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{{仮リンク|ド・ヴィアー家|en|de Vere family}}は[[フランス]]・[[ノルマンディー]]・{{仮リンク|ヴェール (マンシュ県)|label=ヴェール|fr|Ver (Manche)}}の出身であるために、ド・ヴィアーという家名になった。{{仮リンク|オーブリー・ド・ヴィアー1世|en|Aubrey de Vere I}}{{small|(-1112or1113)}}が[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]]の[[ノルマン・コンクエスト|イングランド侵攻]]に加わってそのままイングランドに定着した{{sfn|森護|1987|p=170}}。
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その息子の{{仮リンク|オーブリー・ド・ヴィアー2世|en|Aubrey de Vere II}}<small>(1085-1141)</small>は[[式部卿 (イングランド)|大侍従卿]]となり、さらにその息子で大侍従卿の地位を継承した{{仮リンク|オーブリー・ド・ヴィアー (初代オックスフォード伯)|label=オーブリー・ド・ヴィアー|en|Aubrey de Vere, 1st Earl of Oxford}}<small>(1115頃–1194)</small>は、[[1141年]]7月に[[イングランド貴族]]爵位[[ケンブリッジ伯|ケンブリッジ伯爵]]に叙せられた。しかしスコットランド王からケンブリッジは{{仮リンク|ハンティンドン伯爵|en|Earl of Huntingdon}}たる自分に権利がある領地であるとの異議が唱えられたので'''オックスフォード伯爵'''(Earl of Oxford)に変更された<ref name="CP EO">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/oxford1142.htm|title=Oxford, Earl of (E, 1142 - 1703)|accessdate= 2015-11-24 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。以降同爵位は20代560年にわたってド・ヴィアー家に継承される<ref name="CP EO"/>。
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3代オックスフォード伯{{仮リンク|ロバート・ド・ヴィアー (第3代オックスフォード伯)|label=ロバート・ド・ヴィアー|en|Robert de Vere, 3rd Earl of Oxford}}{{small|(1173頃–1221)}}は、[[ジョン (イングランド王)|ジョン王]]に[[マグナカルタ]]を迫った25人の貴族の一人である{{sfn|森護|1987|p=170}}。
3代オックスフォード伯{{仮リンク|ロバート・ド・ヴィアー (第3代オックスフォード伯)|label=ロバート・ド・ヴィアー|en|Robert de Vere, 3rd Earl of Oxford}}{{small|(1173頃–1221)}}は、[[ジョン (イングランド王)|ジョン王]]に[[マグナカルタ]]を迫った25人の貴族の一人である{{sfn|森護|1987|p=170}}。
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=== オックスフォード=モーティマー伯爵(1711年) ===
=== オックスフォード=モーティマー伯爵(1711年) ===
その後、オックスフォードの名を関する爵位が2つ創設された。1つは[[アン (イギリス女王)|アン女王]]時代の[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]政権の首脳だった[[ロバート・ハーレー (初代オックスフォード=モーティマー伯)|ロバート・ハーレー]]が[[1711年]]に叙された[[グレートブリテン貴族]]'''[[オックスフォード伯爵=モーティマー伯爵|オックスフォード伯爵=モーティマー伯]]'''である。この爵位は6代続いたが、[[1853年]]に廃絶した<ref name="CP EOEM">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/oxford1711.htm|title=Oxford, Earl of, and Mortimer, Earl (GB, 1711 - 1853)|accessdate= 2015-11-24 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
その後、オックスフォードの名を関する爵位が2つ創設された。1つは[[アン (イギリス女王)|アン女王]]時代の[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]政権の首脳だった[[ロバート・ハーレー (初代オックスフォード=モーティマー伯)|ロバート・ハーレー]]が[[1711年]]に叙された[[グレートブリテン貴族]]'''[[オックスフォード伯爵=モーティマー伯爵|オックスフォード伯爵=モーティマー伯]]'''である。この爵位は6代続いたが、[[1853年]]に廃絶した<ref name="CP EOEM">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/oxford1711.htm|title=Oxford, Earl of, and Mortimer, Earl (GB, 1711 - 1853)|accessdate= 2015-11-24 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。


=== オックスフォード=アスキス伯爵(1925年) ===
=== オックスフォード=アスキス伯爵(1925年) ===
もう1つは[[自由党]]の[[イギリスの首相|首相]]を務めた[[ハーバート・ヘンリー・アスキス]]が[[1925年]]に叙された[[連合王国貴族]]'''[[オックスフォード=アスキス伯爵|オックスフォード=アスキス伯]]'''である。この爵位は[[2020年]]現在も存続している<ref name="CP EOA">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/oxford1928.htm|title=Oxford and Asquith, Earl of (UK, 1925)|accessdate= 2015-11-24 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
もう1つは[[自由党]]の[[イギリスの首相|首相]]を務めた[[ハーバート・ヘンリー・アスキス]]が[[1925年]]に叙された[[連合王国貴族]]'''[[オックスフォード=アスキス伯爵|オックスフォード=アスキス伯]]'''である。この爵位は[[2020年]]現在も存続している<ref name="CP EOA">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/oxford1928.htm|title=Oxford and Asquith, Earl of (UK, 1925)|accessdate= 2015-11-24 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。


== 歴代当主 ==
== 歴代当主 ==

2020年12月4日 (金) 05:14時点における版

オックスフォード伯爵(第1期)

紋章記述

Arms:Quarterly Gules and Or in the first quarter a Mullet Argent.Crest:A Boar passant Azure bristled and hoofed Or.Supporters:Dexter: a Boar Azure bristled and hoofed Or; Sinister: a Harpy wings inverted Or faced proper
創設回数1142年7月
創設者マティルダ皇后
貴族イングランド貴族
初代初代伯オーブリー・ド・ヴィアー英語版
最終保有者20代伯オーブリー・ド・ヴィアー英語版
付随称号なし
現況休止
断絶時期1703年3月12日
旧邸宅ヘディンガム城英語版
モットーVero Nihil Verius
その休止まで代々、式部卿職を世襲。

オックスフォード伯爵英語: Earl of Oxford)は、イギリス伯爵位。

1141年オーブリー・ド・ヴィアー英語版イングランド貴族爵位として叙されたのにはじまる。20代にわたって続いたが、1703年に休止(dormant) [注釈 1] となった。

他にオックスフォードの名を関する爵位としてロバート・ハーレー1711年に叙されたグレートブリテン貴族オックスフォード伯=モーティマー伯(1853年に廃絶)。ハーバート・ヘンリー・アスキス1925年に叙された連合王国貴族オックスフォード=アスキス伯がある(2020年現在も存続)。

歴史

オックスフォード伯爵(1141年)

20代伯オーブリーの紋章。
エスカッシャンは21分割されており、最上左端にド・ヴィアー家本来の紋章が確認できる。

ド・ヴィアー家英語版フランスノルマンディーヴェールフランス語版の出身であるために、ド・ヴィアーという家名になった。オーブリー・ド・ヴィアー1世英語版(-1112or1113)ウィリアム1世イングランド侵攻に加わってそのままイングランドに定着した[1]

その息子のオーブリー・ド・ヴィアー2世英語版(1085-1141)大侍従卿となり、さらにその息子で大侍従卿の地位を継承したオーブリー・ド・ヴィアー英語版(1115頃–1194)は、1141年7月にイングランド貴族爵位ケンブリッジ伯爵に叙せられた。しかしスコットランド王からケンブリッジはハンティンドン伯爵英語版たる自分に権利がある領地であるとの異議が唱えられたのでオックスフォード伯爵(Earl of Oxford)に変更された[2]。以降同爵位は20代560年にわたってド・ヴィアー家に継承される[2]

3代オックスフォード伯ロバート・ド・ヴィアー英語版(1173頃–1221)は、ジョン王マグナカルタを迫った25人の貴族の一人である[1]

ド・ヴィアー家の所領は少なく、歴史が古い点と式部卿を世襲する役割以外にはこれといった特色のない貴族だったが[3]、9代オックスフォード伯ロバート・ド・ヴィアー(1362–1392)は、リチャード2世の側近として台頭し[4]、一代限りの爵位として1385年12月1日にダブリン侯爵(イギリスではじめての侯爵位[5])、1386年10月13日にはアイルランド公爵に叙せられ[2]、アイルランドの統治を任せられた(間もなく失脚)[3]。また13代オックスフォード伯ジョン・ド・ヴィアー(1442–1513)は、薔薇戦争でランカスター派の指揮官として戦った[6]

20代オックスフォード伯オーブリー・ド・ヴィアー英語版(1627–1703)の死去をもって男子継承者と証明できる人物がなくなり、爵位は休止(dormant)した。

オックスフォード=モーティマー伯爵(1711年)

その後、オックスフォードの名を関する爵位が2つ創設された。1つはアン女王時代のトーリー党政権の首脳だったロバート・ハーレー1711年に叙されたグレートブリテン貴族オックスフォード伯爵=モーティマー伯である。この爵位は6代続いたが、1853年に廃絶した[7]

オックスフォード=アスキス伯爵(1925年)

もう1つは自由党首相を務めたハーバート・ヘンリー・アスキス1925年に叙された連合王国貴族オックスフォード=アスキス伯である。この爵位は2020年現在も存続している[8]

歴代当主

オックスフォード伯爵 (1141年)

オックスフォード=モーティマー伯爵 (1711年)

オックスフォード=アスキス伯爵 (1925年)

系図

オックスフォード伯爵ド・ヴィアー家系図
初代オックスフォード伯
オーブリー・ド・ヴィアー英語版

(1115頃-1194)
2代オックスフォード伯
オーブリー・ド・ヴィアー英語版

(1163頃-1214)
3代オックスフォード伯
ロバート・ド・ヴィアー英語版

(1165頃-1221)
4代オックスフォード伯
ヒュー・ド・ヴィアー英語版

(1207頃-1263)
5代オックスフォード伯
ロバート・ド・ヴィアー英語版

(1240-1296)
6代オックスフォード伯
ロバート・ド・ヴィアー英語版

(1257–1331)
アルフォンソ・ド・ヴィアー
(-1328)
7代オックスフォード伯
ジョン・ド・ヴィアー英語版

(1312–1360)
8代オックスフォード伯
トマス・ド・ヴィアー英語版

(1337-1371)
10代オックスフォード伯
オーブリー・ド・ヴィアー英語版

(1338–1400)
アイルランド公
ダブリン侯
9代オックスフォード伯
ロバート・ド・ヴィアー

(1362–1392)
11代オックスフォード伯
リチャード・ド・ヴィアー英語版

(1385–1417)
12代オックスフォード伯
ジョン・ド・ヴィアー英語版

(1408–1462)
ロバート・ド・ヴィアー
13代オックスフォード伯
ジョン・ド・ヴィアー

(1442–1513)
ジョージ・ド・ヴィアージョン・ド・ヴィアー
14代オックスフォード伯
ジョン・ド・ヴィアー英語版

(1499–1526)
15代オックスフォード伯
ジョン・ド・ヴィアー英語版

(1482-1540)
16代オックスフォード伯
ジョン・ド・ヴィアー英語版

(1516–1562)
オーブリー・ド・ヴィアー
(1519-)
17代オックスフォード伯
エドワード・ド・ヴィアー

(1550–1604)
ヒュー・ド・ヴィアー
18代オックスフォード伯
ヘンリー・ド・ヴィアー英語版

(1593–1625)
19代オックスフォード伯
ロバート・ド・ヴィアー英語版

(1575–1632)
20代オックスフォード伯
オーブリー・ド・ヴィアー英語版

(1627–1703)

脚注

注釈

  1. ^ 休止とは、爵位を継承すべき男子が存在する可能性があるが未確定、あるいはその権利保持者が爵位回復に対する請願(claim)を行っていない状況を指す。この場合、廃絶(extinct)扱いできないため、あえて『休止』と表現する。したがって、回復可能性のあった男子全員の死が立証された場合、その爵位はあらためて廃絶となる。また、権利保持者存在性の明確さにおいて停止とは異なる。

出典

  1. ^ a b 森護 1987, p. 170.
  2. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Oxford, Earl of (E, 1142 - 1703)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月24日閲覧。
  3. ^ a b 青山吉信編 1991, p. 382.
  4. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 549.
  5. ^ 森護 1987, p. 5-6.
  6. ^ Tait, James (1899). "Vere, John de (1443-1513)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 58. London: Smith, Elder & Co.
  7. ^ Heraldic Media Limited. “Oxford, Earl of, and Mortimer, Earl (GB, 1711 - 1853)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月24日閲覧。
  8. ^ Heraldic Media Limited. “Oxford and Asquith, Earl of (UK, 1925)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月24日閲覧。

参考文献