8]。
彼の死後はその長男フランシス・ジョン(1915-1990)が第5代ノースブルック男爵位と第7代準男爵位を継承[9]。
彼の死後はその長男であるフランシス・トマス(1954-)が第6代ノースブルック男爵位と第8代準男爵位を継承して現在に至っている。1999年の貴族院改革で世襲貴族は92議席を残して議席を失ったが、彼は世襲貴族枠で議席を留めている[10][11]。
現当主の保有爵位
現当主である第6代ノースブルック男爵フランシス・ベアリングは、以下の爵位を有する[2]。
- 第6代カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるストラットンのノースブルック男爵(6th Baron Northbrook, of Stratton in the County of Southampton)
(1866年1月4日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第8代(カウンティ・オブ・デヴォンにおけるラークビーアの)準男爵(8th Baronet, of Larkbeer, in the County of Devon)
(1793年5月29日の勅許状によるグレートブリテン準男爵位)
一覧
(ラークビーアの)準男爵(1793年)
- 初代準男爵サー・フランシス・ベアリング(1740年-1810年)
- 第2代準男爵サー・トマス・ベアリング(1772年-1848年)
- 第3代準男爵サー・フランシス・ベアリング(1796年-1866年) ※1866年にノースブルック男爵。
ノースブルック男爵(1866年)
- 初代ノースブルック男爵フランシス・ソーンヒル・ベアリング(1796年-1866年)
- 第2代ノースブルック男爵トマス・ジョージ・ベアリング(1826年-1904年) ※1876年にノースブルック伯爵
ノースブルック伯爵(1876年)
- 初代ノースブルック伯爵トマス・ジョージ・ベアリング(1826年-1904年)
- 第2代ノースブルック伯爵フランシス・ジョージ・ベアリング(1850年-1929年)
ノースブルック男爵(1866年)
- 第4代ノースブルック男爵フランシス・アーサー・ベアリング(1882年-1947年)
- 第5代ノースブルック男爵フランシス・ジョン・ベアリング(1915年-1990年)
- 第6代ノースブルック男爵フランシス・トマス・ベアリング(1954年-)
脚注
注釈
- ^ 紋章中の第1及び第4クォーターリングがベアリング家本来の紋章。第2及び第3クォーターリングは、その祖フランシス・ベアリングの妻ハリエット夫人の実家「ヘリング家」の紋章。ノースブルック男爵家は夫妻の長男の子孫の系統である。
出典
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Francis Baring, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2015年2月28日閲覧。
- ^ a b c Heraldic Media Limited. “Northbrook, Baron (UK, 1866)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月30日閲覧。
- ^ "No. 13526". The London Gazette (英語). 7 May 1793. p. 380.
- ^ Lundy, Darryl. “Francis Thornhill Baring, 1st Baron Northbrook” (英語). thepeerage.com. 2015年3月1日閲覧。
- ^ 浜渦(1999) p.124-126
- ^ Lundy, Darryl. “Thomas George Baring, 1st Earl of Northbrook” (英語). thepeerage.com. 2015年3月1日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Francis George Baring, 2nd Earl of Northbrook” (英語). thepeerage.com. 2015年3月1日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Francis Arthur Baring, 4th Baron Northbrook” (英語). thepeerage.com. 2015年3月1日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Francis John Baring, 5th Baron Northbrook” (英語). thepeerage.com. 2015年3月1日閲覧。
- ^ “Lord Northbrook”. House of Lords. 2015年3月1日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Francis Thomas Baring, 6th Baron Northbrook” (英語). thepeerage.com. 2015年3月1日閲覧。
参考文献
- 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029370。