「フレンチ男爵」の版間の差分
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フレンチ家は[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム征服王]]期のサー・セオフィルス・フレンチ<small>(?-?)</small>の係累で、[[アイルランド島]][[ウェックスフォード県|ウェックスフォード]]地方を経て[[ゴールウェイ]]に定住したとされる。<ref>{{Cite web|url=https://archive.org/details/genealogyofexist01lodg/page/206|title=The Genealogy of the Existing British Peerage|accessdate=2019年12月18日|publisher=Duke University Libraries,(1838),p=206}}</ref> |
フレンチ家は[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム征服王]]期のサー・セオフィルス・フレンチ<small>(?-?)</small>の係累で、[[アイルランド島]][[ウェックスフォード県|ウェックスフォード]]地方を経て[[ゴールウェイ]]に定住したとされる。<ref>{{Cite web|url=https://archive.org/details/genealogyofexist01lodg/page/206|title=The Genealogy of the Existing British Peerage|accessdate=2019年12月18日|publisher=Duke University Libraries,(1838),p=206}}</ref> |
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その子孫チャールズ・フレンチ<small>(?-1784)</small>はその最晩年にあたる[[1779年]]にアイルランド準男爵位の'''(ゴールウェイ県におけるフレンチ城の)準男爵'''<small>(Baronet, of Castle ffrench in County Galway)</small>に叙せられた。彼が亡くなると、準男爵位はその息子トマスに承継された。<ref name=":0">{{Cite web|title=ffrench, Baron (I, 1798)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
その子孫チャールズ・フレンチ<small>(?-1784)</small>はその最晩年にあたる[[1779年]]にアイルランド準男爵位の'''(ゴールウェイ県におけるフレンチ城の)準男爵'''<small>(Baronet, of Castle ffrench in County Galway)</small>に叙せられた。彼が亡くなると、準男爵位はその息子トマスに承継された。<ref name=":0">{{Cite web|title=ffrench, Baron (I, 1798)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/ffrench1798.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2019-12-17}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|url=https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/370|title=Debrett's peerage, and titles of courtesy|accessdate=2019年12月18日|publisher=London, Dean,(1921),p=370}}</ref><ref name="Cokayne">{{Cite book2|editor1-last=Cokayne|title=Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat)|page=369|language=en|publisher=The St. Catherine Press, Ltd.|location=London|edition=2nd|volume=5|year=1926|editor1-first=George Edward|editor3-first=Herbert Arthur|editor3-last=Doubleday|editor2-link=ヴィカリー・ギブス (セント・オールバンズ選挙区の庶民院議員)|editor2-first=Vicary|editor2-last=Gibbs|editor1-link=ジョージ・エドワード・コケイン|url=https://archive.org/details/CokayneG.E.TheCompletePeerageSecondEditionVolume5EAGO/page/n195}}</ref> |
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また、彼の妻[[ローズ・フレンチ (初代フレンチ女男爵)|ローズ]]<small>(?-1805)</small>は夫の死後の1798年に[[アイルランド貴族]]として'''ゴールウェイ県におけるフレンチ城のフレンチ女男爵'''<small>(Baron ffrench, of Castle ffrench in the County of Galway)</small>に叙せられた。彼女ののちは、夫妻の息子トマスが爵位を準男爵位とともに相続した。{{#tag:ref|[[ジョージ3世_(イギリス王)|ジョージ3世]]はトマスが[[カトリック]]信者だったため、彼への叙爵を拒否した。<ref name="Cokayne" /> |
また、彼の妻[[ローズ・フレンチ (初代フレンチ女男爵)|ローズ]]<small>(?-1805)</small>は夫の死後の1798年に[[アイルランド貴族]]として'''ゴールウェイ県におけるフレンチ城のフレンチ女男爵'''<small>(Baron ffrench, of Castle ffrench in the County of Galway)</small>に叙せられた。彼女ののちは、夫妻の息子トマスが爵位を準男爵位とともに相続した。{{#tag:ref|[[ジョージ3世_(イギリス王)|ジョージ3世]]はトマスが[[カトリック]]信者だったため、彼への叙爵を拒否した。<ref name="Cokayne" /> |
2020年12月4日 (金) 05:36時点における版
フレンチ男爵 | |
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Arms:Ermine a Chevron Sable.Crest:A Dolphin embowed proper.Supporters:Dexter: A Falcon Gules armed membered belled and wings inverted Or; Sinister: An Unicorn Gules armed unguled crined and tufted Or and in its mouth a Rose Branch thereon two Red Roses proper
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創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | アイルランド貴族 |
初代 | 初代女男爵ローズ・フレンチ |
現所有者 | 8代男爵ロバック・フレンチ |
相続資格 | 初代女男爵と初代準男爵の男系男子(The 1st Baroness, heirs male of her body by her late husband, Sir Charles ffrench, 1st Bt.) |
付随称号 | (フレンチ城の)準男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | Malo Mori Quam Foedari (I had rather die than be dishonoured) |
フレンチ男爵(英: Baron ffrench)は、イギリスの男爵、貴族。アイルランド貴族爵位。
爵位と姓の頭文字は、小文字で「ffrench」と綴る。
歴史
フレンチ家はウィリアム征服王期のサー・セオフィルス・フレンチ(?-?)の係累で、アイルランド島ウェックスフォード地方を経てゴールウェイに定住したとされる。[1]
その子孫チャールズ・フレンチ(?-1784)はその最晩年にあたる1779年にアイルランド準男爵位の(ゴールウェイ県におけるフレンチ城の)準男爵(Baronet, of Castle ffrench in County Galway)に叙せられた。彼が亡くなると、準男爵位はその息子トマスに承継された。[2][3][4]
また、彼の妻ローズ(?-1805)は夫の死後の1798年にアイルランド貴族としてゴールウェイ県におけるフレンチ城のフレンチ女男爵(Baron ffrench, of Castle ffrench in the County of Galway)に叙せられた。彼女ののちは、夫妻の息子トマスが爵位を準男爵位とともに相続した。[註釈 1][2][3] その孫である4代男爵トマス(1810-1892)には男子がなかったため、爵位は弟のマーティンが継承した。[2]
5代男爵マーティン(1813-1893)は勅選弁護士を務めたほか、ティペラリー県治安主席判事を務めた。[2][5]
その息子である6代男爵チャールズ(1868-1955)には子がなかったため、甥のピーターがその後を襲った。[2]
その孫である9代男爵ロバック(1956-)がフレンチ男爵家現当主である。
一覧
(フレンチ城の)準男爵(1779)
- 初代準男爵サー・チャールズ・フレンチ (?-1784)
- 第2代準男爵(第2代フレンチ男爵)サー・トマス・フレンチ (c. 1765-1814)(1805年にフレンチ男爵位承継)
フレンチ男爵(1798)
- 初代フレンチ女男爵ローズ・フレンチ (?-1805)
- 第2代フレンチ男爵トマス・フレンチ (c. 1765-1814)
- 第3代フレンチ男爵チャールズ・オースティン・フレンチ (1786–1860)
- 第4代フレンチ男爵トマス・フレンチ (1810–1892)
- 第5代フレンチ男爵マーティン・ジョセフ・フレンチ(1813–1893)
- 第6代フレンチ男爵チャールズ・オースティン・トマス・ロバート・ジョン・ジョセフ・フレンチ(1868-1955)
- 第7代フレンチ男爵ピーター・マーティン・ジョセフ・チャールズ・ジョン・フレンチ (1926–1986)
- 第8代フレンチ男爵ロバック・ジョン・ピーター・チャールズ・マリオ・フレンチ (1956-)
法定推定相続人は現当主の叔父であるジョン・チャールズ・メアリー・ジョセフ・フランシス・フレンチ閣下。[2]
脚注
註釈
出典
- ^ “The Genealogy of the Existing British Peerage”. Duke University Libraries,(1838),p=206. 2019年12月18日閲覧。
- ^ a b c d e f “ffrench, Baron (I, 1798)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月17日閲覧。
- ^ a b “Debrett's peerage, and titles of courtesy”. London, Dean,(1921),p=370. 2019年12月18日閲覧。
- ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 369.
- ^ “No.6497”. The Edinburgh Gazette 1 June 1855. 2019年12月18日閲覧。