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「チャールズ・ディロン=リー (第12代ディロン子爵)」の版間の差分

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== 家族 ==
== 家族 ==
1776年8月19日、[[ブリュッセル]]でヘンリエッタ・マリア・フィップス({{lang|en|Henrietta Maria Phipps}}、1757年3月26日 – 1782年8月1日、[[コンスタンティン・フィップス (初代マルグレイヴ男爵)|初代マルグレイヴ男爵コンスタンティン・フィップス]]の娘)と結婚<ref name="Cokayne" />、1男1女をもうけた<ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/dillon1622.htm|title=Dillon, Viscount (I, 1621/2)|date=30 October 2014|access-date=21 October 2020}}</ref>。
1776年8月19日、[[ブリュッセル]]でヘンリエッタ・マリア・フィップス({{lang|en|Henrietta Maria Phipps}}、1757年3月26日 – 1782年8月1日、[[コンスタンティン・フィップス (初代マルグレイヴ男爵)|初代マルグレイヴ男爵コンスタンティン・フィップス]]の娘)と結婚<ref name="Cokayne" />、1男1女をもうけた<ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/dillon1622.htm|title=Dillon, Viscount (I, 1621/2)|date=30 October 2014|access-date=21 October 2020}}</ref>。
*{{仮リンク|ヘンリー・ディロン=リー (第13代ディロン子爵)|en|Henry Dillon, 13th Viscount Dillon|label=ヘンリー・オーガスタス}}(1777年 – 1832年) - 第13代ディロン子爵
*{{仮リンク|ヘンリー・ディロン=リー (第13代ディロン子爵)|en|Henry Dillon, 13th Viscount Dillon|label=ヘンリー・オーガスタス}}(1777年 – 1832年) - 第13代ディロン子爵
*フランシス・シャーロット(1780年2月17日 – 1819年4月17日) - 1799年3月14日、[[トマス・ウェブ (第6代準男爵)|第6代準男爵サー・トマス・ウェブ]]と結婚、子供あり
*フランシス・シャーロット(1780年2月17日 – 1819年4月17日) - 1799年3月14日、[[トマス・ウェブ (第6代準男爵)|第6代準男爵サー・トマス・ウェブ]]と結婚、子供あり

2020年12月4日 (金) 05:42時点における版

デイヴィッド・マーティン英語版による肖像画

第12代ディロン子爵チャールズ・ディロン=リー英語: Charles Dillon-Lee, 12th Viscount Dillon KP PC (Ire)1745年11月6日1813年11月9日)、アイルランド王国出身の貴族、政治家。

生涯

第11代ディロン子爵ヘンリー・ディロン英語版とシャーロット・リー(Charlotte Lee、1794年6月19日没、第2代リッチフィールド伯爵ジョージ・リーの娘)の息子として、1745年11月6日にロンドンで生まれた[1]。1767年5月28日に王立協会フェローに選出され[2]、同年12月4日に国教会に改宗した[1]

1770年2月に行われたウェストベリー選挙区英語版の補欠選挙でグレートブリテン庶民院議員に当選、議会ではブラス・クロスビー英語版の庶民院議事録出版問題(1771年3月)と王室結婚法案英語版(1772年3月)をめぐり与党側で投票、グレンヴィル法の恒久法化(1774年2月)をめぐり野党側で投票した[3]1774年イギリス総選挙に出馬せず、議員を退任した[3]。同1774年11月22日、アイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[1]

1776年11月に母がリッチフィールド伯爵家の相続人になると、ディロンは母の旧姓である「リー」を自身の姓に加え、後年に子爵位を継承して議会召集令状を受けたときも「チャールズ・ディロン=リー閣下」として令状を受け取った[1](つまり、姓の変更を正式に承認された)。

1787年にメイヨー県長官英語版を務め、同年9月15日に父が死去するとディロン子爵位を継承した[1]。翌年から1813年までメイヨー県総督を務めた[1]

1798年3月19日、聖パトリック勲章を授与された[1]アイルランド王国グレートブリテン王国合同をめぐり、それを支持したとされる[1]

1813年11月9日にロスコモン県ロックグリン英語版で死去、息子ヘンリー・オーガスタス英語版が爵位を継承した[1]

家族

1776年8月19日、ブリュッセルでヘンリエッタ・マリア・フィップス(Henrietta Maria Phipps、1757年3月26日 – 1782年8月1日、初代マルグレイヴ男爵コンスタンティン・フィップスの娘)と結婚[1]、1男1女をもうけた[4]

1787年、オーストリア領ネーデルラントでマリー・ロジェ(Marie Rogier、1759年頃 – 1833年8月28日)と再婚[1]、1男2女をもうけた[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 360–361.
  2. ^ "Lee; Charles Dillon (1745 - 1813); 12th Viscount Dillon of Costello-Gallen". Record (英語). The Royal Society. 2020年10月21日閲覧
  3. ^ a b Cannon, J. A. (1964). "DILLON, Hon. Charles (1745-1813), of Loughlin House, Roscommon, and Ditchley, Oxon.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月21日閲覧
  4. ^ a b "Dillon, Viscount (I, 1621/2)". Cracroft's Peerage (英語). 30 October 2014. 2020年10月21日閲覧

外部リンク

グレートブリテン議会英語版
先代
ウィリアム・ブラックストン
ペレグリン・バーティー英語版
庶民院議員(ウェストベリー選挙区英語版選出)
1770年 – 1774年
同職:ペレグリン・バーティー英語版
次代
トマス・フランシス・ウェンマン英語版
ナサニエル・ベイリー英語版
アイルランドの爵位
先代
ヘンリー・ディロン英語版
ディロン子爵
1787年 – 1813年
次代
ヘンリー・オーガスタス・ディロン=リー英語版