「ジェームズ・ストップフォード (第3代コータウン伯爵)」の版間の差分
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*ジョージ・ヘンリー・ジェームズ(1792年) - 生後6か月で夭折<ref name="Cokayne" /> |
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*チャールズ - 夭折<ref name="Cokayne" /> |
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*{{仮リンク|ジェームズ・ストップフォード (第4代コータウン伯爵)|en|James Stopford, 4th Earl of Courtown|label=ジェームズ・トマス}}(1794年 – 1858年) - 第4代コータウン伯爵<ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
*{{仮リンク|ジェームズ・ストップフォード (第4代コータウン伯爵)|en|James Stopford, 4th Earl of Courtown|label=ジェームズ・トマス}}(1794年 – 1858年) - 第4代コータウン伯爵<ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/courtown1762.htm|title=Courtown, Earl of (I, 1762)|date=20 September 2017|access-date=21 October 2020}}</ref> |
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*エドワード(1795年6月11日 – 1840年7月5日) - 1830年7月5日、ホレイシア・シャーロット・ロックウッド({{lang|en|Horatia Charlotte Lockwood}}、1838年2月9日没、トマス・ロックウッドの娘)と結婚、子供あり |
*エドワード(1795年6月11日 – 1840年7月5日) - 1830年7月5日、ホレイシア・シャーロット・ロックウッド({{lang|en|Horatia Charlotte Lockwood}}、1838年2月9日没、トマス・ロックウッドの娘)と結婚、子供あり |
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*{{仮リンク|モンタギュー・ストップフォード (イギリス海軍軍人)|en|Montagu Stopford (Royal Navy officer)|label=モンタギュー}}(1798年 – 1864年) - 海軍軍人。1827年8月25日、コーデリア・ウィニフレダ・ウィットモア({{lang|en|Cordelia Winifreda Whitmore}}、1851年9月4日没、{{仮リンク|ジョージ・ウィットモア (イギリス陸軍軍人)|en|George Whitmore (British Army officer)|label=サー・ジョージ・ウィットモア}}の娘)と結婚、子供あり。1853年9月29日、ルーシー・ケイ({{lang|en|Lucy Cay}}、1883年12月3日没、ジョン・ケイの娘)と再婚、子供あり |
*{{仮リンク|モンタギュー・ストップフォード (イギリス海軍軍人)|en|Montagu Stopford (Royal Navy officer)|label=モンタギュー}}(1798年 – 1864年) - 海軍軍人。1827年8月25日、コーデリア・ウィニフレダ・ウィットモア({{lang|en|Cordelia Winifreda Whitmore}}、1851年9月4日没、{{仮リンク|ジョージ・ウィットモア (イギリス陸軍軍人)|en|George Whitmore (British Army officer)|label=サー・ジョージ・ウィットモア}}の娘)と結婚、子供あり。1853年9月29日、ルーシー・ケイ({{lang|en|Lucy Cay}}、1883年12月3日没、ジョン・ケイの娘)と再婚、子供あり |
2020年12月4日 (金) 05:42時点における版
第3代コータウン伯爵ジェームズ・ストップフォード(英語: James Stopford, 3rd Earl of Courtown KP PC、1765年8月15日 – 1835年6月15日)は、アイルランド王国出身の貴族、政治家。トーリー党に所属し、王室会計長官(1793年 – 1806年、1807年 – 1812年)、恩給紳士隊隊長(1812年 – 1827年)、国王親衛隊隊長(1835年)を歴任した[1]。
生涯
第2代コータウン伯爵ジェームズ・ストップフォードとメアリー・ポウィス(1810年1月3日没、リチャード・ポウィスの娘)の息子として、1765年8月15日にミドルセックスのバークリー・ストリート(Berkeley Street)で生まれ、セント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエア教会で洗礼を受けた[1]。
1779年から1781年までイートン・カレッジで教育を受けた後、1781年にエンサインとして近衛歩兵第2連隊に入隊、1788年に大尉に昇進したのち、1791年に軍務から引退した[2]。1790年イギリス総選挙で母の親族にあたる初代アイルズベリー伯爵トマス・ブルーデネル=ブルースの手配によりグレート・ベッドウィン選挙区で庶民院議員に当選、議会で父と同じく第1次小ピット内閣を支持、1791年にスコットランドにおける審査法廃止に反対した[2]。1793年に父の後任として王室会計長官に就任[1]、同年6月21日に枢密顧問官に任命された[3]。その後、1796年イギリス総選挙でラナーク・バラ選挙区に鞍替えして再選、1802年イギリス総選挙でダンブリーズ・バラ選挙区に鞍替えして再選[1]、第2次小ピット内閣(1804年 – 1806年)を支持したが、次の挙国人材内閣(1806年 – 1807年、グレンヴィル男爵内閣)で王室会計長官を解任されたため野党に回り、同年の総選挙でグレート・ベッドウィン選挙区に鞍替えして再選した[2]。翌年に第2次ポートランド公爵内閣(1807年 – 1809年)が成立すると王室会計長官に復帰、それに伴う出直し選挙ではマールバラ選挙区から出馬して当選した[2]。
1810年3月30日に父が死去すると、コータウン伯爵位とソルターズフォード男爵位を継承して[1]、貴族院に移籍した。その後、1812年4月[2]に恩給紳士隊隊長に転じ、1827年まで務めた[1]。1813年から1831年までウェックスフォード県総督を務めた[1]。1821年8月20日、聖パトリック勲章を授与された[2]。
1835年1月から4月まで国王親衛隊隊長を務めたのち、同年6月15日にウィンザー城で死去、息子ジェームズ・トマスが爵位を継承した[1]。
家族
1791年1月29日、メアリー・スコット(1769年 – 1823年、第3代バクルー公爵ヘンリー・スコットの娘)と結婚[1]、5男1女をもうけたが、うち2男が夭折した。
- ジョージ・ヘンリー・ジェームズ(1792年) - 生後6か月で夭折[1]
- チャールズ - 夭折[1]
- ジェームズ・トマス(1794年 – 1858年) - 第4代コータウン伯爵[4]
- エドワード(1795年6月11日 – 1840年7月5日) - 1830年7月5日、ホレイシア・シャーロット・ロックウッド(Horatia Charlotte Lockwood、1838年2月9日没、トマス・ロックウッドの娘)と結婚、子供あり
- モンタギュー(1798年 – 1864年) - 海軍軍人。1827年8月25日、コーデリア・ウィニフレダ・ウィットモア(Cordelia Winifreda Whitmore、1851年9月4日没、サー・ジョージ・ウィットモアの娘)と結婚、子供あり。1853年9月29日、ルーシー・ケイ(Lucy Cay、1883年12月3日没、ジョン・ケイの娘)と再婚、子供あり
- ジェーン(1873年12月28日没) - 1833年4月11日、アベル・ジョン・ラム(Abel John Ram)と結婚、子供あり
出典
- ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 469.
- ^ a b c d e f Thorne, R. G. (1986). "STOPFORD, James George, Visct. Stopford (1765-1835).". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月21日閲覧。
- ^ "No. 13539". The London Gazette (英語). 18 June 1793. p. 514.
- ^ "Courtown, Earl of (I, 1762)". Cracroft's Peerage (英語). 20 September 2017. 2020年10月21日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 グラハム侯爵 ドゥーン卿 |
庶民院議員(グレート・ベッドウィン選挙区選出) 1790年 – 1796年 同職:ドゥーン卿 1790年 – 1791年 エドワード・イースト 1792年 – 1796年 |
次代 トマス・ブルース ジョン・ウッドハウス |
先代 ウィリアム・グリーヴ |
庶民院議員(ラナーク・バラ選挙区選出) 1796年 – 1800年 |
次代 連合王国議会 |
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
先代 グレートブリテン議会 |
庶民院議員(ラナーク・バラ選挙区選出) 1801年 – 1802年 |
次代 ウィリアム・ディクソン |
先代 チャールズ・ホープ |
庶民院議員(ダンブリーズ・バラ選挙区選出) 1803年 – 1806年 |
次代 ヘンリー・アースキン |
先代 サー・ロバート・バックストン準男爵 サー・ナサニエル・ダンス=ホランド準男爵 |
庶民院議員(グレート・ベッドウィン選挙区選出) 1806年 – 1807年 同職:ジェームズ・ヘンリー・リー |
次代 ヴィカリー・ギブス ジェームズ・ヘンリー・リー |
先代 ブルース卿 ダルキース伯爵 |
庶民院議員(マールバラ選挙区選出) 1807年 – 1810年 同職:ブルース卿 |
次代 ブルース卿 エドワード・ストップフォード |
公職 | ||
先代 コータウン伯爵 |
王室会計長官 1793年 – 1806年 |
次代 オソルストン卿 |
先代 オソルストン卿 |
王室会計長官 1807年 – 1812年 |
次代 ジョスリン子爵 |
先代 マウント・エッジカム伯爵 |
恩給紳士隊隊長 1812年 – 1827年 |
次代 ヘレフォード子爵 |
先代 ゴスフォード伯爵 |
国王親衛隊隊長 1835年 |
次代 ゴスフォード伯爵 |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ジェームズ・ストップフォード |
コータウン伯爵 1810年 – 1835年 |
次代 ジェームズ・トマス・ストップフォード |