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[[スコットランドの氏族]](クラン)の一つ{{仮リンク|マーレイ氏族|en|Clan Murray}}の族長(Chief of Clan Murray)で初代[[アソル公爵|アソル侯爵]]の{{仮リンク|ジョン・、マレー (初代アソル侯爵)|label=ジョン・マレー|en|John Murray, 1st Marquess of Atholl}}<small>(1631-1703)</small>の三男{{仮リンク|チャールズ・マーレイ (初代ダンモア伯爵)|label=チャールズ・マーレイ|en|Charles Murray, 1st Earl of Dunmore}}<small>(1661–1710)</small>は、[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]治世下の[[1686年]][[8月16日]]に'''ブレア、モーリン、ティルミットのマーレイ卿'''<small>(Lord Murray of Blair, Moulin and Tillimet)</small>、'''フィンキャッスル子爵'''<small>(Viscount of Fincastle)</small>、そして'''ダンモア伯爵'''<small>(Earl of Dunmore)</small>に叙せられた。いずれもスコットランド貴族爵位である。しかし[[名誉革命]]後には[[ジャコバイト]]と疑われるようになり、しばしば投獄を受けた<ref name="CP ED">{{Cite web |title=Dunmore, Earl of (S, 1686)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/dunmore1686.htm|accessdate= 2017-10-26|last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p10943.htm#i109429|title=Charles Murray, 1st Earl of Dunmore|accessdate= 2017-10-26 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
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その息子である2代伯[[ジョン・マレー (第2代ダンモア伯爵)|ジョン・マレー]]<small>(1685–1752)</small>は、大将まで昇進した陸軍軍人だが、結婚せず子供がなかったため、弟の[[ウィリアム・マーレイ (第3代ダンモア伯爵)|ウィリアム・マーレイ]]<small>(1696–1756)</small>が3代伯を継承している<ref name="CP ED"/>。 |
2020年12月4日 (金) 05:25時点における版
ダンモア伯爵(英: Earl of Dunmore)は、スコットランド貴族の伯爵位。
アソル公爵マーレイ家の分流にあたるチャールズ・マーレイが1686年に叙されたのに始まる。
歴史
スコットランドの氏族(クラン)の一つマーレイ氏族の族長(Chief of Clan Murray)で初代アソル侯爵のジョン・マレー(1631-1703)の三男チャールズ・マーレイ(1661–1710)は、ジェームズ2世治世下の1686年8月16日にブレア、モーリン、ティルミットのマーレイ卿(Lord Murray of Blair, Moulin and Tillimet)、フィンキャッスル子爵(Viscount of Fincastle)、そしてダンモア伯爵(Earl of Dunmore)に叙せられた。いずれもスコットランド貴族爵位である。しかし名誉革命後にはジャコバイトと疑われるようになり、しばしば投獄を受けた[1][2]。
その息子である2代伯ジョン・マレー(1685–1752)は、大将まで昇進した陸軍軍人だが、結婚せず子供がなかったため、弟のウィリアム・マーレイ(1696–1756)が3代伯を継承している[1]。
その息子4代伯ジョン・マーレイ(1730–1809)は、アメリカ独立戦争時にバージニア植民地総督であったことで知られる[3][1]。
その息子5代伯ジョージ・マーレイ(1762–1836)は、1831年9月10日に連合王国貴族爵位パース州におけるアソル森林のダンモアのダンモア男爵(Baron Dunmore, of Dunmore in the Forest of Atholl in the County of Perth)に叙された[1][4]。この爵位は9代伯ジョン・マーレイ(1939–1980)の代まで継承され続け、その間の当主はこの爵位に基づいてイギリス貴族院に自動的に議席を保有した。
9代伯の死で5代伯の男系男子は絶えたのでダンモア男爵位は廃絶したが、ダンモア伯爵位の方は4代伯に遡っての分流レジナルド・マーレイ(1911–1981)に継承された(10代伯)。10代伯の死後、その弟ケネス・マーレイ(1913–1995)が11代伯を継承し、11代伯の死後はその息子マルコム・マーレイ(1946-)が12代伯爵位を継承して現在に至る[1][5]
現在の当主の住居はオーストラリアのイースト・デヴォンポートにある[1]。
現当主の保有爵位
現当主マルコム・マーレイは以下の爵位を保有している[1][5]。
- 第12代ダンモア伯爵 (12th Earl of Dunmore)
- 第12代フィンキャッスル子爵 (12th Viscount of Fincastle)
- (1686年8月16日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- ブレア、モーリン、ティルミットの第12代マーレイ卿 (12th Lord Murray of Blair, Moulin and Tillimet)
- (1686年8月16日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
ダンモア伯爵 (1686年)
- 初代ダンモア伯チャールズ・マーレイ (1661–1710)
- 2代ダンモア伯ジョン・マレー (1685–1752) 先代の息子
- 3代ダンモア伯ウィリアム・マーレイ (1696–1756) 先代の弟
- 4代ダンモア伯ジョン・マーレイ (1730–1809) 先代の息子
- 5代ダンモア伯ジョージ・マーレイ (1762–1836) 先代の息子
- 6代ダンモア伯アレグザンダー・エドワード・マーレイ (1804–1845) 先代の息子
- 7代ダンモア伯チャールズ・アドルファス・マーレイ (1841–1907) 先代の息子
- 8代ダンモア伯アレグザンダー・エドワード・マーレイ (1871–1962) 先代の息子
- 9代ダンモア伯ジョン・アレグザンダー・マーレイ (1939–1980) 先代の孫
- 10代ダンモア伯レジナルド・アーサー・マーレイ (1911–1981) 4代伯まで遡っての分流
- 11代ダンモア伯ケネス・ランドルフ・マーレイ (1913–1995) 先代の弟
- 12代ダンモア伯マルコム・ケネス・マーレイ (1946-) 先代の息子
- 推定相続人は現当主の弟ジェフリー・チャールズ・マーレイ(Geoffrey Charles Murray,1949-)
家系図
1676年アソル侯 | |||||||||||||||||||||
初代アソル侯 ジョン・マーレイ (1631–1703) | |||||||||||||||||||||
1703年アソル公 | 1686年ダンモア伯爵 | ||||||||||||||||||||
初代アソル公 2代アソル侯 ジョン・マーレイ (1660–1724) | 初代ダンモア伯 チャールズ・マーレイ (1661–1710) | ||||||||||||||||||||
アソル公爵家へ | |||||||||||||||||||||
2代ダンモア伯 ジョン・マレー (1685–1752) | 3代ダンモア伯 ウィリアム・マーレイ (1696–1756) | ||||||||||||||||||||
4代ダンモア伯 ジョン・マーレイ (1730–1809) | |||||||||||||||||||||
5代ダンモア伯 ジョージ・マーレイ (1762–1836) | アレグザンダー・マーレイ (1764–1842) | ||||||||||||||||||||
6代ダンモア伯 アレグザンダー・マーレイ (1804–1845) | ヴィルギニウス・マーレイ (1817–1861) | ||||||||||||||||||||
7代ダンモア伯 チャールズ・マーレイ (1841–1907) | レジナルド・マーレイ (1846–1925) | ||||||||||||||||||||
8代ダンモア伯 アレグザンダー・マーレイ (1871–1962) | アーサー・マーレイ (1882–1964) | ||||||||||||||||||||
フィンキャッスル子爵(儀礼称号) エドワード・マーレイ (1908–1940) | 10代ダンモア伯 レジナルド・マーレイ (1911–1981) | 11代ダンモア伯 ケネス・マーレイ (1913–1995) | |||||||||||||||||||
9代ダンモア伯 ジョン・マーレイ (1939–1980) | 12代ダンモア伯 マルコム・マーレイ (1946-) | ||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Dunmore, Earl of (S, 1686)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Charles Murray, 1st Earl of Dunmore” (英語). thepeerage.com. 2017年10月26日閲覧。
- ^ Wilson, J. G.; Fiske, J., eds. (1900). . Appletons' Cyclopædia of American Biography (英語). New York: D. Appleton.
- ^ Lundy, Darryl. “George Murray, 5th Earl of Dunmore” (英語). thepeerage.com. 2017年10月26日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Malcolm Kenneth Murray, 12th Earl of Dunmore” (英語). thepeerage.com. 2017年10月26日閲覧。