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スコットランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェイムズ6世]](イングランド王ジェイムズ1世)の廷臣{{仮リンク|アーチボルド・ネイピア (初代ネイピア卿)|label=アーチボルド・ネイピア|en|Archibald Napier, 1st Lord Napier}}<small>(1575頃-1645)</small>は、[[1627年]][[3月2日]]の[[勅許状]]でスコットランド[[準男爵]]位の(マーチストンのネイピア)準男爵、ついで同年5月4日の勅許状で[[スコットランド貴族]]爵位'''マーキストンのネイピア卿'''に叙せられた(創設当初は直系の男系男子に限定される爵位だった)。その後の[[イングランド内戦]]に際して彼は初代[[モントローズ侯爵]][[ジェイムズ・グラハム (初代モントローズ侯爵)|ジェイムズ・グラハム]]とともに王党派として行動し、[[キルシスの戦い]]に参加している<ref>{{cite DNB|wstitle=Napier, Archibald (1576-1645)}}</ref><ref name="CP LN">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
スコットランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェイムズ6世]](イングランド王ジェイムズ1世)の廷臣{{仮リンク|アーチボルド・ネイピア (初代ネイピア卿)|label=アーチボルド・ネイピア|en|Archibald Napier, 1st Lord Napier}}<small>(1575頃-1645)</small>は、[[1627年]][[3月2日]]の[[勅許状]]でスコットランド[[準男爵]]位の(マーチストンのネイピア)準男爵、ついで同年5月4日の勅許状で[[スコットランド貴族]]爵位'''マーキストンのネイピア卿'''に叙せられた(創設当初は直系の男系男子に限定される爵位だった)。その後の[[イングランド内戦]]に際して彼は初代[[モントローズ侯爵]][[ジェイムズ・グラハム (初代モントローズ侯爵)|ジェイムズ・グラハム]]とともに王党派として行動し、[[キルシスの戦い]]に参加している<ref>{{cite DNB|wstitle=Napier, Archibald (1576-1645)}}</ref><ref name="CP LN">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/napier1627.htm|title=Napier of Merchistoun, Lord (S, 1627)|accessdate= 2016-02-25 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
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初代卿の死後、その息子の{{仮リンク|アーチボルド・ネイピア (第2代ネイピア卿)|label=アーチボルド・ネイピア|en|Archibald Napier, 2nd Lord Napier}}<small>(1625頃–1660)</small>が2代卿を継承し、2代卿の死後はその息子[[アーチボルド・ネイピア (第3代ネイピア卿)|アーチボルド・ネイピア]]<small>(-1683)</small>が3代卿を継承した<ref name="CP LN" />。3代卿には子供がなかったため、[[1677年]]にネイピア卿位を一度王冠に返還し、彼の姉妹への継承や姉妹の子孫について女系継承を可能とする継承規定を付け加えたうえで再び与えられた<ref name="CP LN" /><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p53954.htm#i539534|title=Archibald Napier, 3rd Lord Napier of Merchistoun|accessdate= 2016-02-25 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
2020年12月4日 (金) 05:19時点における版
ネイピア卿(英: Lord Napier)は、スコットランド貴族のロード・オヴ・パーラメント。
アーチボルド・ネイピアが1627年に叙されたのに始まる。
歴史
スコットランド王ジェイムズ6世(イングランド王ジェイムズ1世)の廷臣アーチボルド・ネイピア(1575頃-1645)は、1627年3月2日の勅許状でスコットランド準男爵位の(マーチストンのネイピア)準男爵、ついで同年5月4日の勅許状でスコットランド貴族爵位マーキストンのネイピア卿に叙せられた(創設当初は直系の男系男子に限定される爵位だった)。その後のイングランド内戦に際して彼は初代モントローズ侯爵ジェイムズ・グラハムとともに王党派として行動し、キルシスの戦いに参加している[1][2]。
初代卿の死後、その息子のアーチボルド・ネイピア(1625頃–1660)が2代卿を継承し、2代卿の死後はその息子アーチボルド・ネイピア(-1683)が3代卿を継承した[2]。3代卿には子供がなかったため、1677年にネイピア卿位を一度王冠に返還し、彼の姉妹への継承や姉妹の子孫について女系継承を可能とする継承規定を付け加えたうえで再び与えられた[2][3]。
3代卿の死で初代卿の男系男子は絶え、(マーチストンのネイピア)準男爵位は休止(dormant)となったが、ネイピア卿位は上記の追加規定により2代卿の長女ジーンと(カーノックの)第3代準男爵トマス・ニコルソンの間の長男である第4代準男爵トマス・ニコルソン(1669–1688)に女系継承されて存続した(4代卿)[2]。彼は子供のないまま早世したので、叔母(2代卿の次女)のマーガレット・ブリスベン(-1706)が5代女卿を継承した。彼女の死後は、その娘エリザベスと第2代(サールズテーンの)準男爵ウィリアム・スコットの子である第3代準男爵フランシス・スコット(1702頃–1773)が6代卿を継承した[2]。この継承に際して彼はスコット姓からネイピア姓に改姓した[4]。
以降は6代卿の直系の男系男子によって継承されていく[2]。
8代卿フランシス・ネイピア(1758–1823)は、スコットランド貴族の貴族代表議員(在職1796年-1806年、1807年-1823年)やスコットランド教会総会への勅使(在職1802年-1816年)、フリーメイソンのスコットランド・グランドロッジの最高指導者グランドマスター(在職1788年-1790年)などを歴任した[2][5]。
10代卿フランシス・ネイピア(1819–1898)は、外交官として各国公使・大使を歴任した後、植民地インドに赴任し、マドラス総督(在職1866年-1872年)、ついでインド総督代理(在職1872年)を務めている。帰国後の1872年7月16日の勅許状で連合王国貴族爵位セルカーク州におけるエトリックのエトリック男爵(Baron Ettrick, of Ettrick in the County of Selkirk)に叙された。これにより以降の当主は自動的に貴族院議員に列した[6][2][7]。
現在の当主は15代卿フランシス・ネイピア(1962-)である[2][8]。
現当主の保有爵位・準男爵位
現在の当主フランシス・ネイピアは以下の爵位・準男爵位を保有している[2][8]。
- マーキストンの第15代ネイピア卿 (15th Lord Napier of Merchistoun)
- セルカーク州におけるエトリックの第6代エトリック男爵 (6th Baron Ettrick, of Ettrick in the County of Selkirk)
- (サールズテーンの)第12代準男爵 (12th Baronet "of Thirlestane")
一覧
ネイピア卿 (1627年)およびエトリック男爵 (1872年)
- 初代ネイピア卿アーチボルド・ネイピア (1575頃–1645)
- 2代ネイピア卿アーチボルド・ネイピア (1625頃–1660)
- 3代ネイピア卿アーチボルド・ネイピア (-1683)
- 4代ネイピア卿トマス・ニコルソン (1669–1688)
- 5代ネイピア卿マーガレット・ブリスベン (-1706)
- 6代ネイピア卿フランシス・ネイピア (1702頃–1773)
- 7代ネイピア卿ウィリアム・ネイピア (1730–1775)
- 8代ネイピア卿フランシス・ネイピア (1758–1823)
- 9代ネイピア卿ウィリアム・ジョン・ネイピア (1786–1834)
- 10代ネイピア卿・初代エトリック男爵フランシス・ネイピア (1819–1898)
- 11代ネイピア卿・2代エトリック男爵ウィリアム・ジョン・ジョージ・ネイピア (1846–1913)
- 12代ネイピア卿・3代エトリック男爵フランシス・エドワード・バジル・ネイピア (1876–1941)
- 13代ネイピア卿・4代エトリック男爵ウィリアム・フランシス・セシル・ジェイムズ・ハミルトン・ネイピア (1900–1954)
- 14代ネイピア卿・5代エトリック男爵フランシス・ナイジェル・ネイピア (1930-2012)
- 15代ネイピア卿・6代エトリック男爵フランシス・デイヴィッド・チャールズ・ネイピア (1962-)
- 法定推定相続人は現当主の息子マスター・オブ・ネイピア(儀礼称号)ウィリアム・アレグザンダー・ヒュー・ネイピア (1996-)
(サールズテーンの)準男爵 (1666年)
- 初代準男爵サー・フランシス・スコット (1645–1712)
- 2代準男爵サー・ウィリアム・スコット (1670–1725)[9]
- 3代準男爵サー・フランシス・スコット (1702頃–1773)
- 1706年に第6代ネイピア卿を継承。ネイピアと改姓
系譜図
アーチボルド 初代ネイピア卿 (1575頃-1645) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アーチボルド 第2代ネイピア卿 (1625頃-1660) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アーチボルド 第3代ネイピア卿 (-1683) | ジーン | トマス・ニコルソン | マーガレット・ブリスベン 第5代ネイピア卿 (-1706) | ジョン・ブリスベン | フランシス・スコット 初代準男爵 (1645–1712) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トマス・ニコルソン 第4代ネイピア卿 (1669-1688) | エリザベス・ブリスベン | ウィリアム・スコット 第2代準男爵 (1670-1725) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランシス (スコットからネイピアに改姓) 第6代ネイピア卿 第3代準男爵 (1702-1773) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム 第7代ネイピア卿 第4代準男爵 (1730-1775) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランシス 第8代ネイピア卿 第5代準男爵 (1730-1775) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム 第9代ネイピア卿 第6代準男爵 (1786-1834) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランシス 第10代ネイピア卿 初代エトリック男爵 第7代準男爵 (1819-1898) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム 第11代ネイピア卿 第2代エトリック男爵 第8代準男爵 (1846-1913) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランシス 第12代ネイピア卿 第3代エトリック男爵 第9代準男爵 (1876-1941) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム 第13代ネイピア卿 第4代エトリック男爵 第10代準男爵 (1900-1954) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ナイジェル 第14代ネイピア卿 第5代エトリック男爵 第11代準男爵 (1930-2012) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランシス 第15代ネイピア卿 第6代エトリック男爵 第12代準男爵 (1962-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム (法定推定相続人) (1996-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
出典
- ^ Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
- ^ a b c d e f g h i j Heraldic Media Limited. “Napier of Merchistoun, Lord (S, 1627)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Archibald Napier, 3rd Lord Napier of Merchistoun” (英語). thepeerage.com. 2016年2月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Francis Napier, 6th Lord Napier of Merchistoun” (英語). thepeerage.com. 2016年2月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Francis Napier, 8th Lord Napier of Merchistoun” (英語). thepeerage.com. 2016年2月25日閲覧。
- ^ Arbuthnot, Alexander John (1901). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (1st supplement) (英語). Vol. 3. London: Smith, Elder & Co. . In
- ^ Lundy, Darryl. “Francis Napier, 10th Lord Napier of Merchistoun” (英語). thepeerage.com. 2016年2月25日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Francis David Charles Napier, 15th Lord Napier of Merchistoun” (英語). thepeerage.com. 2016年2月25日閲覧。
- ^ Oxford Dictionary of National Biography. "William Scott" 2016年2月29日閲覧