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第1期のウェストモーランド伯に叙された[[ネヴィル家]]は、13世紀初頭から台頭し、中世に北部イングランドをパーシー家と二分する勢力を誇った貴族である{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=509}}。13世紀後期の当主{{仮リンク|ラナルフ・ネヴィル (初代ネヴィル男爵)|label=ラナルフ・ネヴィル|en|Ranulph Neville, 1st Baron Neville}}<small>(1262-1331)</small>は、[[1295年]][[6月24日]]に{{仮リンク|レイビーのネヴィル男爵|en|Baron Neville de Raby}}として[[イングランド議会|議会]]招集令状{{small|(writ of summons)}}を受けた{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=509}}<ref name="CP BN">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
第1期のウェストモーランド伯に叙された[[ネヴィル家]]は、13世紀初頭から台頭し、中世に北部イングランドをパーシー家と二分する勢力を誇った貴族である{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=509}}。13世紀後期の当主{{仮リンク|ラナルフ・ネヴィル (初代ネヴィル男爵)|label=ラナルフ・ネヴィル|en|Ranulph Neville, 1st Baron Neville}}<small>(1262-1331)</small>は、[[1295年]][[6月24日]]に{{仮リンク|レイビーのネヴィル男爵|en|Baron Neville de Raby}}として[[イングランド議会|議会]]招集令状{{small|(writ of summons)}}を受けた{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=509}}<ref name="CP BN">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/nevill1295.htm|title=Nevill, Baron (E, 1295 - 1571)|accessdate= 2016-05-04 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1962.htm#i19618 |title=Ranulf de Neville, 1st Lord Neville|accessdate= 2016-05-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref> |
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第6代ネヴィル男爵[[ラルフ・ネヴィル (初代ウェストモーランド伯)|ラルフ・ネヴィル]]<small>(1364–1425)</small>は、[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]のもとで[[1397年]]に[[訴追派貴族]]の裁判にかかわり{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=509}}、その功績で[[1397年]][[9月29日]]にウェストモーランド伯爵に叙された<ref name="CP EW">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
第6代ネヴィル男爵[[ラルフ・ネヴィル (初代ウェストモーランド伯)|ラルフ・ネヴィル]]<small>(1364–1425)</small>は、[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]のもとで[[1397年]]に[[訴追派貴族]]の裁判にかかわり{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=509}}、その功績で[[1397年]][[9月29日]]にウェストモーランド伯爵に叙された<ref name="CP EW">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/westmorland1397.htm|title=Westmorland, Earl of (E, 1397 - forfeited 1571)|accessdate= 2016-05-04 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10164.htm#i101634 |title=Ralph de Neville, 1st Earl of Westmorland|accessdate= 2016-05-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。リチャード2世がランカスター家の[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]に王位を奪われた際にも巧みにヘンリー4世に乗り換えて1405年には初代[[ノーサンバランド伯]][[ヘンリー・パーシー (初代ノーサンバランド伯)|ヘンリー・パーシー]]の反乱の鎮圧にあたった{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=510}}。 |
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初代伯は子沢山であり、子供のうち長男の家系がウェストモーランド伯爵位を継承していく。またヤンガーサンたちの中にも妻の権利により爵位を継承する者が出た。[[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|リチャード・ネヴィル]]はソールズベリー伯爵位、[[ウィリアム・ネヴィル (ケント伯)|ウィリアム・ネヴィル]]は{{仮リンク|フォーコンバーグ男爵|en|Baron Fauconberg}}(のち[[ケント伯]]に叙される)、{{仮リンク|エドワード・ネヴィル (第3代バーガベニー男爵)|label=エドワード・ネヴィル|en|Edward Neville, 3rd Baron Bergavenny}}<small>(–1476)</small>は{{仮リンク|バーガベニー男爵|en|Baron Bergavenny}}(アバーガベニー男爵)を継承している{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=510}}。 |
初代伯は子沢山であり、子供のうち長男の家系がウェストモーランド伯爵位を継承していく。またヤンガーサンたちの中にも妻の権利により爵位を継承する者が出た。[[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|リチャード・ネヴィル]]はソールズベリー伯爵位、[[ウィリアム・ネヴィル (ケント伯)|ウィリアム・ネヴィル]]は{{仮リンク|フォーコンバーグ男爵|en|Baron Fauconberg}}(のち[[ケント伯]]に叙される)、{{仮リンク|エドワード・ネヴィル (第3代バーガベニー男爵)|label=エドワード・ネヴィル|en|Edward Neville, 3rd Baron Bergavenny}}<small>(–1476)</small>は{{仮リンク|バーガベニー男爵|en|Baron Bergavenny}}(アバーガベニー男爵)を継承している{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=510}}。 |
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=== フェイン家 === |
=== フェイン家 === |
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[[File:Fane EarlOfWestmorland Arms.png|thumb|200px|ウェストモーランド伯フェイン家の紋章]] |
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バーガベニー男爵ネヴィル家の女系子孫である{{仮リンク|フランシス・フェイン (初代ウェストモーランド伯爵)|label=フランシス・フェイン|en|Francis Fane, 1st Earl of Westmorland}}<small>(1580–1629)</small>は、[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務め、[[1624年]][[12月29日]]にイングランド貴族爵位ウェストモーランド伯爵と{{仮リンク|バーガーシュ男爵|label=サセックス州におけるバーガーシュのバーガーシュ男爵|en|Baron Burghersh}}に叙された<ref name="CP EW2">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
バーガベニー男爵ネヴィル家の女系子孫である{{仮リンク|フランシス・フェイン (初代ウェストモーランド伯爵)|label=フランシス・フェイン|en|Francis Fane, 1st Earl of Westmorland}}<small>(1580–1629)</small>は、[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務め、[[1624年]][[12月29日]]にイングランド貴族爵位ウェストモーランド伯爵と{{仮リンク|バーガーシュ男爵|label=サセックス州におけるバーガーシュのバーガーシュ男爵|en|Baron Burghersh}}に叙された<ref name="CP EW2">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/westmorland1624.htm|title=Westmorland, Earl of (E, 1624)|accessdate= 2016-05-04 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p68.htm#i673 |title=Francis Fane, 1st Earl of Westmorland|accessdate= 2016-05-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。これが2期目のウェストモーランド伯位の創設であり、以降彼の男系男子によって爵位は継承されていく。 |
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7代ウェストモーランド伯[[ジョン・フェイン (第7代ウェストモーランド伯爵)|ジョン・フェイン]]<small>(1685–1762)</small>は大将まで昇進した陸軍軍人で襲爵前の[[1733年]][[10月4日]]に[[アイルランド貴族]]爵位キャザーロー州におけるキャザーロー男爵 (Baron Catherlough, in the County of Catherlough)に叙されたが、子供がなかったので同爵位は彼一代で絶えた<ref name="CP EW2" /><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1054.htm#i10531|title=General John Fane, 7th Earl of Westmorland|accessdate= 2016-05-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
7代ウェストモーランド伯[[ジョン・フェイン (第7代ウェストモーランド伯爵)|ジョン・フェイン]]<small>(1685–1762)</small>は大将まで昇進した陸軍軍人で襲爵前の[[1733年]][[10月4日]]に[[アイルランド貴族]]爵位キャザーロー州におけるキャザーロー男爵 (Baron Catherlough, in the County of Catherlough)に叙されたが、子供がなかったので同爵位は彼一代で絶えた<ref name="CP EW2" /><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1054.htm#i10531|title=General John Fane, 7th Earl of Westmorland|accessdate= 2016-05-04 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
2020年12月4日 (金) 05:22時点における版
ウェストモーランド伯爵(英語: Earl of Westmorland)は、イングランド貴族の伯爵位の一つ。過去に2回創設されており、第1期は中世期にイングランド北部の有力貴族だったネヴィル家の嫡流が1397年から保有したが、1569年に剥奪された。2期目はその女系子孫で下院議員のフランシス・フェインが1624年に叙されたのに始まり、2020年現在までフェイン家によって世襲されている。
歴史
ネヴィル家
第1期のウェストモーランド伯に叙されたネヴィル家は、13世紀初頭から台頭し、中世に北部イングランドをパーシー家と二分する勢力を誇った貴族である[1]。13世紀後期の当主ラナルフ・ネヴィル(1262-1331)は、1295年6月24日にレイビーのネヴィル男爵として議会招集令状(writ of summons)を受けた[1][2][3]
第6代ネヴィル男爵ラルフ・ネヴィル(1364–1425)は、リチャード2世のもとで1397年に訴追派貴族の裁判にかかわり[1]、その功績で1397年9月29日にウェストモーランド伯爵に叙された[4][5]。リチャード2世がランカスター家のヘンリー4世に王位を奪われた際にも巧みにヘンリー4世に乗り換えて1405年には初代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの反乱の鎮圧にあたった[6]。
初代伯は子沢山であり、子供のうち長男の家系がウェストモーランド伯爵位を継承していく。またヤンガーサンたちの中にも妻の権利により爵位を継承する者が出た。リチャード・ネヴィルはソールズベリー伯爵位、ウィリアム・ネヴィルはフォーコンバーグ男爵(のちケント伯に叙される)、エドワード・ネヴィル(–1476)はバーガベニー男爵(アバーガベニー男爵)を継承している[6]。
初代伯の嫡流の孫2代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル(1408–1484)は、パーシー家の娘と結婚した[6]。
5代ウェストモーランド伯ヘンリー・ネヴィル(1525–1564)は、カトリックとしてメアリー1世を支持した[6]。その息子の6代ウェストモーランド伯チャールズ・ネヴィル(1542–1601)もカトリックだったが、1569年に北部諸侯の乱を起こしたことで国外亡命と爵位剥奪に追いやられた[6]。
フェイン家
バーガベニー男爵ネヴィル家の女系子孫であるフランシス・フェイン(1580–1629)は、庶民院議員を務め、1624年12月29日にイングランド貴族爵位ウェストモーランド伯爵とサセックス州におけるバーガーシュのバーガーシュ男爵に叙された[7][8]。これが2期目のウェストモーランド伯位の創設であり、以降彼の男系男子によって爵位は継承されていく。
7代ウェストモーランド伯ジョン・フェイン(1685–1762)は大将まで昇進した陸軍軍人で襲爵前の1733年10月4日にアイルランド貴族爵位キャザーロー州におけるキャザーロー男爵 (Baron Catherlough, in the County of Catherlough)に叙されたが、子供がなかったので同爵位は彼一代で絶えた[7][9]。
10代ウェストモーランド伯ジョン・フェイン(1759–1841)は18世紀後期から19世紀前期にかけてトーリー党政権で王璽尚書などの閣僚職を歴任した[7][10]。
2016年現在の当主は16代ウェストモーランド伯アンソニー・フェインである[7][11]。
現当主の保有爵位
現当主アンソニー・フェインは以下の爵位を保有している[7][11]。
- 第16代ウェストモーランド伯爵 (16th Earl of Westmorland)
- 第16代サセックス州におけるバーガーシュのバーガーシュ男爵 (16th Baron Burghersh, of Burghersh in the County of Sussex)
一覧
ウェストモーランド伯 第1期 (1397年)
- 初代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル (1364–1425)
- 2代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル (1408–1484) 先代の孫
- 3代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル (1456–1499) 先代の甥
- 4代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル (1497–1549) 先代の孫
- 5代ウェストモーランド伯ヘンリー・ネヴィル (1525–1564) 先代の子
- 6代ウェストモーランド伯チャールズ・ネヴィル (1542–1601) 先代の子。1571年に剥奪
ウェストモーランド伯 第2期 (1624年)
- 初代ウェストモーランド伯フランシス・フェイン (1580–1629)
- 2代ウェストモーランド伯マイルドメイ・フェイン (1602–1666) 先代の子
- 3代ウェストモーランド伯チャールズ・フェイン (1635–1691) 先代の子
- 4代ウェストモーランド伯ヴィアー・フェイン (1645–1693) 先代の弟
- 5代ウェストモーランド伯ヴィアー・フェイン (1678–1699) 先代の子
- 6代ウェストモーランド伯トマス・フェイン (1683–1736) 先代の弟
- 7代ウェストモーランド伯ジョン・フェイン (1685–1762) 先代の弟
- 8代ウェストモーランド伯トマス・フェイン (1701–1771) 先代の二従兄弟の子。息子の一人ヘンリー・フェインの子孫にバジル・ホール・チェンバレン、ヒューストン・チェンバレン兄弟がいる。
- 9代ウェストモーランド伯ジョン・フェイン (1728–1774) 先代の子
- 10代ウェストモーランド伯ジョン・フェイン (1759–1841) 先代の子
- 11代ウェストモーランド伯ジョン・フェイン (1784–1859) 先代の子
- 12代ウェストモーランド伯フランシス・ウィリアム・ヘンリー・フェイン (1825–1891) 先代の子
- 13代ウェストモーランド伯アンソニー・マイルドメイ・ジュリアン・フェイン (1859–1922) 先代の子
- 14代ウェストモーランド伯ヴィアー・アンソニー・フランシス・フェイン (1893–1948) 先代の子
- 15代ウェストモーランド伯デイヴィッド・アンソニー・トマス・フェイン (1924–1993) 先代の子
- 16代ウェストモーランド伯アンソニー・デイヴィッド・フランシス・ヘンリー・フェイン (1951-) 先代の子
- 推定相続人は、現当主の弟ヘンリー・セント・クレア・フェイン (1953-)
家系図
- バーガヴェニー男爵の代数はデ・ファクトの代数。
出典
- ^ a b c 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 509.
- ^ Heraldic Media Limited. “Nevill, Baron (E, 1295 - 1571)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年5月4日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Ranulf de Neville, 1st Lord Neville” (英語). thepeerage.com. 2016年5月4日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Westmorland, Earl of (E, 1397 - forfeited 1571)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年5月4日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Ralph de Neville, 1st Earl of Westmorland” (英語). thepeerage.com. 2016年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 510.
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Westmorland, Earl of (E, 1624)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年5月4日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Francis Fane, 1st Earl of Westmorland” (英語). thepeerage.com. 2016年5月4日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “General John Fane, 7th Earl of Westmorland” (英語). thepeerage.com. 2016年5月4日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John Fane, 10th Earl of Westmorland” (英語). thepeerage.com. 2016年5月4日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Anthony David Francis Henry Fane, 16th Earl of Westmorland” (英語). thepeerage.com. 2016年5月4日閲覧。
参考文献
- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。