「エレンバラ男爵」の版間の差分
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[[File:1stEarlOfEllenborough.jpg|200px|thumb|[[シンド]]侵攻・併合を実施した[[インド総督]]初代エレンバラ伯爵・第2代エレンバラ男爵[[エドワード・ロウ (初代エレンボロー伯爵)|エドワード・ロウ]]]] |
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法律家で[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の庶民院議員でもある{{仮リンク|エドワード・ロウ (初代エレンバラ男爵)|label=エドワード・ロウ|en|Edward Law, 1st Baron Ellenborough}}<small>(1750–1818)</small>は[[1802年]][[4月11日]]に{{仮リンク|イングランド・ウェールズ首席治安判事|en|Lord Chief Justice of England and Wales}}に就任したのを機として同年[[4月19日]]に[[連合王国貴族]]爵位'''カンバーランド州におけるエレンバラのエレンバラ男爵'''(Baron Ellenborough, of Ellenborough in the County of Cumberland)を与えられた<ref name="CP BE">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
法律家で[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の庶民院議員でもある{{仮リンク|エドワード・ロウ (初代エレンバラ男爵)|label=エドワード・ロウ|en|Edward Law, 1st Baron Ellenborough}}<small>(1750–1818)</small>は[[1802年]][[4月11日]]に{{仮リンク|イングランド・ウェールズ首席治安判事|en|Lord Chief Justice of England and Wales}}に就任したのを機として同年[[4月19日]]に[[連合王国貴族]]爵位'''カンバーランド州におけるエレンバラのエレンバラ男爵'''(Baron Ellenborough, of Ellenborough in the County of Cumberland)を与えられた<ref name="CP BE">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/ellenborough1802.htm|title=Ellenborough, Baron (UK, 1802)|accessdate= 2016-2-18 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref name="DNB1">{{DNB Cite|wstitle=Law, Edward, first Baron Ellenborough|last=Barker|first=G. F. R.|authorlink=|volume=32}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.thepeerage.com/p8946.htm#i89457|title=Edward Law, 1st Baron Ellenborough|accessdate= 2016-2-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
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その長男の2代男爵[[エドワード・ロウ (初代エレンボロー伯爵)|エドワード・ロウ]]<small>(1790–1871)</small>は、[[1842年]]から[[1844年]]にかけて[[インド総督]]を務め、[[シンド]]侵攻と併合を強行したことで知られる{{sfn|浜渦哲雄|1999| p=97-98}}。インドから帰国した後の[[1844年]][[10月22日]]に連合王国貴族爵位'''エレンバラ伯爵'''(Earl of Ellenborough)と'''グロスター州におけるソウザンのソウザン子爵'''(Viscount Southam, of Southam in the County of Gloucester)に叙せられた。しかし一人息子に先立たれたため、この2つの爵位は彼の死とともに廃絶している<ref name="CP EE">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
その長男の2代男爵[[エドワード・ロウ (初代エレンボロー伯爵)|エドワード・ロウ]]<small>(1790–1871)</small>は、[[1842年]]から[[1844年]]にかけて[[インド総督]]を務め、[[シンド]]侵攻と併合を強行したことで知られる{{sfn|浜渦哲雄|1999| p=97-98}}。インドから帰国した後の[[1844年]][[10月22日]]に連合王国貴族爵位'''エレンバラ伯爵'''(Earl of Ellenborough)と'''グロスター州におけるソウザンのソウザン子爵'''(Viscount Southam, of Southam in the County of Gloucester)に叙せられた。しかし一人息子に先立たれたため、この2つの爵位は彼の死とともに廃絶している<ref name="CP EE">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/ellenborough1844.htm|title=Ellenborough, Earl of (UK, 1844 - 1871)|accessdate= 2016-2-18 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.thepeerage.com/p6002.htm#i60018|title=Edward Law, 1st and last Earl of Ellenborough|accessdate= 2016-2-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
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一方エレンバラ男爵位は、初代男爵の次男チャールズの息子である{{仮リンク|チャールズ・タウリー=ロウ (第3代エレンバラ男爵)|label=チャールズ・ロウ|en|Charles Edmund Towry-Law, 3rd Baron Ellenborough}}<small>(1820–1890)</small>に継承された。彼は1885年に勅許をえて母の実家の家名を加えた「タウリー=ロウ(Towry-Law)」に改姓している<ref name="CP BE"/>。その息子{{仮リンク|チャールズ・タウリー=ロウ (第4代エレンバラ男爵)|label=チャールズ・タウリー=ロウ|en|Charles Towry-Law, 4th Baron Ellenborough}}<small>(1856–1902)</small>が4代男爵を継承したが、彼には子供がなかったため、初代男爵の三男ヘンリーの息子{{仮リンク|エドワード・ロウ (第5代エレンバラ男爵)|label=エドワード・ロウ|en|Edward Downes Law, 5th Baron Ellenborough}}<small>(1841–1915)</small>が5代男爵、ついでその弟である{{仮リンク|セシル・ロウ (第6代エレンバラ男爵)|label=セシル・ロウ|en|Cecil Henry Law, 6th Baron Ellenborough}}<small>(1849–1931)</small>が6代男爵となった<ref name="CP BE"/>。 |
2020年12月4日 (金) 05:18時点における版
エレンバラ男爵(英語: Baron Ellenborough)は、連合王国貴族の男爵位。
エドワード・ロウが1802年に叙されたのに始まる。2代男爵エドワード・ロウの代の1844年にエレンバラ伯爵に叙されたが、一代で廃絶した。エレンバラ男爵位のみ弟の系統に継承されて現在まで存続している。
歴史
法律家でトーリー党の庶民院議員でもあるエドワード・ロウ(1750–1818)は1802年4月11日にイングランド・ウェールズ首席治安判事に就任したのを機として同年4月19日に連合王国貴族爵位カンバーランド州におけるエレンバラのエレンバラ男爵(Baron Ellenborough, of Ellenborough in the County of Cumberland)を与えられた[1][2][3]。
その長男の2代男爵エドワード・ロウ(1790–1871)は、1842年から1844年にかけてインド総督を務め、シンド侵攻と併合を強行したことで知られる[4]。インドから帰国した後の1844年10月22日に連合王国貴族爵位エレンバラ伯爵(Earl of Ellenborough)とグロスター州におけるソウザンのソウザン子爵(Viscount Southam, of Southam in the County of Gloucester)に叙せられた。しかし一人息子に先立たれたため、この2つの爵位は彼の死とともに廃絶している[5][6]。
一方エレンバラ男爵位は、初代男爵の次男チャールズの息子であるチャールズ・ロウ(1820–1890)に継承された。彼は1885年に勅許をえて母の実家の家名を加えた「タウリー=ロウ(Towry-Law)」に改姓している[1]。その息子チャールズ・タウリー=ロウ(1856–1902)が4代男爵を継承したが、彼には子供がなかったため、初代男爵の三男ヘンリーの息子エドワード・ロウ(1841–1915)が5代男爵、ついでその弟であるセシル・ロウ(1849–1931)が6代男爵となった[1]。
6代男爵以降は息子から息子への直系相続が続いており、現在の当主は9代男爵ルパート・ロウ(1955-)である[1][7]。
一覧
エレンバラ男爵 (1802年)
エレンバラ伯爵 (1844年)
- 初代エレンバラ伯爵エドワード・ロウ (1790–1871)
- 死去とともにエレンバラ伯爵位廃絶
エレンバラ男爵 (1802年)
- 3代エレンバラ男爵チャールズ・エドムンド・タウリー=ロウ (1820–1890)
- 4代エレンバラ男爵チャールズ・タウリー・ハミルトン・タウリー=ロウ (1856–1902)
- 5代エレンバラ男爵エドワード・ダウンズ・ロー (1841–1915)
- 6代エレンバラ男爵セシル・ヘンリー・ロウ (1849–1931)
- 7代エレンバラ男爵ヘンリー・アステル・ロウ (1889–1945)
- 8代エレンバラ男爵リチャード・エドワード・セシル・ロウ (1926–2013)
- 9代エレンバラ男爵ルパート・エドワード・ヘンリー・ロウ (1955-)
- 法定推定相続人は現当主の息子ジェイムズ・ルパート・トマス・ロウ (1983-)
系譜図
エドワード 初代エレンバラ男爵 (1750-1818) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
エドワード 初代エレンバラ伯爵 初代ソウザン子爵 第2代エレンバラ男爵 (1790-1891) | チャールズ (1792-1850) | ヘンリー | |||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ (タウリー=ロウに改姓) 第3代エレンバラ男爵 (1820-1890) | エドワード 第5代エレンバラ男爵 (1841-1915) | セシル 第6代エレンバラ男爵 (1849-1931) | |||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ 第4代エレンバラ男爵 (1856-1902) | ヘンリー 第7代エレンバラ男爵 (1889-1945) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード 第8代エレンバラ男爵 (1926-2013) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ルパート 第9代エレンバラ男爵 (1955-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ジェイムズ (法定推定相続人) (1983-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
出典
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Ellenborough, Baron (UK, 1802)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Barker, G. F. R. (1892). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 32. London: Smith, Elder & Co. . In
- ^ Lundy, Darryl. “Edward Law, 1st Baron Ellenborough” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ 浜渦哲雄 1999, p. 97-98.
- ^ Heraldic Media Limited. “Ellenborough, Earl of (UK, 1844 - 1871)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Edward Law, 1st and last Earl of Ellenborough” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Rupert Edward Henry Law, 9th Baron Ellenborough” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
参考文献
- 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029370。